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ヘイズ邸

 バードの思惑通りフォーンと接することで明るさを取り戻したアイリスは、父親が思い描く以上に元気になってしまった。

 初めのうちは良かった、と遠い目でバードは数ヵ月前を思い出す。




 侍女と使用人を伴ってヘイズ家を訪れ、犬を愛でて持参したお菓子をフォーンと食べる。そんな日々を過ごす内に、これまで静まり返っていた館がアイリスの弾んだ声が響くだけで違う館かと思えるくらい雰囲気が変わり始めた。


 忙しい仕事の合間を縫って館へ戻ると、可愛らしい明るい色のドレスを纏ったアイリスが迎えてくれる。


「お父様、お帰りなさい!」


 そう言ってスカートを翻し飛びついて来る。夕食の話題はいつもヘイズ家の事だった。フォーンとその犬達と、どのように時を過ごしたかと生き生きと語り始めるアイリスをバードはまなじりを緩めて耳を傾けたのだった。

 部屋に閉じこもってばかりで表情も乏しかった愛娘が、すっかり明るくなったことを実感するたび、バードはフォーンに感謝の念を抱いたものだ。




 しかし少々その元気が行き過ぎているようだ、とある日気付かされたのだ。


 仕事の都合で早く帰宅する事になったバードは、帰宅がてら遊びに行っているアイリスを馬車で拾おうとヘイズ家に立ち寄った。そこで見たものは―――


 長い赤茶色のふわふわした髪を編み込みにして一つに束ね、男の子が着るようなズボンとシャツを身に着け、犬にまみれて転がる娘の姿だった。


「あ……アイリス?!」

「あっお父様!」


 一方でアイリスは後ろ暗い所など何もないかのように、朗らかな声を上げた。後で問い質した所、最近はドレスが邪魔だからとヘイズ家に行く時は常に男装で過ごしているらしい。それからバードが夕食を取りに戻る前にお風呂で体を洗い、すっかり何事も無かったかのように身支度を整えて彼を待ち構えているのだと言う―――だから忙しいバードは、それを知らなかったのだ。


 満面の笑顔で走り寄って来るアイリス、その後ろをフォーンが追いかけるように付いて来る。抱き着かれた時思わず「うっ……」とバードは呻いてしまった。


 アイリスは泥だらけで埃っぽくて……犬にさきほど顔を舐められた所為か独特の獣臭いにおいを漂わせていたのだ。


「バード様、こちらに直接いらっしゃるなんて珍しいですね。どうなされたのですか?」


 フォーンの方はズボンの膝を少し汚してはいるものの、サラサラした黒髪も乱さぬままで、埃っぽくも無い。対するバードの愛娘アイリスと言えば、結んだ髪もアチコチ跳ねてちょっと見はフォーンの従者の男の子……いや、と言うより犬舎担当の使用人の子供にしか見えない。


 バードは溜息を吐いた。飛びついて来たアイリスの背を左手で撫で、右手で自らの顔の一部を覆う。


「お父様?どうしたの?……具合でも悪いのかしら?」


 しかし首を傾げるアイリスには屈託など感じられない。きっと自分の格好を見て父親が内心頭を抱えているなどと、考えてもいないのだろう。むしろ自分の事など構わず、父親の不調を気に掛けているくらいだ。


(優しい娘、なんだよなぁ……人を気遣えるくらい明るくなって)


 自分の思い描いた通りの結末にならなかったが、結論として良かったのだとバードは心に言い聞かせて苦笑する。

 なに、この子はまだ子供だ。いずれ女学院に通い始めればそれなりに身なりや作法に気を遣えるようになるだろう―――いや、なってもらわねば困るが、と。


「いつもこんなに泥だらけなのかい?」

「え?ああ、うーん……いつもはもう少し泥だらけでは……ないわよ。ねぇ、フォーン?」


 バードから体を離して、助けを求めるようにフォーンを振り向く。フォーンは溜息を吐いて腕を組んだ。


「いえ、いつもこんな感じです」

「フォーン!」

「嘘ついたってしょうがないだろ」


 軽口をききあう二人は、さながら兄妹のようだ。仲が宜しくて大変結構、と自分の心を宥めつつバードは諦めたように笑った。


「随分仲良くなったもんだな」

「「仲良く……?」」


 キョトンと目を丸くしたアイリスとフォーンの目が合う。


「アイリスは僕とって言うより、犬達の方と仲が良いんだよな」

「うん!ジョンとミラとカムイが大好きなの!あ、でももちろんフォーンのことだって大好きよ」

「……犬の次にね……」


 溜息を吐きつつも、諦めたように優しい瞳でアイリスを見守る黒髪の美少年を眺めて、バードは笑った。


「フフフ……分かった、分かった。フォーン、いつもアイリスが世話になっているね。君と犬達のお陰で随分アイリスは明るくなったんだ。……さて。もっとヘイズ家の皆と遊びたい所だろうが―――明日早く出なくちゃならないから、今日は家に帰る事にしたんだ。アイリス、諦めて今日は私と一緒に屋敷へ帰ろう」

「う……はぁい」


 名残惜しそうに足元でフンフン鼻を押し付けている犬達を眺めつつ、アイリスは頷いた。フォーンは「またおいでよ」と水色の瞳を優しく細め、アイリスを宥めたのだった。






 帰りの馬車を汚さないように布でくるまれたアイリスと向かい合って座ったバードは、思案気に顎を擦った。


「ふむ、惜しいな」


 アイリスが問い掛けるように顔を上げる。


「何が『おしい』の?」

「あ、いや」


 フォーンとアイリスの気の置けない様子を目にしてバードは思ったのだ。フォーンが将来アイリスの婿になってくれたら、と。ただフォーンはヘイズ家の嫡男であるから、婿に迎えると言うのは無理な話だ。彼の美貌の母に生き写しと言われる容姿は、勿論輝かんばかりに美しい。が、見た目だけでなく気立ても良さそうだ。おまけにあの『イーグル=ヘイズ』の孫で、王宮随一の頭脳を持つディア=ヘイズの息子だ。一領主、一人娘の親としては喉から手が出るほど欲しい。きっと飛び切りの優良物件に育つ事だろう……。


「フォーンに兄がいたら、と思ってな」

「お兄様?」

「フォーンは一人っ子だろう?」

「そうねぇ、フォーンも兄弟が欲しいって言ってたわ。だから私が妹になるわって言ってあげたの」


 『妹』ねぇ……と、バードは腕組みをして溜息を吐いた。まぁ今の状態でお互い意識されたら色々と問題だろうから、それくらいの関係で良いのかもしれない。結婚相手、とまで行かなくてもアイリスが家督を継ぐ時、若しくは婿を取って領地を切り盛りする時ヘイズ家のフォーンと言う信頼できる兄妹のような相手が存在する事は、彼女の力強い後ろ盾となる事だろう。


「そしたらねフォーンはこう言ったの!『妹』じゃなくて『弟』の間違いだろ?って。失礼しちゃうと思わない?」


 プンと頬を膨らませて拗ねるアイリスの可愛らしさに、思わずバードは噴き出してしまった。




(アイリスもフォーンも、まだまだ子供だな……)




 と、バードは何故かホッと胸を撫でおろしたのだった。

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