十二話
狩猟祭当日。
天気は快晴で、雨も降らなそうな青空に、とても澄んだ空気にティアーリアは胸いっぱいに気持ちのいい空気を吸い込んだ。
「ティアーリア、ストールを羽織って下さい。風邪をひいてしまったら大変だ」
「クライヴ様、大丈夫ですよ。子供の頃とは違い健康ですから」
甲斐甲斐しくティアーリアの傍で、肩にストールをかけたり温かい飲み物を使用人へ用意するように指示をしているクライヴとティアーリアに遠慮がちに視線が集まっている。
周りの狩猟祭に参加しに来ている貴族達は、クライヴの想い人は妹のラティリナだとばかり思っていたが、どうやらクライヴが微笑みかけている女性は病弱なラティリナではなく、ラティリナの姉君のティアーリアだと言う事に皆驚きにざわめいていた。
クライヴは華やかな刺繍の施されたウエストコートの上に裾が長めのコートを着込み、肩には狩猟用の弓をかけている。
腰にはベルトフープに通した剣帯で剣を止めている。何かあった時の為に弓矢だけでは心もとない、という理由からこの狩猟祭でのみ帯剣が許されている。
貴族には護衛も数人付いているので万が一も何も起こらないはずだが、数十年前に敵対国の刺客が狩猟祭で国王の命を狙った事がある。
その際に帯剣していれば、貴族も国王の命を守る事が出来るし、自分の命も守れると言うことからこの時だけは特別に許されていた。
勿論、国王を守る護衛騎士達の人数は数多く配備されており以前のような事態には陥らないだろう。
「ティアーリア、狩猟祭は昼過ぎから日の入りまで行われます……日が落ちてくると寒くなるので必ず暖の取れる屋内へ入っていて下さいね」
「はい、クライヴ様。お気遣いありがとうございます」
「ああ、ティアーリアに優勝を捧げたいとは言え、貴女をここに残して行くのがとても心配です……」
残していく、とは言えクライヴの公爵家から沢山の使用人がこの狩猟祭には来ておりティアーリアの護衛の人数も多くいる。
心配して貰えるのはとても嬉しいのだが、自分達に注目が集まっているような気がしてティアーリアはとても気恥しい。
「クライヴ様……、私は大丈夫ですのでご準備をされた方が……」
周りの貴族男性達もぼちぼちと自分の馬の準備をし始めたりと動き始めている。
そっとクライヴの背中に手を当て、準備に向かわせようとクライヴの背中を自分の手のひらで押す。
「──貴女と離れ難いですが、仕方ない……」
クライヴは諦めたようにティアーリアの手に促されるように一方前方へと足を踏み出すが、何かを思い出したかのようにくるりとティアーリアへと振り向いた。
「そうだ、忘れてました」
「え?」
クライヴは綺麗に笑うと、ティアーリアの額にかかった前髪をそっと自分の指先で避けると額に優しく口付けた。
「では、準備してきますね、ティアーリア」
「はい、行ってらっしゃいませクライヴ様」
二人の様子を固唾を飲んで見守っていた周囲の人々は、クライヴの溺愛ぶりに驚き、クライヴに微かな恋心を抱いていた令嬢達は声にならない悲鳴を上げた。
クランディア伯爵家には病弱だけれど、とても美しい女性がいる。と、とても噂になっていたが伯爵家には二人の娘がいて、名前が上がるのは妹のラティリナばかりであったが姉のティアーリアも大変美しく可憐な女性だ、と言う事実はあまり噂になっていなかった。
ティアーリア自身、夜会等にも積極的に参加していなかったのもあり今日の狩猟祭で初めて姉のティアーリアの顔を見る、と言う人々が殆どであった為初めてティアーリアの顔を見た若い貴族男性達は、いつまでも美しく微笑むティアーリアに夢現の気持ちでぼうっと見とれ続けた。
ティアーリアは、クライヴと別れてから公爵家で用意しているテーブルの方へと足を進めると、そっと椅子に腰掛ける。
ティアーリアが腰掛けた瞬間から、この狩猟祭に派遣された公爵家のメイド達がテキパキと動き、ティアーリアの目の前にお茶やお茶菓子を用意していく。
「ティアーリア様、温かいお茶をお飲み頂きお体を冷やさないようにお気を付け下さいね」
「ありがとう、いい香り……」
