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英雄

 幼いアイリスの目には頑健そのものにしか見えなかったイーグル=ヘイズだったが、実は戦時中右腕を負傷していた。最大の敵国の砦を攻略する際追った刀傷は、幾度も無傷で難局を潜り抜けて来た彼が、戦場(いくさば)で初めて負った傷だった。


 王都に帰還したばかりの彼はヘイズ邸に留まる事となった。そして様々な戦勝祝いに請われて出席し、戦後処理の会議に駆り出された。勿論その花道の道筋や脚本は、ほぼイーグルの息子でありフォーンの父であるディアと、アイリスの父であるバードが描いたものである。彼等は軍神改め、いまや『英雄』となった彼の権威を利用し……つまり虎の威を借りつつ物事を優位に進めていった。

 イーグル自身は息子達の思惑に気が付いていたものの特にそれに否やを唱える事はしなかった。ある程度息子達の方針を認めていたと言うのもあるが、正直長い戦場暮らしの中で行って来た刃の刃先を歩くようなギリギリの攻防を終えた後では、ただ粛々と目標に向かって決まった儀式を遂行していくと言う不確定要素の少ない退屈な作業に、さして関心を抱けなかったと言うのが本音だった。


 左利きのイーグルが右腕に負った傷など正直負担になるようなものでは無い。しかし『初めて傷を負った』という事実に、何か一つの区切り、啓示を与えられたような気がしてならなかった。自分の役割は既に終わった―――走り続けて来て今、ポッカリと空いた落とし穴に嵌ってしまった気がした。


 このままこの穴の中で冬眠しても良いのじゃないだろうか。精神的に自分は燃え尽きてしまったのだ、老兵は去るのみ……そんなフレーズが繰り返し浮かんで来るからどうしようもない。


 そしてそのポッカリと空いた穴の中に差し込む、明るい日差しがある。


 孫のフォーンとその遊び相手であるアイリスだった。健やかな若い命を目の前にしていると、戦場の悲惨さも情熱も、悦楽をないまぜにした全能感やともに命を削った仲間との一体感も―――それら全てが遠い過去の物のような気がしてくるのだ。殺伐とした火事場を散々歩き尽くし、焼け残った燃えカスのような自分が、今では幼い孫達の格好の遊び道具になっているのだと思うと、何やらおかしみさえ感じてしまう。


 味方には『軍神』と護符のように崇め奉られ、敵方には血塗られた魔王のように恐れられ、国の為、領民の為、家族の為に甘んじてその役割をこなして来た。

 そして今の自分は新たに『英雄』と言う役名を与えられた。戦場で戦う相手がいれば、まだ良い。最近イーグルは思う。全てお膳立てが整った場所でお決まりの台詞しか要求されないなら、誰がここに立っても変わらないのではないか、と。


 いい加減飽き飽きして来たのだ……そうだ、隠居しよう。これからはもうずっと領地に引き籠って犬を構いながら、たまに子供達の遊び相手でもして暮らすことにしよう。―――なんて日和った思考が、宴席で下らない世間話を聞かされるたび、判を押したように繰り返される賞賛とその裏に籠められた思惑を嗅がされるたびに浮かんで来る。


 戦場に連れて行った五匹の犬達のうち一匹は敵兵の矢に貫かれ、一匹はイーグルを庇って敵に立ち向いその相手に首を刈られ、一匹は砦に隠れていた相手の将を発見した代償として受けた刀傷が元で、死んでいった。

 イーグルは無事だった二匹を連れ帰り、ヘイズ邸の犬舎に引き取った。戦場で息を引き取った三匹のように命までは失わなかったものの死線を彷徨うこと数度、既に元のような働きの出来る体では無かった。つまり騎士団に彼らの居場所はないのだ。




「マル、ムイ!」




 その二匹とじゃれ合いながらパタパタと駆けてくるのは、男の子のような装いで豊かな赤毛を三つ編みで一纏めにした女の子、アイリスだ。フォーンがそれを見守るように後を付いて来る。その様子をイーグルは微笑ましく眺めた。


 まだこの子達は戦場を知らないのだな……と思い、すぐに否と思い直す。


 この子達には一生戦場を知らない人生を送って貰いたい。


 そのためには大根役者なりに『英雄』役をしっかり演じようではないか。そしてこの舞台が開けたら―――領地に引っ込んで老犬の世話でもしながら暮らそう。


 ……アイツにも苦労を掛けたな。


 もう三年以上も顔を合わせていない、領地を守って暮らしている妻の事を思い出す。今はディアの妻、サクラの支えを受けイーグルの妻であるアイビーが夫達領主代理として、その土地を守っている筈だ。


 戦後処理が終わったら……とイーグルは思う。さっさと領主をディアに譲って隠居しよう。そうだ、もう攻めて来る敵国も全て平定してしまうのだから領地にある山城も必要ない。今後は護りに強い城では無く、街に開かれた山裾の館に拠点を置けば良い。あの山城を貰おう。そうして妻を連れて移り、ついでに戦場で傷ついた老犬達を引き取って暮らせば良い。それとも今まで領地に引きこもっていた妻を、温泉が自慢だと言っていた部下の領地にでも連れて行ってやろうか。そうだ、それが良い!


 ……と勝手にイーグルが腹を決め半年ほど粛々と『英雄業』をこなした後、領地に凱旋すると言う名目で一旦里帰りをした彼が目にしたのは……病に侵され、ベッドに力なく横たわる妻だった。


 彼女はイーグルの邪魔にならないよう、自分の体調についてこれまで彼にずっと知らせないよう、息子夫妻に言い含めて来たのだ。当然、王都に暮らすフォーンにもそれは知らされていない。イーグルが戦場に経ってから三年と半年が経過し、その間弱っていくアイビーは徐々に領地経営を息子の妻であるサクラに引継ぎ、ここ一年はほとんどサクラが領主代理の役割を担ってきた。


 イーグルは深い悔恨を抱き、そのまま領地に引き籠る事になった。


 国王の度重なる懇願を跳ねのけ戦場で受けた傷を理由に軍を退役し、騎士団を部下に任せ爵位も息子に譲ってしまった。その際戦勝の褒章として与えられたばかりの侯爵位と領地さえも息子に譲ろうとしたが許可されなかった為、仕方なく諸国を放浪していた次男を呼び寄せ代理領主としたのだった。

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