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朝はシリアルと決めている

誓いの手

 どうせならもっと役に立つ超能力なり、超能力でないにしろ特技が備わっていればと思ったことは一度や二度ではない。


「おはよー蒼」

「おー、おはよう修」

「今日提出の宿題やったか?」

「そりゃやるだろ」

「まじで!? 俺ずっとネトゲしてて出来なかったんだよ!」

「……お前は毎回毎回それだな」

「テストで挽回する!」

「それが出来るから羨ましいよ」


 修は宿題をやってこない日数を順調に更新し続けている。

こいつとは小学校から一緒だが、宿題をやって来たことがある日のほうが遥かに少ないように思う。それでも試験をやれば常に学年上位に入るからすごい。

俺も、修のような天才的頭脳が欲しいと常日頃思っている。

……まあ、そんなことを思いつつも普通に高校生活が送れているのであれば突出した能力なんてなくてもいいし、逆に俺のくだらない能力なんてほとんど支障が出るものでもないものだと気付かされる。

 少しだけ気を付けていれば発動することもない。仮に発動したとしても冷静を装っていれば乗り切れてしまう。

 そうやって中学も過ごしてきたのだから高校だって乗り切れるはず。残り三か月で卒業だしこのまま無事に……どうか無事に……。


「そう言えば聞いたか? 今日うちのクラスに転校生来るらしいぜ」

「転校生? こんな時期に?」

「何でも親の仕事の都合らしい」

「へー、珍しいな」


 修とそんな会話をしながら教室へ向かう。もうすぐ卒業、もうすぐ入試という時期に転校なんて珍しい。親の仕事ならば仕方ないが、もし俺がその立場だったらどう思うだろう。土下座してでも残ろうとするかもしれない。あと三か月なら通い慣れた思い出が詰まった高校で過ごしたいし、友人と離れるのは寂しい気もする。


「まさに季節外れの転校生だよな」


――季節外れの転校生。

なんだかミステリーチックな響きだなと馬鹿なことを考える。

いやそれよりも俺は、もっと考えなければいけないことがあった。


「あのさ」

「ん? どうした?」

「例えばの話だけどさ」


そう前置きをしてから、俺は話し出した。


「同じ内容の夢を何日も連続で見たら、どう思う?」

「同じ夢を?」

「例えば家が火事になる夢とか。ちょっと縁起が悪いけど」

「えー……そうだなぁやけにリアルなら予知夢かも? ってなるかも」

「だよなぁ」

「何、もしかして変な夢ばっかり見てるのか?」

「いや、ふと気になっただけ。たまにあるじゃん、似たような夢見る事って」

「え、俺ないよ?」


なんせ毎日寝落ちしてるからな、と修は歯を見せて笑った。

いや、それ単に夢の内容覚えてないだけだろと心でツッコミを入れておいた。

予知夢――もしそうだとしたらとんでもない未来になりそうだ。

チャイムの音が聞こえたので、俺は話を中断し、前へ向き直した。



「佐野杏です。短い間になってしまいますがよろしくお願いします!」


 季節外れの転校生はこちらがびっくりするほど元気な子だった。前日にきっちりと生徒手帳を読み込んできたのだろうか。綺麗な長い髪をしっかりと黒いゴムで一つにまとめ、スカートの丈も教師たちが理想とする膝丈というものになっていた。化粧っ気などは微塵もない。教室を見渡してもここまで校則通りの格好をしている女子生徒はいない。

 時代錯誤の校則で有名なのもあって、ほとんどの女子生徒はこっそりとオシャレたるものを取り入れているというのに。派手なグループはこっそりどころか堂々と化粧もしている。彼女たちが毎朝、校門で先生たちと化粧を落とせ落としたくないでやりあっているのも目撃している。


「佐野さんはご両親の関係でこちらにきました。大学はM女子大に決まっているそうです」


 教師の説明に、教室中がざわめく。M女子大と言えば日本で五本の指に入るほどの超お嬢様大学である。おまけに偏差値も高く、例え俺が女だとしてもおいそれと手が届くような大学ではない。

 俺はより一層なぜこんな時期に転校してきたんだ? という疑問が高まる。

 大学も決まっていて、あと三か月だけならそのまま通えばよいのに。聞けば以前通っていた高校も有名私立高校だった。しかもこの街からでも通えなくはない距離にある。電車で一時間半あれば着く場所だ。……少し遠いか?


