2.
他人に暴力を押し付けることへの抵抗がなくなったのは、中二の頃だったと思う。親を思いっきり殴りつけた、あの瞬間から俺のタガはぶっ壊れた。痛みには敏感になり、同時に鈍感にもなった。小学生の頃の通知表には毎回、穏やかで思いやりのある優しい子と書かれていた気がする。今となっては、それは嘘みたいだ。
この夜空、そこへ浮かぶ月に照らされるように、両手をかざした。俺の身体もあいつの身体も、どうなろうがお構いなしに全力で殴りつけたから、手の甲には出来立てほやほやの生々しい赤紫色の痣がはっきりと刻まれている。
痛々しいが、不思議とその痣を見て嫌な気分にはならない。俺は使い込まれた物が好きだ。掃除用具入れの片隅にある薄汚れたモップ。体育館の裏手に設置された錆びついた水道蛇口。空き教室に積み上げられたキズだらけの机や椅子。
時の経過を感じさせる。確かにこの世界に存在したという証を感じさせる。歴史の教科書なんて読まなくても歴史を知ることができる。だから好きだった。このキズはあの時できたもので、こっちのキズはあの時できたもの――頭脳を駆使しなくても、見るだけであの時の経験を復元できる。あの時の苦々しい記憶を思い出せる。
俺は親から激しい虐待を受けていた。理由は分からない。でもきっと愛されていなかったんだと思う。子供はとても手がかかる。愛なしに子供を育てることは不可能だろう。泣き叫んでうるさいし、感受性が豊かすぎて精神が不安定だし、生意気だし、ワガママだし――金銭を受け取ったとしても、愛情がなければ子育ては難しい。
だから虐待を受けた。愛してもいないガキが自宅にいるのは、それだけで腹が立つ。そういうことだ。俺は笑みが怒りや憎しみを表すものだと思っていた。そんな間違った認識を植え付けられるほど、俺は歪んでいた。親は笑いながら俺を折檻していたから。親が俺に笑みを向ける時、それが合図だった。
でも大事なことは学べた。暴力を抑えるには、より激しい暴力を押し付ければいい。暴力を制するには、それを上回る暴力が必要なのだ。俺はそれを知った。だから今はもう親から虐待を受けていない。俺がこうして、ゆっくりと夜空を眺めながら帰路につけるのも、すべて暴力のおかげだ。




