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13.



 十四歳の頃、中学二年の夏。あの日が来るまで、俺は中学校で虐められ続けていた。小学校の頃から虐められていたのかもしれない。「かもしれない」というのは、当時の俺は精神的に未熟で、自分が虐められていることにあまり気づいていなかったと思う。親からの虐待に比べれば、小学生の虐めなど可愛いものだ。


 いつも薄汚れた制服を着て、髪の毛はフケだらけだった。通う中学には給食がなく、生徒はみんな家から弁当を持ってきていた。中学に通う三年間、ただ俺一人だけは一度も昼食を食べたことがなかった。

 勉強道具を入れる鞄を俺以外の生徒全員は持っていた。俺だけはボロボロのビニール袋に勉強道具を入れて学校に通った。陰口は絶えず、常に嘲笑の的だった。


 俺の上履きは常に濡れていた。登校すると、誰かが中庭の池に投げ込んでいるのだ。下駄箱を出てすぐ外の池に、俺の上履きが浮かんでいるのは日常茶飯事だった。履いている自分すら顔が歪むほど、上履きは酷い臭いを放っていた。


 誰かが俺の靴から靴紐を抜き取り、どこかへ隠した。靴紐は二度と見つからなかった。まともに歩けず、両足を引きずりながら下校した。途中、同じ中学に通う生徒に絡まれた。無視して、おぼつかない足取りで歩き続けた。後ろから石や砂利を投げつけられた。走って逃げたかったが、靴紐がないせいで無理だった。


 母親の気が向いた時だけ、機嫌が良かった時だけ、俺の服を洗えたし風呂にも入れた。勝手に洗濯機や浴室を使おうとすれば、顔面に平手打ちを食らった。だから服も身体も臭かった。俺は虐められて当然の存在だった。


 同じ学校の生徒が俺を直接殴ることはなかった。殴る時は必ず掃除道具を使った。臭くて汚い俺は学校の汚れだと、みんなが言っていた。「確かにな」とモップやホウキで殴られながら、俺はそう思っていた。


 ホームルームの時、担任の教師がみんなの前で俺に聞いた。「名瀬は誰かから虐められているのか」そして続けた。「虐められているのなら助けてやりたいんだ」と。席から起立させられ、担任の教師と向き合う俺を、みんなが凄まじい形相で睨んでいた。俺は答えた。「誰からも虐められていません」「そうかあ。本人が言うなら、じゃあ大丈夫か」担任の教師は言った。俺の中学校で虐めは無いようだ。




 折り畳み傘は小さい。俺の左肩ははみ出して、少し雨に濡れている。天海はそれに気づいて、傘ごと身体を俺の方へ寄せてくる。俺は天海と身体が触れたくないから距離を取る。その繰り返しがずっと続いていた。


「名瀬くん」

「なんだよ」

「キミの方が身長高いんだから傘持ってよ。この姿勢、疲れるの」

「嫌だよ」

「持って」

 天海は笑顔で俺の靴を思い切り踏んだ。そしてぐりぐりと踏みにじる。痛くも痒くもない。不快だとも感じなかった。だから抵抗せず、天海のその行動を静観していた。


「ちょっと、何か反応してよ。名瀬くん」

「ふん、力が足りないぞ。そんなんじゃ俺には効かない」

 俺は折り畳み傘を天海から奪い取り、彼女に寄せて差し直す。俺の左肩は相変わらず雨に濡れていた。


「名瀬くん、私さ、キミのことが読めないよ」

「天海、その言葉そっくりそのまま返す」

 俺たちは再び歩き始めた。今歩いているのは本来の通学路とは異なる遠回りの道だ。天海と並んで歩く姿を他人に見られたくなかった。先ほど天海が「ねえねえ、なんでこんな道? 遠回りじゃん」と問いかけてきた。俺は「一秒でも長く天海と歩きたい」と答えた。天海は上機嫌に微笑んだ。「名瀬くん、分かってきたね」単純なヤツだと思った。


 歩いていると寂れたアーケード商店街に差しかかった。考えてみれば、高校生になってからこの辺を通るのは初めてだ。最後に来たのはいつだっただろう。あの頃はまだここまで寂れていなかった。もっと活気があって、様々な店が並んでいた気がする。今じゃあ見る影もないシャッター通りだ。


「どうしたの、名瀬くん」

 思わず足を止めて、ぼんやりと眺めていた。天海は俺の顔を覗き込むように見つめ、不思議そうに眉をひそめる。


「別に」

「名瀬くん、もしかして会話苦手?」

「お前が苦手」

「ふふっ、またまたぁ」

 天海はにこやかに俺の右肩をポンポンと叩く。「この言葉では不機嫌にならないんだ」と俺は心の中で首を傾げた。天海の不機嫌スイッチはどこにあるのだろう。


 雨が弱まる気配はなかった。劣化したアーケードの屋根に打ち付けられた雨が、弾ける音を奏でる。鉄と水が擦れ合うような、金属を薄く舐めたような匂いがした。

「もしかして名瀬くん……私とこの商店街を見て回りたいの?」

「違う。っていうか、商店街じゃないだろ。見てみろよ、全部閉まってる。シャッターしか見えない」

「わからないよ。ちょうど屋根があるし雨もしのげる……高校生らしく寄り道しちゃお!」

 天海に強く手を引かれ、俺たち二人は元アーケード商店街――現シャッター通りに足を踏み入れた。薄茶色に錆びついたシャッターが俺たちを迎える。人っ子一人の気配もない。屋根に打ち付けられる雨が爆音のように響く。俺の手を握る天海の手は、あの時顔に触れられた時と同じく、とても冷たかった。


「うわー、なんかさみしいところ。ちょっと不気味」

「だから言っただろ、天海」

 そう言って俺が天海の手を振り払うと、天海は顎を引いて口を尖らせた。「ああ、不機嫌になった」とその表情からすぐに察する。俺は天海に悟られないようクスリと笑い、傘についた雨水を払ってから折り畳んだ。


「ほら、傘」

 俺は折り畳み傘をぶっきらぼうに天海へ手渡そうとする。

「名瀬くんが持ってて」

 天海は強く拒否して、受け取ろうとはしなかった。

「お前のだろ、黙って受け取――」

「よーし、やってるお店を探そう!」

 俺の言葉を遮り、天海はずんずんと前へ進んでいく。俺は大きくため息をつき、その背中を追った。二人きりの寂れたアーケード商店街に、俺たちの声だけが響き渡る。その反響で、古びたシャッターたちが揺れ動いている気がした。


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