「じゃあ佐野さんはあの後ろの席で」

「はい!」


 元気よく返事をすると、佐野杏はゆっくりとこちらへ向かってきた。残念ながら俺は前から二番目の席なので隣にはならない。

 通り過ぎる瞬間、ちらりと横顔を見る。見れば見るほど校則通りの格好だった。なのに全くやぼったさは感じず、むしろ気品を感じられるほどだった。ピンと伸ばされた背筋のせいだろうか。

 そして、化粧っ気がないとは思ったが化粧なんて必要がないとでも言わんばかりに佐野杏は目鼻立ちがくっきりとしており、はっとさせられるほどに綺麗な顔をしている。モデルをやっていますと言われたら信じてしまうくらいに。

 後ろの席に座っている修なんて、口を開けて見とれていた。なんつーアホ面だ。


「おい、すげぇな大当たりだ」

「当たりって何だ」

「だってすごい美人じゃないか! ガッチガチの校則通りの制服の着方をしているのにそれが全くマイナスに作用しない。むしろ上品さを際立たせているなんてすごすぎるぞ、転校生!」


 通り過ぎた後、修が小声ながらも興奮気味で話しかけていた。どうやら修も俺と同じ感想を持ったようだ。ふと周りを見渡すと俺たちだけではなく、他の男子はもちろん、女子たちも佐野杏に見とれている様だった。


「よろしくお願いしますね!」


 そう話しかけられた隣の席の奴はここから見てもわかるほどに口元がゆるんでいる。

 少しうらやましい。

 ――その日一日、この季節外れの転校生・佐野杏を一目見ようと教室には学年問わず大勢の野次馬が訪れた。



「じゃあなー」

「また明日なー」


 あっという間に放課後になり、部活を引退した俺たちはまっすぐ家に帰る。受験生に遊ぶ時間はない。特に推薦を受けることもなかった俺らにとっては帰ってからも勉強だ。有名私大に進学が決まっている佐野杏が羨ましい。

 そして俺には勉強だけじゃなく、おそらく今日もあの夢が待っている。



 例えばの話として家が火事になる夢を何度も見たらと言ったが、俺がここのところ見続けている夢はそんな生易しいものではない。


『な、なんだこれは……』


 いつもこのセリフで夢が始まる。明晰夢を見られない俺にとって、起きてからはああまたこれかと思えるものの、夢の中では常にこの状態は初めての経験となる。

 町を覆いつくすほどの激しい炎、逃げ惑う人々。町と言っても普段俺たちが生活しているところではなく、逃げ惑う人々の顔を見ても明らかに日本とは違うどこか異国の町だ。もっと言えば、時代も現在よりはるか昔のように感じられる。

 煉瓦でできた家が立ち並び、遠くには大きな教会が見える。


『お、俺も逃げたほうがいいよな?』


 そう自問自答し、街に背を向けて一歩踏み出す。

 ――その時だった。いつもあの人がやってくる。


『進めー!』


 白い馬に乗って颯爽と俺の横を通り過ぎ、炎の中に飛び込んでいくその人は、重そうな鎧を身にまとい、慣れた手つきで馬を操り、左手には大きな旗を携えていた。

 その姿はあっという間に炎の中へと消えていった。方角からしてどうやら教会の方へと向かっていくようだ。


『正気か!? 死ぬぞ!?』


 死など恐れていない――煙の中にかすかに見える後姿がそう答えている様にも見えた。



「――っ!!」


 午前四時。またしても俺はこの夢に起こされた。今日で十一日目。

 一体何を示しているのか全く分からない。自ら死に向かう行為をするあの人は一体誰なのか。ただ茫然と見ている俺は、この夢をあと何度見ることになるのか。

 そして――この夢は、俺が持つどうでもいい能力に関係あるのだろうか。




「なんか最近、お前疲れてないか?」

「……そうか?」

「目の下のクマすごいぞ」

「そんなことはないと思うけどな」


 大きな欠伸を一発ぶちかまして言っても説得力ないよな、なんて思いつつどうってことないという体を装う。そりゃあ毎晩日付が変わるか変わらないかまで勉強をして、毎朝夢のせいで四時に起きているとなると必然的に寝不足にもなる。

