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日本一の親父ギャグ

作者: 柳 大知

『あいつさえ生きてれば、父ちゃん、日本一の漫才師になってたんだぞ』

 父親の三周忌で実家に帰ってきた坂本笑一は、酔っ払うと親父がよく口にしたこの言葉を思い出し少年時代を懐かしみながら一人静かに晩酌をしていた。


 日本一の漫才師になっていたと豪語した親父だが、笑一が物心ついたときには四十を過ぎても小劇場に立つくらいの仕事しかない売れないピン芸人で、稼ぎは工場で働く母のほうが多かった。

 親父は芸人以外の仕事をほとんどしなかったが母は不満一つ言わず働き、生活を支えていた。

 おかげで一般的な家庭に比べれば貧しい生活ではあったが、だからといってそれを悲観することはあまりなかった。両親とも年を取ってからようやく出来た一人息子をとても可愛がってくれた。

 笑一なんて名前を付けただけあって、親父は息子にも芸人をやらせたかったようで、時々幼い私の手を引いて自分の出演する小劇場へ連れて行くと、私を客席に残し『しっかり見とけよ』と言って、自分は出演のため楽屋へ行くのだ。

 私は親父の出番が終わり家に帰れるようになるまで、じっと座って、ほとんど理解できない芸人達のネタを見ていた。その中で唯一はっきり分かったのは親父があまりウケていないということだった。

 だが、小さなときの変わった思い出といえばそれぐらいで、芸人になれとか直接何かを言われたことは無かった。


 そんな親父でも若い頃に漫才コンビを組んでいて、出演する劇場でかなりの人気があったのは事実のようだった。

 しかし、親父の言うあいつ、漫才の相方が夢半ばで交通事故で死んでしまい、それから誰ともコンビを組もうとしなかったという親父は、売れない芸人になっていったという。


 私は高校生になると当時の漫才ブームに刺激され、遊び半分で同級生の田辺と漫才コンビを組んだ。

 その頃の親父は出演していた劇場が閉鎖したおかげで芸人の仕事がほとんど無くなり、たまに日雇い労働をして稼いでいたが週の半分以上は家にいて昼間から酒を飲んでいた。

 そんなある日、家にいた親父に漫才コンビを組んだことを知らせると、ネタが出来たら見せろと言われた。そのときは酔って言った冗談だと思ったのだが、次の日から、ネタは出来たかと訊いてくるようになったので、ある日の放課後、自宅の畳の上で出来たばかりの中途半端な漫才を披露した。

 その間ずっと黙って見ていた親父は、ネタが終わると急に口を開き、ネタの内容ではなく、漫才の間の取り方やツッコミ方について熱く語りだした。それは驚くほど的確なアドバイスで実際にそれをやると漫才の質が上がった気がした。

 ネタは殆ど田辺が書き、ボケる田辺に私がツッコむという漫才スタイル、ネタができると真っ先に親父に見せアドバイスを貰う、田辺の書くネタも徐々に上手くなっていき、同級生の前でネタをやると必ず笑いを取れるようになった。


 高校卒業後、さらなる成長を目指し芸人の養成所に入った私達は漫才コンビとして順調に歩を進め、養成所に入って半年ほどで、それなりの劇場に定期的に出演させてもらえる程になっていた。

 だがその頃私は、その展開の速さに喜びながらも少々戸惑いを感じていた。客が笑うのは田辺の書くネタとボケが面白いからで、私のツッコミは、はっきりいってまだまだ実力不足だと思っていた。実際に自分よりツッコミの上手い奴が周りにたくさんいた。

 

