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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

未商業化作品(短編)

愛しい人に殺されそうになり、返り討ちにしてしまったので、罪を重ねて地獄に落ちようと思います

作者: 葵 すみれ

「ニーエ! ニーエ! さっき言った用事は終わったのかい! まだまだやることはあるんだよ! さっさとしな!」


 怒鳴り声をまき散らされ、ニーエはのろのろと体を動かす。

 疲れ切って休みたいのに、眉をつり上げたおばさんはそれを許してくれない。


「あんたは本当にグズだね! まったく、いつまでこんな役立たずを育てなきゃいけないんだか……」


 おばさんはぶつぶつと文句を呟く。

 毎日怒鳴られ、こきつかわれて、ニーエはここは地獄のようだと思っていた。


 ニーエは孤児で、冷淡なおじさんとおばさんに引き取られた。

 優しい言葉ひとつかけてもらえることはなく、どこかに連れて行ってくれることもない。

 家とその周辺の水場や薪拾いに行く林が、ニーナの狭い世界の全てだ。


「……ただいま。ニーエ、今日はお土産があるよ」


 そこに、兄のカインがおじさんと一緒に帰ってきた。

 兄といっても血は繋がらず、一緒に暮らしているだけの他人だ。

 だが、カインはニーエのことを可愛がってくれ、彼だけがこの地獄で唯一の救いだった。


「お土産?」


「うん、部屋に行こう」


 カインはニーエの手を引き、部屋に連れて行く。

 ニーエに対しては口うるさいおばさんだが、カインに対しては甘いところがある。

 まだ言いつけられた仕事が全部終わっていなかったが、おばさんはニーエが連れて行かれるのを黙認した。


 カインとニーエは二人でひとつの部屋を与えられている。

 ぼろ布を継ぎ合わせた仕切りで、互いの領域を区切っていた。

 その仕切りを取り払い、二人は椅子を持ち寄る。


「ほら、これ。本を拾ったんだ」


 カインが取り出したのは、ボロボロになった本だった。

 本は高価なもので、ケチなおじさんやおばさんが買ってくれることはない。

 そもそも、ニーエは字をろくに読めないのだ。カインが教えてくれるので、少しずつ覚えているところだった。


「僕が読んであげるから、一緒に見ようね」


 そう言って、カインは本を読んでくれる。

 カインはおじさんと一緒に外で仕事をしているらしくて、色々なことを知っている。

 文字も読むことができるのだ。


 本の内容は、孤児となった不幸な境遇の少女が苦難に負けず、善行を積み重ねて成長していく。そして幼なじみと結ばれ幸せになり、最後は天国に召されるというものだった。

 少女をいじめていた相手は、地獄に落ちて悔いることになる。

 良いことをすれば天国に行ける、悪いことをすれば地獄に落ちるといった、教訓の話だ。


「お兄ちゃん、私も良いことをしたら幸せになって、天国に行けるかな……?」


 ニーエは、物語の少女に自分の境遇を重ねていた。

 孤児であるのも、いじめられているのも、同じだ。

 幼なじみはいないが、カインが似たようなものだろう。兄のような存在ではあるが、血は繋がっていない。

 物語の少女が善行を重ねて幸せになれたのだから、ニーエはきっと自分もそうなれるのだという希望を抱く。


「うん、そうだね……ニーエは、きっと天国に行けるね……」


 寂しそうに笑いながら、カインはニーエの頭を撫でる。

 物語に夢中になっていたニーエは、カインの表情の理由を考えることはなかった。




「……おばさん、他に用事はありますか?」


 それから、ニーエの行動は変わった。

 善行を積み重ねればよいのだと、これまで嫌々やっていた仕事を積極的にするようになった。

 すると、これまで怒鳴ってばかりだったおばさんが、少し優しくなってきたようだ。

 進んで仕事をするため、カインが帰ってくる頃には終わっていることも多く、よりカインと一緒に遊べるようになった。


「もう少しで一人前になる試練を受けられて、合格したらこの家から独立できるって言われたんだ。ニーエも自由になれるんだって。だから、そうなったらここを出て二人で暮らそう」


 良い方向に進んでいると感じていたある日、カインがさらに嬉しい話を切り出したのだ。

 ニーエは飛び上がるほど嬉しかった。

 善行を積み重ねてきた甲斐があったのだと、感じ入る。

 きっと、あの物語の少女のように、幸せになれるのだ。


「うん、お兄ちゃん、大好き!」


「僕も大好きだよ、ニーエ」


 カインはニーエの世界を照らしてくれる希望であり、兄妹のように育ってはきたが、ニーエは家族以上の感情を抱いていた。

 二人で暮らしてやがて結ばれ、今の偽りではない本当の家族になる未来を、ニーエは信じていたのだ。




 そしてとうとう、カインが一人前になる試練を受けるときがきた。

 何故か、ニーエも一緒に連れてこられる。

 広々とした廃屋の中に見知らぬ男たちが何人もいて、カインとニーエは部屋の中央に進まされた。


「仕上げだ、その娘を殺せ」


 男の一人が、カインに短剣を差し出しながら言い放つ。

 だが、カインは受け取ろうとはせず、首を横に振る。


「……ニーエは、妹なんです。許してください」


「だからこそだ。誰が相手だろうと、任務を果たせるかの試練だ。殺さねば、お前も生き残れないぞ」


「……ニーエは自由になれるって!」


「死ねば、解放されて自由になれるだろう。お前が殺さぬというのなら、殺さねば満足できぬ変態相手にお前の妹を売ってやる。犯され、切り刻まれ、最後に殺されるのだ。今死んだほうがよほどマシな苦痛を味わいながらな」


