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三話

 三者三様の思いを抱きながら薔薇園のその場所には沈黙が落ちる。


(あら、お姉様とアウサンドラ公ですね。あぁ、やっぱり美丈夫ではあるけれど筋肉が足りないわ……)


 少々残念そうにラティリナは瞳を細めるとはあ、と自分の唇から悩まし気な吐息を零す。

 もう少し上背があって、もう少し筋肉が付いていれば安心して大好きな姉を任せる事が出来るのに、とラティリナは悲しそうに瞳を細める。


 そんな事をラティリナが考えているとは露知らず、クライヴはクライヴで失礼な事を考えていた。


(この女性がティアーリアの妹君のラティリナ嬢か。確かに噂通り儚げな美人だな。だけど俺の隣にいるティアーリアの方がもっと美しいし可憐だし素敵だ。それに、妹君の顔を拝見して確信した。あの日、伯爵領で会ったのはやはりティアーリアだったのだ)


 クライヴはじっとラティリナを見つめながらつらつらとそんな事を考える。


 あの日、伯爵領で会ったティアーリアと顔の造形が全く違う。

 妹は零れ落ちそうな程の大きな瞳が目立つ垂れ目気味の目元に薄い唇。

 対してティアーリアは若干つり目気味の猫目で、唇はぽてりと厚く、艶々としている。

 幼い頃の記憶で信憑性に欠けるが、自分が微かに覚えている容姿と比べると妹のラティリナではなかった事が今回初めて顔を確認した事によって判明する。

 病に蝕まれていたせいで、幼少のティアーリアは瞳も虚ろで窪んでいたが、クライヴの話に瞳を輝かせて楽しそうに笑った顔は成長したティアーリアと重なる。

 クライヴの珍しい瞳をまるで瞳の中に虹があるみたいだ、と褒めてくれたその言葉をあの日二度目の顔合わせで会ったティアーリアも同じ言葉を口にした。

 そんな風に自分の瞳を例えてくれたのは後にも先にもあの少女だけだったのだ。

 共に過ごした時間は短い期間であったが、クライヴはその少女の事を忘れる事が出来なかったのだ。


 じっと見つめ合うクライヴとラティリナをティアーリアは黙って見つめ続ける。


(ああ、やはりクライヴ様はこうしてラティリナと一目でもお顔を合わせたかったのね……ラティリナも、もしかしたらクライヴ様に魅入っているのかしら……?)


 まるでクライヴとラティリナ二人の時間だけが止まってしまったかのような不思議な空間にティアーリアは細く溜息をつく。

 覚悟していたつもりだった。

 あの日、クライヴと彼の従者が話している言葉を聞いてクライヴはラティリナを好いていると理解していたのに。

 実際、目の前で熱く見つめ合う二人を見てティアーリアは自分の気持ちがどんどん萎んで行くのを感じた。


(絶対泣かない、と決めていたのに……)


 どうしよう、泣きそうだ。

 とティアーリアは俯くと、ティアーリアの俯いた気配に反応したクライヴがはっとして視線をティアーリアへ戻す。


「――っティアーリア嬢……! どうしました、やはりどこか具合が悪いのですか!」

「えっお姉様!」


 クライヴが心配そうに俯いたティアーリアの顔を覗き込み、妹のラティリナもティアーリアの傍に来てくれる。

 ティアーリアはぐっと自分の唇を噛み締めると深呼吸してぱっと顔を上げる。


「申し訳ございません、少し立ち眩みを起こしてしまいました。先程のテーブルに戻りますわね。……クライヴ様、我が家の薔薇園もとても美しいのです、是非ご覧になって下さい。ラティリナ、もし体調が大丈夫だったらクライヴ様を案内してさしあげて」

「え、ティアーリア嬢。それでしたら私がお送り致します。ティアーリア嬢を一人で戻らせられません」

「そうですわ、お姉様。お体の調子が悪いのでしたらアウサンドラ公と共にお席に戻って下さいませ」


 自分を心配してくれる二人にティアーリアは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 こんなに優しい二人に嘘をつくのは気が引けるが、自分達の気持ちを大事にして欲しいのだ。

想い合う二人を、二人きりにしてあげたい。


 クライヴとラティリナが引かなそうな気配を感じ取ったティアーリアは焦って周囲を確認する。

 すると、離れた場所で待機している我が家の男性使用人を見つけ、ティアーリアはその使用人の名前を呼びこちらへと呼び寄せる。


「ティアーリアお嬢様、お呼びでしょうか」

「ええ、申し訳ないのだけれど立ち眩みを起こしてしまったの。クライヴ様とお茶をしていた場所に戻りたいので手を借りてもいいかしら?」

「もちろんでございます」


 使用人はティアーリアの言葉に恭しく言葉を返すと、「失礼致します」と言葉をかけティアーリアをそっと抱き上げた。

 当然のようにティアーリアを抱き上げた使用人にクライヴはぴくり、と眉根を寄せると自分がティアーリアと共に戻る事を言い縋ろうと口を開くが、クライヴが言葉を紡ぐよりもティアーリアの言葉の方が早かった。


