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 そこへ、お茶とお菓子を運んで来た黒髪の青年スクイラルが現れた。アイリスは彼に見えないようにそっと涙を拭って、笑顔を見せる。


 その様子を見てイーグルは再びショックを受けていた。


 真っすぐで、明るい場所で笑っている幼い子供だと思っていた。例え背が伸び、もうすぐ成人と言う年齢になったと言え楽し気に犬達と戯れる彼女の笑顔はあどけなくて。何故見抜けなかったのだろう?幾度となく修羅場をくぐって来たイーグルは抜け目ない敵や、人の目を盗んで手を抜いたり不正を働く部下などを見抜く力には長けていた筈だった。


 イーグルはかつてやるべき事を成し遂げ自分を頼みとして重用した主を失い、漸く労わってやれると思っていた伴侶にも十分に報いる事ができずに失ってしまった。イーグルの乾いた心を癒していたのは、恐ろしい事も悲しい事も知らないように笑うアイリスや、その周りを元気に跳ねまわる犬達、そしてアイリスと心から楽しそうに言葉を交わす孫のフォーンだった。


 そして気付く。アイリスはいつだって誰かを出し抜く為ではなく、周りの空気を明るくさせることの為に弱い自分を押し込めて来たのだ。悪意の無いその偽装は、嘘では無くある意味真実なのだ。しかしそれを見抜けなかった自分を、イーグルは情けないと思った。




「わっ美味しい……!」




 一瞬意識を飛ばしてしまったイーグルの耳に、彼女の明るい声が届いた。その響きが覚醒を促す。


「スクイラル、ありがとう!」

「はい、喜んでいただけてようございました。では後ほどまた伺います。あ、お替りが必要な時は―――」

「ふふ、分かっているわ。カムイに呼びに行って貰うから」

「はい。いつも通り、よろしくお願いします」


 『いつも通り』


 そう何の裏心も無く返すスクイラルの言葉に、アイリスは動じることなくニッコリと微笑んだ。その場を辞すため頭を下げるスクイラルにヒラヒラと手を振る。その背中を見送っていたアイリスは―――クルリと振り返り『いつも通り』笑った。


「イーグル様!美味しいですよ」

「ああ」

「あっ!私ったら。これはイーグル様に用意して貰ったお菓子なのに……」

「いや、ウマいな」


 アイリスの明るい声に励まされるように、イーグルはホロホロと崩れる、くちどけの優しい焼き菓子を一つ手に取って口に放り込んだ。そしてそのまま紅茶でゴクンと流し込む。


 そして何事も無かったように、お茶の時間が時間が過ぎて行った。アイリスは女学院での授業の内容や弟の成長についてイーグルに面白おかしく報告してくれた。イーグルは目を細めてそれを聞く。その一時、何の変哲もない広場の空間は時を巻き戻したように『普通』だった。一瞬この幸せな時間が……この先もずっと続くのかと錯覚をしてしまうくらいに。


 そして小一時間ほど経過する頃―――アイリスは「もう帰らないと」と言って席を立った。







「アイリス……いつでも遊びに来るが良い」


 ついイーグルがそう口走らずにはいられないほど、その時間は『いつも通り』自然なものだった。


「はい。……と言いたい所ですけど、難しいですね。これ以上二人の邪魔をしたくありません。今まで無神経な態度を取っていて、更に二人が婚約してまで居座るって……かなりの意地悪ですし。もうこれ以上嫌な人間になりたくないし、二人にそう思われるのもツラいです」

「そうか……」


 アイリスならそう言うだろうと、何処か彼は予想していた気がする。口惜しい気持ちは残るが、頷くしか無かった。アイリスはフフッと笑って顔を上げた。


「イーグル様、今まで本当に有難うございました。家族同然に扱ってくれて……私、とても幸せでした。あの、もうお会いする機会はほとんど無いとは思うのですけれど……一つできればお願いしたいことがあって……」

「なんだ?」


 何でも叶えてやろう、とイーグルは思う。

 宝石でもドレスでも何でも良い。記念に何か欲しいと言えば形見分けとして譲ろう。犬達が欲しいと言えば、立派な犬舎をペイトン家に建ててやっても良い……しかしバードが犬の毛を吸い込むとくしゃみが止まらない体質であるから、それは難しい。何とか離れた土地を確保して―――そう、ヘイズ家の領地にこっそりアイリスを招くのであれば、彼女も気兼ねなく出入できるのではないか?頻繁には無理かもしれないが。などと忙しなく心の中で算段してアイリスの『お願い』の言葉を待つ。




「私……イーグル様の本当の孫だって思っていても良いですか?誰にも言わないので―――心の中だけの勝手な想像ですけど……私、ここのお屋敷の、ヘイズ家の一員だって思っていたいんです」