 そんな事で悩んでいると、あの日、母から電話が入った。

 六十間近だった父が脳出血で倒れ、一命は取り留めたが体に麻痺が残り、言葉にも障害がでて、ほとんど寝たきりになると言う。

 母は働きながら自宅で介護をすると言ったが、それは親父の状態からいって難しかった。そこで私は決断をした。

 このままお笑いを続けて成功する保証は無いし、少しでも両親の苦労を減らしてやりたかった。私は現実を取りサラリーマンになる道を選んだ。

 田辺は私を止めた、『続ければきっと成功する』と、だがもっと上手いツッコミと組めばそれが早まるだろうと私が言うと彼は最後にはそれを否定しなくなった。

 しばらくして自宅のベッドで横になる親父に芸人をやめたことを話したとき、親父はどことなく悲しそうな表情をしたがその口から言葉は出なかった。

 でもその表情で何となく親父が言いたいことは伝わってきた…


 結局親父は症状が良くならないままだったが母の介護のおかげで長生きした。

 元相方の田辺は、私と別れてから数年後には名前の知れた漫才コンビになってTVでも活躍したが、しばらくしてそのコンビを解散してからは、同窓会にも現れなくなり、今では何をしているのかも分からない。

 私は23歳で結婚し翌年娘が生まれ現在に至るまで平凡な生活を続けている。

 娘の綾子はもう16歳だ、最近は難しい年頃なのかあまり私とは会話が無い。

 私と妻の関係は悪くないが妻と母は折り合いが悪く、老齢の母が実家で一人で暮らしているのはそれが大きな原因だった。

 気づけばちゃぶ台の上に空のビール瓶が2本、明日は仕事がある、実家から出社となると電車で2時間だ。とっくのとうに寝た早起きな年寄りに起こしてくれるよう言ってあるが、ソロソロ寝たほうがいいだろう…

 

―――


 親父の三周忌から数日が経った。

 週末の今日は寿退社する女性社員の送別会と称し部署の8名全員参加で飲み会が開かれる。部長の私が幹事になり駅前の居酒屋を予約していた。


「ええ〜、田中君の幸せを願いまして〜、乾杯!」

 私がそんな面白みのない普通の合図をすると皆一斉にグラスを鳴らし、それぞれ仕事終わりの体によく冷えたビールを流し込んでいく。

 二年前に私がこの部署に部長として就いてから退職していくのは田中が初めてで、職場のムードメーカー的存在で人気のある田中絵梨の結婚は誰しもが喜んだが、その反面それだけ職場を活気づけてくれていた栄養剤のような彼女が居なくなるのは寂しくもあった。

 これまでの田中絵梨のエピソードで盛り上がりながら時間が経って行く、皆の酒もいいペースで進んでいった。


「絵梨さん、実は好きだったんですよ〜」

 酔っ払って突然暴露したのは、絵梨の三つ下で部内の男では一番若く、顔もいい大卒二年目の吉田だ。

「うっそ〜吉田君、そんなこと一言も言わなかったじゃな〜い、もっと早く言ってくれれば〜」

 田中絵梨が隣に座る吉田の肩をポンポンと叩きながら言った。

「じゃあ、俺も暴露します」

 と言ったのは、絵梨の同期の中村という男で、こいつがこのメンバーの中で一番酒が弱い。

「おれ〜、佐藤さん好きです!」

 突然告白されたのは、部内では一番私に年の近い、三十路を過ぎている佐藤奈美だ、

「も〜酔ったんでしょ」

 実年齢を聞くと誰もが驚くほど童顔の佐藤は笑いながら中村の頭を軽く叩いた。

 中村はふられましたと言って急に右手を挙げ、弱いくせにグラスに半分あったビールを一気に飲み干した。

 それを見て一同は笑い、更に盛り上がっていった。

「中村君より部長に告られたい」

 こんな言葉を佐藤が誰かとひそひそ話で言っていたのが聞こえたような気もした。

「部長も〜何か暴露しちゃいましょうよ〜」

 だいぶ酔っている様子の絵梨が私の顔を見ながらそう言った。

 私はその場の雰囲気に流され思わずぽろっとそれに応えてしまった。

「実は昔、漫才をやってて、ひょっとしたら、今頃はTVに出ていたかも…」


 え〜、という一同の驚きの声、TVに出ていたというのは言い過ぎたかもしれない。

 だが、すぐに予想外の反応が帰ってきた。

「じゃあ、何かネタとかあったんですか?ギャグとか?」

 と言ったのは吉田だ。

 ツッコミの私にギャグなど無かった。だがここでくだらないことをやれば、さっきの発言も冗談だととられ、笑いに変わるだろう、別に隠したい訳ではないが、普段は真面目というイメージもある、あとで文化祭でやった程度だと言えばごまかせるだろう、そこで吉田に向かって私は言った。


