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一、



 療養所の庭に子供の気配がした。二、三人くらいだろうか。物音を立てないよう細心の注意を払っているようだった。しかし、その身が完全に消えて見えなくなるわけもなし。


 (あり)だね。胡麻粒みたいな蟻だね。

 胡麻粒が列を為して砂糖菓子の欠片を目指すのと同じだね。

 胡麻の行進だ。中国大陸目指して一直線だ。

 大陸との間には海があるよ。行進じゃいけないよ。

 じゃあ、泳げ。胡麻粒泳げ。

 だから蟻だよ。蟻。蟻は泳げる?

 脚が六本もあるのだから、それはそれは達者に泳ぐことでしょう。

 それは狡い。私は泳げない。恐らく。

 それは狡い。それは狡い。

 じゃあ、どうする?

 もいでしまおう。脚は残らずもいでしまおう。


 療養所は、木造平屋。白い塗装が遠くからも目立つ建物。周囲は開けている。そこに、好奇心を抱えた蟻たちが、静かに診察室の方へ進んでいく。外来者が利用する玄関からはずれて、青々と茂る短い草を踏みしめていく。時々、小枝を踏み鳴らしてしまうのはご愛嬌だ。踏んだ途端、ピタリと静止する。ハッキリと聞こえるわけではないが「気をつけろ」と言っている気がする。

 童しい気配を隠せぬ影たちの目的が何であるかは、改めて見るまでもなく推察される。恐らくは、牧島先生のコーヒーサイフォンだ。


 サイフォン、サイフォン、コーヒーサイフォン。

 コーヒーサイフォンとは?

 逆さにした硝子の瓢箪。

 わからない、わからない。

 丸い硝子の球が上下に並んでいる。瓢箪みたい。

 瓢箪みたい。

 瓢箪の括れた所から、金属製の腕が伸びて支えられている。


 かく云う私も、それを始めて見たときには心踊らされた。偉い学者様の実験室にでもありそうな難解なその器具は、恐らく東京でもまだ珍しいのではないだろうか。アルコールランプで熱して使うようだが、どういう仕組みかは未だ判然としない。

 湯が沸きたつと、噴泉の如く上の球の中に浸入し、予め入れておいた珈琲豆の挽いたやつを飲み込む。すると、黒く色付きながら混ざりあう。撹拌などしつつ頃合いを見計らって熱するのをやめると、今度は程無くして深い褐色を帯びた液は、吸い込まれるように下の硝子球に還っていく。

 これが中々と不可思議な光景で、神秘的でさえある。横で先生が丁寧に説明してくれるのも耳に入らず、思わず見入ってしまう。結果として私が理解したことは、それが珈琲を淹れるための装置であることと、先生はそれをいたく気に入っているということだ。

 特に、先生は、昇る蒸気が含む奥深い薫りを好んでいるようだった。苦味の中に僅かながらの酸味が漂う。そのなんとも表現し難い香気は、未だかつて触れたことのないもの。私はそれに、訪れたことのない都会の生活を重ね合わせた。漠然と思い浮かべる都会というもの、例えば東京、もしくは英国の倫敦(ロンドン)

 つまり、このような田舎には不釣り合いな品の良い薫りだった。


 蟻が辿り着いたよ。

 砂糖菓子の窓辺に辿り着いたよ。


 病棟から連なる診察室に先生はいて、コーヒーサイフォンもそこにある。窓から覗いて見える所にある。だから、興味に駆られた子供たちは、建物の裏を回ってこうして鑑賞しに来る。


 なんでコソコソと?

 なんで蟻みたいに?

 先生怖い? 見つかったら叱られる?

 違う。先生は優しい。叱ることなどあり得ない。

 では、どうして?

 親に叱られる。

 叱られるでは済まない。

 勘当されるかも知れない。

 なぜ? なぜ?

 この病院、普通じゃない。

 疎まれている。

 普通の村人、普通じゃない病院に近寄らない。

 近寄ったら普通じゃなくなるから。

 普通の人が普通じゃなくなる?

 普通じゃないから普通じゃなくなる?


 ガラガラ。廊下から庭に出る引き戸の音。看護婦さんが花壇に水やりをするためだろうか。毎日世話を欠かさなかった甲斐あってか、向日葵(ひまわり)は太く高く伸び続けている。花弁のもとが幾重にも折り重なった大きな蕾の中央は、徐々に黄色みがかっている。すでに大輪の風格を漂わせつつある。

 如雨露(じょうろ)から降り注ぐ滴に押し流されてしまったかのように、いつの間にか蟻たちの気配はなくなっていた。誰の目にも留まらぬよう、その場を立ち去ったようだ。


 ガラガラ。

 今度は近い。病室の引き戸。

御丹麻(みにま)さん」

 牧島先生の声だ。診察の時間。

 呼んでいるよ。

 どうする? どうする?

「御丹麻さん」

 もう一度。

 どうする? どうする?


「牧島先生だあ」

 返ってきた声は、たどたどしさを含む。世間が求める口の利き方、礼儀作法というものを、未だわきまえぬ幼子のような口調。

 発言者の年齢を考えれば、少々幼さの度合いは過ぎる嫌いがあるはずだ。患者と主治医として日々顔を合わせる間柄ではあるが、年相応の振る舞いであるかと言えば、恐らく違う。

 仮にも相手は、先生だ。確かに、先生と呼ばれるにはずいぶん若いが、それは図抜けて優秀だったからであり、礼を欠く態度を許す理由にはなり得ない。そもそも、この村で先生と呼ばれるような立場の人はほとんどいないし、実際に呼ばれていても本当の意味で尊敬を集めている人物など、片方の手の指で数えて足りる。少なくともこの村では、先生の中の先生であり、多くの人が心からの敬意をもって接する。

 しかし、私の科白を聞いた先生が、眉を(ひそ)めることはない。それどころか、むしろ胸を撫で下ろしてさえいるようにも見える。そうして、壊れものでも扱うかのように、真新しい脱脂綿で拭うように、柔らかく話しかける。

「そうだよ、(ゆう)ちゃん。診察の時間だよ」

 先生の白衣からは、芳ばしい珈琲の薫り。


 先生は手際よく手順を踏むと、早々に病室を出ていった。診察とは言うが、あまり大層なことをするわけでもない。だから、実際のところ、私にとっては先生と会話を交わせる貴重な時間に他ならない。

 出ていく先生の後ろ姿を引き留めたい衝動に囚われそうになるが、療養所が慢性的に人手不足であることは承知しているし、先生を待つ人はたくさんいる。世間話すら満足にできそうもない小娘との会話に、漫然と興じる(いとま)などあるわけがない。

「夕ちゃん、私もそろそろ行くわね」

 先生が去った後も残って、衣類の交換など行っていた看護婦さんが声をかける。

「珈琲……」

 珈琲。珈琲。珈琲。

「大丈夫よ、夕ちゃん。まだとても熱いわよ」

 熱い珈琲。少しでも強く薫り立つように。

 熱ければ蒸気はより勢いをもって立ち昇る。あの苦味は、より広範に行き届く。そうすれば、もっと気付いてもらえる。苦味の中で溺れる仄かな酸味のような私に。

 息継ぎが巧くなくて、必死に顔を出したつもりが、肺に押し寄せたのはどす黒い褐色で、()せかえり、大きなカップに吐き戻す。ほの暗い器の底で、命をこそぎ落とした褐色の液は、いつまでも濁り続けている。

 もっと熱く。沸き立つほど熱く。静かに熱を(うしな)っていくのではなくて。







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