表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

松山千春の「卒業」を聴きたくなった

作者: xoo

 ある日、松山千春の「卒業」を聴きたくなった。1979年3月に発売された「窓」のB面曲。



 松山千春って、あのスキンヘッドの怖そうな人だ。初期の歌しか知らないが、デビュー前後は地元STVラジオ()()()出ていたからアタックヤングとか、そのあとはオールナイトニッポンをよく聴いていた。


 「旅立ち」でデビューして「季節の中で」で世間一般にそれなりに知られるようになった頃、松山千春は1979年放送の単発テレビドラマ「一年」で主題歌と挿入歌を担当した。

 「一年」は釧路に汽車通学する男の子と女の子、高3の1年間をドキュメンタリー風に追った85分の作品。STV札幌テレビ放送の創立20周年記念作品で、倉本聡が「北の国から」の前に関与している。


 ドラマの内容はあまり覚えていない。2人の高校生が部活アイスホッケーとバレーボールを中心としたそれぞれの学校生活を過ごす1年を追っていた。前宣伝と違い、2人の日常は交わらない。

 エンディング、汽車通学の情景。2人はそれぞれの友人と談笑しながら、同じ車両に乗っている。松山千春の「卒業」が、スタッフロールとともに流れる。2人はそれぞれ社会人(実業団)と大学に進む。その先も2人が交わることがあるのかは、描かれない。



 1回しか観ていないドラマの、B面曲。44年間聴いていなかった曲を、聴きたくなった。



 松山千春は倉本聡と仲が良かったらしい。ドラマ「一年」の曲を引き受けた。でも考え方の違いでドラマ放送時にはすでに仲違いしていた。

 降板する直前のアタックヤングで(ドラマの宣伝をすべきところを)クソ味噌に言っていた。普段からクソ味噌な言い方をする松山千春だが、通学列車内しか場を共有することがない2人が「お互いを意識しあっている」ように演出したい倉本聡に松山千春が激怒、曲を引き揚げようとしたが恩があるSTVのため(というか大恩人で既に故人となっていた竹田健二の顔を立てて)曲は残した、とのこと。


 (この一件がなければ「北の国から」は松山千春が曲を提供していたかもしれないが、それはまた別の話)


 シングルB面曲の「卒業」はギターで始まる3分20秒の曲だが、1979年5月のアルバムバージョンはストリングスで始まる5分の曲で調性(曲調、空気感)も変わっている。松山千春は「シングル(オリジナル)バージョンは倉本聰を思い出す」と言って、アルバムバージョンと後の再録音バージョンでは別アレンジに変えた、そうだ。



 どんな曲を歌うか、どのように歌うかはシンガー、松山千春の自由だ。ウィキペディアの松山千春のタイアップ曲一覧には「卒業」が「一年」の主題歌(相当)だった事実は載せられていない。



 Youtubeにはシングルバージョンの「卒業」がある。いつか消されるかもしれないけど、コメント欄には「卒業式で歌った」という思い出も綴られていた。

 1979年11月に発売されたシングルコレクション「起承転結」にはシングルバージョンが収録されている。1994年5月に発売された再発廉価盤だが、入手できた。


 熱心なファンではない私だが、松山千春の「卒業」は、1回しか観ていないドラマのエンディングの、この曲だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] xooさんは理論的な文章が上手い人ですね 感心しまし 北海道はフェリーで苫小牧から上陸して、原生林みたいな所をディーゼル車?で札幌・小樽などへ行った事がありす 途中、北広島と言う駅を見て、…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