「吉田、そのシャツ、わ〜良いシャツだね」

 その場が一瞬シ〜ンとなった。

 だが、誰かが、部長それは無いですよ、といえばそれで笑い話になるのだ。

 しかし、ぶっ…っと誰かが吹きだしたのをはじめに私以外の7名全員が腹を抱えて笑い出した。

「おいおい、何だみんな揃って、そんな大袈裟なリアクションを…」

「部長、何ですかそれ?めちゃくちゃ面白い、はははぁ、お腹痛い」

 と田中絵梨が腹を押さえながら言う。

「他には無いんですか?もっと聞きたいっす」

 中村が真っ赤な顔でこう言うと、何故か一同もそれに頷き私を見ている。

 私は首を傾げながらも調子に乗って小皿を頭に乗せると、

「いや〜ソロソロ私も一旗あげますか、脱サラってね」

 と言って、頭に乗せた皿をテーブルに置く。


 今度は間髪無く全員が腹を抱え笑い出した。

 それは、私以外の全員が笑いキノコでも食べたのではないかと感じるほどだったが、キノコ料理など注文していないはずだ。 

 おまけに、隣の席のグループにも私の言ったことが聞こえたようで、隣席からも笑いが漏れた。

 そんなに面白いのだろうか…

 「もっとお願いします」

 と一同は言い、何かを期待するような眼差しで私を見ている。

 だが、周りの盛り上がりとは反対に私は酔いが少し醒めていた。いくらなんでも、こんなギャグでここまで大袈裟に大笑いするだろうか…

 そこで私は試しにこれ以上ない最低レベルのギャグを言ってみた。

「この間、家の猫が寝込んだんだよ」

 これなら失笑に変わるだろう。


 そんな幼稚園児も笑いそうにないギャグなのに、今度も一同は同様に大笑いし、堪えきれなくなったのか隣席からも大きな笑い声が聞こえてきた。

 しかし、流石におかしい、普通ではない…

 いまどき、いくら酔ってても、猫が寝込んだなどというギャグでこんな大笑いをする奴はどこにも居ない。もし居たとしても、それは誰が何を言っても笑い出すような奴で、今、周りにいる人々は私のくだらないギャグに反応し大笑いしているのだ。

 私は思わずカメラをさがしてしまう、どこかに隠しカメラがあるのでは?素人を対象にしたTVのドッキリ?私にギャグを言わせるように仕掛けたのか?ならば、同僚達は皆、私を騙す側で事前の打ち合わせの上で笑っているのか?私がセッティングした田中絵梨の送別会だというのに…

 どんどんと頭の中に疑問が出てくる。

 

「部長〜面白すぎです」

 田中絵梨がそう言ったとき、隣の席から私よりは少し若そうな30代後半くらいの男が近づいてきた。

 その男はTVプロデューサーの藤井と名乗り私にこう言った。

「自分のお笑い番組で是非ネタをやって欲しいんです、ちょうど明日収録日なのでにそれに参加してくれませんか?明日あなたの自宅に迎えの車を送るので住所と連絡先を教えてください」

「ちょっと待った、これドッキリなんだろ?」

 流石におかしいと思った私は、プロデューサーだという男に向かって言った。

 だが、男は慌てることなく、自然な感じで否定し、自分の席へ戻ったのかと思ったら、誰かを連れて戻って来た。連れて来られた若い男はTVで見たことのある、CMにも出演している若手芸人だった。

 本物の芸能人の出現で、その隣の男が確かにTV関係者なのは分かった。だがそれで私はドッキリだということを確信した。芸人の登場もドッキリ番組の仕掛けなのだろう…

 これで気をよくして家に帰る途中でネタばらしされるのだろうか?

