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猿の剥製(さるのはくせい)

作者: カキツバタ

 そとでは土砂降りの雨が降っている。

 若い男が一人、玄関の扉を開けると靴も脱がずに駆け足で部屋の中に入っていった。

 

 名は西野、23歳。痩せても太ってもおらず、身長も高いわけでも低いわけでもなく。

 顔も鼻の下に大きなほくろがある以外に特徴はなく、良くも悪くもない平凡そのものである。

 服装もこれまた意外性の欠片もない安物の紺のスーツに革靴、と無難で経済的に配慮されたものを好んで着ている。


 西野が入ると昼の3時だというのに電気は付けられ、部屋は必要以上に明るく照らし出されていた。

 だが、彼はそのことに疑問を持つわけでもなく、置かれている青いソファに腰掛けもせず、テレビの電源を入れるわけでもなく。

 昨今の若者にありがちなスマホを弄るわけでもなく、部屋の中央で立ち止まった。

 雨に濡れた肩口にはシミが広がっているが、既に乾きかけていた。


「……おっそいなアイツ。どこで油売ってんだぁー?」


 西野が大きな独り言を出すと。

 それを合図にしたかのように玄関からチャイムが鳴る。


「ごっめ~ん! お店に寄ってたら遅れた!」

「おっそいよ久瀬(くせ)。約束の時間はとっくに過ぎてるぞ。ほら早く入ってこいよ」


 施錠されてないとはいえ西野の返事を待たずに玄関の扉を少し開くと、西野と同年代と思われる若い男の顔と手荷物を覗かせた。

 久瀬と呼ばれた男は愛嬌のあるふっくらとした恵比寿顔で、西野に見えるよう紙袋をブラブラと揺らしていた。

 西野は手招きして呼び寄せる動作をすると小走りで入ってくる。彼もまた靴は脱がなかった。

 そして二人共、騒がしい高架下の飲み屋で話すように声が大きかった。


 ドタドタと西野に走り寄る久瀬は無地のTシャツに短パン。

 雨だけではない汗で濡れたTシャツからはお腹がぽこりとはみ出ていた。


 西野と久瀬は肩を並べるように立つと、久瀬のほうが身長は拳ひとつ分ほど小さかった。 


「すまんすまん! でもさ、これ見てくれよ! いい買い物したんだー」

「何を買ったん……うぎゃー! おまっ、おまっ! なんだよこれっ!」


 上機嫌に久瀬が紙袋に手を入れると、猿のぬいぐるみがひょっこりと現れる。

 久瀬と距離を離すように飛び上がると両手を大きく掲げながら西野は驚いた。

 

「へへっ、いいだろこの猿の剥製。ベルベットモンキーっていって10万円もしたんだぜ」


 ベルベットモンキーはサバンナに生息しているオナガザル科の猿である。

 雄の大きいものでも体長60cm。毛は淡い黄色、灰色、オリーブ色等多様で、四肢の先や顔には毛はなく黒い。

 顔の周りには白いフサフサとした毛が胸から腹部まで続いている。


 だが、久瀬が取り出した物は剥製ではなく。デフォルメ化した茶色の毛を持つ体長20cmほどニホンザルだった。

 西野はそれに気づいていないかのように恐る恐る近づくと、人差し指でツンと突っついた。


「これ……剥製……か。って久瀬! お前、その10万って俺たちの旅費じゃんか!

どうすんだよ! 北海道で蟹食べるってお前が言い出したんだろ!」

「チッ……。しょうがねえだろ。欲しかったんだもん」

「逆ギレかよ。おいっ、どうするかって聞いてんだよ!」


 一段と大きな声で西野は久瀬に詰め寄った。


「まあこれでも嗅いで落ち着きなよ」


 久瀬は猿のぬいぐるみの口を西野に近づけた。


「なんだよ。……猿の歯臭え(さるのはくせい)!」


 鼻を押さえながらのけぞる西野を見てゲラゲラ笑う久瀬。

 姿勢を立て直すと西野は再び久瀬に詰め寄ると。


「お前ふざけんなよ! あんなもん嗅がせやがって……」

「まあまあ落ち着いて。しょうがないんだよ。

この猿の生前は胃が弱くて食べては吐き食べては吐きを繰り返し、とうとうその匂いが歯について取れなくなったという……」

猿の吐くせい(さるのはくせい)っ!? んなことあるか!」


 あまりの度が過ぎた言動に耐えきれなくなった西野が久瀬の頭をひっぱたくと、パチーンと大きな音が鳴った。

 叩かれて一瞬キョトンとすると久瀬。


 立ち直ると久瀬は猿のぬいぐるみを置くと部屋をうろつき、壁に片手を付け頭を下げた。


「なにやってんだ久瀬」


 西野の言葉を無視する久瀬。

 また部屋をうろつくと、今度は相撲の四股のような体勢になる。そのまま右手を頭の上に、左手を顎の下にやりウキーと鳴いた。


「……なんだそれ。ふざけてんのか!」

「ん? これは反省してるのを表すポーズだけど?」

猿のは癖(さるのはくせい)!」


 二人の動きが止まった。

 久瀬の目には確かに反省の色があった。

 西野の目には自分の失敗を認める色があった。


(……すまん)

(いや、俺も悪かった。次、頑張ろう)

