悪魔の子 〜僕とさきの物語〜
これは、僕が実際に経験した出会いと別れの物語です。
この物語を通して、僕が見た”愛”のかたち、そして「さき」が背負った”現実”を、少しでも感じていただけたら嬉しいです。
最後まで読んでいただければと思います。
音源が解禁されたばかりの大人気アイドルグループNの新曲「君が好きだ!」を聴く。
恋をしたくなる季節がやってきた。
大学3年の夏、誰かを好きになって、めっちゃ恋をしたい!
でも、出会いってどこ?
大学内? バイト? 友達の紹介?
答えはマチアプや。
7月のある晩、マッチングアプリwithをダウンロードする。
そして、テキトーにボタンをポチポチ。
そんな中、1人の女の子が目に留まった。
顔の一部だけ写真が上がってて、パッチリとしたお目目に一目惚れ。
なになに?アイドルグループN、他にもS、Lも好きだって〜?一緒やん!
魂を込めていいねを押してみた。
通知「マッチしたで」
「!?」
即座に課金。
「マッチありがとうございます!仲良くなれたら嬉しいです!」
テンプレを送りつけてみた。
「こういうの初めてなのでとても不安なんですけど、よろしくお願いします。」
返信が来て胸が躍る。
この何気ない指の動きが、全ての始まりだった。
巡り逢う可能性なんてなかったはず。
僕と1人の女の子、2人の人生が突然交差した。
新しい物語が始まった瞬間だった。
初めてのメッセージは案の定盛り上がった。
彼女の文面は優しくて、好きだった。
「僕もアイドルグループS、めっちゃ好きです!」
「ほんとですか!嬉しいです!」
太陽が照り、青空が広がる東京。
アイドルグループSの『夏の近道』を聴きながら、めいいっぱい自転車を漕ぐ。
この時の僕らは、まさに夏への近道を辿っている真っ最中だった。
通話に誘った。
彼女の名前を聞くと、「サキ」と言った。
好きな声をしてる。話す言葉も好きだな。
「美大に通ってるんだ!すごい!」
「医大もすごい!私出会ったことないよー!」
「博多弁めっちゃ可愛い」
「関西弁初めてかも!めっちゃ好き!」
お互い地方出身で上京した者同士ってこともあり、共通点は多かった。
通話はとても弾んで、楽しかった。
「オムライス好きなんやったら一緒に食べに行かへん?」
「いこいこ!」
7月の最後の日、ラゾーナ川崎でサキと初対面。
"めっちゃ可愛い!
こんな子が実在するなんて信じられない!"
世界中に宣言したくなるほどの衝撃的な出会いだった。
僕はさきに一目惚れした。
初デートは、話も弾んで、とても居心地がよかった。
さきはたくさん自分の話をしてくれた。
「みて!これが私の作品!」
大学で優秀展示作品に選ばれた自主制作の椅子の写真を見せた。美大生らしく、シンプルなのにユニークな椅子だった。
課題として出されたテーマは漠然としている。答えがないものを作るという難しさ。
そんな難題をこなし、ベスト評価を受けてるさきをすごいと思った。
「優秀作品に選ばれて、ほんと嬉しかった!」
そう話すさきの目は輝いていた。
僕はそんな彼女の瞳に吸い込まれてしまう。
オムライスを全奢りすると、
「次は私も払わせて!」
次があることに胸が高鳴る。
その後はモールでさきのお買い物に付き添った。
レジでさきの後ろに立って、お会計が終わるのを待つ時の僕はどこからどう見ても完全にさきの彼氏だった。この状況がとても好きだった。
また会いたいことを伝えた。
「もちろん!私も会いたい!」
マッチングアプリでは1回目のデートをしたっきり、連絡が途絶えるケースはかなり多いようだ。
そんな中、僕は1次審査を突破した。
2度目のデート。
「バイト先でね、山田花子(大人気アイドルグループの元メンバー)が来たことあるんだけど、彼氏と来てたんだよね!」
「あちゃー... でも居酒屋で働いてるとそんなこともあるんやな!ってか居酒屋バイトめっちゃ大変じゃない?」
「そう、本当大変で... 手いっぱいすぎて、もう辞めようかな〜」
何気ない会話が僕とさきとの心の距離が縮める。
それと同時に僕の気持ちも強くなる。
3回目のデートに誘った。
「水族館とか行かへん?」
「行きたい!私カメラ持ってくよ!」
2週間後に三度目のデートの約束を立て、2人は地元へ帰省する。
その期間は3日に一回の頻度くらいで通話した。
「パイナップルだと思って口にしたら黄色のスイカだったの!」
