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28.


 髭の男がわずかに顔を歪めた。

「な、何だよ。いきなり……」


「死ねよ、ゴミ共が」

 俺は一歩前に出た。その動きは獣のようだった。静かで、しかし圧倒的な威圧感を放っていた。髭の男が無意識に半歩下がった。他の二人の男も、明らかに動揺している。さっきまでの余裕は完全に消えていた。


 俺の拳が固く握られている。爪が、手のひらに食い込む。痛みは感じない。ただ、目の前の障害を排除したいという衝動だけが、俺の中を支配していた。全て、粉々に砕いてやる。俺の目が、さらに鋭くなった。俺の殺意が、店内の全員に伝わっていた。


 髭の男が何か言おうと口を開きかける。

 その時。


「名瀬くーん」

 明るい声が店内に響く。俺の体が一瞬で固まった。


 天海だ。


 俺はゆっくりとその方向を向いた。天海がこちらに笑顔を向けている。その表情は花火を見ていた時と同じように、穏やかで明るかった。

「お待たせー」

 天海は軽い足取りでこちらへ向かってくる。俺の中で、何かが揺らいだ。


 殺意。

 それが天海の声を聞いた瞬間に、少しずつ薄れていく。天海が近づいてくる。その足音が、やけに大きく聞こえた。


「お友達かな?」

「……ああ、まあ」

 俺の声は、さっきまでの冷たい声とは違っていた。まだ完全には戻っていないが、少しだけ普段の声に近づいている。


 白石が天海を見て目を見開いた。

「あ」

 白石の声がわずかに上ずった。そして次の瞬間、顔が歪んだ。嫌悪と嫉妬が混ざったような表情。

「転校生」

 白石の声は冷たかった。そして、天海を睨みつけるように見る。


「あ、白石さん。それとお友達さんも。こんばんはー」

 天海は白石とは対照的に、いつものペースを崩さない。髭の男が俺と天海を交互に見た。そして、ニヤリと笑う。


「なるほどねぇ。そういうことか」

 髭の男が挑発的に俺を見て、口元を歪ませながら言った。

「お前、女連れて花火見てたんだな。隠しやがってよ」

 他の二人の男も俺を見てニヤニヤと笑う。その目には、嫌らしいほどの悪意が渦巻かれている。


「いい女連れてんなあ」

 三人の男たちの視線が俺に集中している。明確な敵意と、何かを証明したいような気持ちが空気を伝って感じられた。


 白石が天海に一歩近づく。

「へぇー、名瀬と一緒に花火見てたんだ。いいねいいね、楽しかった?」

 白石の声はわざとらしく甘ったるかった。だが、眼差しは天海を睨みつけている。


「もしかしてさ……イチゴミルクって転校生のだったんだね。いいなあ、買ってもらうんだあ」

 白石の言葉は天海を侮辱するような調子だった。

「まあ、それくらいはしてくれるか。名瀬ってさぁ、そういうとこだけはマメだから」

 白石の視線が天海を上から下まで舐めるように見る。冷たく、敵愾心(てきがいしん)を剥き出しにしていた。


「でもさぁ、転校生。アンタ、名瀬のこと知らないでしょ? こいつ、マジでヤバいヤツだから」

 白石の声は、わざとらしく大きかった。天海を脅すような、そして俺から離そうとするような言い方。

「関わらない方がいいよ? 危ないから」

 天海は白石を一瞥しただけで、俺の方を向く。

「名瀬くん――」

 天海の声は、穏やかだった。白石の挑発を完全に無視している。その時、俺は気づいた。天海の手に、何かが持たれているのを。


「イチゴミルクとさ……これも買ってよ。この後、使うでしょ?」

 それはコンドームだった。天海は笑顔を崩さないが、その目は笑っていない。明らかな挑発行為。手に持ったそれを掲げるように見せつける。トイレに行った帰り道で、棚から取ってきたのだろう。


 白石の動きが、止まった。白石の目が、天海の手に持たれたコンドームに釘付けになる。数秒の沈黙。その間、白石は全く動かなかった。ただ、じっと、コンドームを見つめている。