 私はそう考えながらもしつこく連絡先を聞いてくる男に住所を書いた名刺を渡してやった。

 そうすると、大満足のようで、

「明日は必ずお願いします」

 と言い残し、男と芸人は席へ戻っていった。

「部長すごいです、今のプロデューサーが言ってた番組知ってますよね、笑いの神様っていったら今一番人気のあるネタ番組ですよ!」  

 誰かがそう言ったが、私は酔いが醒めて疑心暗鬼になり、その後、ギャグを求められても決して言わなかった。



 帰宅途中も帰宅後も何も変わったことは無いまま、日が変わり、約束通り正午過ぎにTV局から迎えの車がやってきた。妻と娘は朝から買い物に行くと言って出て行ったっきりだ。もしかしたら二人もTV局側の人間なのかもしれない。私は少し前に掛かってきた電話の指示通りスーツに着替えていた。ネタばらしはTV局で行われるのだろうか…

 昨日出会った藤井の部下で柳沢と名乗る若い茶髪の男が車の後部座席から出てきて、私はその隣に座った。

 車が走り出すと柳沢は今日の段取りを軽く説明すると言って喋りだした。

「本来でしたら、収録前にネタ見せというのがありまして、そこでネタの修正点とか時間を調整したりするんですが…、坂本さんの場合、急に出演が決まったので、局に着いたら軽くネタの打ち合わせしていただいてそれから本番になります、僕もまだ詳しくは分からないんですけど、居酒屋のセットでスーツ姿でやって頂くそうで…」

 そう言ってから、柳沢は肩からかけていた鞄の中から封筒を取り出し、

「こちらが、本日のギャラになります、どうぞ」

 と言って封筒を私に差し出した。

 私の手にそれなりに厚みのある封筒が渡された。

 チラッと横目で柳沢を見てから封筒の中を確認してみると、すぐには数えられないほどの一万円札が入っていた。

「いいのか?」

 と思わず訊く。

「ええもちろん、でも普通素人さんにこんなギャラでませんよ。ですけど笑いに関しては本当に厳しい藤井さんが、天才を見つけたって大騒ぎしてたんです、こんな事初めてですよ、それに聞きましたよ、猫が寝転んだ、って最高ですよ、ははっ、猫が寝転んだ」

 柳沢は自分でそう言いながら笑っていた。

 あとで返せと言われるのか…、それともこれがそのままドッキリ番組のギャラになるのか…、私は首を傾げながら試しに訊いてみることにした。

「なあ、これドッキリなんだろ?」

 すると、柳沢は大袈裟に一度仰け反ってから、

「何言ってるんですか、そんな風に思ってたんですか?いまどき素人さんのドッキリ番組じゃ数字なんて取れないですよ」

 と言ってから、

「あとは静かにしてますんで、居酒屋ネタをまとめて置いてください」

 と言って車が信号で停止したタイミングで助手席へ大股を広げ移動していった。


 よく考えれば、ここまで大掛かりに進行してるドッキリだ。ネタ晴らしの瞬間で良いリアクションを撮るために何とか誤魔化そうとするのだろう……、まあいい、この金は本当に貰えそるのかもしれない、TV局が望む画が撮れれば解放されるのだろう、だが私も一時は芸人になろうとした男だ、どうなるか分からないが何かやってやろうか…

 そうして30分くらい私が静かな車内でネタを考えていると車はTV局に到着した。


 TV局の地下駐車場に降りた私は柳沢に連れられ局内に入り、扉横に(坂本笑一様)と張り紙がしてある六畳ほどの楽屋へ通された。柳沢はプロデューサーを呼んでくるので少し待っていてくれと言い部屋を出て行った。

 楽屋は、靴を脱ぐスペースから一段上がると畳が何枚か敷かれていてその上にテーブルが一つ、私はテーブルの側に腰を下ろした。壁掛け時計の下には鏡が三枚も貼られている、芸能人はここで化粧をするのだろうか、ふと時計に目を戻すと13時を少し過ぎていた。時間を確認したおかげで、昼飯を食べていないことを思い出した。テーブルの上に弁当が二つ重ねて置いてあるが食べていいのだろうか…