「ほんこわ見たけど、全然だったね!」
「今まで花火大会行ったことなかったんだけど、行ってみたんだ!ひかるくんは?」
「私の地元はね、かっぱが有名なんだよ!」
さきの話すエピソードの一つ一つが可愛くて、愛おしくて、彼女のことをたくさん知っていく内で芽生えた感情がどんどん大きくなっていくのを実感した。
3回目のデート、江ノ島水族館。
僕らは水槽の中の小さな世界を覗き込む。
「このクラゲとこのクラゲ、触覚絡まってるよー!」
「ほんまや!2匹で1セットやな!」
「ね!」
水族館の隣のイタリアンでご飯を食べて、夜のライトアップされた江ノ島へ。
そして、江ノ島のいっちばん高い所で想いを伝えた。
「さきちゃんが好きです。
僕と付き合ってください」
さきは少し間をあけて、こう答えた。
「初めての電話も、初めて会ったのもひかるくんで、他に3人の人にも会ったんだけど、断然ひかるくんが良い人で。アプリも消したんだよね。
ほんとに、ひかるくんほど優しい人に今まで生きてきて一度も出会ったことないんだ。
本当に、私でいいの?私なんかで?」
「さきちゃんがいいねん!さきちゃんが好き!」
「私も、好き!」
序章だった物語は次のページへとめくられる。
2人だけの物語、本章が始まった。
帰りの道で手を繋いだ。
お互い手汗なんか気にせず、ずっと。
あの触手で繋がったクラゲは、僕らそのものだった。
「『さきちゃん』じゃなくて、『さき』って呼んでよ!」
「ええけど、なんで?」
「彼氏に呼び捨てされるのって、なんか特別感がある気がして!」
嬉しかった。本当に嬉しかった。
さきとバイバイすると、
僕は友達の家に直行し、祝勝のストゼロを決める。
頭がおかしくなるくらい嬉しくて、いっぱい酔っ払って、そして高揚感でインスタにさきとのツーショットを載せた。
すると信じられない数のいいねが来た。
"みんな、さきの可愛さに見惚れたんだな"
さきは僕を『優しさ』で選んでくれた。
僕の武器が『優しさ』なら、絶対にそれを大事にする。
僕がさきを絶対に幸せにするんだ。
その日から、さきのいる日々が特別で、毎日が本当に幸せだった。
さきが彼女になって初めてのデート。
さきが僕のことを友達とかサークルの人たちに紹介してたみたいで、とても嬉しかった。
デート中、さきに彼女の大学の親友である「八木ちゃん」から電話がかかってきた。
笑を浮かべながら彼氏とデート中だと話す彼女の横顔は綺麗だった。
友達についてたくさん話してくれた。
「八木ちゃんと、山岸ちゃんとめっちゃ仲良いんだー!」
さきが山口さんだから、出席番号連続組でいつも一緒にいるみたい。
「俺山本やし、さきはヤ族と縁があるんやな!」
さきの友達とのエピソードはどれも楽しくて、ほっこりする。写真を見せながら、それを話すさきの温かい表情が好きだ。
"さきは素敵な友達に囲まれている"
僕も大学の友達を紹介した。
同じ部活の友達を紹介していく中で、1番のお笑い番長『あっくん』を紹介した。
「あっくん、ほんとおもしろいね!」
そして、お互いの昔の頃の話をしていく中で、さきはピアノがとても上手という話を聞いた。
「小中学の時の合唱の時ね、私、ピアノ弾く人だったんだよね」
さきの過去の話を聞いていると、ふと思い出した。小学生の時、自分と同じクラスにいたあの女の子。まさにクラスのピアノ担当で、誰にでも優しくて、クラスの中心だった彼女と、さきが重なった。
"ああ、きっとさきもあんな風に周りから愛される子だったんだろうな"
そんなことを思うと、より一層さきが特別に見えた。
クラスのみんなで警ドロをした10年前のあの校庭に、さきの存在を投影させた。
さきのことをより好きになっていく自分がいる。
さきと付き合ってからの変化は僕の生活にも現れる。
僕は彼女の大好きなサーモンをご飯に取り入れるようになった。
スーパーでサーモンをたくさん買って、僕の冷凍庫はサーモンだらけに。
毎日それを食べて、さきのことを考えるんだ。
みなとみらいの王道デート。
待ち合わせした横浜駅はとても混み合っていた。
「人多すぎるところあんま得意じゃないんだよね」
「人混みってしんどくなるよな、こんなとこ歩かせてごめんな」
「ひかる、本気でごめんって思ってるでしょ!苦手だけど、私はへっちゃらだからごめんなんて思わないでね!」
さきは僕をよく分かってる。
なんでこんなに分かってるのだろう?
