王子は悪役令嬢を逃がさない
本作品は『悪役令嬢は王子の本性を知らない』の王子視点となります。
読んでいなくても分かる内容だとは思いますが、読んでおくことをお勧めします。
好きだ。大好きだ。
笑うと輝く大きな瞳が。
振り向くと揺れる柔らかい髪が。
王子と紡ぐその赤い唇が。
独り占めしたい。離したくない。見られたくない。触れられたくない。愛したい。愛されたい。
優しく、優しく大事にしたいけど、俺の手で壊してしまいたい。君に近付く者は全員殺してしまおう。
君の欲しいものは全て与えてあげる。君が望むなら世界を焼こう。君が死んだら俺も死のう。
逃がさない。俺から逃げるなんて許さない。
あぁ、君を、どうしようもなく___愛してるよ。
____人生は退屈だ。
そう思ったのはまだ齢5歳の時だった。
ヴェルメリオ王国の国王と側室の間に生まれた子供、ディラン・ヴェルメリオ。王族の中でも群を抜いて成績がよく、出来ないことはない。眉目秀麗、天資英邁。逸材だと言われる第2王子。それが俺である。
幼い頃から何をしても上手くいった。
語学を習えばすぐに読み書きができ、弓を持てば矢が貫くのは必ず的の中心だった。
父上と同じ金髪に母から受け継いだ碧眼をもつこの容姿も美しい言われ、父上もそれなりに構ってくれた。
母は体が弱く、俺を産んだ時に亡くなられたらしいから父上も可哀想に思ってくれたのかもしれない。側室の子供なのに頻繁に王と面会することが許された。
俺は嬉しかった。たとえ、兄上ほどではなくても出来たら褒めてくれる。
そうか、よくやったな、その一言だけでも俺は十分だった。兄上ほどじゃなくてもいい。少しでも俺を認識してくれていればそれで……。
周りも俺を特別だと言う。その才能を王のために使えと。
もちろん頷いた。大好きな父上のために。そうしたらもっと俺を認めてくれる。
この時は幸せだった。まだ俺は子供でいられた。
幸せを打ち砕いたのはまず兄上だった。王と王妃の間に産まれた兄上だったが、俺ほど成績は良くなかったと聞いている。
彼が次期王になることは約束されたも同然なのに、自分よりも出来の良い弟。良くできる側室の子供が父上の周りをうろうろするのが気に食わなかったのだろう。
兄上の気持ちは嫉妬なんかじゃおさまらなかった。自分より出来る弟に自尊心をズタズタにされ、コンプレックスを抱えていた。王妃との間に妹君が産まれ、構ってもらえなくなったのも一つの要因だと思うが。
子供のすることは容赦がなく、残酷なものだった。
兄上は王宮内で第1王子の権力を行使した。
次の日から俺のことを褒め称えていた家庭教師は来なかった。王子は天才ですわ、と嬉しそうに笑った侍女のカトレアも故郷に帰ったらしい。
あの人も、この人も俺の周りにいた人達は一人、一人と消えていった。
兄上がしたことだと気付いた頃には既に王宮に俺の居場所はなかった。
皆俺を避けて通る。今や話しかけてくれる者もいない。ヒソヒソとこちらを見て何か言っている。
心配そうにこちらを見ている者もいたが、手を差し伸べてくれる者は現れなかった。
一日、一日と独りで過ごすうちに心が冷えていくのを感じた。裏切られたと思った。
何より辛かったのは、父上が会いにも来ず、兄上を止めてくれなかったことだった。
王宮の状況は知っているはず。いくら王妃との間に長女が産まれたからってこのまま放置するだろうか。
そこまで考えて、ある一つの結論に至った。
父上は俺を愛していない。
気付いた瞬間、目の前が真っ暗になるような感覚に襲われた。
じゃあ、俺が見てきたのはなんだったんだ。
所詮は側室の子供だった。王子といえど王妃との子供に敵うはずがないのだ。褒められて、浮かれて。結局父上は母親がいない俺へ同情していただけだった。愛情なんかじゃない。
信じていたものが壊されたのは一瞬で、俺の中の何かが音をたてて崩れていった気がした。