 かといって勉強時間を減らして早めになる気も起きない。どれだけ勉強しても不安なのだ。己の学力がどの程度なのかを分かっているから。

 

「あんま無理して受験当日倒れたら元も子もないぞ?」

「そうだな」


 修が心底心配してくれているのが分かる。

 けれど、そういう修も目の下のクマがひどい。


「俺はゲームで寝不足だからな!」

「そっちもあんまり無理するなよ」

「おう!」


 ピースサインを作りながら、修は明るく答えた。



「ねえ蒼」

「何だよ」

「女性恐怖症は治ったの?」

「はぁ?」


 それは昼休みのこと。弁当も食べ終わり、さぁいつものように食堂で食べ足りない分何か買ってくるかと席を立とうとした時だった。食べ盛りの男子高校生が、お弁当だけで満足できるわけがない。


「ほら、私の手、触れる?」

「やめろって」


 いたずらな笑みを浮かべて、そいつは手を広げて近づけてきた。軽くカールしたまつ毛に、気が強そうなネコ目。肩につくかつかないかくらいの栗色の髪。

『地毛ですけど?』と先生には通しているが、俺は知っている。こいつ、中学一年生まではまさに漆黒と言っていいレベルの黒髪だったぞ。


「もう、高校生にもなって照れんなよ」

「照れてねーよ!」

「顔真っ赤にして言われても説得力ないし」

「うるせー!!」


 ガタンとわざと大きな音を立てて俺は立ち上がり、そのまま早歩きで教室の出入り口へと向かう。


「中島って、子どもだよねー」


 子どもってなんだ、同じ年だろ。反論の意味を込めて睨んでやるも、全く効果がない。むしろニヤニヤしてこっちを見ている。

 これだから幼馴染は厄介だ。

 ――高槻奈々。身長一四八センチと小柄ながら、態度だけは人一倍でかい(以前本人直接言ったらグーパンチされた)。修よりもさらに昔、幼稚園から高校までずっと同じで、しかも同じクラスというのだから腐れ縁と言ってもいい。

 そんな奈々は今、大人が言う『生意気な女子高生』と成長した。校則は破るし、成績も赤点までとはいかなくとも結構ギリギリの線を行ったり来たりしているようだ。親も先生も頭を悩ませているようだが、当の本人はどこ吹く風だ。


「どうせ大人になったら嫌でも真面目な格好して、真面目に働かなきゃいけなくなるんだからいいでしょ?」


 それが、奈々の言い分だ。




 昼休みの食堂は、人口密度が半端じゃない。ついでに騒がしさも。弁当を持ってこない人、俺のように食べ足りない男子生徒、デザート目的の女子生徒が食堂を埋め尽くす。人ごみを押しのけてやっとの思いでパン売り場にたどり着く。


「ジャムパン一つ」

「はいよ」


 百円を渡して商品を受けとる。残念ながら焼きそばパンは売り切れだったので仕方なくこれを選んだ。百円にしてはサイズが大きく、甘酸っぱいジャムがたっぷり入っているのでお腹も満足するだろう。

 来た時と同様、人ごみを押しのけて食堂を出る。教室まで待ちきれないので行儀が悪いが袋を開けながら歩く。がさごそとパンを袋から少しだけ出して、さぁかぶりつこう……そう思って大きく口を開けた時だった。


「高校生でタバコなんてダメです!」

「ああ?」


 間抜けにも口を開けたまま声が聞こえたほうを見る。ちょうど食堂から校舎に向かう渡り廊下の隅――佐野杏が昨日同様、校則通りの格好で背筋をピンと伸ばして立っていた。その目線の先には、どこからどう見ても趣味は喧嘩ですと言わんばかりの強面の男子生徒三人。口元にはタバコ。煙が漂っているところを見ると、単に加えているのではなく本当に吸っているようだ。


