幽霊少女と敵影
初め、私はコランを連れにここにきて、すぐに去る予定だった。何も、親切にペラペラ話してやる義理もないし、主様の計画に少しでも支障を出さないためにも、必要最低限の会話程度、それこそ軽い自己紹介程度で済ませるつもりで。
あのお方の計画は、私たちの些細な行動程度では揺るがない。もともと厳密な計画という訳ではないというのもあるし、根はもっと前から張っていた。だからこそ、バカのやりすぎはあまりよろしくない。許容できる範囲を逸脱してしまっている。各地で隠れて何かをするのならまだしも、まさか竜の前に姿をさらすとは思わなかった。私はもともとあのバカと合流するつもりだったので、ある程度、動向を気にしながらこの街を目指していたので、それが功を奏した。
もともと私たちは、単独行動がほとんど。なので普段はお互いがどこで何をしているかや、何かあった時にフォローできるような状況がほとんどない。ゆえに各々それなりに慎重な行動が必要とされていた。バカもそこは配慮していたはずだったのに、何を思って急に大胆な行動に出たというのか……。
まあ、思い当たることはある。私たちが潜伏している期間がもうすぐで終わるらしいのだ。主様からいよいよ行動に出るという話を知らされていたから。ゆえに、だからだろうな、と。バカはもともと、戦闘狂の節があり、強さというものに強い執着のようなものが見て取れた。だからきっと、強者を見たせいでいてもたってもいられなかったのだろう。全く、しりぬぐいをする私の身にもなってほしいわ。
ともあれ、初めはよかったのです。バカが竜に、明らかによろしくない威力の攻撃をされているところに間に合ったのだから。
私が竜の魔法にある程度対抗できるのはすでに検証済み。さすがにあまり威力や規模の大きなものは難しいが、今回の規模であれば十分に何の異常もなく吸収しきれる。しきれる、はずだった。
異変はそこからだった。
まるで、自分の体ではないかの様に、私の奥底から何かが溢れてくるのがわかった。
軽い挨拶はなんとか済ませた。しかし、我慢できるのはそこまでだった。
止まらない。私の心の中の、いろいろなものを支えていた器のようなものに少しだけ入った小さな罅が、内側にこれでもかと溜まっていた私の思いに押し広げられ、私の意思だけではどうしようもないほどにまで広がってしまった。
いや、今ならまだ、傷の軽いうちに撤収できる。適当に話をぼやかして、うやむやにし、速やかに撤収を図る。
「もう、そんなに怖い顔で睨まないでくださいまし。ワタクシ怖くて余計な被害が出てしまうかもしれませんわ。ワタクシはただ、この馬鹿を回収できればそれでいいの」
この思いは一人ではどうにもならない。なら、一人じゃなければいいのだ。ああ、早く、あのお方に、主様の下に行かねば――。
「……あら? 後ろにたむろしているあなたたちわ……」
ふと、後ろにいた連中が視界に入った。
ああ、いけない。
すぐに彼女たちが誰なのか分かってしまう。
彼女たちは私がそそのかしたあいつの被害者。深い悲しみを味わった者たち。
私の堪えられる限界が訪れる。私という存在がゆっくりと私自身の手から離れていく。
「そうですわ! あなたたちわ、ワタクシがそそのかした輩に連れていかれた子たちじゃない!」
白々しく、私の口から言葉が紡がれていく。とうの昔に私が捨てた過去に執着するみっともない私がゆっくりと顔をのぞかせる。あのお方と出会ってから、今の今まで顔をのぞかせたことのなかった私がおぞましい笑顔で語り始める。
相手の言葉なんて関係ない。何か私の被害者が言葉を発したが、そんなことはお構いなしとばかりに、一方的に言葉を発する。
「ああ、そういえばあいつの御屋敷ってここじゃない! ざあんねん。せっかくワタクシが深い悲しみを提供してあげたのに、もう助けられちゃったの。でも、十分かしらね? あまり長い時間ではなくても、きっとそれわ次につながるわ」
確かにそれは私の考えであって、でもそれを言うのはあなたではいけない。今の私が言うから、そこに意味が生まれるのだ。失意の底にあって、そこからかのお方に出会えた結果の、私が。
