復讐の結末3
「それはあ、困るなあ。俺がつまらなくう、なっちまう」
それは、屋敷の屋根の上にしゃがみ覗き込むようにして、こちらを見下ろしていた。
まるで、何も見ていないかのようなあやふやな視線を放つ赤い瞳。裾は擦り切れ、襟首は伸びきってヨタヨタになっているボロボロの無地の服と、同じくところどころ擦り切れているようなボロボロの何の変哲もない布のズボンを身にまとう、常に不気味な笑顔をうっすらと顔に浮かべた男。
その姿は、まさしく異様。目の前の集団や、すっかり話から置いてけぼりを食らっていた屋敷の衛兵、そしてアイリーンすらその存在に気がついてはいなかった。
「お前は……?」
思わず問いかけてしまったが、俺自身答えが返ってくるなどとは露ほどにも思っていない。どう考えても善人には見えないのだから当たり前だ。
「さあてねえ?」
案の定そんな答えが返ってきた。
「ああ、ただあ、俺の目的はなあ、楽しいことができればそれでいいんだよお」
そう一方的に目的を告げると今までうっすらと浮かべていた不気味な笑顔を、にたあっと、まとわりつくような不快な笑みに代え深くさせた。
ふとあることが頭に浮かぶ。アイリーンの糸はこの街の全域に張られているはずなのだ。それなのにアイリーンですらあの男の存在を察知できなかった。こんなことがほんの少し前にもなかっただろうか?
俺の予想が正しければ、いや、傷の旅団が何も知らなかった先ほどのことを知っている者がここにいればその誰もが同じ結論に達していただろう。あいつが先の宿屋の襲撃の犯人だ、と。
「一つ問いたい。街にある宿屋を襲ったのもお前か?」
すると、男は先ほどとは違いその目をしっかりとこちらに受けて、答えた。
「おおお、そうだあ。あれは俺がやった。だから、わかるだろおう? そこの集団がいなくなると、なすりつける相手がいなくなるんだよお。それじゃあ、面倒なんだよお」
実に自分勝手な言い分で、実に度し難い屑だった。厄介なのはそこに力が伴ってしまっていること。
俺にはさほど影響はないが、確実にあいつは俺たちを威圧してきている。証拠にアイリーンは先ほどから身を固くさせたまま臨戦態勢を崩さないし、後ろにいる傷の旅団の彼女たちも多くの者が重圧に負け膝をついている。おっさんに至っては護衛ともども泡を吹いて夢の中だった。いや、おっさんたちだけではないようだ。傷の旅団の者の中にもおっさんたちほど見苦しくはないものの、静かに意識を失うものが増えてきている。
それに、あいつはたった今認めたのだ。先ほどの街での惨劇の、その犯人であると。そして、先ほどの登場。一度ならず二度までも、だ。つまりあいつには、アイリーンの糸を無効化する何かしらが間違いなくあるのだ。
そしてとうとうその緊張が崩れる。謎の男が屋根から飛び降りたのだ。それと同時に、緊張にさらされていたが故だろう、たまらずといったようにアイリーンが飛び出す。
「カース様、ここは私があの不届きものの気を引きます。どうかその間に目的をお果たし下さい」
アイリーンが切羽詰まったようにそう言った。あいつの常に浮かべているような不気味な笑みに触発されたのだろう。
「アイリーン!」
「大丈夫です、おまかせください。カース様は先にご自身の目的を!」
どうやらアイリーンは先ほどの言葉の内容を変えるつもりはないらしい。どれほどのものかはわからないが、少なくともアイリーンがまともに俺の状態を確認できないほどの威圧なのだろう。現に俺は涼しい顔をしてここに立っているはずなのだ。それに気が付けば、多少は冷静にもなれたであろうにアイリーンはその顔に緊張の色を浮かばせている。
「仕方がない」
おそらくアイリーンは俺が目的を終えるまで止まらない。ならば、可能な限り早くこちらを片づけるしか方法はない。
俺は静かにアイリーンたちから目を離し、後ろにいる傷の旅団の面々に視線をやった。
先ほどから嫌な予感が俺の心をざわつかせていた。
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それは、わたしすら気が付かぬうちにそこにいた。
屋根の上からけだるそうに見下す男。
はっきり言って、不快だ。しかし、それを口に出すことができない。今までに、火竜以外から感じたことのないほどの威圧。
一瞬たりとも目を離せない、身じろぎすら厳しく感じるほどの重圧だった。
「お前は……?」
カース様の声が聞こえた。
それでも、カース様の方へ視線を向けることができない。
奴の気配が、視線を外させてくれない。
「さあてねえ?」
そんな答えを奴が返している。
「ああ、ただあ、俺の目的はなあ、楽しいことができればそれでいいんだよお」
その後に続く言葉にすら私は反応することができない。
少し前までの私なら、強いものと戦えると聞けば、それだけで舞い上がっていたはずなのに。
あれは火竜とは違う。
私は明確に理解してしまった。
火竜の時に殺気はなかった。
