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プロローグ

 朝靄が徐々に薄らいで来て、森に包まれた武骨な山城に穏やかな陽の光が降り注ぐ。

 犬舎の世話をする使用人が扉を解放すると、五匹のシェパードが思い思いに飛び出して来た。犬達は楽し気に赤毛の少女の周りをグルグルと周り、撫でて貰おうと先を争ってかわるがわる飛びつく。


 その様子を愛し気に目を細めて眺めている男がいた。

 先の大戦の最功労者であるゴールド国の英雄イーグル=ヘイズである。


 一般的な成人男性より一回り以上大きいガッチリとした体躯、灰混じりの黒髪は短く刈られ、切れ長の眼光はその名前の通りまさに鷹のように鋭い。しかし少女を見る眼差しは春の光のように温かいものだった。


 イーグルは戦乱で左腕に傷を負った。それを事由に八年前退役し、数多の遺留の声を退け伯爵位を息子であるディア=ヘイズに譲り王宮からも姿を消した。暫くして一時期王都に腰を据えたものの、ある事情から再び月の大半をヘイズ領で過ごすこととなる。

 現在彼が暮らしているのは、ヘイズ領にあるかつての山城である。大戦後の戦乱も落ち着きを見せる中、現領主であるディアは拠点を城下町により近い山裾の居城に移した。隠居したイーグルは森に囲まれた山頂にある武骨な城から、街を見下ろしつつ余生を過ごしているのだ。




「アイリス、こいつらの相手はホドホドにしてお茶にしないか」

「イーグル様!」




 イーグルが声を掛けると、アイリスと呼ばれた少女はパァッと花が咲いたように笑った。犬達を引き連れて小走りにイーグルに駆け寄り、いつものようにピョンと大きな体に飛びつく。


「はい!喜んで!」


 飛びついて来た彼女を抱き留め、その勢いのままイーグルがクルリと一回転すると、少女の柔らかな赤毛がふわふわと舞った。ストンとその華奢な体を地上に戻すと、イーグルは紳士然として肘を差し出した。アイリスはクスリと笑ってその太い腕に手をのばす。


 そうして彼は少女を庭に面したテラスへとエスコートした。元は武骨な山城であるが一部改装が施されていて、小さな庭園と庭園に面したテラスは、お茶を楽しむ為に設けられた実用よりも居心地の良さを重視した空間となっている。犬達は暫く名残惜し気にアイリスとイーグルに纏わりついていたが、テラスの手前辺りでついに諦め、いつもの散歩コースである森の中へと走り去った。


 イーグルの腕に手を添えて歩くアイリスは、彼と居る事が嬉しくてたまらないと全身で表すようにニコニコと微笑んでいる。が、その微笑みはテラスのテーブルが目に入った所で僅かに強張った。


 テーブルには既に客人が一人、席に着いていて、イーグルとアイリスを見とめると恐縮した様に立ち上がった。涼し気な眉目にスッキリとした鼻梁の見目の良い淡い茶髪の男性は、先ほどまでイーグルに槍術の指導を受けていた若い騎士だった。


「アイリス、紹介しよう。近衛騎士団に所属するシール=ブロウズだ」

「初めまして、アイリス様」


 礼節正しく微笑むシールに、一瞬の躊躇いを押し込めて彼女は微笑みを返し手を差し伸べた。


「初めまして」


 シールが彼女の小さな指先を取って頭を下げる。その様子を満足気に見守っていたイーグルがテラスの脇に控えていた中年の侍女に頷いて見せると、彼女は用意していたカートを押して菓子と茶器の準備を始めた。


「さぁ、アイリス。今日はお前の好きなサクサクした菓子を用意したぞ。席に着こうか」

「はい、有難うございます」


 甘い物をそれほど必要としないイーグルは、いまだにそのアイリスの好きな菓子の名前を覚えられない。しかしいつもならその菓子を目にするだけではしゃぐ少女が、伏し目がちに頷くだけでいつもと違った反応を見せている事には気が付いていた。椅子を引いて彼女を席に着かせてからイーグルは自ら腰を下ろし、目線でシールに着席を促した。


 礼儀正しい美青年が恐縮しつつ腰を下ろす様子を眺めながら、イーグルは内心嘆息する。


(コイツも駄目だったか。……いや、初見で決めつけるのは良くない。まだ幾らでも機会はあるのだから、徐々に慣れて行く可能性は残っている)