にこり、と微笑み掛け下がるメイドにティアーリアは微笑みながら礼を述べると、用意してもらったカップからふわり、と湯気が立ち上りフルーティーな香りが鼻腔をくすぐる。
ティアーリアはカップを口元に持っていき、紅茶を一口口に含むと飲み込んだ。
狩猟祭では、狩猟に向かう男性達と数名の護衛達が同行し、男性達の婚約者や配偶者、娘息子達が彼等の狩猟終了までお茶やお喋りを楽しむ。
そのお喋りの中で令嬢や夫人達は社交に勤しむ。
社交界のような煌びやかな場所ではないが、こういった場所でもお互いの情報交換は大事だ。
ティアーリアは周囲にちらり、と視線を巡らせるとどうしようかしら、と考え込む。
アウサンドラ公爵家の次期公爵であるクライヴが求婚している相手として、自分と繋がりを持ちたい家の面々がそわそわとこちらの様子を窺っている面々がいる。
「……クライヴ様からも自分からは余り話の輪に入りに行かないで欲しい、と言われているし……」
貴族達の醜い派閥争いに巻き込まれないように、というクライヴなりの心配だろう。
だが、ティアーリアはこれでいいのかと考える。
クライヴに守って貰い、自分からは何もせず動かず公爵夫人としてやっていけるのか。
現在、公爵夫人としての教養や、マナーを学んでいる。
それと同時にティアーリアは公爵夫人として社交界での立ち回り方についても模索していた。
守ってもらってばかりいては自分の成長に繋がらない。
自分も将来は正式に公爵家の一員として迎えられるのだ。今回のような正式な社交の場ではないのであれば、まだ交流がしやすいかもしれない。
後ほどクライヴの準備が終わって戻って来た時に聞いてみよう、と考えるとティアーリアはメイドにお茶のおかわりをお願いした。
「ティアーリア」
「──クライヴ様っ」
クライヴは準備が終わったのだろうか、準備用の天幕から姿を表すとティアーリアの背後から愛しげに声をかける。
クライヴの声に反応したティアーリアは、嬉しそうに表情をぱっと輝かせるとクライヴに振り向く。
椅子から立ち上がろうとしたティアーリアを手で制し、クライヴはティアーリアの髪の毛を自分の指で掬い上げるとその髪の毛に口付けを落とす。
「体は暖まりました? 寒くない?」
「ええ、美味しい紅茶を飲んでぽかぽかになりました」
照れくさそうに微笑むティアーリアに、クライヴは一層笑みを深めると、敢えて周囲に見せつけるようにティアーリアを溺愛している様子を見せる。
公爵家の次期当主である自分が選んだのはここにいるティアーリアなのだ、と印象付ける。
先程からティアーリアに熱い視線を向ける男性貴族達や公爵家の力だけを狙う者達を牽制するように見せつける。
公爵家の次期当主である自分が溺愛するティアーリアに手を出す、という愚かな事はしないでくれよ? と優しく脅すような物だ。
「ティアーリア、もうそろそろ狩猟祭が始まる……私は暫くこの場を離れてしまいますが護衛や侍従を複数置いていくので、一人で行動しないようにして下さいね」
「ふふ、ええ勿論。クライヴ様もお怪我等されませんよう、充分お気を付け下さいね?」
「ええ、怪我をしてしまったらティアーリアを思い切り抱き締めれなくなってしまう」
クライヴはそう答えると、ティアーリアの頬にそっと触れるだけの口付けを落として、狩猟祭開始に備えて陛下の元へと向かう為名残惜しそうにティアーリアに背を向けた。
陛下の元へと向かうクライヴの背中を見つめながら、ティアーリアはどうかクライヴが怪我をすることなく無事戻ってきますように、と祈る。
クライヴがいくら周りに自分とティアーリアの仲を見せつけていても、その意味を理解しきれない人間や、そんな事を気にもとめない愚かな人間は一定数いるのである。
まさかクライヴもこんな大勢の人間の目がある場所であからさまにティアーリアに向かって悪意をぶつける愚かな人間がいるとは思っていなかった。
そもそも公爵家の護衛や侍従は有能なもの達ばかりな為に安心しきっていたのだ。
その心の隙をついてくるように悪意は残されたティアーリアに牙を向いた。