こいつは常にこれでもかというほどの殺気を放っていた。こいつの威圧には、明確に相手を殺すという意思が乗せられていた。
その威圧にさらされ、私は気が付いてしまったのだ。
私には、命を懸ける覚悟などできていなかったのだと。
刺激を求めている、強者を求めているのだと気がついても、そこに命を懸けるということまでは気が付いていなかった。火竜に十分に戦える相手を求めているといわれても、”十分に戦える”の基準を勘違いしていたのだと。
あの時火竜にすら言われなかった。圧倒的力に対して覚えた高揚はあくまで、殺意のないものだからだったのだ。
『十分に戦える』――火竜の言っていたその基準が、『命を懸けていれば』すらを含んでいたのだと私は今の今まで気が付いていなかった。あの時私が求めていたのは、本当は安全圏からの戦いであったのだと気が付いてしまった。火竜との会話は、心の奥底ではかみ合っていなかったのだろう。
少し前の同族との殺し合い。あの時の私は同じ実力の相手と殺し合いを楽しんでいた……つもりでいた。しかし、実際は理解していたのだろう、相手と自分の実力差を。本当はそこに命の取り合いなどなかったという事を。あれは、一方的なやり取りだった。
思わず懐に手が伸びる。一つの魔石に手が触れた。私の前で、私が消したあいつのことが脳裏をよぎる。
きっとあの時、最期に言われたこともきっと私の心のどこかにとげを残していったんだろう。
以前ならそれほど死に対して忌避感は抱いていなかったはずなのだ。そうでなければ、たとえ殺気がない威圧だろうと、その圧倒的力の差に命の危機を覚えていたはずなのだから。
それでも私は動かなければならない。私は、カース様に見捨てられたくない。失望されたくない。カース様はおいていくようなことはしない、無下にあしらうようなことはしないとおっしゃってくださった。しかし、それでも私はその言葉に慢心してはならない、そんなことあってはならないのだ。
しかし、それと同時に、やはり死んではならないという思いも消えはしない。もちろん、死を恐れないという覚悟を決めることは、きっと今ならできるだろう。私は、カース様に役立たずなどと思われたくはないから。それでも、実際に死にに行くのは違う。
私の前で、思い半ばにして消えていった、愚か者を目にしているからこそ、より強くそう思える。
あの時のあいつのように志半ばにして、夢を妥協して、思いをあきらめて死んでいく気はさらさらない。
私は誓ったのだ。お前のようにはならないと。であればやはりここで死ぬのは違うのだ。
恐らく私はあいつに勝てない。でも、カース様の邪魔はさせない。
一つ静かに目を瞑り、はっきりとその思いを形にする。
私では、一つしか、これらの条件を満たせる選択肢が思い浮かばなかった。
不本意でも、配下としてあるまじき行為でも、私はその選択肢を選ぶ。それを選ぶのははっきり言って死ぬことと同じくらい怖い。それによってカース様がどうお考えになるのかが怖いのだ。もし嫌われてしまったら、失望されてしまったら、そう思うと怖くて仕方がない。切羽詰まり、命を代償にする覚悟をすることはできても、その選択肢を選ぼうとするのはやはり更なる勇気が必要だった。
それは、死なずにあいつを足止めすること。そして、そのあと、カース様にそのバトンを渡すという、配下としては考えられないような選択。
しかし、私ではそれしか選択肢が思いつかなかった。
だから、覚悟をするのだ。
「カース様、ここは私があの不届きものの気を引きます。どうかその間に目的をお果たし下さい」
カース様にそう声をかける。
「アイリーン!」
カース様が心配してくれている。その声がより私を勇気づけた。
「大丈夫です、おまかせください。カース様は先にご自身の目的を!」
カース様の目的は、当初は首輪の詳細だったはずだ。そして、ことが大きくなった結果と、カース様や周りとの会話を聞いた様子を合わせて考えれば、そこに首輪の被害者の救済が目的に加わったように見えた。ならば。配下としての私の役割はその目的の遂行の補助。
今で言うなら、明確にカース様の邪魔をしようとしているあいつを足止めすることだ。
覚悟は、できた。
私は振り向かずに正体不明のあいつに突っ込む。
「はああぁぁぁあ!」
何でもないごく普通の掌底。これはあくまでもけん制だ。カース様に近づけさせはしない。
「おおお、こわいこわい」
予想通り、軽くいなされてしまった。
しかし、そんなことよりもしゃべり方がいちいち耳障りだな。さっさと黙らせてしまおう。
そうだ。よく考えれば、私が先にそう思ってしまっただけで、今のところその確たる根拠は一応存在していないのだ。だから、別に必ず負けると決まったわけではない。ベストはこいつを倒すことなのだ。
全力で行く。万に一つでもあいつを倒せるかもしれない。そう思うと、どことなく力がわいてくる気がした。
さあ、不審者よ。私は、そう簡単にやれる相手ではないぞ?