だが、次の瞬間、聞こえてきた言葉をきっかけに、急速に私の意識はそれに引きずられていく。
「ふ、ふざけないで! 何が次につながるよ! こんな、こんな経験なんか、おぞましい記憶なんかいらなかった!」
それは許せない言葉だった私にとっては大事な事実だったその経験が必要だったそうでなければいけなかったそうでなければ次につながらなかった次などなかった否定など受け入れられない認められない認めない。
――でなければ、私の絶望は何だったのか。
あの時の悲しみに暮れる私に、周りの人は言った。お前よりも不幸な奴はいるのだ、と。だから、前を向いて別のことに希望を持て、と。あの人はああだった、この人はこうだった、と。
ふざけるな。
お前たちはいったい何なんだ。お前たちは私だったのか? 違うだろう。私にとってはその悲しみがすべてで、最低の悲しみで、それ以上も、それ以下もなかった。それが、私の世界だ。たとえ隣の家の話をされようとも、私にその悲しみは分からないし、私の悲しみは変わらないのだ。
そしてそれがあったから、今こうして私がここに入れるのだ。私があのお方に会えたのだ。私は確かにその時、小さいころに憧れたヒロインだった。その記憶は強く残り、その時の気持ちは深く私の心に残っているのだ。何も私の考えに間違いはない。私がここ居るのがその証拠なのだ。
だからそれを否定などさせない。あの人との出会いは、否定させない。
「私は、あなたたちに最高の思い出をプレゼントしてあげたのよ? 知ってる? 記憶って深い悲しみを忘れないのよ。だから、いい思い出に出会えるし、それをずうっと覚えていられるの」
そう、私が、全ての人々を救ってあげるのだ。あの時の気持ちを全ての人々に、救われたという感覚を、全ての人々に感じさせてあげる。ヒロインになれる感覚を、世の女の子たちに感じさせてあげるのだ。
「いい思い出なんて……!」
「あるわ」
まずは教えてあげなければならない。
「ほら、今ここにいるのがその証拠じゃない。あなたたちは竜に会い、竜に救われた。最高の出会いを演出してあげたじゃない。実に劇的で、忘れたくても忘れられない最高の一瞬。一番下だと思っていた瞬間から、一気に最高峰まで上り詰めるその瞬間こそ、記憶に深く刻み込まれるのよ」
「なっ……!」
なぜか理解されていないようだった。
ああ、そうだ。アプローチを変えてみよう。私の、過去のあこがれなんかいいかもしれない。ほんのわずかに存在する私の楽しかった記憶の一部。
「わたし、ヒロインにあこがれていたの。いえ、私だけじゃない。きっと世界中の多くの女の子のがヒロインにあこがれていたのではないかしら? いろいろな物語に登場する、幸せになる女の子。その道中に、その最後にどんな悲劇が待っていようとも、いつでも必ず立ち直り歩き出す。そんなヒロインに、私はあこがれていた」
「……いいえ、ヒロインのすべてが前を向いて歩きだせるわけではない。中には立ち直れないような悲劇に遭遇し、そこで歩みを止めてしまう子もいるわ」
不思議な事を言う娘だ。
一応考えてはみるものの、歩みを止めてしまうような話は思い浮かばなかった。
だから、聞いた。
「例えば?」
「例えば、主人公が死んでしまい、悲しみに明け暮れて死を選ぶ、そんな話だってあるでしょう?」
なんだ。やっぱりそんな話はなかった。
「あら? 何をおかしなことを言っているの? そのヒロインだって前を向いて歩き出しているじゃない。いったい何がおかしいのかしら?」
「何を言って……」
懇切丁寧に教えてあげる。
「だって、主人公と、愛しい人と同じ場所に行こうと歩き出しているじゃない。ほら、とっても前向きでしょう?」
「っ!」
「到底私にはできないわ。愛しい人と同じ場所へ進む事も、悲劇に見舞われて、それを糧に立ち直ることも、私にはできない。結局今でもできなかった」
ええ、今でもこうして引きずってしまう程度には。でも、そんな私でもヒロインになれたの!