 そう迷っていたら、扉の向こうから話し声が聞こえ、ノックの後に扉が開いた。藤井を連れ柳沢が戻ってきたのだ。藤井はペコペコと頭を動かし、

「いや〜ありがとうございます、今日はよろしくお願いしますね」

 と言ってから私の向かいに座った。

 簡単な説明をすると言い、藤井は自分の携帯の画像を私に見せながら喋りだした、

「セットはこんな感じです、こちらのテーブルに座っていただいて、昨日のようなすごいギャグを何個か言っていただければOKなんで」

 見せられた画像からすると居酒屋の壁絵をバックに私が座り、客席を目の前に見ながらギャグを披露するらしい。

「ビールジョッキを用意しますんで、それをこう一口飲んでからテーブルにトンと置いて、それからギャグを始める、こんな感じでいきたいんですが」

 ジェスチャーを交えながら藤井がそう説明をした。

「ええと実際にお客はいるの?」

 金曜の夜に放送されているというこのネタ番組を私は見たことが無かったので、番組の雰囲気が分からなかった。

「ええ、100人ほど」

 もし本当にそこに立つのなら、それだけの客の前に出るのは20年ぶりだ。

「空のジョッキ?」

「そのつもりでしたけど」

「本物のビールに出来ますかね、その、緊張するんで…」

 ネタをやる前にネタばらしのパターンもあるだろうが…、もしネタをやるなら何か勢いをつけるものがあったほうが良い。

「もちろん、ご希望なら、すぐに用意しますよ」

 と言って藤井が隣の柳沢に手で指示をすると柳沢は楽屋を出て行った。

 二人きりになった楽屋で藤井は私に、

「一応ネタの確認をさせて下さい」

 と言った。

 そこで私は昨日、居酒屋で言ったようなギャグをいくつか披露した。

 藤井は私が一つギャグを言うごとに大笑いし、

「客の笑いが収まったら次のギャグという形で1分半くらいネタをして頂ければ完璧です」

 と言って部屋を出て行った。

 それから私が弁当を食べながらネタを考えて20分ほど楽屋にいると、扉をノックして柳沢が現れ本番ですと告げた。

 柳沢の背を見ながらTV局の長い廊下を通ってスタジオに入り、薄暗い舞台上の椅子に座らされた私は、司会者の合図のあとに幕が開くので、幕が完全に開き拍手が収まったらネタを初めてくれと言われた。


 司会の男が言う

「続いては初登場、突如現れたスーパーギャグ親父、この人です」

 何を大袈裟な…と思っていると、幕が開き拍手と共に目の前に100人の客が現れた。ここでネタばらしでは無いようだ。ならば…、私は右手に持っていたジョッキを持ち上げると中身を3分の1ほど飲み、意を決し口を開いた。

「どうも、こんばんは、坂本です、え〜漫談やらせて頂きます…」

 私はギャグは一切言わず、話だけで笑いを取ろうとした。

 だが客は誰一人クスリとも笑わず会場はシ〜ンとしている。流石に車の中で急に考えたネタでは無理があったか…、私の話もグダグダになっていく、するとどこかからストップという声がかかり、私の話は中断され舞台の幕が閉じられた。