そんな僕を好きでいてくれる彼女のことが大好きだ。
スタバで焼き芋フラペチーノを食べた。
「芋けんぴみたい!」
「なにそれ?九州の方言?」
「ひかる知らないのー!?少女漫画にね、『髪の毛に芋けんぴついてるよ』っていう有名フレーズがあって、、、」
さきはいつも僕に新しい発見をくれる。
『芋けんぴ』
このワードを見つけるたび、この食べ物を見つけるたび、これから先ずっと僕はさきを思い出すんだろう。
みなとみらいにある遊園地、コスモワールドに行った。
ジェットコースターに乗ったら、凄い勢いでぶん回されて、2人でたくさん笑った。
大学受験二次試験前日、桜木町のホテルから観覧車を眺めた時に芽生えた夢。
『大学受かって、彼女ができたら、あのでっかい観覧車に乗るんや!』
それを叶えてくれたのは、さきだった。
2人で眺めた初めての夜のみなとみらいの風景は、この世界で1番綺麗だった。
ある日の原宿デート。
「お腹空かせてきた?」
「もちろん!昼にサーモンだけ食べたで!さきの影響受けて!」
「そうなの!すごい嬉しい!」
竹下通りで食べ歩きをして、一緒にパフェを食べて、2人で匂わせ写真でありそうな写真を撮ったり。そしてサモエドっていう大きい白犬のカフェに行ったり。
夜ご飯はローストビーフを食べた。
少々お値段が高くて、さきの金銭事情が気になった。
「さきの金銭事情ってどんな感じ?仕送りどれくらい貰ってんの?」
「仕送り0だよ」
「え!そうなん!」
「どうしよ... やっぱいいや!」
「え、なになに?」
「知りたい?いや、でも言おうか迷う」
「教えてほしい」
さきは何か隠してるみたいだ。
でも、なんとなく、ある程度予想はついた。
何を言われても動揺しないよう、心の準備をした。
「私、ガールズバーで働いてるんだよね」
やっぱそういう系か。
『風俗とかだったら...』なんて一瞬考えてしまっていたから、少しホッとした。
「そうやったんやな...お金に困ってるん?」
「今奨学金借りてて、その奨学金って大学卒業するまでは利子はないんだけど、卒業したら利子が発生するから、早く返済したいんだよね。
1年生の間はずっと居酒屋で働いてたんだけど、大学が忙しくなってシフト入れなくて、半年前から効率よく稼げるガルバに切り替えたんだ」
さきの事情を知った。美大の学費とか生活費とか、女の子が背負うにはあまりにも重すぎるものを全部一人で背負っていたことを知った。
「そうやったんやな、さきは自分の好きな美術めっちゃ頑張ってるやん?大学の課題にも一生懸命でさ、めっちゃ素敵やと思うねん。それで奨学金とか、そういう自分の将来のことを考えて行動をとってるさきはすごいと思うし、尊敬するで。だから、そういった働き方もアリやと思うよ。
あとまあ学費以外にも、女の子なんやから美容とかにもお金かけたいやろし、友達と遊ぶ時にだってお金必要やもんな!」
「なんで、そんなに優しいの?」
さきは涙を流していた。
さきから聞いた話の中で、僕が好きなエピソードにこんなのがある。
それは、さきが小学6年生の時、仲良くなった1年生の子にたくさん絵を描いてあげていたという話。
他にも、さきの幼少期から高校生までのエピソードにたくさん美術が出てきて、本当に美術が好きなんだってことを十分すぎるくらい知っていた。
ブルーピリオド(美大受験の漫画アニメ)を見ると受験期を思い出して胸が痛いと言っていた。それはさきが美大受験を頑張った証拠だと思った。
そして今、美大に通って、自分の作品が優秀作品に選ばれるくらい一生懸命取り組んでいる。
日によっては夜の10時まで大学に残って製作をしたり、めちゃくちゃ努力している。
小さい頃から好きだった美術で生きていくため、自分の力だけで道を切り開いて、さきはここで頑張っている。
そんなさきがかっこよくて、好きなんだ。
「言えてなくてごめんなさい。嫌われると思った、ずっと隠すべきなのかなって思ってたんだ...。ありがとう。ほんとに、嬉しい」
さきの理解者になれた気がした。
そして、さきのことを、ずっと側で支えていくと誓った。
この後のさきとの手繋ぎは前とは少し違う。
今まで以上に、なにか温かみを感じる。
「ひかるに癒されたから明日も頑張れる」
「僕もやで」
渋谷駅でバイバイをし、帰りの電車で色々考える。
僕はさきに顔向けできなかった。
自分は一度も学費とか生活費について真剣に考えたことがなかった。
学費は親が出してくれている。
もちろん自分だってバイトしないとやっていけないけれど、生活費の仕送りを当たり前のように貰っている。
決してさきが恵まれてないという訳じゃない。でも僕はあまりにも恵まれている環境で育ってきたことを初めて実感した。
上京した理由なんて、東京横浜で開催されるアイドルの握手会にいっぱい行くため。
医学部に入った理由ですら、医者になりたい本気度で言えば、全然だった。
彼女の仕事に対する複雑な気持ちも、もちろんあった。でも、それ以上に彼女に対する申し訳なさでいっぱいになる。
"さきは頑張ってるんや、俺もさきみたいに頑張らなあかん"
次の週からは、1限から学校に行くよう心掛けた。
さきの言う通りのバイト先を調べてみたら、出てきた。