それから何年か経って、俺の心はすっかり冷え固まった。
もう、どうでもいい。退屈だ。
良くできた俺の脳みそはスポンジのように知識を吸収しては蓄える。ならば運動はどうだとやってみたが、真似すれば出来てしまう。なんて色の無い、つまらない人生だろう。齢10歳にしてここまで心が死んだ俺は異常だ。
誰か、何かが俺を変えてはくれないだろうか。淡い期待を持ったのも随分昔のことだった。
唯一心を許せたのは兄上が追い払いたくても大臣の息子ということでずっと俺の側近であったシュヴァルツだけ。
「ねぇ、冒険者になろうと思うんだけど、どう思う?」
「はやまらないで下さい」
「別に死に急ぎじゃないよ。ただ強い魔物を倒すってどんな感じなのかな?って。ほら、僕でもわくわくするかもしれないよ」
「はぁ……魔力を持つのは貴方達王族のみですよ。そこら辺に魔物がいたら困るでしょう……」
「なんだよ、夢がないなぁ」
クスクスと笑うとシュヴァルツは呆れたように肩を竦めた。
人と話すのに無表情ではいけない。それはシュヴァルツにさんざん言われた言葉だ。笑顔というのは武器であり、政治や取り引きの時に使える。自分の感情を相手に読み取られずにすむ。
こんなのでも一応王族の端くれなので無理矢理やらされた。死んだ目をして外を眺める俺には尚更必要だと感じたのかもしれない。やけに煩く言われた。
分厚い猫の皮を手に入れ、今日も笑顔を張り付けて過ごしている。当たり障りのない返答、天狗にならない謙虚な姿勢、相手を敬う態度。それを示して始めて人間は心を開いてくれる。自分が心を開いたかのように偽造して、笑って隠す。それが俺の唯一できる精一杯の道化だった。
しかし、そのせいで女が寄ってくるのは非常にうざったい。
「恋をしてみたらどうですか?」
「恋?」
至極真面目な顔をして言ったシュヴァルツに腹を抱えて笑いそうになる。
「恋の何が楽しんだ?お前、そんなつまらない冗談を言う奴だったか?」
「恋をすれば人は変わると聞きました」
「はぁ……女なんて色目使ってすり寄って来る連中ばかりだぞ?くっさい香水を振り撒いてる奴らに態々会いたいと思わない」
「はい、そこでディラン様、お見合いをされてはいかがですか?」
「………それが目的だな」
ジロリとシュヴァルツを睨むが彼は驚く様子もなくまた肩を竦めた。
「王様直々のご命令です。そろそろ婚約者を決めてもいいんじゃないかと」
「……王の……」
「というか、既に手遅れなんですけどね。お見合いの手紙は各貴族の家に送ったらしいですし。ただ伝えただけです」
何かを言う気にもなれず、溜め息を溢す。王の命令なら仕方ない。仕方ないのだが……非常に面倒臭い。
確か、王族の見合いは見合い相手と10分程度二人で話さなければならなかったはず。
ということは……。
「彼女たちがこれ程ディラン様と近くにいられるのはここだけなので必死に自分を売り込むでしょう」
心を読んだようにシュヴァルツが言う。俺はもう一回溜め息をついて、頭を押さえた。
案の定見合いは最悪だった。俺の顔を見て固まり、聞いてもいない話を話し出す。歌が得意だとか、料理が出来るだとか。歌はまだしも貴族の娘が料理などするはずがない。料理する者の手がそんな綺麗なわけがないのに。
にっこりと笑顔を浮かべながら心のなかで毒づく。どいつもこいつも、俺のことなんか見えてない。見てすらない。これのどこが見合いなんだ。
「あと何人?」
どうしても苛ついたように言ってしまう。
シュヴァルツも残念そうに返事をした。
「あと少しです」
「少しって?」
「20人ほど……」
自分の顔がさらに歪んだのが分かった。少し休憩をとろう、と言って肩の力を抜く。
「どうですか?」
分かりきったことを聞くシュヴァルツに少し苛ついた。
「どうもこうもこのザマだ。最悪じゃないか」
「あの料理が得意って言うのは流石に無理があったと思います。頭が弱いんでしょうね」
