バード
バードが夜会での騒動を聞きつけたのは、王宮だった。ディアと翌年の予算案について遅くまで話し合っている時に知らせが届いたのだ。一報を受けて眉間に皺を寄せたディアが飛び出して行き、二時間ほど経過した後ヘイズ邸に呼び出された。
「何があったんだ」
「フォーンがしでかした。マッキノン子爵家の夜会で令嬢に乱暴を働いたらしい」
「乱暴……?」
およそフォーンのイメージとは結び付かない不穏な台詞だ。バードは思わずその真意を尋ねた。
「休憩場所として開放されている部屋で、マッキノン子爵の親類の令嬢と居る所を抑えられたようだ。令嬢が戻って来ないので、その父親と子爵が探していたそうだ。もともとはフォーンが酔って体調を崩したのを、その部屋に子爵が案内したようだが……」
「……。そのマッキノン家の親類の令嬢とは?」
漂うきな臭さに、バードは眉は顰める。
「ローズ=アシュリー。男爵家の娘だそうだ」
その名前に聞き覚えがあるような気がしたバードは、目を眇めた。
「ローズ……最近アイリスと親しくしていた、あの?」
「ああ、一度アイリスに連れられてこの屋敷にも訪れているらしい」
「アシュリー……『アシュリー』ね」
バードは遠くを見るように記憶を探りながら、顎を撫でた。
「最近聞かないが……確かそう、羽振りの良かった時期があったよな?」
「鉱山で随分潤っていたらしい。王都で派手に豪遊し始めた時はあまりの不作法さに周囲も目を顰めたようだが、鉱脈が途切れてそれ以来振るわないようだ。すっかり見なくなったな」
「……嵌められたか?」
その令嬢の親戚が催した夜会、と言うのがそもそもキナ臭い。その上アイリスを通して急速にフォーンに近付いていた、と言う事実も仕組まれたものだと思えば納得できる。鋭いバードの視線を受け止めたディアは、首を振った。
「それが分からん。状況を見ればそうとしか思えないが……肝心のフォーン自身が黙り込んでいるから始末が悪い。首を縦にも横にも振らないから、痺れを切らしたマッキノン家の当主から連絡が届いたのだ」
「その令嬢……ローズ嬢はなんて言っているんだ」
「それも言葉を濁すばかりではっきりしないらしい。現場を抑えたアシュリー男爵とマッキノン子爵は、フォーンに無体を働かれた、本人は羞恥とショックのあまり言葉が出ないのだと主張するばかりで。発見された時、彼女のドレスは引き裂かれた状態だったそうだ」
バードは顎を撫でて訝し気に呟いた。
「嵌めるつもりなら、ローズ嬢がそれを主張する筈だろう。……解せんな」
「しかしアシュリー男爵には、予想通り遠回しに持ち掛けられたよ『ヘイズ家と将来縁を持てれば、早いか遅いかなどと言う事には触れる必要が無い。何が起こったかなど取り立てて騒ぎ立てるつもりは無い』とね」
皮肉気に片頬を上げ、ディアは肩を竦めた。ローズ嬢の気持ちはどうあれ、アシュリー男爵とマッキノン子爵は、すっかり乗り気なようだ。と言うか最初からそのつもりでお膳立てをしたのだと考えた方がむしろ分かり易い。
「ほう……」
バードは苦虫を噛みつぶしたような顔で呻いた。余程自分の娘の魅力に自信があるのか、若しくはヘイズ家を見くびっているのだろうか。ペイトン家も敵に回すような真似が出来るのは余程豪胆であるか、軽率であるかどちらかだろう。一時期の見っとも無い豪遊振りを見れば、後者である事は明らかであろうが。
「つまり『アシュリー男爵家のローズを娶るのであれば、騒ぎにはしない』と……こう暗に脅している訳だな」
ディアはフッと苦笑を零した。子供時代から散々嘲笑されてきたひねくれ者は、これしきの侮辱では簡単には激高しない。落ち着き払って、質屋に入れられた質草を検分するかのように目を細める。常に彼の頭にあるのは、次にどう出るべきか、それのみである。些末な事で感情を泡立たせている時間は持ち合わせていないのだ。
この稚拙な猿芝居に対してどのような役割を演じるべきか、考えるべき事はそれに尽きる。
「まあ、平たく言えばそうだな。本来なら何も無ければ無視を貫くことも厭わないが……おそらくあの男爵の抜け目ない様子を見ると、根回しに噂をばら撒くくらいは既に実行しているだろう。そうなれば真偽など関係ない。ローズ嬢を娶るのであれば一時ある事ない事言われるかもしれんが、醜聞とまでは行かないだろう。が、捨て置き半年かそこらでフォーンとアイリスが婚約式を上げるとなると……ヘイズ家はおろかペイトン家、つまり婚約したアイリスにも令嬢を弄んだと言う悪い評判が付き纏うこともあり得る」