「ちょっと、坂本さん何やってるんですか!」 

 舞台袖からやってきた藤井が私に詰め寄る。

「いや…、何とか笑いを取ろうと…、どうせギャグを言ったら失笑がおきるんだろう?ならば笑いを取ってやろうと思ったんだよ…」

「何を言ってるんですか?あなたはギャグをやってくれればいいんですよ!」

 藤井は若干怒っているようだ。

「もう言ってくれ、これドッキリなんだろ?」

 はっきりして欲しい、そうと言ってくれれば、こちらもちゃんとリアクションするつもりだ。

 藤井は黙って少し考えた後に言った、

「ええ、そうです、これはドッキリです、あなたが舞台でギャグをやる画が欲しいんです」

 私は一度深く頷いてから、

「この金は出演料か?」

 と、上着の内ポケットから封筒を取り出し訊いた。

「ええ、それはもちろん」

 それを聞いた私は、よし、と言い、今度は必ずギャグをやると告げた。

 藤井は頷き、お願いしますよと言って舞台袖に行くとスタッフに、

「大丈夫だ、もう一回いくぞと大きな声をかけた」

 その声で、照明が変わり、すぐに、本番の声がかかる、司会者が、先程と同じ紹介文を述べると再び幕が開いた。


 客がどういうリアクションを取ろうが、ギャグを言ってやる、それで終わるのだ。覚悟を決め、ビールを少しだけ咽に流し、私はネタを始めた。

「覚悟を決めたんだ、脱皿するぞ!」

 予想外の大爆笑が客席から舞台上に向けられる。

 これまで舞台上で受けたなかで最高の笑いだった。

 まあ、どうせドッキリなのだ…私は笑いが少し収まるのを確認し続けた。

「私は昔これになりたかったんだ、ジョッキーに」

 またしても大爆笑、

「家の猫が寝転んだんだよ…」

 これにも同じように笑いが起きた。

 私はそのままいくつかギャグを続けた。 


「はいOK」

 その声で幕が閉じたがまだ拍手は鳴り止まない。私はセットの椅子に座ったままネタばらしの瞬間を待っていた。

 しかし、いつまで立っても何も起こらず誰も来ない、舞台袖を見ると藤井が手招きをしていた。

 私はどうしたのだと、藤井に近づいていった。

「完璧です、最高でした!次回の収録も絶対お願いします。来週も迎えに行きますので」

「ドッキリはどうなっているんだ?」

 と私が訊くと、藤井はそれはネタをやらせる為の嘘だと言った。


 結局何が何だか分からぬまま、私はタクシー代を渡され、用意されたタクシーで家に向かった。

 残っているのは、家でネタばらし、ということか…

 首を傾げながら、自宅の玄関の前でしばし立ち尽くす、扉を開けるとTVカメラが…

 だが、扉を開けた私の耳に飛び込んできたのは、買ってきた服を試着しながら何か言い合っている母娘の会話だけだった。

 私は、声のする部屋に入っていく、

「あら、どこいってたのよ?」

 と妻が私を見て言う。

 ここでも何もないのか…、部屋には家族しかいない。

「ほら、これ」

 妻が私に見せたのは、男物のコートだった。

「ね、いいでしょ、だいぶ寒くなってきたし、似合うわよ綾子が選んだんだから、ねえ綾子」

「うん、当たり前ジャン、あたしが選んだんだから…」

 娘が少し照れくさそうに言った。

 買い物で疲れて作る気がしないので夕食はピザと決まり、そのまま何でもない休日の夜が終わろうとしていた。

 だが、寝る前に私のスーツを整えていた妻が、内ポケットの封筒を見つけ私に問いただしてきた。

「何って…ドッキリの…」

 と言ったが、妻はまだ顔を顰めている、何だ、家族は知らないのか…、なら会社の誰かだろうか…

 考えながら黙っている私に、妻は厳しく問いただしてくる、結婚前に一度だけ浮気がばれ次にこの女を怒らせたときは自分が死ぬときだと思って以来、妻に隠し事はしていなかった。だが何とも言えないので、競馬で儲かったと嘘をついた。

 妻は、何故わざわざスーツを着て出かけていったのか不思議がったが、

「そういうお金なら半分没収」

 と言って、明らかに半分より多くお札を抜き取ってからそれを自分の財布に入れるため寝室を出て行った。

 一体今日の出来事は何だったんだ…

 どこかでされるのだろうと思ったネタばらしは行われずTV収録が終わった、だがその出演料は手元にある、絶対どこかでネタばらしがあるはずだ…


 だが、翌日も何も起こらず休日は終わり、新しい一週間が始まった。

 職場に着くと、いつもと違うのは田中絵梨がいないことぐらいで、それ以外はみな普段と変わらず仕事をしていた。

 昼休みに、社員食堂に居た吉田に実はドッキリなんだろと問いただしたが、何を言ってるんですかの一点張りでラチが開かない、こいつは口が固い奴だなと思い、ぽろっと喋りそうな中村を見つけ訊いたが、中村も知らないとしか言わず、今度は向こうからネタ番組の収録に行ったのかと質問が始まったので、私はお盆を抱えその場を離れた。