不機嫌さを隠すこと無く冷淡な目付きで毒を吐くシュヴァルツに少々呆れてしまう。否定はしないが。
休憩を終わらせて、すぐに見合いを再開した。次に入ってきたのは、可愛いというよりは美しい印象のある少女だった。入ってきて、すぐ頭を垂れたので顔はよく分からなかったが綺麗でなんとなく気が強い奴だろうな、と思った。
というか、令嬢で気の強くない女はいない。大抵プライドの塊だ。
礼をし終わると、令嬢の顔がハッキリ見えた。
ふわふわのアイスグレーの髪に、髪色よりも深い色の大きな瞳。成長したら相当美しくなるだろう。
彼女も他と同じく俺を見て固まった。またか、と内心呆れていたが、変な違和感を感じた。
確かに固まっている。俺の顔を見て確かに見惚れているのだが、俺を見つめる瞳は熱を帯びている訳じゃない。照れているようなものでもない。戸惑いと不安が現れている瞳。
見合いで初めての反応だった。
自分も相手の目を見ていたので必然的に目が合う。試しに首を傾げてにっこり笑うと、彼女はハッとし、みるみるうちにその白い頬を紅潮させた。
と同時に俺は非常に落胆した。少しは面白い奴かと思ったのに。
期待を裏切られた気がして少し気が立ったが、ここは自慢の道化で誤魔化す。
その令嬢は、ベルティーア・タイバスと名乗った。タイバス家といえば、かなり高貴な貴族である。歴史の長さでいえば、王族に次ぐほどだ。ドレスが他の令嬢よりも少し輝いて見えたのは錯覚ではなかったらしい。
挨拶をされたら返すのが礼儀。何度も何度も繰り返した挨拶をまた繰り返す。
「初めまして、ベルティーア嬢。
私は、ヴェルメリオ王国第2王子、ディラン・ヴェルメリオと申します」
挨拶は完璧だった。何千回と繰り返した挨拶は文句のつけようもないほど美しく、洗礼されたものだろう。
しかし、それを見た瞬間、その令嬢は頬を紅く染める訳でも、熱の籠った瞳で見つめる訳でもなく_____
ただ遠くを見ていた。
何かを悟ったように、目が据わったのだ。
俺は吹き出しそうになった。本来なら、その態度はなんだと問い詰めてもいいほどの彼女の表情。
だが、それ以上に面白かった。貴族の令嬢のこんな顔は一度も見たことがない。可愛らしい令嬢が笑顔ではなく悟り顔を浮かべている。それも見合い相手の王子の目の前で。
彼女のその表情は俺の心を惹き付けるのに十分過ぎるほどの威力を発揮した。料理が得意だとか歌が得意だとかよりもずっと効果的だった。
その後の会話も全く噛み合わず、彼女はどこかぼんやりとしていて本来なら自分の売り込みをしなければならない彼女が相槌を打ち、何故か俺が自分の事を話しているというシュールな光景できあがった。
一応招待しているのは、俺という事になっているので接待も俺の仕事である。さっきまでの令嬢は話を聞いていればどうにかなったが、相手がなにも話さなければこちらが取り繕わなければいけない。
乗馬だの外国語だの基本どうでもいい内容だったがぼんやりしながらも彼女は、凄いですね、他には何をされているのですか?と上手く会話を成立させてくれたので話が途切れることはなかった。ぽやんとしていながらも聞き上手な彼女には少し感心した。
自分の話をするというのも存外楽しいものだった。
「婚約者は彼女にしよう」
残り19人との見合いが終わり、部屋に戻っての第一声がそれだった。
彼女とは、勿論ベルティーア嬢のことである。
あれほど印象に残った者はいない。もしかしたら彼女が俺の人生を色付けてくれる人物かもしれない、と密かに期待した。
こんなに人に興味を持ったのは始めてだった。
「早速手配しておきます」
シュヴァルツもなんとなく感じていたようで、嬉しそうに頷いた。
そして今、ベルティーアが目の前にいる。ポカンとしていて、家に俺がいる意味が分かってないようだった。
彼女の家にはきちんと伝えたはずだったが……まぁいいか。俺の婚約者だと言ったらどんな反応をするだろう?