話していた通り露出はなくて、思っていた以上に上品なお店だった。
そして彼女は完全にアイドルだった。
ブログとかもしていた。
全部が全部、完全にアイドルのそれで、アイドルと付き合うという中高生時代の夢が叶った、そんな気がした。
さきが自分の秘密を僕に打ち明けてくれたことが嬉しかった。
そして今まで以上にさきと親密になれてるのを実感する。
さきと過ごす日々で、彼女は僕に宝物をくれる。
それは、彼女が何気なくかけてくれる言葉の数々。
「ひかるといるとめっちゃ落ち着くんだ」
「ひかるを動物に例えると〜、優しいパンダさん!」
「ひかるって、ひかるにしかない不思議なオーラがあって...」
その宝物はどれも、いつでも取り出せるように心のポケットに入れておいた。
こうやって、2人で一緒に物語のページを駆け抜けていった。
居酒屋デート。一緒にお酒を飲んだ。
酔っぱらっちゃって、さきにいっぱいマシンガントークしたらめっちゃ笑ってくれた。
この時にさきのバイト先の太客の話を聞いた。
60はゆうに超えているジジイ。
その名も『矢崎』
奥さんもいて子供も3人いるのにも関わらず、さきにお金を使いまくっているらしい。
"本当に情け無いジジイや"
そして、そのジジイは店でさきに対して暴言を吐いたりなど、かなりの悪態をつくようで、さきを深く悩ませる原因の一つみたいで、本当に許せなかった。
「いつか矢崎を絶対地獄に落としたるから安心して。何かあったら、いつでも相談してな」
「そう言ってくれて頼もしい!ありがとう!」
きっとさきの見ている世界に、さきを苦しめるものがある。
"僕はそんなさきを支えてあげれてるのかな"
そして、さきは声をあげて話す。
「私、お金持ちの家の子だったらどうだったのかな〜!」
どう言葉を返すべきか分からなかった。
「お金持ちの子は思い通りになることが多いと思うからさ、思い通りにならない経験って、人が成長できるチャンスやと思うからさ。あと、特に箱入り娘の子とか、ほんまにワガママで変な子ばっかやねんで!」
「そうなの?」
さきは笑って答えてくれた。
先述した通り、僕は比較的恵まれている家庭の人間だ。
もしもさきと似たような境遇だったら、僕の答え方は違っていたのだろうか。
駅までの帰り道。
「この前さ、さきが俺にバイトのこと打ち明けて話してくれたからさ、俺も何かないかなって思ってたら、しょうもないんやけど、一つ思い出したんよな!」
「なにー?」
「前に通話した時にさ、さきが『お肉は冷凍庫に保管できる期間短いけど、お魚は持つからお魚たくさん冷凍してる』って話してて、『確かに!俺も!』って相槌打っちゃったんやけど、本当は俺、めっちゃお肉冷凍してるんよね」
さきは大爆笑した。
「ひかるってほんと面白いよね!」
そして、小声で
「私の目は間違ってなかったな〜」
僕はこの発言の意味を汲み取って、嬉しい気持ちでいっぱいだった。
ある日のデート終わりの話。
駅を2人で歩いていると突然さきは顔を手で覆い、僕の元から走り去った。
急すぎる出来事に何があったか聞くと、
お店でさきをよく指名する客が目の前にいたかららしい。
"アイドルの彼氏ってこんな感じなのかな"
「ほんまに、気をつけて帰ってな。家着いたら連絡するんやで!」
さきが危険な目に遭わないか、デートでバイバイするたびにとても心配してしまうんだ。
いわし雲が空一面を覆う。
涼しげに僕らを包み込む秋風は、夏の終わりを告げた。
この日、寒がりのさきはもう長袖を着ていた。
そんなさきが今日も愛おしい。
僕の友達が一風変わったビートボックスをしている動画があって、それをさきに見せた。
そして2人で笑い合った。
「なんでひかるの周りの人たちってこんなに面白いの?」
「みんな個性豊かやからな〜」
「個性強すぎるよー!そう思うとひかるってしっかりしてる!」
「どうかな、俺学校やとみんなにめっちゃいじられ倒されてるんやで!」
「それはひかるが優しい人だからだよ!」
僕の『好き』という感情はコップから溢れだした。
"僕はさきに、欲しい言葉をかけてあげられてるかな"
さきとのデートはとても楽しい。
ずっと目を見て話していたい。
ずっと耳を立てて話を聞いていたい。
ずっと白く綺麗な肌に触れていたい。
一緒に過ごす時間の1分1秒が宝石のようにキラキラしていた。
通話でクリスマスの予定を立てた。
「クリスマスマーケット行きたいな!ベタなことしようよ!」
「めっちゃいいやん!憧れのクリスマスって感じやわ!」
「そういえば、ひかるってサンタさんみたいだよね」
「うそー!じゃあ俺サンタさんのコスプレしよっかなー!」
「おもしろそうだね!」
さきが僕をサンタさんみたいって言ってくれた。これの意図は分からないけれど、さきにとって僕の存在が安らぎを与えれてるような気がして、温かい気持ちになれた。
"幸せやな俺"
人生はジェットコースター。
どんな幸せも急降下が来る。そのタイミングはいつか分からない。
それは3ヶ月後かもしれないし、1年後かもしれない。60年後かもしれない。
僕のジェットコースターのレールは、この日が極大値だった。
その通話の2日後。
「突然だけど、お別れしたいです。」
こんなLINEが来る。