 白石の顔がわずかに紅潮した。それは恥ずかしさではなく、怒りで血が上っているのだ。白石の両手がぎゅっと握りしめられる。爪が手のひらに食い込むほど強く。


「……そっか」

 白石の声が低く響いた。さっきまでの甲高い声とは全く違う。低く、静かで、しかし怒りを孕んだ声。


「そういうことなんだ」

 その目には、明確な敵意が宿る。もう隠そうともしていない強い敵意。

「名瀬って……転校生とそういうことするんだ。こんなブス抱くんだね」

 白石の顔が、さらに赤くなる。耳まで真っ赤だ。


「へぇー」

 白石が、わざとらしく高い声を出す。だが、その声には明らかに棘がある。

「いいなぁ、いいなぁ。でも、天海、名瀬に殺されちゃうよ」

 白石の目が天海から俺へと移った。


「名瀬、とんでもないクズなんだよ。平気で人を殴るし、人の金を奪うんだ。天海もきっと殴られるよ。殴られて、殴られて、殺されちゃうよ。ふふ」

 白石の目が俺を睨みつけている。その目には、もう何の遠慮もなかった。剥き出しの憎悪。

「中学の時も、名瀬って誰かを半殺しにしたんだよ。天海さあ、知ってる? こいつ、本当にヤバいヤツなんだって」

 白石の声がわざとらしく大きくなる。周りの客に聞こえるように。

「人を殴って、骨折らせて、血だらけにして。それで何も感じないんだよ、こいつ。サイコパスなんだよ」

 白石の顔が嬉しそうに歪んだ。


「だから、天海。アンタも気をつけなよ。いつ殴られるかわかんないから。殴られたら、さらにブスになっちゃうよ、アンタ」

 白石の視線がまた天海に戻る。

「それとも、もう殴られてる? あ、でも殴られるのが好きなのかな? だからこんなヤツと一緒にいるんでしょ?」

 白石の声は侮蔑に満ちていた。

「名瀬みたいなクズに優しくされてさぁ、嬉しいんだ? 可哀想だねぇ、天海は。男を見る目がないんだねぇ」

 白石の口元が歪んだ笑みを浮かべる。

「それとも、同じようなヤツなのかな? 類は友を呼ぶって言うしね」

 白石が天海を上から下まで見る。その視線は、完全に敵意に満ちていた。


「まあ、お似合いじゃない? クズとビッチ」

 白石の声は冷たく、鋭かった。そして、また俺を睨む。

「名瀬。アンタ、本当に最低だよね」

 白石の声が震えている。怒りで震えているのだ。


「白石さん、可哀想」

 天海は笑顔で言う。だが目は笑っていない。黒く濁って、白石を見つめ続ける。

「醜い心、そこまで醜いともう治せないよね。哀れな白石さん」

 今までに聞いたこともない天海の冷たい声。


「おい、天海――」

「名瀬くんは何も言わなくていい」

 俺が言葉を言い終える前に、天海が遮った。


「ああ、キモイ。天海、アンタ気持ち悪い。死ね、ブス女。お前ら二人とも――」

「名瀬くんのこと、悪く言わないで。空気読めよ、ブス女。うざったい」

 天海の声は静かだった。だが、その静けさには、何か恐ろしいものが含まれていた。天海の目が、白石を見つめている。冷たく、暗く、何も映さない目。


 まるで白石という存在を、この世界から消し去ろうとしているかのような目。白石が、わずかに後ずさった。天海の視線に、何かを感じ取ったのだろう。本能的な恐怖。白石の顔が、わずかに引きつる。だが、白石は引かなかった。


「何、その目。気持ち悪い」

 白石の声はさっきまでの勢いがない。わずかに震えている。天海は何も言わなかった。ただ、じっと白石を見つめている。その沈黙が白石を追い詰めていく。白石の呼吸がわずかに荒くなった。


「黙ってないで何か言えよ。お前らみたいな人間、絶対に地獄へ落ちるからな」

 白石の声が高くなる。だが、それは強がりだった。天海の視線から逃れたくて、必死に声を出しているだけ。天海は何も言わない。ただ白石を見つめ続けている。その視線は容赦がなかった。白石の顔が、だんだんと青ざめていく。


 髭の男がその様子を見て、わずかに眉をひそめた。

「おい、リナ。もういいだろ」

 髭の男の声には明らかに困惑が混じっていた。さっきまでの威勢はない。天海と白石のやり取りを見て、何か面倒な予感を感じているのだろう。


「やめとけって。この女、ヤベェよ」

 他の二人の男も明らかに引いている。さっきまで俺に敵意を向けていた三人は、もう完全に興味を失っていた。代わりに天海と白石のやり取りを、まるで別世界の出来事を見るかのように眺めている。関わりたくない、という空気が三人から滲み出ていた。


「リナ、行くぞ。マジで」

 髭の男が白石の腕を掴もうとする。だが、白石はその手を振り払った。

「離して! あたしはまだ――」

 白石が天海の方を向こうとする。だが天海の視線と再び合った瞬間、白石の言葉が止まった。天海の目は、変わらず白石を見つめている。冷たく、暗く、底なしの目。白石の体が、小さく震えた。


「……ッ」

 白石が唇を噛む。そして、ゆっくりと視線を逸らした。天海の視線から、逃げたのだ。その顔は、屈辱に歪んでいた。

「もういい」

 白石は髭の男の方を向く。

「おう」

 髭の男が、ホッとしたような表情を浮かべる。そして足早に店を出ていった。白石は最後まで天海の方を見ようとしなかった。自動ドアが閉まり四人の姿が、店の外に消えていく。店内に、沈黙が戻った。


「ふふ。天海、意外とやるな」

「あはは……でも、やりすぎちゃったかな」

「別に大したことないだろ」

「だといいけどね」

「さっさとそれ、棚に戻して来いよ」

「あれ、使わないの?」

「おい、天海」

「はは、冗談だって――」


 天海が笑いながら、コンドームを棚に戻しに行く。その後ろ姿を見ながら、俺は深く息を吐いた。笑い合っていたはずなのに、胸の奥に何かが残っている。重く、冷たく、暗いもの。心の奥底で、まだくすぶっている。俺の中に、まだ暴力性が残っていた。天海の声で抑えたが、完全に消えたわけではない。ただ、押し込めただけ。蓋をしただけ。


 俺は自分の拳を見た。さっき、固く握りしめていた拳。爪の跡が、手のひらに残っている。わずかに赤くなっている。この手で、何人殴ってきたんだろう。この手で、どれだけの血を見てきたんだろう。俺の中にある暴力性。それは、いつも俺の中に潜んでいる。


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