「こんにちは、3日ぶりだね。ベルティーア」
「あの……王子。何故我が家に?」
心底不思議だというようにベルは軽く首を傾げた。アイスグレーの髪は相変わらず緩く巻かれていて、彼女の美しさを引き立てているようだった。少し顔色が悪い気がするのは気のせいだろうか。
やはり俺の婚約者になることを聞いていなかったようで、少しムッとする。俺が家に来た時点で分かるはずなのに、全く意識されていないようで腹が立った。
「何故?ベルティーアは僕の婚約者になったんじゃないか。婚約者の家に行くのは当たり前だろう?」
「こ……婚約者!?私がですか!?」
不機嫌さを隠さずに言うと、ベルはとても驚いたようだった。有り得ないというように目を見開く。
「そうだよ。今日から君が僕の婚約者だと名乗っていいんだよ」
にっこりと微笑んで告げるが、ベルは困ったように顔を歪めただけだった。
手を頬に当てて、口を開く。
「は……はぁ……。あの、つかぬことをお伺いしますが、何故私なのですか?
正直に申しますと、私は特別何かをしたような気は全くしないのですが」
彼女の言葉に今度は自分が目を見開く番だった。
普通なら大喜びするところだろう。王族に嫁げるのだ。贅沢だって出来るし、社会的地位も高くなる。
だが、彼女はそれを望んでいないようだった。地位も、金も、名誉も彼女にはなんの価値もない。そんな人間いるはずがないのに、欲のない人間なんてこの世には存在しないのに。
彼女は俺のことを王子として見ていない、俺という人間を見てくれている。そんな気がしたのだ。
再び顔に笑みを浮かべて、口を開く。
「そうだねぇ……。強いて言うなら、面白そうだったからかな」
最初は、ね。
「面白そうですか……」
「うん、なにか不満?」
ベルは腑に落ちないような表情をして、1つ溜め息を吐いたあと、
「いいえ。光栄ですわ。王子」
諦めたようにそう言った。
「うん、よろしくね。ベル」
よろしくね、俺の可愛い婚約者。
その日から、週一日のペースでベルの家へ通った。彼女の事を知りたくて、お菓子やら花束やらを執拗に持っていった。
結果、得られた彼女の好物はなんとイチゴのショートケーキ。一度でいいからワンホール食べて見たいんです、と頬を紅くしながら言ったベルは非常に可愛かった。
「本当に、ベルティーア様のことが大好きですね」
ベルの家から帰る途中の馬車の中でシュヴァルツが言った。
俺は深く頷く。
「そうだね。彼女のことならなんでも知りたいと思うよ」
婚約を結んで早3年がたったが、あれから俺の思いは薄れるどころかつのるばかりだった。
暫くしたら飽きるかと思っていたのに、彼女を知るたびに楽しくなっていく。
「やはり、恋は人を変えますね」
心から嬉しそうに笑うシュヴァルツを見たのは久しぶりだった。コイツはいつもしかめ面だから。
シュヴァルツに吊られて俺も薄く笑う。ベルのことを考えながら馬車に揺られていた。
★★★★★★
時は流れ、俺は15になり行きたくもない学園へ行くことになった。これではベルの家に行く時間が減ってしまう。
ここ数日俺はイライラしっぱなしだった。
「王子、ご入学おめでとうございます」
「ありがとう、ベル。いつも言うけど俺のことはディランって呼んでいいんだよ?」
落ち着いた色のドレスを来て、綺麗にお辞儀をする愛しい婚約者。
相変わらず俺のことは名前で呼んでくれない。少し残念に思いながらもいつもの手土産を渡す。
「今日は、マフィンだよ」
「いつも態々ありがとうございます。これって新しく出来たお店のものではありませんか?わあ、嬉しいです」
ふわっと顔を綻ばせたベルは手土産を使用人に渡し、別の袋を手に持つ。
「私も王子に渡したいものがあるのです」
微笑んで渡してくれたのは、時計とハンドタオルだった。
「これは私からのちょっとした気持ちです。どうぞ、受け取ってください」
ベルからのプレゼントは初めてだった。嬉しくて、言葉が詰まる。入学祝でもなんでもベルから貰ったものは嬉しい。使わずに部屋に飾っておこう。
「ありがとう、嬉しいよ」
素直に礼を言うと、ベルは安心したように笑った。
椅子に座って紅茶を飲みながら雑談する。他愛もない、どうでもいいことを黙々と話す。この緩い時間が俺は気に入っていた。
「あの、王子」
一息ついたところでベルが覚悟を決めたような顔で話しかけてきた。ベルが自分の話をするのは珍しい。
「王子は、恋をしたいと思ったことはありませんか?」
「恋?」
ふと、数年前のシュヴァルツとの会話を思い出した。恋をすれば人は変わるとか話した気がする。
しかし、それがどうかしたのだろうか。
「えぇ、王子もこの5年でさらに格好よくなりました。きっと学園に行ったら私よりも相応しい方がいらっしゃいますわ」
一瞬、何を言われたのか理解が出来なかった。"私よりも相応しい相手"?なんだ、それは。
「……どういうことだい?」
思わず聞き返した。
「今だけでも私のことなんか忘れて青春を謳歌されてはいかがですか?」
は?と言ってしまいそうになったのを必死で堪える。
俺の婚約者はベルで、俺の好きな人もベルなのに、なんで他の女を薦めるんだ?