頭が真っ白になった。
状況が理解できなかった。
悪い夢を見ているのじゃないかと思った。
けれど、現実だったんだ。
この日から僕は崩れていった。
四六時中泣き、布団から出られない日々が続いた。
冷蔵庫に入れることなく放置した食材には案の定コバエが湧く。
気分転換にLoopに乗って、渋谷から六本木、皇居、新宿を回って東京の色んなところを散策した。
多摩川のほとりの芝生に座って夕陽を見ながら大号泣した。
くっつき虫まみれになったけど、そんなのはどうでも良かった。
近くにいたおじさんが
『どうしたの?』
って声をかけてくれたけど、僕は何も返事ができなくてその場から逃げ出してしまった。
気づけば知らない公園の遊具に寝転がり、
現実の重さに押しつぶされるように泣いていた。
"なんで、なんでなん。さき、帰ってきてよ。大好きやのに、なんでなんよ"
くっつき虫まみれの身体で「普通」に乗って家に帰る。イヤホンから流れてくる「プレゼント」という楽曲は、さきのことを想ったもの。胸が痛くなる。
ちゃんと会って話そうって約束しているけれど、ちょうどさきの大学がとても忙しいタイミングと被っちゃっていて、会う日が少し先になってしまっているこの状況。
ベッドに寝転がってさきのことを考える時間が本当に辛かった。
さきと話す機会を設けて一度通話した。
すると、さきは泣いていた。
「ひかるほど優しくて肯定してくれる人初めてで、でもね、優しくされると申し訳なく感じちゃうんだ...」
僕がかける言葉に対してこう言ってくれるから、まだ蘇生できる命だと感じた。
"なにがなんでも、次会った時にちぎれかけた糸を繋ぎ止めるんだ"
そう固く誓う。
友達の彼女がオススメしてる恋が叶うで有名な東京の神社には何度も行った。
でっかく「僕がさきを支えていきたい」と書かれた絵馬はかなりの存在感を放っていて、行くたびに同い年くらいの女の子が僕の絵馬を指差して何か話しているのを遠くから眺めた。
ここで買ったお守りは肩身離さず手首につけた。
絶対に願いは叶うと信じた。
ディズニーのキャラたちもそう言うはず。
必死でさきとのこれからも関係を続ける方法を探った。
そして、さきと会って話す時がやって来る。
この日は大学の課題で忙しいさきに無理矢理時間を作らせたから、早めに説得できるといいな、なんて考えていた。
『絶対解決させるんだ』って意気込んだ戦いは、全く上手くいかなかった。
「ひかると一緒にいると、自分のことが嫌いになる」
「ひかると一緒にいても、ひかるみたいな良い人になれなかった。」
俯いてそう話すさき。
通話の時は泣いていたのに、もう涙は見せなかった。
時間が、さきの別れの決意を強めてしまったのかもしれない。
後悔した。
さきからあのLINEが来たあの日、無理矢理にでも会いに行って、さきを強く抱きしめることができていたら...。
「ひかるは名前の通りめっちゃ輝いてて、私はひかると一緒にいると私も輝けるんじゃないかなって思ったの。でも自分の影みたいな部分をより強く感じるようになっちゃって、もうだめだって。」
"さきだって、とっても輝いてるよ"
何度伝えても伝わらなかった。
なかなかパンチのあることを言われて、僕は瀕死寸前だった。でも、さきとの未来を信じて、必死で何を伝えるべきかを考えた。
決して降参はしなかった。
話し合いに決着は付かず、
一旦持ち越しという形で話が終わった。
"次会う時が、最後になっちゃうんだろうな"
それまでの期間に大学の学祭があった。
ギター部の僕はさきを想って『リメンバー・ミー』をソロギターで演奏した。
家でご飯を食べる時、もちろんサーモンなんか食べれるわけがない。
冷凍庫を開けるたび、涙が溢れそうになる。
腐ってくれないサーモンは、僕にさきとの楽しい日々を思い出させるんだ。
友達に連れられ、ディズニーランドに行った。
美女と野獣のアトラクションはとても感動的で、真実の愛を信じれた。
さきへの別れの手紙を書いた。
伝えたいことを会った時に伝え損ねて後悔したくないから、自分の想いをたくさん綴った。
文章は一字一句でも間違えたり形が崩れたりしたら全部書き直しだ。ボールペンで約2500字の文章を完璧に書き上げるのは本当に大変で、さきに会うその日の午前中まで時間がかかった。
そして最後に、さきが大好きなシナモンのシールを貼って封を閉じた。
"期待なんか、してないし"
そう言い聞かせていたけれど、やっぱり心の奥底で、まださきと付き合い続けることを夢見ている自分がいた。
前回話し合った時と同じカフェに入り、さきと会う。
そこでさきはコーンスープ、僕はホットミルクを注文した。
いつもの僕ならさきと同じものを注文していたのかもしれない。
少し雑談した後、考えていた通り話を始めた。
話は進んでいった。
「さきはめっちゃ素敵だよ。
どうしてそんなに自分が良い人じゃないって思えるのか教えてよ。」
「ひかるはさ、誰にも言えない秘密ってある?」
突然の意味深な返答に怖くなる。
「その話が今のさきの気持ちに繋がっているなら、聞かせてほしい。後悔したくない」
「分かった。」
さきはゆっくりと重たい口を開いた。
「この前話した太客いるじゃん?
