十四話
ティアーリアの後ろで護衛の者達がおろおろとしている気配が伝わってくる。
自分達が侯爵令嬢を通してしまったばっかりに、と後悔している気配がありありと伝わってきて、ティアーリアは笑顔を作ると護衛達へと笑いかける。
「──驚いてしまったわね……。長居してしまったわ……戻りましょう」
「かしこまりました、ティアーリア様」
申し訳なさそうに頭を下げる護衛達にティアーリアも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
彼らは公爵家の護衛とは言え、高位貴族の接近を拒めるような権限は持っていない。
明らかに守るべき対象を害するような気配があれば別だが、か弱い貴族令嬢を力ずくで排除は出来ない。
これ以上、護衛の彼らに迷惑を掛けれない、と考えたティアーリアは元の広場へと戻るため足を進めた。
ティアーリアが広場に戻った後、話したそうに強い視線を向けてくる令嬢や夫人に気付いていないふりをしながらティアーリアは公爵家のテーブルでお茶を楽しんでいる。
強い視線には明らかに敵対心や嫉妬心の含まれるものも数多くあり、ティアーリアは改めて自分が顔合わせを受けたクライヴが女性にかなりの支持を受けている事を痛感する。
これは今まで社交界に殆ど出ていなかった自分の落ち度である。
このような視線に晒される覚悟がまだ自分には出来ていなかった。
「何て考えが甘かったのかしら……」
はあ、と重い溜息を零すと自分の額をそっと手のひらで押さえる。
先程の、マーガレットに言われた言葉がぐるぐると頭の中を巡る。
考えたくなくてもちっとも離れてくれないその考えに嫌気が差してきた頃、狩猟祭の終わりが近付いてきているのをメイドから聞かされる。
日が暮れてしまっては視界が悪くなり獲物を狙いにくくなる。森の中は常より太陽の光が差し込みにくく視界が悪い。薄暗くなっていく周囲に、誤って人に怪我をさせてしまうのを避ける為にあと数刻程で森に入っていた男性達が戻ってくるだろうと話され、ティアーリアは森の方向へと視線を向けた。
クライヴが戻ってくる気配はないが、クライヴが戻って来た時に自分が暗い表情をしていたら心配をかけてしまう、と考えティアーリアは思考を切り替えるとメイドとの楽しい会話に意識を切り替えた。
日が傾き始めた頃、森からパラパラと男性達が戻って来始める。
ティアーリアは戻り始めた男性達の姿の中にクライヴを探すが、まだクライヴは戻っていないのか見慣れた長身の彼の姿はない。
そわそわとした気持ちのまま、ティアーリアが森の方向へと視線を向けていると、戻って来た男性達から声を掛けられる。
「クランディア嬢」
「──はいっ」
クライヴ以外に話し掛けられるとは思っていなかったティアーリアはびくり、と肩を跳ねさせると声を掛けてきた男性達へ視線を向ける。
「? 何か、ご用でしょうか?」
見覚えのない男性達にティアーリアは首を傾げると、問いかける。
ティアーリアの背後にはしっかりと先程の護衛達が並んで立っており、鋭い視線を貴族男性達に送っている。
「あの、その……私は狐を仕留めたので是非クランディア嬢に捧げたく思い、話しかけさせて頂きました」
「私は、魔物の魔石を……」
「私は猪を仕留めましたので是非肉を……!」
口々にそう伝えてくる男性達にティアーリアは瞳を瞬かせると困惑する。
彼らに婚約者はいないのだろうか。面識のない自分に獲物を捧げる事などしていいのだろうか、と困惑していると聞き慣れた柔らかい超えがティアーリアの鼓膜を擽った。
「申し訳ないが、ティアーリアへの贈り物は御遠慮頂きたい」
「──クライヴ様っ」
ふわり、と後ろからクライヴの腕に包まれてティアーリアは驚きと安堵に自分の体から緊張が抜けてしまい、クライヴに支えられる。
「私がいない内に、とでも……?」
「い、いえっ! とんでもありませんアウサンドラ公!」
「私もです……っ! その、本日たまたま婚約者がおりませんでしたので──」
「私もお渡しできるご令嬢がいなく、えっと、申し訳ございません」
クライヴに話しかけられた貴族男性達はしどろもどろになりながらも、言い訳を口にして謝罪すると足早にクライヴとティアーリアから離れていく。
「まったく、私がいない隙に寄ってくるとは」
低く呻くクライヴに、ティアーリアは嬉しそうに振り向くと声をかける。
「お帰りなさいませ、クライヴ様。お怪我はありませんか?」
「ただいま、ティアーリア。怪我もないですよ」
クライヴも嬉しそうに表情を綻ばせると、ティアーリアの額にそっと口付けた。