沸々と怒りが湧いた。スッと目を細めると、ベルがヒッと微かな悲鳴を漏らした。
かろうじて冷静な頭で感情の昂りを抑える。ここで逆上してはいけない。分かっているのに怒りは収まらない。
「君は俺を馬鹿にしてるの?」
感情を抑えて振り絞って出した声はとても低かった。
「め、滅相もない!」
「じゃあ、俺を試しているのかな?」
「そんなこと……」
「好きな人でも出来た?」
「いえ……」
歯切れの悪いベルの回答にさらに怒りが増した。ベルの分かりやすすぎる反応に確信する。
好きな人だって?誰だそれは。殺すぞ。
「ディラン王子。お時間です」
シュヴァルツの事務的な声にハッと我に返る。危ない、感情に呑まれそうだった。
努めて冷静に挨拶をし、その日は王宮に帰った。
ベルには好きな人がいるのだろうか、と人払いした部屋で考える。
誰だ。そこら辺の貴族との接触はほとんど無かったはずなのに。いつ恋に落ちる機会があったんだ。
考えれば考えるほど目の前が真っ赤に染まっていく感覚に陥る。
逃がさない。逃がすものか。
俺の愛せる唯一の女。束縛して、閉じ込めて、俺のものにすればいい。人と会わず、俺のことだけ考えていればいい
いらない。この世界にベル以外いらない。
こんなに愛しているのになぜ伝わらない?なぜ気づいてもらえない?ふざけるな。俺の方が先にベルのことを好きになったのに。ベルの婚約者は俺なのに。どっかの知らない男に獲られてたまるか。
「___殺そう」
殺してしまおう。邪魔なものは消す。ベルの視界から消えろ。
そうだ、ベルをここに縛り付ければいい。鎖で繋いで二度と出れないように。いや、鎖よりも重たいものが欲しい。ベルを決して放さないような………。あぁ、そうだ。子供を作ろう。孕ませて、子供が出来れば彼女はもう帰れない。
そうすれば_____。
狂った頭で狂気じみた事を考えていたら、頬が濡れたのを感じた。なんだろうと拭ってみると手には水滴がついていた。
後から後から溢れて止まらない。自分がぼろぼろと泣いているのに気が付いた。思わず「え」と驚きの声が漏れる。
分かってる。これをすればベルの身体は手に入るけれど、心は二度と得られない。きっと憎しみを込めた目で見られる。笑顔は消えて病んでいく。失った信頼は取り戻せない。
満足感なんて、一瞬だけだ。あとは虚しい気持ちだけが残る。愛のない交わりは寂しいだけだ。
それに俺は無理矢理産まされた子供を愛せる自信がない。きっとベルにしか興味がいかない俺は自分と同じような思いを自分の子供にさせてしまうかもしれない。
駄目だ。心まで俺のものにしなければ駄目だ。
きっとベルには俺との婚約は愛がないと思われている。好きだと言っても照れず、いつも苦笑いするのが何よりの証拠だ。社交辞令とでもおもわれているのだろうか。
どっちにしろ伝わってないなら伝えるべきだ。自分の思いを上手に、さりげなく、何となく感じる程度に。
本心のまま言ってはいけない。ベルは俺の重さについてこれないだろう。きっと、知ったら怖がって逃げていく。
「シュヴァルツ」
短く名前を呼ぶと部屋の外に控えていたシュヴァルツがサッと入ってきた。
「王都付近の貴族達に、俺の婚約者に一切接触するなと伝えろ。余計な動きをした家は潰せ」
「御意に」
まずは他の奴に目移りしないように接触を絶つ。気づかれないように外堀を埋めて、逃げ場を無くせばいい。
ベルを壊すのは俺も壊れた時だ。
★★★★★★
聖ポリヒュムニア学園。貴族は必ず通うヴェルメリオ王国最大の高等学校だ。
貴族に例外はなく、娘も息子も養子も15歳になれば皆入学しなければならない。