「お前、昨日来たばっかの転校生か?」

「そうです」

「なるほど、噂通りの校則ガッチガチの真面目ちゃんだな」


 不良たちは、佐野杏を舐め回すように見ると馬鹿にするように笑う。

 どうやらこの格好からにじみ出る気品の良さなんてものは感じないらしい。

 勿体ないような気もする。


「とにかく、法律で禁じられてるしそれにっ!!」

「大声出すなよ! 先生が来るだろうが!」


 一人が慌てた様子でタバコを口から離し、佐野杏の口を塞ごうと立ち上がる。

 がしっと腕を掴まれたその時だった。


「はぁっ!」

「いっ!?」


 何が起きたのかは、背中から思い切り倒れこんだ不良を見て理解した。

 投げ飛ばしたのだ、佐野杏が。自分よりも遥かに大きい男子生徒を。


「こいつっ!」

「調子にのんなよ!」


 いやいや普通あれだけ仲間が派手に投げ飛ばされたら怯むだろう。

 それでも二人だったらまだ勝てると思ったのか、女の子に負けるなんてプライドが許さないのか同時に殴りかかりに行く。

 これはさすがにまずい。

 そう思った時には、俺はジャムパンを握りしめて走り出していた。



「中島君!?」

「とりあえず、教室まで走ろう!」


 格闘技なんてやったことない俺には、二人を相手にして勝てる自信なんてなかった。

 だから、こうして手を取って走るしかない。

 もしかしたら佐野杏はこのまま放っておいても二人を倒していたかもしれない。

 それでも、佐野杏は女の子なのだ。黙って見ているだけなんてことはしたくなかった。

 ――なんとしても守らなければ。

 そう思ったのはほとんど本能に近かった。


「ぐっ……!!」

「ちょ、中島君大丈夫!?」


 教室までの道のりで、心配そうに佐野杏が問いかける。

 ああ大丈夫だと笑顔を取り繕いながら走る。

 咄嗟に握った手のひらには俺の汗がにじんで気持ち悪いだろうに、佐野杏が俺の手を離すことはなかった。

 逆に佐野杏の手のひらからは、確かに流れてくる。

 彼女の、前世の記憶が。



 能力に目覚めたのは、小学校五年生の頃だった。

 林間学校の肝試しで一緒になった女子が泣きだしたので仕方なく手を繋いだところ、いきなり頭の中に様々な映像が流れていた。


「どうしたの?」

「え? いや」


 当時はそれが何なのかは分からなかった。起きながらにして夢でも見ているような、そんな感覚だった。確か彼女の前世は今と同じ日本人で時代的には江戸時代あたりだろうか。茶屋で団子を頬張っていた。

 手を握った瞬間に映像が流れてくるという現象が、当時は不思議で、同時に楽しく思って遊び半分で色んな人の手を握った。さすがに女子の手を握ったのはこれきりだったが、男子には腕相撲しようと持ち掛けて、前世を覗き見た。

 今思えばかなり悪趣味だったように思う。それでも当時の俺は、好奇心には勝てなかった。

 そしてクラスの男子全員の前世を見尽くし、今度は自分自身の前世も見れるのかと思って試しに手を合わせてみるとがっかりするような映像が流れたのですぐに手を離した。

 俺の前世は、髪も髭も伸びっぱなしで、げっそりした中年男性だった。時代はどこらへんか詳しくは分からなかったが、周囲を囲む壁が石でできていたことと、顔立ちからして日本人出なかったことが分かった。