「お恥ずかしい姿を申し訳ございません。クライヴ様、先に戻っておりますので……。ラティリナ、クライヴ様をお願いね」


 にこりとティアーリアは微笑むと、使用人に戻るよう伝える。


「あっ、お姉様…っ」


 ラティリナは小さく声を上げるが、時すでに遅く、ティアーリアは使用人に連れられて自分達から遠ざかっていってしまった。

 呼び止めるように差し出した自分の腕を力なくぱたり、と落とすとラティリナはどうしようか、と隣にいるクライヴにそっと視線をやった。


「……うわ」


 クライヴが嫉妬心丸出しでティアーリアを抱き抱えた使用人を呪い殺しそうな程睨みつけているその表情を見てしまったラティリナは思わず引いてしまったような声を出してしまった。

 そのラティリナの声に反応したクライヴははっとして笑顔を張り付けるとラティリナに視線を向ける。


「何か……?」

「……いいえ、アウサンドラ公。お姉様が心配ですわね」

「ええ、とても。」


 早くこの場から離れたいです、いう雰囲気を微塵も隠しもせずそわそわとするクライヴにラティリナはおかしくなる。

 自分の姉が心配でたまらず、今すぐ追いかけたいのに姉から薔薇園を妹に案内させるから楽しんでくれ、と言われてしまった手前この場を離れる事も出来ず困っている。


(なんだ、アウサンドラ公もしっかりお姉様の事を想っているじゃない……この間は気弱になってらっしゃったけど、これだけお姉様を想って下さっているなら心配いらないじゃない)


 きっと、顔合わせの時間が終わりに近づき婚約の事を考えて身分とか色々な事を考えすぎてナーバスになってしまったんだわ、と考えるとラティリナはクライヴに向かって唇を開く。


「アウサンドラ公、先程お姉様を抱き上げてこの場を去って行った使用人は既婚者ですわ。とても愛妻家で、自分の妻しか見えていない人です」

「……私はそんなに分かりやすかったですか?」

「ええ、とても」


 ふふふ、とラティリナは笑うとそれでは十分程庭園を案内致しますわ、それくらい時間が経っていればお姉様も何も言わないと思います。と告げてラティリナは薔薇園へと足を進めた。