それは王子の婚約者とて同じ事だった。この学園内では身分の差はないとされていて、特殊な能力をもっていたら庶民でも通える。
学園外なら王子の権力を行使できるが、学園内になれば通用しない。
この一年間、権力の根回しに時間を費やした。常に学年上位の点数を取り、誰からも信頼される王子。兄上はかなり暴君していたらしいので尚更印象が良かった。ここばっかりは兄上に感謝だな。
入学式も終わり、ベルを探すために学園内を走り回る。
まだ、帰っていないはずだ。ベルに会える日も随分減ったし、久しぶりに会いたい。
息を切らしながら校舎の角を曲がろうとした時、ベルの声が聞こえた。嬉しくなって、ベルと呼ぼうとしたが他の男の声がした。
思わず足を止める。
「友達ですよね。喜んで友達になりましょう。
俺のことはアズでいいです」
「ほ、本当ですか!?わ、私のこともベルでいいです!敬語もいらないです!」
「ふふ、うん。ベルも敬語使わなくていいよ」
浮わついたベルの声と少し低めの男の声。
一年前感じた怒りが再熱しそうになった。
王都では見たことがない男だ。恐らく地方貴族だろう。地方までは手を回していない。
まさか、都外の奴とは……。甘かった。
顔は覚えたし、後で消しておこうか。
そう思い、ベルをもう一度みると今度は女と話していた。
俺に全く気付かず楽しそうに笑うベルが許せない。君は、俺の、婚約者なのに。
なんで、そんな奴に笑いかけるんだ。俺だけでいいだろ?君には、俺がいればいい。
「そこで何をしているのかな?」
思わず女の話を遮って声をかけた。
女は驚いたが予想していたような顔で気まずそうに俯き、勢いよく振り返ったベルは驚愕したように固まった。
「あ、王子……」
「ふふ、だからディランでいいのに」
この怒気を悟られないように笑顔を浮かべて話しかける。しかし、それは難しかったようでベルはプルプル震えていた。
あぁ、可愛いなぁ、震えちゃって。
「ベル、入学おめでとう。君はベルの友達?」
話しかけられた女は少し目を見開いたが、すぐに礼をして挨拶をした。
「……はい、アリア・プラータと申します」
「あぁ、君がプラータ家の……」
確かプラータ家は庶民の娘を養子に取ったはずだ。音楽の才能を持つ美しい少女らしい。まさかこの娘だったとは。
桃色の見たことない髪色に黄金の大きな瞳は潤んでいて、確かに目を見張るほどの可愛らしい。この容姿だったら世の中の男はすぐに堕ちてしまうだろうな、と確信した。どうでもいいけど。
アリアと名乗った女はしまったというようにフッと俺から目を反らした。
どうやら、自分の行いを反省したらしい。プラータ家にはきちんと伝わっているし、彼女もしつこく当主から言われたはずだ。
「じゃあさ、知ってるよね?」
ベルに近付いたらどうなるか。
「……は…い。王子」
「彼にもちゃんと伝えておいてね?」
「御意に」
怯えたように返事はしているものの、震えてはいない。中々芯のある女だ。
ベルの友人なのも頷けた。
「では、私はこれで。王子、ベルティーア様、失礼します」
優雅に挨拶をし、颯爽と去っていった。睨まれた気がしたがどうでもいい。今はベルだ。
「さて、ベル。ここで何をしていたのかな?」
「え?」
不安げにこちらを向いたベルの顔が凍った。きっと俺は笑えてない。猫を被るのも限界だった。
「ベル、俺は怒ってるよ」
そう、俺は怒っている。
本当はなにを話していたのか、アイツがベルの好きな人なのか、問い詰めたくてしょうがない。それをギリギリ残っている理性で抑えているのだ。
ベルがさらに顔色を悪くする。さっきとは比べものにならないほど震えていた。
あぁ、怖がらせちゃったかな?全く、しょうがないなあ。