 お茶会は一見つつがなく進んだが、明確な手応えは感じられないまま終わったのだった。







 山城に数日滞在したシールが王都へ出立するのを並んで見送った後、イーグルは孫と言ってもおかしくないほど年の離れたアイリスに向き直り苦笑を零した。


「気に入らなかったか」


 問われたアイリスは、ゆっくりと顔を上げた。


「……いいえ、私には勿体無いくらい素敵な方だと思います」


 切なげに眉を寄せてそう返答すると、アイリスはイーグルの胸に抱き着き顔をうずめた。


「私……お邪魔ですか?」

「そんな事は無い。ここにアイリスが来てから放ったらかしになっていた山城も随分明るくなった。お前がいなければここは年寄りばかりになってしまうからな」

「イーグル様は『年寄り』ではありません!」


 キッと柔らかな眉を吊り上げて、抱き着いたままアイリスは抗議を表した。しかし次の瞬間、苦し気に懇願する。


「お邪魔じゃないなら……傍に居させて下さい。私はずっと、ずうっとここでイーグル様と犬達と一緒に暮らしたいんです」


 愛しい少女の懇願にイーグルの胸が我知らず痛む。しかし流されてはいけないと自らを戒め、諭すように語る。


「アイリス……お前は若い。こんな老いぼれとの暮らしには今に飽きてしまうだろう。それに俺はもう五十だ。いつまで一緒にいてやれるか分からんのだ。駄目だと思い込まずにこれから新しい男に目を向けて、恋をして人生を楽しむと良い」


 この国の平均寿命は六十から六十半ばと言われている。平民であればもっと早くに亡くなる人間も多い。イーグルの心配ももっともなのだ。女性として花開く一番良い時期を、アイリスは老人の介護で終わらせる事になるかもしれない。




「恋なんて……しません」

「アイリス」




 少女の声は僅かに震えていた。見上げる黄みがかった緑の瞳はうるうると潤んでいる。そのいたいけな様子に(口が過ぎたか)とイーグルは俄かに後悔を抱いた。


「お願いします。ここを追い出さないでください。私……もう一生恋なんてしません……」

「勿論、追い出したりはしない。いつまでも居たければ居たいだけ、居れば良い」


 彼女を宥めるように鷹揚に笑いながら、イーグルはアイリスのふわふわした赤茶色の髪を撫で梳いた。


「ただ一度の失敗で、全ての可能性に目を瞑るのは良くないと言っているんだ。―――これは人生の先輩としての助言だ。心に留めてくれれば、それだけで良い。安心しなさい、決して無理強いはしないから」

「……はい」


 イーグルが髪を梳くと、いつもアイリスはウットリと目を閉じる。

 そんなところは彼女が大好きな、犬達と一緒だと彼は思う。






 少女はイーグルの後妻である。先妻は七年前に儚くなった。イーグルが隠居を決めたのは公には大戦を終結させた時に受けた傷の為となっているが、実際は長年苦労を掛けた病床の妻に寄り添う事が目的だった。その一年後彼女はイーグルの傍で息を引き取り、小さな庭園を眺めながらお茶を飲んだ穏やかな日々も終わりを告げた。

 そうしてその六年後、孫ほど年の離れたアイリスをイーグルは後妻に迎えたのだ。


 何故妻である彼女に、若い男性を勧めるのか?


 一部では公然の秘密とされているが、この隠居暮らしを満喫しているゴールド国の英雄イーグル=ヘイズと妻である赤髪の少女は王国の承認を受けた正式な婚姻を結んでいるもののそれは白い結婚なのである。―――つまりは事実上夫婦ではない。夫であるイーグルは彼女と婚姻関係を結ぶに当たり、生涯決して妻には手を出さないと心に決めたのである。そしてそれを、いまだに守り続けている。


 もし妻である愛しい少女、アイリスが恋をしたなら、直ぐに手を引き婚姻関係を解消すると彼女の父親と現王の前で明言さえしている。


 見るからに武骨な歴戦の勇士、長きにわたる戦乱に終止符を打った救国の英雄とまで言われるこの男が、孫とも言えるほど年の離れた可憐な少女を娶るに至ったのは何故か?


 ―――これには深い訳があるのだ。

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