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アイリーンはどう考えても周りが見えていない。どことなくテンションがハイになっている気がしてならない。
俺はこの世界に来てから感じたことのない焦燥感を感じていた。
とにかく、『治療』を済ませアイリーンに合流しなければ。
静かに、迅速に傷の旅団の面々を見る。すでにまともに立っているのは、初めにアイリーンに止められていたカメリアとすでに治療済みのサラ、そして名前は分からないが集団の中でも前の方、カメリアの隣に立っていた二人の女だけだ。
しかも、その四人以外は立っていないどころではなく、ほぼみんな意識がないような状況だった。
それだけで、闖入者の威圧がどれほどのものだったのかがわかる。
しかし、さすがにいちいち意識を取り戻させるのは時間がかかりすぎるな……。それに一人一人回るわけにもいかない。やはり、リスキーではあるが一度に全員に魔法を使用するしか、最善手はないだろう。
今回も謎の声が手を貸してくれるとは限らない。だが、やらなければ始まらない。今はあまり悩んでいる時間もないし、一度できている分感覚的には楽なはずだし、なぜだかわからないが、今ならば不思議とできる気がする。
急ぎなので特に確認を取ったりはしない。軽く、旅団員全員を覆うように、飛ぶときに展開しているような障壁を展開する。
もともとアイリーンが相手をし始めてからは多少なりとも負担が軽くなっていた様子ではあるが、元が実力者のアイリーンと得体のしれないしかし、力はある輩との戦いだ。その余波でも十分負担になっていることが、いまだに漂う俺の魔力を通して伝わってきていた。
だからこそ、負担が俺の魔法に変な影響を及ぼさないようにするためにも、彼女たちの負担を減らすためにも、そのような障壁を展開したのだ。事実、それによって表情も楽になっているようだ。
しかし、そこで手を緩めたりはしない。とにかく速く。
誰がどの部位だとかはさすがにわからない。だが、それは先ほどと大して変わらない。やり方は同じだ。
先ほどのように、魔力を練る。人、という存在をおぼろげにとらえるように、そこから異物を排斥し代替となる存在を当てはめるように。
一人一人を想像するのではない。今回は人数が多い。だから、初めに基本を決めて、異物と入れ替えるよう指示を出しつつ、それをコピー&ペーストのように各々に当てはめるのだ。
いくら一度補助付きでできたとはいえ、やはり一筋縄ではいきそうにない。
すると先ほどの感覚がまた訪れた。今回は声こそないがどうやらまた謎の存在がサポートしてくれたらしい。
よし……! これならまた成功できる!
前よりも大規模に、光の帯が絡み合いながら空を舞い、傷の旅団の面々に吸い込まれていく。同時に、舞い上がる、異物を変換した証である光の粒子が天へと昇って薄れて消える。
一度だけ小規模とはいえ見た光景。しかし、しょせんそれは小規模。文字通り規模が違うのだ。己の足で立って意識を保っていた四人は、確実に先ほどよりもその幻想に圧倒されていた。
次第に光の帯が収まり、粒子も消える。
今回はさすがに一人一人、確認している暇はないがそれでも、一人くらいは確認を取っておく。
という事で個人的に一番手近な先ほどのサラのようになっているカメリアに声をかけた。
「カメリア、だったか? 体の調子はどうだ。できるだけ簡潔に答えてくれるとありがたい」
俺の言葉を理解すると同時に軽く屈伸のような動作をし、軽くその場で飛び跳ねた。
「大丈夫です。問題ありません」
ん? なんか違和感。この人こんな丁寧なしゃべりだったっけ? あ、でもそんなにこの人しゃべってないな。
それよりも、アイリーンの方だ。
実際にカメリアは簡単な確認の後、実に端的に結果を知らせてくれた。
「わかった。俺は今からアイリーンの方に手を貸す。こちらは任せた。俺の魔力で張った結界から出ないように」
俺もそのように少々ぶっきら棒すぎる気もする口調でそう告げ、アイリーンに合流すべく後ろを振り返った。
ちょうどそのタイミングで、ドゴンという轟音とともにアイリーンが吹き飛ばされてきた。
なにやら尖った何かでがりがりと石畳を削りながらアイリーンが俺の隣で停止しする。
うわ!
