無へ帰す
読まれるためのものでなく読み返すためのものとして記します。
手元に置いておくと失くしそうなので、ここへ置いておきます。
記憶は長くは持ちません。
長く生きれば生きるほど、相対的に瞬間の重みは減少してゆきます。
使っていたころにはいつでも手の届く距離にあったものが、使わなければすぐにみつけ出せなくなります。
1+1は2ですが、0+0は0です。
有るもの同士を繋げることはできても、無いものを繋げることはできません。
0はそのままでは1にはなりません。無いことを意味する記号が0であって、正確には存在するものを表していないのです。
有るものを無くすことは比較的容易です。
有るものを保つことは、半ば惰性に任せても可能です。
無いものを現わすことは、容易なことではありません。
0を1に変える能力を持った人が、社会では必要とされるのでしょうか。
0だと思われていた1を見つけ出す能力を身に着けた人が、偉人でしょうか。
1を1のまま保ち続ける技術を継承することもまた、社会には必要でしょう。
有るもの同士を繋げることさえ、私には容易ではありません。
できないわけではありません。
とてつもなく効率が悪いですが、時間さえかければできます。
限られた時間で、足りるかどうか。
効率が悪いのです。
そこが問題です。
時間は有限です。
この老いてゆく肉体に残された時間も、持って生まれた脳の記憶容量に限界が来るまでの時間も、最新の情報が最新でなくなるまでの時間も、皆有限です。
物は劣化します。認識される劣化速度は異なりますが、有るものは皆等しく。
無いものは、そもそも無いのですから。劣化すらもおこらない。
この体は朽ちようと、その構成要素は形を変えて有り続けます。
電気信号の流れはもちろん保たれませんから、私のオリジナルの体験は失われます。
記憶は容易に、無くなります。