「どうか、どうか、それだけは……」


「お前の妹を救いたければ、お前の手で殺してやれ」


「ニーエ、ニーエ……」


 ぼろぼろと涙を流しながら、カインは短剣を受け取った。

 そして、震える手で短剣をニーエに向けてくる。


 ニーエには、カインと男の会話がまったく理解できなかった。

 今、カインがニーエに短剣を向けていることも、悪い夢を見ているとしか思えない。


「……ひっ!」


 だが、カインが短剣を突き刺してきて、ニーエはとっさに腕でかばう。

 腕に熱い痛みが走り、これが夢ではないと教えていた。


「や……やめて……どうして、こんなことをするの……」


「仕方が無いんだ……仕方が無いんだよ……!」


 震えながら問うニーエだが、カインは再び短剣を構える。


「も……元の優しいお兄ちゃんに戻ってよ……人を傷つけたら、天国に行けないんだよ……地獄に落ちちゃうんだよ……」


「そうだね……僕は地獄に落ちるね……でも……でも……」


 泣きながら、カインはめちゃくちゃに斬りつけてくる。

 ニーエはうずくまり、腕で頭をかばうが、どんどん傷が刻まれていく。

 震えるカインの手では致命傷にならず、浅い傷がいたずらに増えるだけだ。


「痛い! 痛い! やめて! やめてよ! お願いだから、やめてよぉ……!」


 すすり泣くニーエを見て、カインは手を止めた。

 やっとやめてくれたのかと、ニーエは顔を上げる。


「ごめん、ごめんよ……僕が不甲斐ないばかりに苦しめて……終わりにしてあげるからね……」


 しかし、ニーエの期待に反して、カインの顔つきが変わった。

 これまで見たことがないほど冷たい目になり、ニーエはぞくりと身を震わせる。

 殺される、とニーエは理解した。

 世界が止まり、自分も崩れていくような錯覚に陥る。そして、自分の中に何かが入り込んできたようだった。


 そのとき、ニーエの足下に短剣が転がってきた。

 男たちの一人が放り投げてきたものだが、ニーエは何も考えることなく、体が勝手に動き、手が短剣を拾い上げた。

 そして、ニーエの手は短剣をカインの心臓に突き立てる。


「え……?」


 信じられないといった呟きは、ニーエとカインの両者から漏れた。

 ニーエは自分の行動が理解できない。

 誰かに体を乗っ取られて、勝手に動いたとしか思えなかった。


 カインは自分の胸を押さえ、あふれてくる血を眺める。

 そして次に、ニーエを見つめた。

 その瞳はこれまで幾度となく見た、優しい瞳だった。


「ニーエ……生き……て……」


 聞き取れないほどの小さな呟きを残し、カインは微笑んで息絶えた。

 崩れ落ちるカインを眺め、ニーエは現実だと思えずに立ち尽くす。


「あああああ! あああああーっ!!」


 今、自分はいったい何をしたのだと、ニーエは半狂乱になって叫ぶ。

 そこに、見ていた男たちの一人が近づいてくるが、ニーエは気づかない。


「……死神に愛された娘が久々に出たな」


 誰かがそう呟くのを聞きながら、ニーエの意識は途切れた。



*



 月が雲に覆われた闇夜の日、とある聖堂に血の臭いが立ちこめていた。

 でっぷりと太った高位聖職者が、壁際でぶるぶると震えながら、侵入者を見つめる。


 侵入者はすでに護衛たちを全て葬っていた。

 残るは高位聖職者のみだ。


「ま……待て、誰に雇われたか知らんが、その倍……いや、三倍出そう。助けてくれ」


 高位聖職者はそう持ちかけるが、侵入者は構わずに近づいてくる。


「わ……私は天の使いだ。私を殺せば天罰が下るぞ……! 今、悔い改めれば天国への道が開かれ、このまま進めば地獄に落ちるぞ……!」


「……悔い改めれば、天国への道が開かれる?」


 侵入者は足を止める。

 そして、その口から出たのは少女の声だった。


「そ、そうだ。そなたの罪を私が直々に、天に赦しを請おうではないか。私の力があれば、天国への道などたやすいこと……」


 しめたと思った高位聖職者は、ここぞとばかりにまくしたてる。


「そうか、安心した」


 しかし、侵入者はそう呟くと、高位聖職者の喉を切り裂いた。

 赤い液体が勢いよく噴き出し、あっけなく高位聖職者は事切れた。


 そのとき、雲が晴れて窓から月光が差す。

 月の光に照らされた顔は、ニーエのものだった。


 あれから、ニーエは暗殺者としての訓練を受けた。

 そこでニーエは、カインが暗殺者として育てられた子供で、自分はその仕上げに殺される運命だったことを知る。

 二人を兄妹のように育て、最後の仕上げとして共に育ってきた妹を殺すという試練だったのだ。


 だが、稀に妹の側が兄を殺してしまう場合もあるという。

 逸材に起こる現象で、体がまるで自分のものではないように動き、相手を屠ることから『死神に愛された娘』と呼ばれる存在だ。

 ニーエもその一人として、暗殺者となった。


「悔い改めても、それだけでは天国に行けないのなら、きっとお兄ちゃんは地獄にいるね」


 ニーエが思い出したのは、カインの最期の優しい瞳だった。

 悔い改めれば天国へ行けるというのならば、カインは天国に行ったかもしれないと思ったのだ。

 だが、高位聖職者の言葉によれば、それだけでは無理なようで、安心した。


「お兄ちゃん……地獄で会おうね」


 カインはきっと地獄にいる。

 だから、ニーエも罪を重ねて地獄に落ちるのだ。

 いつか、カインと会うために。

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