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四話


 目の前で抱き合う二人はいったい何だ?


 クライヴはティアーリアと自分の侍従が目の前で抱き合っている姿を見て唖然としてしまった。


(何故、何でこんな事が起きている……?)


 クライヴは自分の目の前で頬を染め、自分の侍従を見つめるティアーリアに目を見開くと自分の背中に嫌な汗が流れ、不規則に大きく鼓動を刻む自分の心臓に右手を持って行く。


 胸が苦しい。息がうまく吸えない。


 はくはくと唇を動かし、クライヴはじっとティアーリアを見つめる。

 何故自分以外の男に頬を染めているのか。

 何故そんなに恥ずかしそうにはにかんだ微笑みを見せているのか。

 その微笑みは自分に向けられていたのに──


(駄目だ、泣きそうだ)


 クライヴは二人の姿をこれ以上見ていたくない、と言うように踵を返すとその場から足早に立ち去る。


 こんなに早く戻って来なければ良かった。

 ティアーリアに早く会いたいから、とすぐに戻ってこなければ良かった。

 いや、それ以前にティアーリアが心配だから、と自分の侍従を先にティアーリアの元へと向かわせなければ良かった。


 足早にあの場を離れて、庭園の大きな木の元へと来るとクライヴは耐えきれない、と言うように背中を木に凭れ掛けそのままズルズルとしゃがみこんだ。

 ぐしゃり、と自分の前髪を握り潰し奥歯を噛み締める。


「今日、浮かない表情をしていたのも……一瞬瞳に過った悲しげな表情も、他に好いた男がいたからなのか……っ!」


 嘘だと言って欲しい。

 今まで自分に向けられた熱の篭った瞳も、美しい微笑みも、花が綻ぶような明るく可愛らしい笑顔もこれからは自分以外の男に向けられるのか、と考えクライヴは自分の左目から一筋涙が零れ落ちる感覚に慌てて目元を拭う。

 情けなく涙を零す姿を誰かに目撃されては不味い。ここは、自分の邸ではないのだ。

 クランディア家が下世話な噂話を流すとは思えないが、出入りしている商人等に目撃されてはどんな噂を流されるかわからない。

 自分の家だけを噂されるのならばまだいいが、クランディア家まで面白おかしく噂の的になってしまう可能性がある。

 迷惑を掛ける事だけはしたくない、とクライヴは瞳を閉じると深く深呼吸をして顔を上げる。


「早く戻らなくては……っ」


 中々戻らない自分にティアーリアは優しいから心配してしまうかもしれない。

 自分の手のひらで目元を覆うと、クライヴはしゃがみこんでいた体勢からのろのろと立ち上がり、意を決したように瞳を開いて前を見すえる。


 自分は何も見ていなかった。

 今、初めて自分はティアーリアの元へと来た、という風に表情を作らねばならない。

 ティアーリアの勧める通り、素晴らしい庭園だったと話して今日はお開きにしよう。

 次の顔合わせまでには気持ちを落ち着かせるから。いつも通りのクライヴ・ディー・アウサンドラに戻るから。だから今日だけは早めに帰らせて貰おう、と決めるとクライヴはティアーリアの待つ方向へと歩き始めた。






(クライヴ様……遅いわね……ラティリナとお話が盛り上がっていらっしゃるのかしら?)