俺はとっさに声が出そうになったのをこらえた。アイリーンが吹っ飛ばされた時に地面に突き立てていたものはアイリーンの腕だった。正しくは腕の位置にある蜘蛛の脚だ。
それがアイリーンが立ち上がった際にきちきちと音を立ててうごめいていたせいで思わず声が出そうになったのだ。
そうか……。アイリーンってあんな感じで一部分だけ戻せたりもするんだな。正直、ただ全体像を見るよりも来るものがあるな。
ただし、その光景を見て俺は安心していた。全体をざっと見たところ、アイリーンの服はところどころ破れていたし、かすり傷や擦り傷のようなものもわずかにあったが、致命傷となりそうなものやあざみたいなものはなかったからだ。俺の魔力を通して伝わってくる感情なんかにも苦しいや、つらいといった感情は感じられなかった。もちろん魔力も薄まってきているのですべてがきっちりと伝わってきているわけではないだろうが、それでもこれだけわかれば十分だった。
ちなみに謎の男のところまではもう魔力が薄れていきわたっていないのでさすがに感情なんかは分からない。
「カース様、申し訳ありません」
アイリーンが話しかけてきた。特にこちらに顔を向けることなく、また構えなおしているあたり、どうやら、俺の方が終わったから機を見てこちらに飛んできたようだ。音や状況から察するに、本当に受け止められていなかったという事もあったようだが、ある程度は意識してのことだったんだろう。
そこで、ふと思い至った。俺は何でこんなに焦っていたのだろうか。今は無事なアイリーンの姿を見て安心している。
しかし、こと、ここに至るまで、気が付きもしなかった。この世界に来てから初めて感じていた焦燥感。少し前まではあれほど悩んでいたというのに、いざ現実として経験したとき、何に対して焦っているかなど考えが至ることすらなかった。
俺は、今、命の危機に対して焦っていた。しかも、自分の命がではない。仲間の命に対して。それが失われてしまうのではないか、と。その事態を恐れていたのだ。
これが他人であったならどんな気持ちを抱いていたのかわからない。しかし、仲間の命に対してこれだけの気持ちになれるのであれば、先の悩みを薄れさせてくれるだけの力はある。
俺は、この世界にきて失ってしまったのではないかとすら思っていたことが、人間性とてもいうべきものが欠片でも俺の中に残っていたことが、うれしく思えた。その事実にひどく安堵していた。
「は、ははは、はははは! よくやったアイリーン!」
突然の俺の笑い声と、ほめる言葉にアイリーン含め全体が困惑していた。それはそうだろう。アイリーンがよくやってくれたのは確かなので納得がいくが急に笑い出したことが理解されていない。
だがそれは当たり前だ。個人的な悩みが軽減されたことにより、俺が思わず挙げてしまった笑いだったのだから。
それに実を言えばアイリーンをほめている理由もきっと周囲が思い描いている者とは違う。
俺は確かにアイリーンをほめた。だが、あいつを抑えてくれていたからではないのだ。生きていてくれたことに対してなのだ。
でもこれは口にはしない。あくまでも俺だけの問題だから。ただアイリーンをほめたかったから。――感謝したかったから。
「さ、アイリーンよ。あとは任せろ。お前はよくやった。私は今、心の底から感謝している!」
それだけを一方的に言った。返事などは聞かないし意見も聞かない。さて次はあいつだ。俺は安堵した反動からか、少なからずアイリーンに傷を負わせた不審者に対して怒りを抱いていた。過保護すぎるかもしれないが、それでもこの世界に来てしまってからできた、初めての失いたくない者なのだ。少しくらいはきっと大目に見てくれるだろう。
それに、アイリーンという少なくともこの世界に来てから見た中でも有数の強さを持つものを傷つけられるような存在を、そう簡単に見過ごすわけにはいかない。
「次は俺の番だ。わずかとはいえ擦り傷切り傷があったんだ。仲間を傷つけられたのだから、当然お返しせねばなるまい?」
俺の言葉を、凶悪ともいえるような満面の笑顔と、ほぼ無意識に出ていた威圧とともに受けた不審者の顔は、間違いなく引きつっていた。
いろいろあったりした結果、なかなかモチベーションが上がらずこれほどまでに時間がたってしまいました。誠に申し訳ございませんでした。




