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出会い

 六歳になったアイリスは父バード=ペイトンに連れられてヘイズ家を訪れた。五歳の頃に不慮の出来事で母親を亡くし、ショックで屋敷に引き籠るようになって以来彼女はめっきり笑顔を見せなくなった。一年経って漸く少し愛娘の情緒が落ち着いて来たのを見計らって、バードは同僚の文官であり友人でもあるディア=ヘイズの六歳の息子と引き合わせる事を思いついたのだ。




「君が……アイリス?」




 応接室に案内され、ディアに挨拶をするバードの後ろに隠れていたアイリスに声を掛けたのは、サラサラと揺れる漆黒の髪に透き通ったような水色の瞳の美しい少年だった。物怖じしている様子を目に留め、気遣うように回り込み彼女の顔を覗き込んでいる。

 彼は父親のディアから母親を亡くした可哀想な少女に、兄貴分として優しく接するよう言い含められていたのだ。


 真面目なフォーン=ヘイズは父の指示に最初戸惑いを抱いた。一人っ子で親戚や友人と呼べる相手は男の子ばかり。これまで同年代、ましてや年下の異性と親しく接する機会に恵まれなかったからだ。どのように接したら良いか見当も付かなかった。


 しかしこの愛らしい赤茶色の髪の少女を目にした途端、心の底から優しくしたいと言う感情が湧き上がって来たのだ。将来は騎士団に入ってカッコイイ騎士になりたい!と憧れ始める年頃でもあったから、胸の内に湧き上がる庇護欲は大層フォーンの男としてのプライドを擽った。


 アイリスは不意を突かれてパチパチと瞬きを繰り返す。緑色の瞳は珍しい宝石のようで、フォーンはその丸い瞳に魅入られたようにマジマジと顔を近づけた。


「……うん」


 小さく頷く桃色の頬はもちもちとして美味しそうだと、フォーンは思った。アイリスは恥ずかしそうにおずおずと尋ね返す。


「あの……あなたのお名前は?」

「フォーン!ねぇ遊ぼうよ、ウチで飼っている犬を見に行かない?」

「……犬?……犬がいるの?」


 アイリスの緑色の瞳に光が宿り始めた。うずうずと欲求が足元から湧いて来て、溜まらず彼女は盾にしていた父親を見上げる。するとフッと笑顔になったバードが鷹揚に頷いた。


「ああ、いいよ。行っておいで」


 彼女の眉間がパァッと明るくなるのを目の当たりにして、バードは自分の目論見が半分成功した事を知る。ここ一年ほどついぞ見せたことの無い明るい表情で、アイリスはフォーンを振り返った。フォーンは得意げに笑みを返し、大きく頷いて彼女の小さな白い手を握ったのだった。




「犬は何処にいるの?」

「屋敷の裏に犬舎があるんだ!」




 明るい子供達の声が響き大人達が目を細める中、少年と少女は応接室を楽し気に飛び出して行った。ディアが部屋に控えている使用人の一人に目配せをすると、頷いた若い青年は薄く微笑みながら二人の後を追う。


「どうやら上手く行きそうだな」


 彼等の出て行った扉を見つめながらディアが呟くと、ホッとしたようにバードが肩を落とした。


「ああ助かった。しかしこんなに直ぐに打ち解けられるとまでは思わなかったよ。君の教育の成果かな?将来のヘイズ家の領主は人心を掴むのがお上手なようだ」

「私の教育、と言うより父の影響だな。アイツは私のように文官を目指すのではなく、我が国の軍神たるイーグル=ヘイズに憧れているからな」

「そうか……しかし君がいるからこそ軍は進軍も補給もスムーズに行えるのだし、戦時下で内政が崩れずに形を保っていられるのだがな。戦場で剣も槍も振り回さない地味な仕事の重要性は―――小さな子供にはまだ理解しづらいのだろう」

「その言葉はそっくり君に返すよ」


 クスリと微笑みを交わす二人は、現在王宮で一番忙しいと目されている二十代の文官である。いまだ最高権力を握るには至っていないが、実質人事と情報を握り政務を動かしているのは明白だった。いずれ時が来ればしかるべく地位に納まる事だろう。