「どちらにせよ、面倒なことになるな。其処まで考えて、捨て身で仕掛けてきているとなれば……アシュリー家の財政はかなり悪いのかもしれん。例えば財政破綻寸前、若しくは領地経営の失策で爵位返上か領地を幾つか移譲せなばならない状況に陥っているか。鉱脈が途切れる前に堅実に貯め込んでおけば良かったものを……持ち慣れない金を持った田舎貴族は質が悪い。それにしても―――」
それまで冷静に話を進めていたバードは、急に込み上げて来た怒りを処理しきれずテーブルに拳を叩きつけた。
「事実を明確にした上でどう対処するか決めねばならんのに、一体フォーンは何故黙っているんだ」
バードはディアほど無感情を貫ける性格では無い。ましてや愛娘のアイリスに関する事なら尚更だ。常に沈着冷静を貫くディアでさえ、彼の気持ちが分かり過ぎるほど分かるだけに、彼が激高する様を見て何も言えずに押し黙った。
ディア自身も、態度には出さずとも息子に対して腹立たしい気持ちで一杯だった。バードは愛娘のアイリスの為に腹を立てていたが、ディアについては少し怒りの色合いが違う。
まず、そんな稚拙な手練手管に落ちてしまった息子を情けないと思う。
次にもし騙されたのであれば、それはそれとしてその事実を踏み台にして次にどういう手を打つか直ぐさま思考を巡らせ行動するべきだし、またもし訴えられた通り、実際その令嬢に手を出した、もしくは出そうと考えたなら―――男として自分で自分の舵を取るべきなのだ。
アシュリー家はどうあれ、ローズ=アシュリーは見栄えも良く女学院での成績も優秀らしい。思春期の男が、その色香に惑うのはありきたりの話だ。人間不信の塊だったディアに至ってはそのように浮かれた色恋などにうつつを抜かす暇は無かったが、周囲の学生達の惑いっぷりは目にしているので、平和な時代に育った息子が足を踏み外す事があっても、それほど驚きはしない。
しかしそれならそれで、令嬢を弄びその上で容赦なく切り捨てるのか、若しくは一番あり得ないことだが本気で娶るつもりで手を出したなら、そのように主張し事前に周りを巻き込むよう働くべきだ。
それを当主であるディアが受け入れるか受け入れないかは別問題だが、拒まれる事を想定して強硬手段に出たのなら、何故今曖昧に口を噤む必要があるのか。
要するにディアは、バードにヘイズ家の嫡男である自覚が足りない事に腹を立てているのだ。騙されるぐらいならむしろ騙して陥れろ、それが出来ないなら偉大なイーグル=ヘイズのように豪胆に自己を押し通すくらいの気概を見せろと言いたかった。
あと一年足らずで成人になろうとしているのに、流されてただ惑っているような男にはヘイズ家を安心して任せられない。ディアが心配していたフォーンの甘さ、それをアイリスとの結婚を餌に鍛えようと思って来たのだが―――どうやら成果は出せそうもない。
「フォーンは何処だ?」
フォーンに直接問い直したいと主張するバードを、押しとどめる理由も無い。フォーンをほぼ軟禁の形で閉じ込めている私室へ案内した。
しかしバードは、いざフォーンと対峙した時、強い非難や追及をする事は結局出来なかった。
既に祖父であるイーグル=ヘイズに詰問され、ボコボコに殴られて貴公子と呼ばれた美しい顔を見る影もないほど腫らし、体中に走る痛みに堪えながら立ち上がろうとする様子を目にすれば―――ずっと将来の息子とも思い接して来た少年に対して、憐憫の気持ちを抱かずにはいられなかった。まだ成人前の少年がこれほど責められた様子を目の当たりにして、更にそれ以上責め立てられる筈も無い。
毒気を抜かれたように落ち着いた質問を投げかけるバードに対して、時折痛む体に眉を顰めつつフォーンは礼節を保った態度で対応したが、やはりほとんどの質問に口を閉ざし回答を拒んだ。
しかし、一つだけきっぱりと彼が言い切ったことがある。
「申し訳ありません。アイリスとの婚約は……無かった事にしてください」
そう言って深く頭を垂れたフォーンを、バードはそれ以上追及する事は出来なかったのだ。