お店通さずに店の外でも会ってるんだよね。」
ガールズバーでは女の子と客が連絡先を交換する。謂わゆる営業LINEを送るために。
そこでさきのことを気に入った太客である矢崎は、そのLINEを通じ、彼女に店外で会うことを強く要求したことがきっかけだと話す。
大学が忙しすぎてガールズバーのシフトには全然入れていなかったようだ。
そして自分が将来就きたいデザイン系のお仕事は初任給20万程度だと教えてくれた。
美大卒業後の進路は医者とは違って将来稼げることが約束されてるわけじゃない。
利子があるからできる限り早く奨学金を返済することが将来の自分にとって一番の選択だと言う。
『今はお金が必要なんだ』と。
ガールズバーで働いてることを打ち明けてくれた時に耐性がついたせいか、それとも僕が恋に盲目だったせいか、もう今更ってその時感じた。
僕は自分のやりたい美術で生きようとするさきの姿勢が好きだと言った。
お金を稼ぐことの先に繋がることが、さきの欲望なんじゃなくて、将来やりたいことに繋がるなら僕はそれでも側で応援したいと伝えた。
「本当にそう思ってるの?ひかるはおかしいよ!
本当に私のことが好きだったら、こんなの絶対嫌だって思うに決まってるもん!
もし私がひかるだったら絶対に嫌だよ?
この話をする前だったら分かる。
でも、この話を聞いても、まだそう思うなら、ひかるはおかしいよ...」
「それをどう判断するかは、さきじゃなくて俺が決めることやろ?今俺はその話を聞いたって気持ちは変わらんよ。ガルバのこと打ち明けてくれた時にさきの全部を受け入れるって誓ったよ。なにがあっても俺はさきのことが好きだよ」
「基本的に土日は囲われてるせいで遊べないよ?クリスマスは太客と過ごさないといけなくなったから一緒に過ごせないよ?ひかるが思い描く恋愛はできないよ?」
怯んでしまった。
大好きなさきと過ごすクリスマスをとても楽しみにしていたから。
そして、さきは俯きながら全てを語り始めた。
「私はアイツから取れる物全部取ってやろうと思った。今学費を少しずつ出させる約束はさせたんだけど、今それをずっと待ってる最中で、本当にしてくれるかわからないんだよね」
彼女は僕に諦めさせようと諭した。
その話は僕の想像をはるかに超えていた。
太客である矢崎はお店でさきに対して1回につき100万以上の金額を使って、さきに月15万の支援をして、新しくさきのためだけの家を買って、たくさん洋服を買って、そして小さい頃の傷跡の治療やレーシックなどの高額な医療を勝手に提案して受けさせていたということをここで初めて知った。
そして、僕と付き合う前から矢崎の福岡、大阪、名古屋などの出張に一緒行っていて、今度海外にも一緒に行くことになっていると聞かされた。
僕の脳は完全に処理落ちした。
「私は学費さえなんとかできればいいと思ってる。ただ私が望んでないことを勝手にしてきて家とか買ってくるから、もう全部全部アイツから取れるものとってしまおうって思った。私、全然良い人なんかじゃないでしょ?」
そして学費が解決できるまで、矢崎との関係を切りたくても切ることができないと伝えられる。
『こうするしかないんだ』と。
僕の時間は止まっていた。
なんで、1人の女の子が、こんなにも大きなものを背負わなきゃいけないんだよ。
僕は俯きながら何も言えずにいた。
「お金で悩むこともアイツのことも本当にそれがずっと嫌で、癒しを求めてアプリ始めたんだ。そしたら、ひかると出会えた。ひかるは本当に優しくて、優しい人に出会いたかったから、嬉しかった。
でもね、ひかるが本当にいい人だからこそ、このことをずっと隠して付き合い続けるなんて私にはできなかった。
こんな私がそんなひかるの隣にいる資格はないって思うんだ。
やましいことしてるってのに、こんな私と真剣に付き合おうとしてくれるひかるに対して申し訳ないんだよね...
その罪悪感には、もう耐えられない...」
胸が締め付けられる。
この話を聞いて、前回会った時にさきが僕に伝えた言葉の意味を知った。
これが、本当の理由なんだろう。
僕はかける言葉が分からなくて、ただ小さく頷くことしかできなかった。
矢崎が買ったから家がもう一個増えた話をお母さんにしたら
『え〜良かったじゃん〜!』
と言われたことを聞いた。
もう矢崎の存在は母親が公認?していて、矢崎の狂ってる行動をも全て、肯定してるさきの母親が許せなかった。
“お母さんおかしいわ!ほんまに、お母さんはさきのこと大切に思ってんの!?"
