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カムイ

 走り去ったフォーンの後をジョンとミラが追いかけていく。カムイはクゥーンと心配気に鼻を鳴らして木の周りをうろついていたが、ある時ピンッと耳を立て二匹が走り去った後を思い出したように追いかけて行った。


「カムイぃ」


 最後の一匹も走りさって独りぼっちになると、途端に心細さが膨らみ始めた。


「うっ……」


 飲み込んでいたものが、喉の奥の方から押し出されてポロリと零れた。自分から登ると言った手前、せめて涙は見せまいとアイリスは自分を律していたのだ。だけどそんなアイリスを見張っている者はもう誰もいない。(ちょっとだけ)と自らに嗚咽を許した途端、堰を切ったように盛り上がった雫が、後から後から溢れて出て来てしまう。


 アイリスは自分が『女の子』だと知っている。


 だけど初めて仲良くなった男の子であるフォーンは綺麗で優しくて……男の子だけど自分と同じ仲間のように思ってしまったのだ。だから女の子も男の子も大して変わらない。実際犬達と遊ぶのだって自分の方が躊躇いなく接しているくらいだから、男の子並みの勇気を自分が持っているのだと錯覚していたのだ。


 実際は―――一つ年上の男の子であるフォーンが軽く登れてしまうくらいの高さでも足を震わすぐらい……一人で降りる事もできない程度の勇気しか持ち得ていない。自分の奢りと弱さが、梢を揺らして吹き抜ける風に乗って突き刺さる。


 アイリスがそう自覚した通り、実際フォーンは彼女を一つ年下の女の子として扱っていた。一歩引いて無茶をしがちな妹のような存在を、揶揄いつつ見守っていたのだ。だからこそ、自分がフォローしきれない状況に彼女を陥らせてしまった事に、大いに慌てた。一人ぼっちになった六歳の彼女が、どんなに心細く思うか想像する余裕が無いほどに。そう、フォーンもまだ、たった七つの幼い少年に過ぎなかったのだ。




「ウッ……オン!」




 カムイの吠え声が間近で聞こえ、アイリスは幹にしがみつくように伏せていた顔を上げた。ゴシゴシと袖で涙を拭い木の根元を見下ろすと、先ほど走り去った筈のカムイが木の幹に前足を掛け立ち上がるようにこちらを見上げている。


「カムイ!」


 ポッと胸に温かい灯がともり、アイリスは表情を緩めた。するとカムイは「ウォン!」と再び返事をするように一声鳴き、それからパッと幹から離れてまた来た道を戻って行ってしまった。


「あっ……行っちゃった……」


 その後ろ姿を追っていたアイリスの視線が突き当たる先の藪が、バサリと突然別れて人間が現れた。


「ここか?」

「……あっ……」


 分厚い藪のカーテンを開けたのは、とても大きな男の人だった。


 神話に出て来る狼に似た神獣に似ている、とアイリスは咄嗟に思った。

 牙が無いのが不思議なくらい猛々しい雰囲気の彼は、足音があまり立たないしなやかな足取りでいつの間にか木の根元まで辿り着いていた。灰混じりの黒髪を後ろに一つで纏め、腕を組んで木の幹にしがみつくアイリスを睨みつけている。


「坊主、どうした」


 『ボウズ』と呼ばれたことも意識できないまま、鷹に睨まれた蛙のようにアイリスは震えた。完全にその雰囲気に呑まれてしまっていた。眼光の鋭さに身震いがして―――喉がひりついて声が上手く出ない。助けを求めたいのに。


「あっ……うっ……」

「クウゥ~ン」


 カムイがその大きな男の膝裏を、催促するように鼻づらでグングン突つく。その言葉を理解したように男は顎に手を当てて呟いた。


「ふむ、降りられなくなったのか」

「……!」


 口に出されて指摘された途端、恥ずかしさにアイリスは真っ赤になった。頷くのがやっとだ。鋭い視線と厳つい表情をピクリとも崩さないまま、その男は彼女の方へ大きな手を伸ばしたのだ。


「さぁ、来い。掴まれ」


 背の高いその人の伸ばした手はすぐそこにあった。


 途端に恐怖が綺麗に吹き飛んだ。アイリスは夢中で手を出しその手を捉える。するとあまりにも簡単にヒョイっと体が浮いた。


 次の瞬間、アイリスは大きな分厚い腕に抱き留められていた。


 ギュッと瞑った瞳を開くと、目の前に大きな鋭い瞳と白髪交じりの口髭があった。その首に捕まったまま、アイリスは食い入るように口元の髭に見入ってしまう。いつも寝る前に抱き着いている父親は毎日髭を剃っていたので、ブツブツとした無精髭に育ったところを見たことはあっても、そんな風にモシャモシャした髭を間近に見たことが無かったのだ。


「なんだ」


 珍し気に自分の口髭を眺めるアイリスに向かって、男は眉を上げた。見入っていた口元からお腹に響くような音が出て来て、彼女は我に返る。




「女の子か!」




 そう言って破顔した笑顔に、アイリスは惹き込まれた。

 次の瞬間、彼女は漸く自分が男の子に間違えられたのだと気が付き、再び真っ赤になってしまった。




「アイリス!」




 大きな体の向こうから聞きなれたフォーンの高い声が響いて来て目を向けると、アイリスを抱き上げたままの男が、彼女の心を読み取って動く乗り物のようにクルリとそちらへ向き直った。使用人を引き連れてジョンとミラに先導されるように走って来たフォーンが、アッと声を上げて立ち止まる。


 その様子を目にして、アイリスは気が付いた。自分を助けてくれたこの厳つい髭の男が誰なのかを。




「おじい様!!」




 黒い騎士服に身を包んだ、尋常ならぬ気配を纏ったこの体格の良い男は―――フォーンの祖父にしてゴールド国騎士団の大将軍、軍神と言われるイーグル=ヘイズその人であったのだ。

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