 映像の中での前世の俺は何をするわけでもなくただボーっと座っているだけ。

 今でいう、引きこもりの状態だったのだろう。

 そんな自分の前世を見てから、俺は人の前世をむやみにのぞき見するのはやめようと決意した。



「よし、追ってきてないな……」

「中島君」

「しかしひっさびさに走ったー」

「中島君」

「やっぱ体力落ちてるな」

「中島君!」

「えっ!? はい!」


 息を整えながら体力の衰えを嘆いていると、佐野杏が聞こえてびくっとする。

 見ると同じように走ったはずが、息一つ切らしていない。

 男子生徒を投げ飛ばした件と言い、体力モンスターなのか。


「ごめんね、巻き込んじゃって」

「いや、気にしなくていいよ。けがはない?」

「うん。ありがとう」

「佐野さん勇者だね。あんな怖そうな不良に立ち向かうなんて」

「だって、タバコはダメでしょ? 法律で禁止されるしそれに」


 ふうっとため息をついて続ける。


「体にも悪いじゃない。健康のほうが誰だっていいに決まってる」


 なるほど。単に正義感を振りかざしたわけではなかったようだ。初対面の不良どもの体に気を遣っての行動でもあったのか。

 

「あのさ、中島君」

「何?」


 言いにくそうな顔をしている佐野杏。もしやこれは恋の始まりなのでは?


「もう手、離してくれても大丈夫だよ」

「あ、わりぃ」


 恋は始まらなかった。

 しかも冷静になって周囲を見渡すとみんなこちらに釘付けだ。どたばたと教室に入って来たかと思えば、美人転校生と手を繋いでいるのだから当然だった。

 一気に恥ずかしさがこみあげて、慌てて手を離す。

 その日、放課後まで男子からは嫉妬の目を、女子からは好奇心の目を向けられていたことは言うまでもない。

 


「蒼」


 帰り道を歩いていると、後ろから声を掛けられた。

 振り向かなくても声で分かる。奈々だ。


「おー、お前も今帰りか」

「まあね」


 ぱたぱたと駆け寄ってきて、無言のまま俺の隣に並ぶ。キラキラ光るアクセサリーが付いたヘアゴムで髪を二つに縛っている。もちろん、校則違反だ。

 

「ん」

「ん?」


 しばらくすると、突然奈々は立ち止まる。俺も一緒になって足を止めると、朝と同じように手のひらをこちらに差し伸べてきた。


「朝はあんなに拒否ったのに、女性恐怖症治ったんだ?」


 そう、奈々は俺が女子に近づかない理由を、女性恐怖症だと思っている。もちろん違うと説明しようともしたが、手を握ると前世が分かるから、なんて言ってもふざけているとしか考えられないよなと思い直して辞めた。

