糸 新地に立つ
僕は普通の人間ではありません。
体の一部を糸のように変化させることができます。
当然ながら、糸になるだけなので、引っ張られたりするとすぐに切れてしまいます。
そのせいもあってか、僕はどうやら「役立たず」のようです。
でも、切れたとしても痛くはないですし、くっつけることができます。
この事は大人の人には言っていないので、子供たちだけの秘密です。
ここには、何人かの子供たちがいて、一緒にご飯を食べたり、勉強したりします。
でも、寝るときは個室で皆ばらばらになって、少しさびしいです。
子供たちは皆仲良しで、僕は皆が大好きです。
でも、大人の人は嫌いです。僕のことを「役立たず」って言うから。
そろそろ消灯時間なので、今日はもう寝ようと思います。おやすみなさい。
「何て日記だ。ちょっとだけ昔の事思い出しちゃったよ」
僕がF市に引っ越してきて、宿舎で荷物整理をしていたとき偶然見つけたのは、拙い字で書かれた古い手帳だった。
「大したものは持ってきたつもりなかったのにな」
そう言いながら、僕は手帳をダンボールになおし、気分転換も兼ねて周辺の散策に駆り出すことにした。
F市は、以前住んでいた田舎町に比べるとだいぶ大きな市である。
コンビニがたくさんある印象が強かったが、よくよく探してみると本屋や雑貨店もちらほらとあり、しばらく退屈はしなさそうだ。
よし、今日はまずこの本屋がどんなものかみてみることにしよう。
『田神書店』か。
僕は大型の書店の雰囲気があまり得意ではないので、こういったこじんまりとした書店は大好きだ。
やはり、紙独特のにおいを感じることのできる書店は悪くないな。
そんなことを思っていると、本棚の反対側に、いやにさわさわしている人影を見つけた。
まさか万引きかと思ったが違うようなので、一応、確認のために本棚の反対側に回った。
その人影の正体を見たとき、僕は激しく後悔した。
奴は帽子を被っていた。
ただの帽子なら良かったのだが、奴の帽子はなんとも魔女が被っていそうなデザインのもので、思わずそんなものどこで買ったんだよ!とツッコミを心の中で入れてしまった。
帽子だけでなく、マントも着けているようである。コスプレの人?
僕が後悔したのは、奴とばっちり目が合ってしまったことだ。
目が合った瞬間、一瞬の驚きの表情と共に口元がニヤリとしたのを僕は見逃さなかった。
というより、瞳に焼きついたみたいに、はっきりくっきりと奴の顔を見てしまった。
恐怖を感じ、思わず僕は本屋から飛び出していたが、本当に逃げる必要があったかと言われると、無い気がする。
ずっと奴と呼んでいたが、あれは少女だった。
しかし、間違いなく恐怖を感じたのだから、逃げて正解だと思う。
小一時間ほど、本屋の周りをとぼとぼと歩き続け、僕は決心した。
「気になる。もう一回だけチラッと見てみるかな」
恐る恐る店内を見ていくと、あの帽子が見えた。
まだこっちは見ていない、大丈夫だ。
「!?」
魔女帽子が...
...近く...なった?
まさか
顔は見えないうつむいている
まずい
さっきより
近い
...
あれ...?
通り過ぎた?
...ふぅ
心臓がドキドキしている。
結局顔は見えなかったが、何もしてこないじゃないか。
はあ、帰るか。疲れたな。
今何時だろ。
え
...
っっえぇ!?
腕時計は!?
というか左手は?
肘から先が...無い!!!
まさか、さっき魔女帽子が僕に何かしたのか?
わからない。
だが、追いかけるしかない。
僕は本屋を飛び出すと、ある事に意識を集中した。
「とりあえず広がるところまで広げるか、糸」
僕の体は、指先から徐々に、ゆっくりと広がるように、『糸』になっていった。
「やっぱりF市は...」
僕の居た場所には、細い糸が僅かに残っていたが、すぐに風に吹き飛ばされた。
つづく