言いたかった。でも、言える訳なかった。
日頃からお母さん、家族が好きという話をたくさん聞いていた。
その時のさきの表情が好きだった。
ここで今、さきが大好きな人を否定したら、さきを傷つけてしまう。
「おかしいでしょ?でもね、お母さんがそう言ってくれるから、もうこれでも良いんだなって思えちゃってね」
息が詰まりそうだった。
さきには父親がいない。そして話を聞いている限り、彼女の家庭は金銭的に余裕のある家庭ではなかった。だからこそ、彼女の母親にとって、金銭的、物的に恵まれることが『幸せ』だという認識があるのだろう。
"さきの母親は私立美大に必要な学費のことをどう考えていたのだろうか。さき1人が背負うことになるということを、ちゃんと理解していたのだろうか"
こんなにもやるせない気持ちになったのは初めてで、僕はもう、限界だった。
カメラや3Dプリンターなど大学で必要になる高価なものが使えるようになったが、親に買ってもらってる友達を見るたびに劣等感を感じると話す。
それはお金や物が満たされることが彼女にとって『幸せ』でないこと示唆した。
「今は色々と恵まれるようにはなったけど、私は幸せなのかどうか分からないんだ。
私はこの世界を恨んでるよ。
私も学校のみんなみたいに裕福な家庭で育ってたら、ひかるみたいに優しい心があったらって、ずっと考えては嫌になってを繰り返してる。
でも私ってもう、こうなる運命だったんだなって、そう思えるんだよね。
なんかもう人生って、おもしろいなって。」
さきは中身のない笑顔を作り、涙声でこう言った。
そして僕は過去の居酒屋デートの帰りにさきが話していたことを思い出した。
『矢崎のせいでね、実は5月とか6月とかは本当に辛くて毎日泣いてたんだ。でももう私は大丈夫! 今はもう何も感じなくなって、強くなったんだと思う!だから心配しなくても大丈夫だよ!ありがとう!』
さきの辿ってきた運命が、辛かった。
福岡の田舎から、自分の夢だった美術をしに東京へきた。
もちろん学費が必要だから、将来のために効率よくお金を稼ごうとガールズバーを選んだんだろう。それまではまだ、まだ良かったはず。
でも、そこで矢崎に出会ってしまった。
矢崎はさきにとっての好条件と引き換えに、さきの純粋だった心に影を生み出した。
そしてその心の影に苦しんでいるさきに気づかないで、矢崎との関係性を肯定する母親の存在。
ついに、さきはその心の影を自分の一部だと受け入れてしまった。克服して、強くなってしまった。
これは良い意味、ではない。
本当に悔しかった。
頭がおかしい腐った大人たち、
資本主義の無慈悲な社会。
これらが作り上げる残酷な世界が、
さきという1人の素敵な女の子を
『悪魔の子』にした。
そして、
僕が『悪魔の子』を愛することを、さきは決して許してはくれなかった。
僕はただ、茫然と眺めることしかできなかった。
辛かった。
さきが価値を見出してくれた僕の『優しさ』なんて、この残酷な世界ではなんの武器にもならなかった。
不甲斐なさでいっぱいで、涙が溢れる。
僕は、別れを受け入れた。
「さきってブランド物身につけるとかしないし、何でも美味しく食べれるよな」
「そういう系には絶対なりたくないもん」
「良かった。ずっとそのままのさきでいてよ」
「言われなくたって、このままだよ」
僕は彼女の言葉を信じて頷いた。
それから僕たちはあの頃のように楽しくお話をした。
さきは友達との写真を見せながらたくさん大学での出来事を話してくれた。
「八木ちゃんのこれ見てー!」
さきの優しい笑顔が見れて嬉しい。
「これはね、この前お母さんがシナモンのお菓子送ってくれた時の!」
さきはお母さんが本当に大好きなんだな。
僕も友達みんなを見せて色んな話をした。
ここ最近の僕にまつわるエピソード、友達のクスって笑えるような出来事。
話を聞くさきはすごく楽しそうだった。
「あっくんには会ってみたかったなー!」
さきが見せてくれる無邪気な笑顔は、やっぱりいつも通りで、とても愛おしいかった。
「今までの思い出振り返ろうよ!どこいったっけ?」
「ラゾーナ川崎と江ノ島と………」
即答してドン引きされた。
けれど、笑ってくれた。
「ひかるってめっちゃ天然だよね笑」
「初めて言われた!そう見える?」
さきはいつも知らない僕を見つけてくれる。
最後だってのにさ。
「恋愛においてさ、ドキドキと安心があるやん?それで俺は安心しかなくて、『ドキドキを作れないから振られるんやぞ!』って友達から言われるんやけどさ、さきは俺と付き合ってどう思った?」
「何それ〜!そんなこと考えたことない!
みんなひどいこと言うんだね!」
さきはいつもの笑顔で続ける。
「あんまりよく分からないけど、間違いなく言えることは、ひかるは本当に優しいから!私じゃない人だってそう思ってるよ!