 それだったら自分がした事がいい結果となったのだろう。

 二人が楽しい時間を過ごせているのなら嬉しい、とティアーリアは微笑むとそっと紅茶のカップを持ち上げて唇を付ける。


 こくり、と一口紅茶を飲み込むと自分の視界に見知った長身の男性の姿が映る。

 まっすぐにこちらへ向かってくるクライヴの姿にティアーリアはこの姿を見るのも今日で最後ね、と眉根を下げて微笑んだ。


「ティアーリア嬢、遅くなって申し訳ありません。お体の調子は大丈夫ですか?」


 自分の目の前まで歩いてきたクライヴが心配そうに尋ねてくれる。

 その言葉にティアーリアは大丈夫だ、と微笑んでお礼を伝えるとその場に立ち竦んだように動かないクライヴの姿を不思議に思い、首を傾げる。

 何かを耐えるような、そんな瞳をしているのは気のせいだろうか。ティアーリアが心配そうに見つめる視線に気付いたクライヴはすぐにその感情をさっと隠すと口を開く。


「とても素敵な庭園でした。また、次の機会には是非ティアーリア嬢と共に回らせて下さい」


 微笑みながらそう「次の機会」を口にするクライヴに、ティアーリアは口を開く。


「──申し訳ございません、クライヴ様」

「……、ティアーリア、嬢?」


 ティアーリアは椅子から立ち上がると、目の前で困惑した表情のクライヴと向き合い、そっと頭を下げた。

 その行動に、クライヴは嫌な予感を感じ言葉を挟もうとしたが、クライヴが話すよりもティアーリアが言葉を言い切る方が早かった。


「──待っ、」

「本日でお会いするのは最後に致しましょう」


 その言葉は、婚約を受け入れないと言う時に相手に伝える断りの言葉だ。

 その言葉を伝えられた男性は、相手の女性との顔合わせをこれで終了させなければならない。ご縁がなかった、という事になる。


 ティアーリアはその言葉を伝えると、悲しそうに微笑みながらクライヴに背を向け歩き出してしまう。


 これで本当に最後なのか……!


 クライヴは無意識に縋るようにティアーリアの後ろ姿に腕を伸ばすが、その腕はティアーリアに届く事なく自分の視界から恋い慕う女性の姿が消えてしまうまで、その場を動く事が出来なかった。





 この国では、女性から顔合わせの約束を断られると、基本的にその女性との縁は切れてしまう。

 その為、顔合わせが上手くいかなかった両者は今後縁が結ばれることは二度とない。






 クライヴは、あの後どうやって自分の邸に戻ってきたのか記憶になかった。

 自室で呆然と立ち竦み、何も無い空間をただただ見つめている。

 クライヴの侍従は気まずそうにただ黙って扉の前で控えていた。


 自分の主人であるクライヴと、意中の女性であるクランディア嬢から少し離れた場所で待機していた侍従は、この二人の間で何が起きたのかある程度あの場所の雰囲気から察していた。

 あの場所で、クランディア嬢が立ち去ってからも茫然自失した様子で立ち竦んでいたクライヴを何とか馬車まで引っ張ってきてこの邸まで戻ってきたばかりだ。


 どうしてこうなった。


 前回の顔合わせの時まではお互い好意を送り合っていたのに。

 その雰囲気が傍から見ても分かるくらい、二人の気持ちは分かりやすかったのに。

 それが、突然。今日になってクランディア嬢の態度がおかしかった。

 何かを悩んでいるような、悲しむような視線を自分の主に向けていた。

 だからこそ、自分の主はクランディア嬢を心配して庭園の散策に誘ったのだ。

 傍から見れば仲睦まじく話しているように見えたのに。


「イラルド……」

「……っはい!」


 侍従、イラルドは地の底を這うようなクライヴの声音に瞬時に反応すると、さっとクライヴの近くまで移動して控える。


「……ティアーリア嬢とは、よく話す仲だったのか?」


 低く威圧感のある声でクライヴに問いかけられてイラルドは必死に首を横に振った。

 クライヴの侍従である為、クランディア家へ赴く回数は多いが、自分の主であるクライヴの想い人と個人的にやり取りしたのは今日が初めてだ。

 顔を合わせば目礼したり、こんにちわ、程度の挨拶はした事があるが今日程の接触はした事がない。

 そこまで考えて、イラルドははっとした。

 まさか、今日の"あの場面"をクライヴは見てしまったのではないか? そしてこの落ち込みよう、何かとんでもない勘違いをしていないか。と考えイラルドは顔色をさあっと無くすと慌てて自分の唇を開いた。