ベルの恐怖を少しでも軽減できるよう、笑顔を浮かべたつもりだったが逆効果だったようで、ベルはひぃと短く悲鳴を上げた。
騎士の前ではそんな顔しなかったくせに。嬉しそうに笑っていたくせに。
俺じゃダメなのか。6年間も一緒だっただろう?俺の方がベルを知っている。なのに、なんで。
「ベルの好きな人って彼かい?」
疑問に思っていたことが口から溢れる。
ベルは狼狽えた。分かりやすすぎるよ。
「いえ、違います。彼は友達です」
そんな嘘に騙されるほど俺は落ちてない。嘘だろ、ベル。少なくとも君は俺よりも彼のことを想っているようだった。
婚約者である俺よりも、彼を。
「友達の彼のことは愛称で呼ぶのに、俺のことは一回も名前で呼んだことないよね?」
ベルと呼んでいいのは俺だけなんだ。
俺のことをディランと呼んでいいのも君だけだ。
「王子、王子って。君のなかで俺は彼よりも下の存在なんだね。それとも友達以下かな?」
「そ、そんな、つもりは……」
お願い、ベル。気付いて。俺の気持ちに気付いて。俺をもっと見てよ。
俺の言葉にベルはハッとしたように目を見開くと同時に、申し訳なさそうに顔を歪めた。
そんな顔をして欲しい訳じゃないのに。
「ベル、君は美しいよ」
ベルが意を決したように顔を上げるのに合わせてアイスグレーの髪にキスをする。
ベルは驚いたようだった。
「俺ってベルの婚約者だよね?」
戸惑ったように、視線をさ迷わせるベルを腕の中に閉じ込める。
「ベル……ベルは俺のものだよね?」
君は優しい。今まで出会ってきた人間の中で一番純粋で綺麗だ。相手を思いやることがどんなに人を救うか君は知らない。
そんな優しい君は今の俺を見てどう思う?ベルは俺を見捨てない。いや、見捨てられない。親の愛を受けれずに育った可哀想な子。同情は俺の最も嫌う感情だが、それでもいい。ベルが自分の意思で俺を選ぶことが重要なんだ。そうなる過程はさほど大切ではない。結果論だ。
ベル、受け入れて。君は俺のものだ。俺だけのものだ。決して放さない。誰にも渡さない。
俺を求めて、感じて、愛してほしい。
「そうです。私は王子のものです」
息を吐くようにベルが耳元で囁いた。肩の力が少し抜ける。俺は安堵と歓喜に打ち震えた。
認めた。ベルが俺を認めた。今だけでもいい。言質はとった。
「あ、あの、王子……」
「ディラン」
「あ、はい、ディラン様」
素直に従うベルに更に機嫌がよくなる。
「ベル、さっき言った自分の言葉。忘れないでね?」
にっこりと心からの笑みをベルに向ける。俺の笑顔を見て、ベルの顔がサァと青白くなった。
もう遅いよ、ベル。
「友達を作るのは良いことだ。彼と仲良くすることも」
ベルは俺に言った。折角だから学園生活を大切にしろと。
俺の世界にはベルがいればそれでいいけれど、ベルの世界は俺ほど狭くない。友人も、クラスメイトも彼女には必要なものなんだろう。
それは咎めない。ベルが俺の隣を選んでくれればいいんだから。………だけどね、
「これだけは覚えておいて欲しいんだ」
ベルの耳元で囁くように告げる。
「あまり仲良くし過ぎると俺、何しちゃうか分からないよ?」
もし、ベルが俺を選ばなかったときは俺が壊れる時だ。
ベルは俺のことを可哀想な奴だと思っているかもしれない。もしかしたら俺の本性を薄々感じているかも。
だけど、俺は君が思っているほど弱くない。自分が不幸だと思ったことがないし、これが世界の理だと割りきれるほど醒めている。俺が変わったのは愛だの恋だののお陰ではない。ベルのお陰だ。君がいるから俺は腐った世界を生きている。
愛を受けれずに育った俺は、不幸じゃない。
だって君が俺を選んだ瞬間、俺は永遠の幸福を手に入れられるのだから。