だから変に意識しないでほしい!私が伝えたい、1番のひかるの良さだから!」
"ありがとう"
さきがかけてくれる言葉の数々は、最後に本物の宝物であることを改めて実感させてくれる。
ホットミルクはまだ冷め切らないで欲しかった。この時間がずっと続いて欲しかった。終わってほしくなかった。
僕は最後に伝えた。
“さきを取り巻く環境は特殊で複雑だから、自分の行動が良いものではないと思うことがあるかもしれない。
それでも、さきは自分の夢を追い続けてほしい。なりたい自分になって、どうか幸せになってほしい。
そして、自分に自信が持てない時があったって、さきにはさきにしかない素敵な本質があることを絶対に覚えていてほしいし、いつか思い出してほしい。
これは僕がさきの隣にいた時間で見つけた、僕の大好きなものだから"
「ありがとう。ひかるの優しさ、再確認できたよ」
さきの笑顔と涙が、僕の胸に響いた。
「じゃあそろそろやな」
僕が先にさきとの会話を切り上げた。
さきから先に切り上げられたら、きっと辛い思いをしてしまうから。
席を立ちお会計を済まして店を出る。
外へ出ると、辺りはイルミネーションでたくさんライトアップされていた。
クリスマスツリーも立っていた。
ほんの少し寒いくらいの気温も心地よくて、なぜかとても居心地が良かった。
最後のデートは、とても煌めいていた。
「さき、マジでこれから頑張ってな。
俺、ずっと遠くから応援してるから」
「ひかるもね、ひかるも頑張って!私も応援してる!」
駅の改札に入った後で手紙を渡した。
僕の想いをたっくさん詰め込んだ手紙。
「ねえ、こんなん泣いちゃうよー」
そう言って受け取ってくれた。
さきは上り方面。
僕は下り方面。
最後の「バイバイ」をした。
そして2人は180度逆の方向へ進んでいく。
振り返るとさきはもういなかった。
薄い冬の空気が胸に鋭く染み込む。
エスカレーターを降りた先のホームで嗚咽した。
『大好きなさきを返してよ』
『さきと一緒に、幸せになりたかった』
『これからも、さきと歩んでいきたかった』
さきの手をとり、駆け出したかった。
この夜の街を飛び抜けて、誰の手にも届かない、2人だけの小さなクニへ。
そして、さきが見たことのないくらい、眩しくて、綺麗に輝く世界を見せてあげたかった。
空っぽになった身体で電車に揺られる。
家の最寄りに着いて、家までの帰り道、
冬の大三角が見えた。
人肌恋しい季節だってのにさ。
家に着いてベッドに寝転がる。
さきからの最後のLINEの通知がきた。
それに最後の返信をした。
その後、僕のメッセージに既読がつき、リアクションマークが付くのを確認した。
僕とさきの物語の最後の1ページはこうして終わった。
交差した2人の人生は糸が解けたかのように離れていった。
この物語は短かったかもしれない。
そして、この物語はあまりにも苦しくて、残酷で、胸が痛くなる。
けれど、僕はこの物語が好きだ。
なぜなら、
僕はさきを愛し、さきは僕を愛してくれた。
僕の理想とする、純愛だった。
最後の最後まで、好きを伝えて、僕は心の底からさきの幸せを願うことができた。
例え結ばれなくたって、相手の幸せを願えたら、それは『真実の愛』だって。
もちろん分かってる。
さきが言ったように、ひかるには「もっと素敵な人がいる」って、友達みんなが言うように、「次がある」って。
そしていつの日か、
『今考えたらさきなんて』って思う日が来ることだって、分かってる。
だからといって、またこの物語を振り返っても、さきを責めるつもりはない。
僕の悲しみ、怒り、憎しみの矛先は、さきを『悪魔の子』に仕立て上げた、冷酷すぎるこの世界なのだから。
さきとの写真を全て非表示にする。
Googleマップに登録したさきとの今まで行った所リストも、全部消去した。
もうスマホから、さきが出てこないように色んなアプリの設定を変更した。
さきとの記憶に蓋をする。
部屋を暗くして、僕はベッドに横になる。
"ばいばい、さき"
でも唯一、蓋をできないものがあった。
それは、さきが僕にくれた宝物。
その宝物は、今もずっと僕の心のポケットの奥で光り続けている。
さきは、自分の夢を叶え、好きな美術で生きていくために、自分を犠牲にしなければならない状況がありました。その犠牲は決して良いものではなく、むしろグレーンゾーンともいえる選択であり、簡単に肯定できるものでもありません。しかし、それが彼女にとって必要な選択であったからこそ、僕はその生き方を否定することも、止めることもできませんでした。その事実と向き合った時、僕は本当に胸が苦しかったです。
『悪魔の子』というタイトル、言葉にさきを批判する意図はありません。むしろ、純粋無垢だった彼女が、そうならざるを得なかったという、この社会への批判の意味を込めたものです。
彼女を追い詰めたのは、彼女自身ではなく、資本主義の冷酷さ、不平等な環境、そしてそこから生まれる残酷な現実です。才能があって努力もしている彼女から「純粋さ」が奪われたという事実、そうさせた社会そのものに対し、強く憤りを感じます。
そして、さきが選んだ道、彼女との別れ、それらはとても辛いものでした。
それでも、さきと過ごした日々で彼女が教えてくれた愛や優しさ、そして夢を追うことの尊さは、僕の中でかけがえのないものとなりました。
けれど、僕の「優しさ」や「愛」が、さきの中にある罪悪感を増幅させてしまったことは否定できません。どれだけ彼女を肯定しようとしても、その気持ちが彼女自身の心の重荷となり、結果として彼女が自分をより深く否定してしまうきっかけになったのかもしれません。これが僕自身が抱える一つの悔いです。「相手を想うこと」これは万能ではなく、社会の構造的な問題や個人の抱える現実を前にしては無力であることを痛感させられました。
それでも、さきがこの先の人生で、これ以上自分を犠牲にすることなく、心から『幸せ』だと感じられる日が訪れることを僕は願っています。
自分の選択を誇りに思える未来を見つけて、それが彼女の心を満たすものになることを心から祈っています。
あれから2ヶ月。
僕は普通の日々を送る。
学校に行って、放課後は勉強したり、部活したり。
そんなある日、コンビニでお菓子コーナーを見ていると、目に入った。
『芋けんぴ』
ふと脳裏をよぎる彼女の姿。
もう、あの子はない。
ちょっと、胸が苦しかった。
けれど、もう大丈夫。
前を向いて進んでいくって、決めたから。