 だから、奈々が最初に口にした『女性恐怖症』という説をそのまま肯定するような形をとって今に至る。


「あれは不良にやられそうだったから夢中で手を取って走っただけだ」

「にしては教室に入ってきてもしばらく握ったままだったじゃない」


 段々と不機嫌な表情になるのが目に見えて分かる。


「走りつかれてボーっとしてただけ」

「ふーん」


 納得いかない様子でじろりと睨まれる。

 何で奈々が不機嫌になるのか分からない。


「女性恐怖症って言いながらも美人なら大丈夫なのかと思ってた」

「お前なあ……」

「じゃあその不良に絡まれてたのが佐野さんじゃなくて私でも手を取って走れた?」

「お前は放っておいても大丈夫だろ」


 何しろ空手黒帯だしな、と心の中で思っていると、奈々はますます不機嫌になる。


「何それ。信じらんない」

「はぁ?」

「もういい。帰る」

「おい待てよ」

「付いてこないでよ!」


 付いてこないでって言っても方向同じだし……そう思って追いかけると奈々はいきなり走り出した。そういや走るのも早かったな。

 俺は追いつくのを諦めて歩いて帰ることにした。



「ただいまー」

「おかえりなさい」


 家に帰ると珍しく家に母がいた。いつもヨガだのママさんバレーだのでいないのにきょうはどうしたというのか。


「まだ雨降ってなかった?」

「え? ああ、降ってなかったよ」

「すごいどんよりした空よね。お母さん、途中でテニス切り上げて帰ってきちゃったわ」

「そういうことか」

 そして今日はテニスだったのか。相変わらずアクティブだな。そんな母親の息子である俺はインドア派だ。

 今日の晩御飯を訪ねた後、自室に行く。ドアを閉めてカバンを下ろした瞬間、一気に疲れが押し寄せてきた。


「佐野杏……うそだろ……」


 疲れの原因はもちろん佐野杏。帰ってくるまでどれだけ必死に平常心を装ったことか。

 改めて佐野杏の手を握った左手を見る。外見的におかしなところは少しもない。傷もなく、骨ばった普通の男子高校生の手だ。

 ベッドに転がって、降り始めた雨の音を聞きながら、もう一度佐野杏の手の感触と、握っている時に頭に映し出された光景を思い出した。



「ほら見て! こんなにふわふわな羊毛が取れたわ!」


 のどかな田園風景がどこまでも広がっている。むしゃむしゃと草を食べる羊たち。のんびりと横たわる牛。そんな中、嬉しそうに刈ったばかりの羊毛を抱えた小さな女の子が近づいてくる。

 隣にいるのは兄弟だろうか。


「これを紡いで毛糸を作って何か作ろうかな」


 柔らかそうな金色の髪をなびかせて彼女は言う。目を輝かせ、早速何を作ろうか考えているようだ。髪色もさることながら、顔立ちからして日本人ではない。白い肌は少し日に焼けたのか鼻の頭だけ少し赤くなっていた。


「て、天使!?」


 いきなり脳内の映像が切り替わる。少女は先ほどよりも成長したようだ。髪もすっかり長くなっている。少女がいる場所は牧場ではなくなっていた。少し風の強い丘の上に、膝をついて座っていた。曇り空の中、少女の頭上だけ木漏れ日ような光が差していた。


「神様の御心のままに……」


 やがて光は再び雲に覆われた。すると少女はしっかりを手を合わせ祈りの姿勢を取っている。静かに目を瞑って何やら呟いている。どうやら泣いているらしかった。やがて目を開けて立ち上がると、彼女は力強い足取りで歩き出した。


「……」


 田園風景とは打って変わって街中の場面になる。たくさんの人々が行き来しており、その大半が甲冑を来た兵士か、豪華な服を身にまとった貴族のようだ。


「あ、来たわ!」


 少女は立ち上がり、川の方からやって来た一向に近づいていく。先頭を歩いていた兵士に止められるも、必死に何か話しかけている。少女はあれだけ長かった髪をバッサリ切ってしまっていた。


「……この国を救いにきたのです! ですからっ……」


 最初は何を言ってるんだこの子はという目で見ていた兵士たちだが、とある単語が出た途端に驚いたような顔になった。一向の真ん中に守られるように立っていた男性が、ゆっくりと少女に近づいていく。彼は兵士の格好ではなく、貴族の格好でありこの光景の中で誰よりも高貴な雰囲気を放ち、誰よりも華やかな服装をしていた。


「恐れずに進むのです!」


 穏やかな風景は一変して戦場へと変わった。そしてこの光景が最も俺を驚かせた。

 まさに、毎日夢に見ていたあの風景なのだ。

 馬にまたがる兵士の正体――それはまさしく彼女だった。

 勇ましく進む彼女に、必死についていこうとする大勢の兵士。

 夢は彼女を止められず、逃げようとするところで終わっているが、その続きが流れてくる。


「うおおおおおおお!!」


 戦火の中、彼女たち一行が向かった方角から雄たけびが聞こえる。それは喜びを告げる雄たけびだった。


「やっと……やっと解放したぞー! 再びフランスの手に!」


 その後もいくつかの戦場が早送りで流れていく。

 どの場面でも少女は勇ましく、そしてそんな少女を信じてついていく兵士たち。

 しかし、それはいつまでも続くわけでは無かった。


「大変です! イギリス軍に捕まりました!」


 次の場面では少女の姿はなく、転がり込むように一人の兵士が城に駆け込んでくる。

 年齢的には三、四十代といったところだろうか。少女が捕らえられたことを伝えに来たようだ。

 報告を受けて、街中で声を掛けられていた貴族の男性が立ち上がった。どうやら当時のフランス国王だったようだ。

 しばらく考え込んだ後、彼は残酷な決断を下した。


「魔女だー! 魔女が来たぞー!!」

「イギリス兵を殺しまくってきた魔女だー!!」


 たくさんの野次馬が、その広場には集まっていた。その中を、後ろ手に縛られながら少女がゆっくりと歩いてくる。罵声を浴びせられながらも、彼女はまっすぐに前を向いて凛とした表情で歩き続ける。

