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英雄の選択

「アイリス、結婚しよう」




 顔を覆って俯く彼女の背中に―――予想もつかない返答が返って来た。




「―――」




 イーグルの口から発された言葉が、混乱したアイリスの頭の上をツルツルと滑って行く。漸くその意味を彼女が捕らえたのは、グイッと大きな手に強制的に振り向かされ、肩をガッチリと固定されてからの事だった。


「俺と結婚してくれ。そうすればお前は、少なくともヘイズ家にいられる。カムイ達と離れる必要もない」

「え……あの、ええと……イーグルさま……?」


 あまりの衝撃の大きさに、アイリスは今まで激高していたことも忘れてしまう。自然と顔を覆っていた手が下がり、呆けた小さな顔が露わになった。ボンヤリと自分よりずっと高い所にある、その厳つい髭面を彼女は見上げることしかできない。その唐突過ぎる申し出の意味を漸く理解したものの、やはり依然としてそれを飲み込めぬままだった。


「でもあの、フォーンが……その、私フォーンとローズの邪魔にはなりたくなくて……」


 イーグルと結婚、という唐突な申し出についてどうこう考える以前に、まずそれが頭に浮かんだ。フォーンとローズの結婚に割り込むような事をせずとも、例えばイーグルの言うように彼と結婚して屋敷に住むことになったら、顔を合わせるたび彼等は嫌な気分になるのではないか、と。そんな場合ではないのにアイリスは二人の気持ちを心配してしまう。


「なに、それは心配いらん。そろそろ俺は領地に戻ろうと考えていてな。犬達も一緒に連れて行こうと思っていたんだ。王都の屋敷にいなければ、顔を合わせる事もほとんどないだろう?何か行事があったって、俺一人が出席すれば良い話だ。お前に無理を言うような人間は、例え国王だろうと俺が黙らせる―――お前は好きなだけ、気の済むまでヘイズ家の領地でカムイ達と暮らせば良い」


 ポカンとアイリスは口を開けたまま、緑色の瞳をまあるく見開いて唖然としている。


「それに俺にはもう立派な跡継ぎがいる。今更、子をもうける必要もない。だから結婚と言ったって正式な家族になると言うだけで―――今までと変わりなく過ごせる」


 それは世間で『白い結婚』と呼ばれる、性交渉を介在しない結婚の提案だった。


「ヘイズ家の領地は内陸の山間(やまあい)にあって、ここより少々雨が多いが山城の周囲は犬が駆け回るのにこれ以上ない環境だ。狩りをするのも良いし―――それに以前山城に籠る前に改修を済ませたから、古いがなかなか快適に過ごせるぞ。山を下りればサクラ……ディアの妻の管理している屋敷の周りは街道の結節点で賑わっているし、王都と変わらないくらいの品揃えらしいから好きな物を取り寄せるのは造作もない事だ」


 先ほどの緊張感など無かった事のように楽しそうに語るイーグルに、アイリスは戸惑いながらも口を開いた。


「あの、でも……イーグル様にご迷惑をお掛けする訳には……私などの我儘のために、無理をなさる必要はないと思います。そんな事をしては、イーグル様が世間になんと言われるか……あの本当に……ごめんなさい。私興奮して、イーグル様に酷いことを……」


 イーグルを血迷わせてしまったことに、アイリスは慌てた。冗談かもしれない、しかし目の前の男性が冗談を言っているようには、まるで見えなかったから―――アイリスの心臓は、ドキドキと早鐘のように動き始めた。このままでは壊れてしまうかもしれない、と思うほどに。もし彼が本当に本気でそう言っているなら―――我が国の英雄に、そんな誹りを受ける汚点を付けてはいけない。ただアイリスはそんな風に焦ってしまったのだ。




「いや、そんな事は無い。むしろアイリスの本音が聞けて―――本当に良かった」




 肩に置かれた大きく硬い掌が、イーグルを見上げる小さな頬を包み込んだ。アイリスを見下ろす藍色の瞳は、何処までも濃く清んで―――暖かく柔らかく彼女を包み込むように優しく細められていた。その瞳に晒されて、アイリスの心の中にあった冷え切ってしまった暖炉に、ポッと火が灯ったようなような気がした。



「これは良いアイデアだと思わないか?アイリスはカムイ達と暮らせる、王都の屋敷や社交界から遠ざかれば煩わしい奴等と顔を合わせる必要もない。しかし、お前の気持ちが落ち着いてまたこっちに戻りたくなったなら―――王都のヘイズ邸にも社交界にも連れて行くぞ?王宮だって行きたいなら連れて行ってやる。それまでは俺は山城に引き籠って狩りでもしながら、犬と馬の世話をする。勿論アイリスも一緒だ。そうだゴートも連れて行こう。どうだ?楽しそうじゃないか……?」