「アイリス―――」




 後ろ手に手を組んで、ニコリと笑うアイリスの頬にはもう涙の跡はない。その笑顔を見て―――すっかり枯渇し尽くしたと思い込んでいた、涙が浮かびそうになった。

 イーグルは大きな手を伸ばし、衝動的にアイリスを抱きしめる。




「ああ、アイリス。勿論お前は私の大事な孫だ。今までも、これからもそれはずっと変わらない」

「ありがとう……ございます」




 ギュッと大きな体を抱きしめ返すアイリスの細い腕。


「公言したって構わんぞ。何かあったら俺の名前を出せば良い。皆怖がって言う事を聞かざるを得ないからな。俺の『孫』を虐める奴がいたら、このイーグル=ヘイズが黙っていないと言ってやれ」


 イーグルは冗談めかして殊更明るくそう返した。アイリスが笑っている間は、そうして笑っていようと思ったのだ。




「はい」




 アイリスは頷くと、一歩退きスッと体を離した。


 それからペコリと頭を下げて―――直ぐに体を翻し、林の向こうへ消えて行った。

 イーグルはその背中が視界から消えるまでその場所に立ち止まったまま見送っていたのだが、とうとう最後までアイリスがこちらを振り向く事は無かった。







 その数日後、暫く魂が抜けたように考え込んでいたイーグルは決意を固めた。そして珍しく早く屋敷に戻ったディアをエントランスで捕まえる。


「ディア、早いな」

「父上……!」


 硬い表情はこれからイーグルが言おうとしている事を読んでいるからだろうか。察しの良さだけはイーグルもこの息子には敵わない。イーグルは顔色を読むのではなく、相手の顔色を変えさせる方が早いと考えているからだ。


「俺は領地に戻る。だがその前にフォーンの事で余計な口出しをさせないよう、アシュリー家の奴等を黙らせておく。それとローズを娶るとフォーンが言うなら、アイツ等との関係を断たせろ」

「父上……!」

「何だ?」


 ディアが眉を顰めたので、イーグルは反論するのかと身構えたが、息子の態度がそれとは少し違うのに気が付いた。


「アシュリー家の扱いには賛成です。そしてご協力有難うございます。父上が動いてくれるならそれは造作も無いことですから―――ただ」


 ディアは厳しい表情のまま、声を落とした。何か大きな声では言えないことなのかと了解したイーグルは一歩息子に近付いた。するとディアは低い声で父の耳元に囁いた。


「アイリスの事です。バードが弱り果てていて―――女学院を辞めて修道院へ入ると言い出したので、バードは怒って彼女を部屋に閉じ込めているのそうなのですが……それ以来彼女が食事を取らないそうなんです。認めてくれるまで何も食べないと……」

「なんだと」

「正直そこまでフォーンの事を想っているとは、認識していませんでした。兄妹みたいな仲の良さだと思っていたし、フォーンより幾らでも良い相手はいると思いましたから。暫くは落ちこむかもしれないが、もう一月も経っていますし、アイリスも元気そうだというので……こちらで幾つか相手を見繕いまして、バードも乗り気でアイリスに打診をしたのですが―――」


 イーグルも以前までは、そのように考えていた。彼女を裏切るような真似をしたフォーンでは無く、もっと良い男、嫁ぎ先があるはずだと。アイリスも落ち着けばそちらの方が良いと理解するだろうと。


 しかし数日前、ここを訪れたアイリスの見せた苦し気な表情、彼女の告白を聞いて―――それは間違いだったのだと気が付いたのだ。またしてもイーグルは後手に回ってしまった。何故あの後、ディアとバードにアイリスをそっとしておくように念を押さなかったのか。


 ただイーグルは、彼女がヘイズ家をこっそり訪れた事を内緒にして欲しいと言い残したから、それを守っていただけだった。アイリスの心情を誰かに漏らすのを躊躇っていた、とも言える。しかしそんな悠長な真似をしていては、守れる筈のものも守り切れないのだ。




「俺が行く」




 イーグルはディアの肩をグッと握って、ギロリとねめつけた。その迫力と握力の強さに、ディアは思わず顔を顰める。


「アイリスのことは任せろ。ペイトン家に先触れを出して置け、俺が直ぐに向かうと。アイリスを説得する」

「父上……分かりました。直ぐに手配します」


 こうしてイーグルは、部屋に戻り着衣を整えて馬を用意させた。


 馬小屋から少し距離のあるところに設置されている犬小屋から、カムイがクゥーンと鳴き声を上げるのを聞いて、一度そちらへ歩み寄る。


「カムイ、アイリスの所へ行って来る。元気になったら連れて来るからな」


 そう言うと取って返し、鞍を着けた馬の手綱を受け取るとひらりと跨った。そしてそのまま、屋敷の門を出てペイトン家へ向かって馬を走らせたのだった。

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