クライヴはティアーリアの額、瞼、頬と順に口付けを落としていくとコツン、と最後にお互いの額同士を合わせて微笑む。
「私がいない間、大丈夫でしたか? 何も嫌な思いはしていませんか?」
瞳をしっかりと合わせて聞いてくるクライヴに、ティアーリアは先程のマーガレットとの会話を一瞬思い出してしまい、ちくりと自分の胸が痛むのを感じたが、すぐに気持ちを切り替えるとクライヴに微笑み返す。
「ええ、特に何もございませんでした。護衛の方についてもらって、付近の散策も出来ましたし、有意義な時間を過ごさせて頂きました」
「……そうですか、それは良かった」
ふふ、とお互い微笑み合いながら会話を交わしていると森の方向から続々と男性達が戻ってくる。
全員戻って、仕留めた獲物の確認をした陛下が今年の狩猟祭の優勝者を発表する。
優勝者の発表は陛下の独自の判断方法なので、誰が優勝者に選ばれるか分からない。
クライヴは汚れを落としてきますね、とティアーリアに伝えると、自身の天幕へと戻るためそちらの方向へと足を向ける。
その際に、ティアーリアの護衛をしていた者へ視線を向けると、天幕を視線で示しそのままクライヴは天幕へと入っていった。
「──お呼びですか、クライヴ様」
ティアーリアの護衛の一人、ハインツがクライヴの天幕に足を踏み入れその場で頭を下げる。
いつものように侍従のイラルドに着替えの手伝いをしてもらいながら、クライヴはハインツへと視線を向ける。
「ティアーリアに元気が無かった。俺がいない間に何があった?」
低く尋問するような響のその声に、ハインツとイラルドは背筋を波立たせるとその場でしゃきっと背筋を伸ばす。
ハインツは緊張でからからに乾く自分の喉から震える声音で先程のマーガレットとのやり取りをクライヴに報告する。
その話を聞いていたクライヴは、眉間に皺を寄せると唇を開く。
「──そんな話あったか? 誰だ、マーガレット嬢とは……」
「ほら、あれですよクライヴ様」
本気で身に覚えが無く、怪訝そうに言葉を零したクライヴにイラルドは声を出す。
「昔、クライヴ様がティアーリア様と初めて会った頃に縁談の話が来てる、とお父上が仰ってたじゃないですか。あの頃のクライヴ様はティアーリア様に一目惚れして、滞在期間も伸びた事からその縁談は自然とお流れになったじゃないですか」
「……確かに、あの頃クライヴ様には縁談の話がありましたね。確かそのお相手の家名がボブキンスだったような……」
イラルドとハインツの言葉に、クライヴはすっかり忘れていた自分への縁談話を思い出し、「ああ、確かに何か来てたな」と呟く。
だが、あの頃は母の病気や争いが起きていて慌ただしく過ごしていた。
縁談の話も何度か来ていたそうだが公爵家が慌ただしく、また自分はあの日からティアーリアの事を忘れられなかったので全て断っていた。
クライヴの父親も、クライヴの気持ちを察してくれていたので結婚については時間を貰っていた。
現公爵もまだ年若い四十代前半だ。急いで息子に家督を継がせなくても大丈夫だろう、と好きにさせてくれた。
恋愛結婚が多いこの国に生まれて本当に良かった、とクライヴは何度も感謝していた。
そうでなければ自分はとっくに対して興味のない令嬢と政略結婚をしていた事だろう。
「ボブキンス……、ボブキンス侯爵家か」
クライヴは確かにあそこの令嬢から夜会等で何度も話し掛けられたな、と思い出す。
興味が無くて適当にあしらっていたが、ティアーリアに手を出して来たのであれば容赦はしない。
「確かあの侯爵家には跡継ぎの令息がいたな……」
「ええ、先程ティアーリア様に必死になって話し掛けておりましたね」
クライヴの呟きに、イラルドがあっさりと言葉を返す。
「なに!? どれだ?」
「あの先程婚約者がたまたまいなくて、と言っていた男性ですよ」
へらへらと軽薄な笑みを浮かべてティアーリアに言い寄っていた男の顔を思い出し、クライヴはあれが侯爵家の跡継ぎだったのか、と信じられない気持ちでイラルドに視線を向ける。
確か最近、あの侯爵家は跡継ぎの令息に婚約者が出来た、と話に上がっていた。
相手の令嬢も年はティアーリアと同い年の十七か、十八そこら辺だったはずだと記憶している。
婚約者がいながら、他の令嬢に声を掛けるなんて何て軽薄な男なのだろう、とクライヴは苛立ちを顕に唇を噛み締める。
侯爵家の跡継ぎも、令嬢も、自分の大事なティアーリアに嫌な思いをさせるのであればどうしてくれようか、と考えながらクライヴは着替えを終えると天幕を出てティアーリアの元へと向かった。