 私はいつか何かがあるのだろうと常に身構えていたが結局その後も何もなく、金曜日の夜を向かえていた。

 私は年の近い営業部の部長と酒を飲み、ここ数日の騒動を一時忘れ22時過ぎに帰宅した。

 ほどよく酔って良い気分で自宅玄関を開けると、その音を聞いた妻と娘が目の前に飛びだしてきた。

「お父さん何あれ?」

 娘の口からお父さんという言葉が出たのは久しぶりな気がする。

「何って?」

「テレビ、テレビ」

「なんだドッキリ番組が放送されたのか?」

 でも、まだネタばらしは撮ってないはずだが…

「ドッキリ?何いってるの、ねぇ、お父さんどうやって笑いの神様に出たの?」

 まさか… 

「あなた、すごいじゃない!あんな面白い芸があるなんて」

 これも演出なのか…

 どうなってるんだ一体…

 もう一度娘に、何が起きたのかと訊く、

「もう、何言ってるの?お父さんが笑いの神様で大笑いとってたんじゃない」

 その直後、携帯が鳴り出す、しばらくメールと電話が鳴り止まなかった。

 電話では、みな口々に同じ言葉を言う、

『TVを見た、すごいじゃないですか、大笑いしちゃいました』

 仕事以外で話したことのない専務から初めてかかってきた電話もこんな内容だった。

「すごいよ、お父さんTV局に入れるんだよね、ねぇ、風の三宮君のサイン貰ってきて〜」

 と娘ははしゃいでいる。

 これは異常事態だ。どうやら、あれが本当に放送され、何故か私のギャグでみんな笑ったのだ。

 何が起きている?あんなの誰でも言える寒いギャグじゃないか…

 

 首を傾げる笑一をおかまいなしに、ことは進んでいく、翌日、笑一のもとに藤井から今日もお願いしますと電話がかかってきた。訳がわからないので出たくない、と笑一が言うと、藤井はギャラを倍にするので頼むから出てくれと言った。

 次の収録、その次…、収録を重ねると、笑一の知名度も上がり、いつしか日本一のギャグ芸人と言われるようになった。

 しかし、笑一には未だにそれが嘘のようで信じられない、みなが自分を馬鹿にしているのだといつも考える、だがそれでは割に合わぬ考えられないほどのギャラが笑一に支払われていく、おまけに、最近では笑一のように寒いギャグをネタにする芸人が増えてきた。実にくだらないそのネタに対しても観客は機械で足されている訳ではない本物の笑い声を浴びせる。

 まるで、国を挙げて笑一をドッキリにかけているかのようだ…


―――


 地上に住む人々の前に、坂本笑一という、天才芸人が突然現れた。

 だが、彼は突然天才になったのではない、彼のギャグ、いわゆる寒い親父ギャグや駄洒落というものの概念が坂本笑一の頭を除いて地上から消え去り、同時に笑一しか知らないそのギャグの笑いの価値は地上で最高の物となったのだ。

 笑一がくだらないと思ったギャグほど、人々は大笑いする。


 笑一の父は私達の知らないどこかで、

『笑一を日本一の芸人にしてくれ』

 と言った。

 笑一の父はそこで願いを叶えられる人に選ばれ、その願いは地上に降下した。


 ある日、笑一のもとに連絡の途絶えていた田辺から電話がかかってきた。

「もう一度一緒に漫才をやってくれないか」と、

 再びコンビを組んだ二人はTVで漫才をやった。

 田辺がずっと暖めていたというネタは完璧で、笑一も感嘆するほどだった。

 だがあるゲストはこう評価した。

「漫才は面白かったよ、でも坂本さんはやっぱりギャグだね」




(終)


まずは読んでいただいてありがとうございます。


これまでで一番日数をかけ、じっくり書いた作品です。

最初はオチが非現実的なので、軽く書こうと思っていたのですが、それでもいつもよりはちゃんと小説っぽく書こうと思い、気づけば1万文字越えしてました。

それでもまだまだ描写等足りない部分はあるかもしれませんが、今はもうやり切った感!


最後に、コメントして頂けるとうれしいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 疑心暗鬼になり過ぎな感じがします! 最近はゲームにしても漫才にしても難しくて単純ではなくなってますよね! すばらしいテーマと内容だったと思います!
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