 やがて処刑台まできて手を縛っていた縄がほどかれる。少女は執行人に対して何かを伝えていた。それを受けた執行人は、小枝を二つ拾い、それをクロスさせて固定すると少女に手渡した。


「神様……」


 少女は愛おしそうにその小枝にキスをした。

 その様子を見て、先ほどまで活気づいていた野次馬が静まり返る。


「早く準備をして火を付けろ!」


 急かすように司教らしき男が指示を出す。戦いのときに比べてすっかり痩せこけてしまった少女の体を、二人がかりで柱に縛り付けていく。少女はぎゅっと小枝を握りしめ、遠くを見ていた。

 やがて少女の足元に煙が立ち込めてきたかと思うと、赤い炎は一気に少女の体を覆いつくした。

 野次馬が、少女が焼けていく姿を見ている中、一人の男性が目に留まった。薄汚いボロを身にまとい、顔を伏せて静かに泣いている。

 その顔を見た途端、俺は心臓が止まるほど驚いたのだ。

 男の顔は、かつて覗き見た己の前世の姿そのものだった。


「クソッ!」


 そこまで思い出して俺は起き上がった。

 前世を見たのはこれが初めてではないが、その人間が前世でどうやって死んでいくかを見るのは初めてだった。


「残酷すぎるだろ……そしてあの佐野の性格も前世を引きずってるってのか……?」


 思わず両手で頭を押さえてしまう。今まで覗き見た前世とは比べ物にならないほどに衝撃だった。

 しかもまさか、身近なところにこんな偉人の生まれ変わりが現れるなんて。そしてその偉人が、ここまで残酷な最期を迎えていたなんて。本で読んだことはあっても、実際に映像として当時の様子が流れてくると耐えがたいものがあった。


 コツン、コツン


「なんだ?」


 明らかに雨の音とは違う音がして慌てて窓を開ける。下を見るともういっっちょ! と言わんばかりに右手に小枝を持った佐野杏がいた。

 そんなことしなくてもインターホンを……と言いたいのをこらえる。


「あ、あがれば?」

「うん」


 初めて女子が来たという事で母親のテンションは分かりやすいほど上がっていた。

 この雨の中お菓子を買いに行くと張り切って飛び出していくくらいに。


「……」

「……」


 狭い部屋の中、向かい合ってしばらく無言が続く。それを打ち破ったのは佐野杏だった。


「中島君、見たでしょ私の前世」

「えっ?!」


 いきなりそんなことを言い出したので、驚かずにはいられなかった。

 どうして、佐野杏が……。


「中島君お手を握った時、すぐにわかった。あ、この人が例の……って」

「……」


 何も言えなかった。


「同時に、中島君も気付いたでしょ? 自分の前世が何者であるか」


 ゆっくりと頷く。


「佐野さんも、同じ能力を?」

「ううん。私はそんな能力ないよ。人に言われて知ったの」


 俺が初めてじゃないのか、と何故か残念な気持ちになりながらも佐野杏の話に耳を傾ける。


「そうだね、私の能力と言えば前世から引き継ぐお告げ……かな」

「お告げ」

「うん。でも聞けたからって完全に自分の身を補償できるものでもないの。実際に相当危ないところまで来ているから。それで、この高校に転校してきたのよ。――中島君に会うために。中島君の助けを得るために」


 そこから佐野杏のは一時間ほどかけて今、世界で何が起きているのかを説明してくれた。

 俺のように特殊能力を持った人間がたくさんいること。

 能力を、悪事に使う組合が存在すること。

 そして――その組合が佐野杏を始めとする前世が偉人であった人間の血を狙っていることを。

 そこまで聞いて、俺は理解した。あの夢の内容、そして今日佐野杏の手を取って走ったこと。

 それはなぜかという事を。


佐野杏――前世・ジャンヌ=ダルク。死因・火あぶりの刑。

中島蒼――前世・ジル・ド・レ。死因・絞首刑。


――今度こそ、君を守ろう。


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