「でもね、私は見つけたの。誰でも簡単にヒロインになれる方法」
「……それは?」
あら? まだ理解されていなかった。しっかりと教えてあげなければ。
「あら、簡単よ。周りの誰よりも少しだけ不幸になればいいの。そうすれば、あら不思議。あっという間に悲劇のヒロインの完成よ。たまに、もっと不幸な人がいるなんてのたまう輩がいるけれど、そんな遠くの人なんて関係ないわ。みんなの世界は思ったよりもずっと狭いもの」
「悲劇のヒロインになりたいやつなんているものか!」
どうやら彼女には、『ヒロイン』についての理解もなかったようだ。
「あら、なぜかしら? ヒロインって大抵は何か悲劇に会うものよ。それが後か今かの違い」
彼女に理解の色が浮かぶ。
「あなたが、その竜と出会えたように、ヒロインには簡単になれるの。そして私はそれをいろんな人に教えてあげただけよ? 私だってヒロインになりたいのだもの。良いことをすればそれだけヒロインに近づける。ええ、そうよ! あのお方のために頑張ればあのお方のヒロインになれるはずなの!」
ええ、まだ私はあの人のヒロインになり切れていないの! みんなを救うついでに私もゆっくりとあの人に近づくわ!
私の話が終わって、あたりは静寂に包まれた。
おかしいわね? なぜ、これほど静かになったのかしら。見まわした様子から伝わる感情は畏れ。可笑しいわ。私は普通のことを話したのに、なぜそんな目で私を見ているのかしら。まるで、狂人を見るような目で。
多少たがは外れてしまっていたけれど、それは確かに私の本心でもある。もう少し伝え方もあったのかもしれないけれど、そんな目で見られるいわれはない。
その時、私の脳内に直接声が響いてきた――。
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あたりは、一人を除いて狂気に包まれていた。この場の空気にのまれなかったたった一人には初めから動く気などないようで、にやにやと気色の悪い笑みを浮かべながら様子をうかがっている。
しかし、その空気は唐突に終わりを迎える。
「……え? ――はい。承知しました。バカとわすでに合流済みですので直ちにそちらへ向かいます。もうしばらくお待ちくださいませ」
フィアネアが何もいないのに虚空を見つめ独り言をつぶやき始めたのだ。その独り言もすぐに終わりこちらに向き直った。あの短い間で彼女の創りだした狂気の気配は霧散している。
「われらが主がお呼びらしいので、ワタクシわこのあたりで失礼させていただきますわ。でわ」
プレッシャーがなくなったがゆえにとっさにその言葉に反応できた。
「逃がすか!」
魔法でも何でもない、ただ反射的に手が出ただけの攻撃。しかし、竜である俺のそれは十分な脅威となる――はずだった。
「あら、いやだわ。そんな物騒なことしないでくださる? でわ、今回わあなたに頂いたこれで対処させていただきますね」
彼女がそういった次の瞬間、視界にはどこかで見たことのあるような石礫がびっしりと浮かび、飛んできていた。
俺の手と礫がぶつかり激しい衝撃、音とともに煙をまき散らす。
「ぐぬぅ!」
普通の魔法を食らったことはないが、恐らく普通の魔法の威力ではない。かすかに俺自身の魔力を感じたからだ。竜の俺と拮抗するそれの正体は、多少手を加えられているようだが十中八九、先ほど俺が放った魔法だろう。
どうやら、警戒していた俺の魔法をどうにかした手段は、吸収系統の何かが正解だったか。
土煙がゆっくりとはれていく。
当然だが、そこに奴らの姿はすでになかった。謎の敵。正直こんなあからさまな連中がいるとは思わなかったが、この先明らかにこの世界で過ごす中で相対するであろう厄介な連中だ。できれば仕留めるなり確保するなりしておきたかったが致し方あるまい。情報が少なすぎた。
軽く構えながら様子を見てみるが、どうやら完全に逃げたようだ。
「逃がしたか」
「カース様!」
アイリーンの声が聞こえてくる。その声からは俺を心配する感情がにじんでいた。
後ろを見ると、駆け寄ってくるアイリーンや、気絶したままの傷の旅団の面々、数少ない意識の残っているサラなどの旅団員が見える。