 求心力のある現国王のもと次第に諸国は纏まりつつあり、近年は情勢を見極めた小国が自ら同盟を持ち掛けて来る事案も多くなった。つまり戦わずともあちらから降伏してくるのである。こうなると和睦の手続きを進め内政を纏める作業を担う文官は、大忙しである。


「忙しいのにすまなかったな」

「なに、私も妻に任せきりで息子の顔を見る機会にも最近ほとんど恵まれ無かったから、良いきっかけになったよ。このままじゃフォーンは父親の顔を忘れていただろう」


 冗談交じりに肩を竦めるディアの肩をバードは笑いながら叩く。軽口をきいている間に侍女達がすっかりお茶の用意を整えてしまったので、二人は一息つくことにした。薫り高い紅茶に口を付け、座り心地の良い椅子に背を預ける。


「最近は『ゴールド軍の影を見るだけで相手が降伏を申し出る』と言う、まことしやかな噂が立っているらしいぞ?」

「それも我が国の軍神様の御威光ありき、だな。見た目も恐ろしいが更には影まで恐れられるようになるとは―――我が父上ながら溜息が出るよ。比べられる身にもなってくれ」


 軍神と呼ばれるゴールド国の大将軍イーグルの嫡男でありながら、ディアは優秀な文官として戦場では無く王宮で才能を発揮していた。厳つい体躯と恐ろしい眼力を持つ父からは瑠璃色の瞳を、母からは柔らかな笑顔と濃い茶色の髪を受け継いでいる。

 これまで戦場で刀傷を浴びた事が無いと言うほど槍術の技術と勇猛さで名を馳せているイーグルだが、もともと幼少期から語学に堪能であらゆる兵法書や学術書の翻訳を熟すほどの明晰な頭脳の持ち主である。だからこそ猛将と呼ばれ騎士団のトップである大将軍の地位を拝命しているのだし、軍事について右に出る者がいないとさえ言われている。


 ディアは父親の身体的な能力はほどほどにしか受け継がず、その明晰で冷徹な頭脳だけを受け継いだのだ。


「幼い頃は辛かったな。剣術試合で……特に棒術で負けると『本当にイーグル=ヘイズの血をひいているのか』などと陰口をきかれたものだ」

「可哀想に。……おお、だからこんなにもひねくれてしまったのか……!」

「ハハハ!確かに。お陰で他人の裏の顔を知る事が出来たよ。もし私が槍術に秀でていたら、たぶん周囲に持ち上げられて今頃鼻っ柱だけが強い甘やかされた男になっていただろう」

「そう言う意味でも偉大な御父上に感謝、だな。いつも感心するよ、虫一匹殺さないような甘い笑顔で、よくあんなエゲツない事が出来るよなぁってさ」

「……それは果たして褒めているのか?」

「褒めてる、褒めてる!じゃなきゃ、軍に優秀な人材引っこ抜かれまくりの王宮の内政が今ごろグチャグチャになっていたさ。我が国を見守られている太陽神の配材は流石としか言いようがない」


 冗談の応酬でひとしきり笑い合った後、バードはスッと真顔になって声を落とした。


「本当に出来過ぎの父を持つ君には同情を禁じ得ないが……しかし『イーグル=ヘイズ』が君の御父上である、と言う事には心底ゴールド国を見守りたもう太陽神に感謝している。彼が敵国の将軍だったらと思うと……ああ、そんな事を想像しただけでゾッとするよ!」

「全くそれには俺も同感だ。あの人が身内で、しかも我が国に忠誠を誓う騎士で本当に良かった。だからフォーンは遠征中の父上を太陽神の化身のように、頭に押し戴かんばかりに尊敬しているのさ」

「我が国の男子であれば、押しなべてそう言う反応になるのが当然だろうな。何せ国を挙げて彼の武勇を喧伝しているんだ。彼はゴールド国の旗印、決して折れても地に落ちてもいけない存在だ。……俺達がこぞって民と騎士団の士気を上げる為に広告塔にしているのだからな」

「クク……違いない」




 少年少女が明るい陽の光の差すなか無邪気に犬と戯れている間、このように文官二人のお茶会の話題は、軍事から王宮の懸案事項である戦乱終息後の人事、それから市井の貨幣と塩の品質悪化問題……と移り変わり、結局職場にいるのと何ら変わらない時間を過ごす事となったのだった。

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