「……本当に楽しそう……」




 イーグルが描いた理想の暮らしに、うっとりと緑色の目を細めたアイリスが、ハッと我に返った。


「いえ、でも……その……」

「何だ?何でも正直に言ってみろ」


 アイリスは恥ずかしそうに俯いて、顔を染めた。


「その……『白い結婚』というのは……イーグル様はお困りになるのでは?」


 孫とも思っているアイリスに、そんな心配をされてしまったイーグルは思わずフッと口元を綻ばせた。


「アイリスには悪いが、俺はまだあきらめていない。お前が次に好きな相手が出来た時、その相手に嫁ぎたいと思った場合に事実上の夫婦となった男がいたら支障があるだろう?本当ならお前を養子にしたい所なのだが―――バード達が頷かないだろうし、跡継ぎの問題が絡めばややこしくなる。お前を駒にしようと考える不埒な男が現れるかもしれないからな」


そう、今回のフォーンの騒動のように……。と言う言葉をイーグルは飲み込んだ。


 アシュリー家のようにアイリスを食い物にしたいと考える存在が更に湧いて出ては堪らないのだ。ましてやアイリスはフォーンよりもずっとか弱い。イーグルだってその内死んでしまう。フォーンは頼りにならなそうだ。イーグルの死後、アイリスが自分の身を守るのが難しい状況に追い込まれるのは絶対に避けたい。その点、親子関係では無く婚姻関係であれば、解消してしまえばそんなシガラミに捕われる危険も薄くなるだろう。実際はそんな簡単なものでは無いかもしれないが、そんな事態に陥らないようこれまで使おうとも思っていなかった権力を総動員してアイリスを守ろうとイーグルは決意したのだ。




「そんな……そんなこと……私はもう恋なんて一生しません……」

「それならそれで構わない」




 戸惑うアイリスに向かって、藍色の瞳を細めてニッコリとイーグルは笑った。


「ずっとヘイズ家にいれば良い。どちらでも俺は構わんぞ?それにアイリスが傍にいるなら、生い先短い人生も楽しいからな。カムイ達も喜ぶし―――なに、これはお前の為だけに言っているのではない」


 キョトンと、アイリスは首を傾げた。


「喪が明けてから、とにかく周りがうるさくてな。嫡男も次男も孫もいるから必要ないと言っているのに、後妻にどうかと娘を押し付けて来る輩が多いのだ。今は次男に経営を押し付けてはいるが実入りの良い土地を陛下に褒賞として賜ってしまったし、一代限りの侯爵位も押し付けられてしまったしな。金と名誉目当てで擦り寄って来る者の相手をするのは面倒なんだ。そう言う奴等は睨みつけるだけで良いが―――いちいち追い払うのも、うるさくてかなわん」


 アイリスは目を丸くして、それから眉根を寄せた。


「そう言うあからさまに利己的な奴等は、まだ良いんだ。本当に面倒なのは、本気で俺を心配して後添えを取れと言って来る昔なじみや元部下達だ。若くてまだ前途のある娘を本気で差し出そうとするんだ―――この老いぼれにだぞ?娘たちも良い迷惑だろうに。それが純粋な親切心からの行動だから、尚更困るんだ」


 イーグルはこう言っているが、救国の英雄に自ら嫁ぎたいと父親に訴える妙齢の娘は実はかなり多かった。彼女等の父親も、当然信者と言えるほどイーグルに心酔しておりことある毎にイーグルの武勇伝を娘や息子達に語って来た。その影響を受けた娘達がかなり年上とは言え、頼りがいも経済力も名誉もある、人品卑しからぬ英雄に憧れるのは当り前の流れであった。




「……」




 アイリスはその言葉を聞いて、考えこむように苦し気な表情を浮かべた。心の中で葛藤するような表情を目にし、イーグルは労わるようにそのフワフワとした赤い髪を撫で、彼女の手を取って跪いた。




「アイリス、俺と結婚してくれないか」

「―――はい」




 咄嗟にアイリスは応えていた。その返答の早さに、イーグルは目を丸くして思わず問い直した。


「本当か?」

「はい、お願いします。イーグル様、私と結婚してください」


 そして今度はキッパリと、跪いて彼女を見上げる藍色の瞳を見据えて返答した。


「そうか」


 感慨深げにそう口にしたイーグルは次の瞬間立ち上がり、アイリスの小さな体を抱き寄せ持ち上げた。




「わっ……イーグルさまっ……!」




 それからグルリと一回転して、ストンと軽い体を地上に下ろす。再びイーグルがアイリスの両手を捕らえた時、アイリスが見上げたその顔は―――破顔一笑。


「では早速許しをいただこうか、お前の『お父上』に」

「え、あっ……はい」

「ククク……俺が『父上』などと呼んだら、バードは腰を抜かすであろうな?」


 如何にも可笑しそうに肩を揺らし始めるイーグルを目にしたアイリスも、とうとう口元を綻ばせた。




「そうですね―――きっと倒れてしまうと思います」




 悪戯を思いついた共犯者のように、二人は目を見交わすと思わず笑い出したのだった。

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