 ティアーリアはクライヴとお茶をしていたテーブルまで戻ってきてもらうと、自分を運んでくれた使用人に例を述べる。


「ありがとう、ここまで大変だったでしょう?」

「とんでもございません、お嬢様。羽のように軽かったですよ」

「ふふ、奥様を抱き上げるのに慣れているのね。安定感抜群だったわ」


 ティアーリアがそうからかうように使用人を褒めると、使用人の男は頬を染めながら「おやめ下さい」と視線を逸らす。

 こんな風に、お互いを思いやる夫婦になりたかった、とティアーリアは眉根を下げる。


 約束の三ヶ月が経った後、自分が了承の返事をしてしまえば婚約は成立してしまうのだ。

 手遅れにならないで良かった、と自分の胸に手を当てるとティアーリアはふう、と吐息を零す。


「クライヴ様とラティリナは今頃楽しそうに庭園を二人で回っているかしら……」

「ええ、そうでしょう。妻が手入れした庭ですから。見所が沢山あって見切れないほどでしょうね。次回はお嬢様が自らアウサンドラ公をご案内しては如何です?」


 庭師である妻が懸命に育て、素晴らしい庭園になった事を褒められ、使用人は新しくお茶を用意しながら満面の笑みで答える。

 今にもスキップして妻の元へと飛んでいきたいような雰囲気だ。


 ティアーリアは楽しそうに瞳を細めると、自分の口元に手をやり控えめに声に出して笑う。

 クランディア家で働いてくれている使用人達が嬉しそうで、幸せそうな姿を見ていると自分まで嬉しくなる。

 ティアーリアは人の笑顔を見るのが好きだ。

 幼い頃は笑顔になる事なんて殆どなかった。それに、自分の周りにいた使用人達も皆焦燥感に駆られた表情ばかりで、沢山心配を掛けたのだと思う。

 それが、自分の病がすっかり良くなって元気になって行くと周りの皆も笑顔になっていった。

 その笑顔につられて、自分も自然と笑顔になる事が増えた。

 だから、自分の大好きな人達には笑顔で過ごして欲しい。

 大好きなクライヴと、大好きなラティリナ。

 二人には悲しい表情なんて似合わないから、どうか笑顔で自分の人生を謳歌して欲しい。

 憂いはもうすぐなくなるから。






「クライヴ様、あちらが以前お姉様が美しいと見蕩れていた白薔薇ですわ」


 さくさくとクライヴとラティリナはゆったりと歩きながら薔薇園の中を巡っていた。

 ラティリナから説明された内容にクライヴは反応すると、これがティアーリア嬢が美しいと言った白薔薇ですか、と愛おしそうに眺める。


「あちらはお姉様が考案された薔薇のアーチです、とても素晴らしい出来栄えとなっておりますでしょう?」

「なんと、ティアーリア嬢は庭園の魅せ方にも精通しているのですね、素晴らしい」

「ええ、ええ。そうなのです。お姉様はとても素晴らしい発想の持ち主なのです。それなのに偉ぶらず、とても謙虚なお心をお持ちの方なのです」

「ティアーリア嬢は外見や所作の美しさだけではなく、その心まで美しいとは……本当に素敵な女性ですね」

「そうなのです! 私のお姉様はとても素晴らしいお方なのですわ! 満天の星空の下微笑む姿はまるで女神のような美しさなのです」


 うっとりとラティリナが零す言葉にクライヴはうんうんと頷くと、自分も唇を開く。


「輝く太陽の下、光の下で煌めく笑顔を浮かべるティアーリア嬢も女神と見間違えてしまう程の美しさです」


 止まらないティアーリアへの賞賛にお互い通じ合う所があったのか、二人は真剣な眼差しで見つめ合うと、こくりと一つ頷いて固く握手を交わした。






「クランディア嬢、我が主が心配しておりました、ご体調は如何ですか?」


 さくさくと足音を立てながら近付き問いかけてくる男性の声にティアーリアは微笑みながら振り向いた。


「──っ、!」

「クランディア嬢……?」


 近付いて来た男性は、クライヴの侍従で、あの日にクライヴと話していた侍従その人だった。

 クライヴはこの顔合わせが始まってから毎回この侍従の男性を伴いクランディア家へと訪れていた。

 その事からこの侍従の男性はクライヴが信を置く数少ない侍従なのであろう事が窺える。


 体調を崩した、というティアーリアを気遣い信頼する侍従を先に戻し様子を伺うように頼んだのだろう、表向きは。

 だがきっと侍従は自分の主であるクライヴの邪魔をしたくなく、先に戻ってきたのだろう。

 クライヴと、その想い人であるラティリナを二人きりにする為に不自然にはならないようにティアーリアを気遣う体で一足先にこちらに戻ってきたのであろう。


 ティアーリアはクライヴの侍従ににこり、と微笑み掛けるとお礼を述べる。


「ありがとうございます、寝不足がたたってしまったのでしょう……ご心配をお掛けしてしまって申し訳ございません」

「いえいえ、ご無事でしたら宜しいのですよ」


 我が主も一安心でしょう、と侍従が微笑む。


 その時、穏やかな空気が流れていた庭園に強い風が吹いた。


「──あっ、」


 テーブルの上に乗せておいた自分のハンカチが風に攫われて飛んでしまった。

 咄嗟に手を伸ばしたが、ティアーリアの手からハンカチは逃れ、地面へと落ちてしまう。


 クライヴの侍従が視界の隅で動いてくれたのが分かったが、アウサンドラ家の侍従に拾わせてしまうのは申し訳ない、とティアーリアは自ら椅子から立ち上がった。

 少し考えれば傍にはクランディア家の侍従もいたから頼めば良かったのに、自分で拾わねば、と考えた瞬間体が動いてしまっていたのだ。

 焦ってしまったのがいけないのだろう、ティアーリアは立ち上がった拍子にテーブルの足に自分の足を引っ掛けてしまった。


「──クランディア嬢!」


 ぐらり、と傾く自分の体に「転ぶ!」と身構え目をつぶった。

 地面に転んでしまう衝撃に目を固く瞑った瞬間、自分の腕が強く引っ張られ、誰かの胸に抱き寄せられた。


「ひゃっ」

「──、お怪我はございませんか、クランディア嬢」


 どうやらクライヴの侍従が自分の近くまで来ていたタイミングで転びそうになった所を抱き留めてくれたらしい。

 侍従ははっと我に返ると謝罪をしてばっとティアーリアから素早く体を離し、落ちたハンカチを拾ってくれた。

 お互い若干頬を染めながら気まずそうに言葉を交わす。





 そんな二人を、庭園の散策から戻ってきていたクライヴが唖然とした表情で見つめていた。

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