「クライヴ様……! もしや、今日庭園の散策から戻られた時、何か見ましたか……っ!」

「──何か、とは?」


 一段と声が低くなり、じろりと睨まれて小さな悲鳴を上げる。

 怒気のこもった声と、表情からやはりあの場面を見られていたのだ、と判断してイラルドは誤解です! と声を荒らげる。


「あの時、強い風が吹いてクランディア嬢のハンカチが飛んで落ちてしまったんです! 私がそれを拾い、クランディア嬢にお渡ししようとした時に慌ててしまったクランディア嬢がバランスを崩し、転倒してしまいそうだったのでお支えしただけです!」


 それに、私がクライヴ様の想い人にそんな邪な気持ちを抱く訳がありません!

 とイラルドは必死に言い募る。

 抱き留めた時に頬を染めてしまったが、あんな綺麗な令嬢と至近距離で顔を合わせてしまえば至極当然の反応だ、疚しい気持ちは自分にはまったくない。


 尚も疑うような視線を向けてくるクライヴに、イラルドは両手を胸の前に上げて必死に首を横に振る。

 あれは事故だったのだ、というのを必死に伝えるとクライヴは視線をイラルドから外すと、小さく声を零す。


「──と言う事は、ティアーリア嬢の片思いか……」


 ぶつぶつと呟く言葉はイラルドの耳には入らず、クライヴはどうしたものか、と頭を抱える。


 例えばこれが、まだティアーリアと自分がここまで親しくなる前ならば、ティアーリアが幸せになるのであれば自分は身を引き応援していたかもしれない。

 けれど、この三ヶ月近くの顔合わせでティアーリアと共に時間を過ごし、人柄に触れ、あの時の少女のまま変わらない笑顔を見て、幸せな時間を過ごして来た。

 幼少の頃の一週間を遥かに塗り替える程のティアーリアと幸せな時間を過ごした。

 もう、諦めるなんて、ティアーリアが幸せになるなら、と自分が身を引くのは無理だ。

 ティアーリアは自分の手で幸せにしたいし、これからも共に幸せで楽しい時間を作って行きたい。

 見知らぬ誰かの横で幸せそうに笑うティアーリアなんて見たくない。


「だが、顔合わせを断られた以上これからどうすれば……」


 クライヴは自室のソファに乱雑に腰を下ろすと、ぐしゃりと自分の前髪を握り締める。

 きっと自分との顔合わせが破棄された後、ティアーリアにはまた申し込みが届き始めるだろう。

 それを自分は止める事が出来ない、そんな権利も権限も何も持っていないのだ。

 それに、ティアーリアが自分の侍従を想っているのであればその気持ちを自分が無理矢理横槍を入れて絶たせてもいいのか。

 だが、ティアーリアには酷な事をしてしまうが自分の侍従と上手く行くはずがない。

 ティアーリアは貴族令嬢だ。いくら自分に慕う男性がいても、相手は貴族の侍従。身分に釣り合いが取れない事は自分でもよく分かっているはずだ。


「ああ、だからそこあんなに悲しそうに表情を歪めていたのか……」


 叶う事のない自分の想いに、想ってはいけない人物へ恋心を抱いてしまった事に胸を痛め葛藤していたのかもしれない。

 だからこそ突然、顔合わせを断る言葉を伝えて来たのかもしれない。今後も自分と顔合わせを続ければ必然的に自分の侍従であるイラルドは同行する。

 これ以上イラルドに気持ちを傾けたくなかったのだろう。

 そして、顔合わせを行っている人物の侍従へ恋をしてしまった事への気まずさだろうか。


「前回までは、そんな雰囲気まったく無かったのに……何か、ティアーリア嬢がイラルドに惹かれる何かがあったのだろうか……」


 考えてても埒が明かない。

 クライヴは、後日送られてくるであろう断りの理由を確認したら一度クランディア伯爵に連絡を取ってみよう、と決めた。



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