(ああ……)


 二人はどちらも謝罪の言葉を小さく口に出すと動き出した。

 久瀬は部屋の中央に戻ると猿のぬいぐるみを左手で持ち上げ、西野はネクタイを締め直した。

 

「ンンッ……。久瀬。それ剥製って言ってたけど、匂いとか大丈夫なのか?」

「あっ……当たり前だろ! 10万もしたんだからな。嘘とだと思うなら嗅いでみろよ」

「……もう口を近づけるなよ? ……無臭だ。でも、もう少し……ちゃんと……スンスン」


 注意深く猿のぬいぐるみに顔を近づけると鼻をスンスンと鳴らす西野。

 久瀬は注意が自分から外れたことを確認すると、右手をポケットに入れ何かを取り出す動作をする。

 未だスンスンと猿のぬいぐるみの匂いを嗅いでいる西野の鼻近くに右手を持っていき……開いた。


「……んで、これが剥製を作るときに削ぎ落とされて出来た腐った肉な」

「ほう……スンスン……。腐るのは臭え(さるのはくせい)!」


 久瀬の開けた手のひらには何も乗ってはいなかった。


 二人はまたも失敗を繰り返した事を悟ったが、もう止まることは許されなかった。

 あとは突っ走るだけであった。


「なんっ……てもの持ってんだ! 捨てろ!」

「えー、せっかく貰ってきたのに……」

「うるせえバカ! さっさと捨ててこい」


 不承不承(ふしょうぶしょう)久瀬は右手に持った架空の腐肉を床にペイっと捨てた。


「俺の部屋に捨てるなー! もういい! 出て行け! 早く出て行け!」

「なんだよ。お前が捨てろって……。わかったよ」


 そういうと久瀬は西野をの背をグイグイと玄関に押し始めた。

 西野は抵抗し、振り返り。それでも尚押し続ける久瀬の手を払いのけると。


去るのは久瀬(さるのはくせい)!」


 言い終えると二人は部屋の中央に戻り、肩を並べると部屋の外に向かって頭を深々と下げた。


「ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」


 パチパチと拍手がなるが、マナーや義務感によるものだということは明白だった。


 二人の正面には一面壁がなく、故意に落とされ窓もない薄暗い空間には客席が視界一面に広がっていた。

 最善席も薄暗いが、ぼんやりと顔の識別はなんとかできる程度までのあかりはあった。

 二人から見て、右から中年男性、年寄りの男性、中年女性、若い女性と四人が並び座っている。


 ぞんざいな拍手が終わると司会者と思われる人物がマイクを持つと立ち上がり話し始めた。


「まずはお疲れ様でした。

応募してきたあなた方はご存知だと思いますが、複数のアイテムの中からひとつを選び出し行うモノボケは思った以上に難しかったのではないでしょうか。

先生方、七組目でお疲れでしょうがお願いします」


 軽快な語り口の司会者と思われる中年男性はマイクを横の人物に渡すと座った。


「えー。お題はモノボケにかかわらず、敢えてダジャレ一本に絞ったのには驚かされた。

良い意味でも悪い意味でも。

多少崩れた場面もあったが、テンポはそれほど悪くはない」


 興味なさげに年寄りの男性はマイクを司会者と反対側にいる人物に渡す。


「……すいませぇん。ええっと、私は良かったんじゃないかと思いますぅ。

猿のぬいぐるみが可愛かったですねー」


 かつては天然キャラで一世を風靡(ふうび)していたと思われる女性は媚びた声をだし、横にいる若い女性にマイクを渡す。


「あたしは良い所を見つけられませんでした。

あの……背が小さい方が特に。あのお腹に嫌悪感が湧いて、とても楽しめる雰囲気ではなかったです」


 そうきっぱり言うと若い女性は小走りで司会者の席に向かい、マイクを返すとまた小走りで元の席に戻った。


「それでは、控室にお戻りください」


 中年の司会者がそういうと、西野と久瀬を呼ぶスタッフの声に従い舞台から離れていった。



 広い控室に他の芸人達と混じって二人はいた。

 一区画はモノボケのためのアイテムが雑多に並べられている。

 久瀬は猿のぬいぐるみをそこに戻すと西野が話しかけた。


「……今日も不合格かなあ」

「元気出せって、西野。俺なんて面と向かって生理的に無理って言われんだぞ」

「お前はそれ狙ってやってんじゃん」


 ハハッと全く気にした様子もなく笑う久瀬に西野は救われた気がした。


「八番の方、どうぞー」

「はい!」


 スタッフの呼ぶ声に一人の男が答えた。

 くしくもその手には七番の二人と同じく猿のぬいぐるみが握られていた。


 順番を待つ芸人達の話し声が二人の耳に届く。


「あいつ、猿のぬいぐるみが見つかってよかったな」

「ああ、猿の惑星(さるのはくせい)をやるんだって息巻いてたからな」


 それを聞いた西野と久瀬の二人は、しかし聞き流した。

 ダジャレとやると決めたとき、最初に頭に浮かんだものだったがそれは出来なかった。

 彼らにもプライドはある。あまりにも安直過ぎるものは、一番手を出しづらいものとなっていた。


 なぜならば、彼れのコンビ名は「猿の博士(さるのはくせい)」なのだから……。

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