「大丈夫だ。問題ない」
どうやら、ひとまず終わったようだ。
初めは、奴隷に関するあれこれをどうにかしようとこの街に来たはずだったのに、気が付けば随分と大事になっていた。
今いる場所が、門からすぐの屋敷の庭という事もあって、俺の竜としての姿は良くも悪くも目立ってしまっている。それだけじゃなく、数回とはい派手に魔法のやり取りもしてしまった。激しくやり合ったはずなのに碌に避難していないのは、おそらく戦っていたのが見たことがないとはいえ竜だったのも影響しているのだろう。軽く見ただけでも随分と街中の住人の注目の的となっていた。
「ひとまず人の姿に戻ろうかね。服、アイリーンに頼まないとな」
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「やあ、お帰り」
一人の男と、うっすら透けた少女を、まるで玉座のように設置された椅子に座る少年が迎えた。
「申し訳ありませんでした……」
開口一番にそう謝罪したのは、うっすら透けた少女――フィアネアだった。
「どうしたんだい?」
少年はフィアネアが何をしてきていたかを知っていた。知っていてそう訊き返したのだ。
「私が、浅慮にもドーグの街であのような行動に出てしまい、まことに申し訳ございませんでした。どうか、お見捨てにならないでください!」
フィアネアの言葉を、少年は微笑みながら聞いていた。
少年は、怒りなどないかのように答えた。いや、実際に少年に怒りなどなかった。
「おかしなことを言うね、フィアは」
「え?」
「僕はただ君に怪我がなければそれでいいよ。それに、僕の計画は計画であって計画でない、その場その場で独立した、行き当たりばったりの行動だ。最終目的こそあれ、中間は適当でもどうにかなるんだよ。結局は最終目的さえ果たせればそれでいいんだ。そもそも最終目的を果たそうとしているころには僕らのことも知れ渡っているだろうさ。それを考えれば今回のことは大した問題にならないよ」
フィアネアが呆然としている間に、少年はそれに、と話を続ける。
「それに助けるって約束したでしょ?」
「ありがとうございます。ああ、やはり、わたしを愛してくれるのはあなた様だけです……」
フィアネアは話を理解し、心配されていたという事実を噛み締め、ただそう返した。
その答えに苦笑いを浮かべ、何かをごまかすように様々な食べ物が入った袋を差し出す。
「うん、まあ、とりあえず、何か食べる? ネウルメタの屋台で買ってきたんだ」
「では、これをいただきます!」
その中にあった鳥の串焼きを受け取ったのを確認して、少年は、フィアネアと一緒に来た男――コランに視線を向ける。
「うん。まあ、心配する必要があるのかはなはな疑問ではあるんだけれど一応、形式として聞いておこうか。怪我はないかい? あと、なんか食べる?」
「はっはっは、ひっでえなあ。まあ、その通りなんだがなぁ。怪我はない。すれすれだったがなあ。ああ、俺も串焼きでえ」
少年の質問はフィアネアの時と比べるとあんまりなものではあったが、その扱いや、コランという人物をそれなりに知っている者がほとんどゆえか、この場にいる者――と言っても少年とそのそばに立つ少女、フィアネア、コラン本人以外には、数人しかいない――がこれといった不信感などはなく、そのやり取りを眺めていた。
「さ、ちょっと一悶着会った子たちもいた様子だけど、ひとまず無事、みんな集まったね。別に今後もやることは大して変わらないんだけど、一応、みんなの前で宣言しておこうと思ってここに呼んだんだ」
その言葉に少年のすぐそばに控えて立っていた一人の少女が反応する。
「ではようやく大々的に動き出してもよいという事ですか?」
「まあ、そんなに大きなことをしようとしてるやつは少ないけどね。――さあ、みんな、世界に激動を。うん。好きなことをしよう!」
少年は、にやり、と笑みを浮かべた。
返事はない。うっすらと口角を上げる者や、眠そうにあくびをしている者、壁にうつかり何かを読む者など、反応はさまざまであったが、その誰もがしっかりと話は聞いており、今までため込んでいた何かを開放できる静かな喜びの感情が溢れていた。




