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豚角煮丼と牛乳

「リリス! こんなところでどうしたんだよ」

 拘束を解いてリリスを抱き起こしながら、倒れた時に付着した埃を払い除ける。鉄黒色の髪がところどころ白髪のようになっていた。

 リリスは微妙な表情を浮かべながら指先を宙へと泳がせる

『ゼプトについて来ました。街出条件として使い魔の監視付きですが』

「使い魔ってカササギのことか? ってことはカササギと一緒に来たのか?」

『はい』

 そう答えたリリスは宙に記号のようなものを描く。それは窓の外、向かいの家の屋根にいるカササギに見えるように書かれた合図のような記号だった。

 それを機にカササギは屋根から滑空して、ナノ達がいる廃墟の二階へと降り立った。

「悪いな。一芝居打たせてもらった」

 本当に悪いと思っているとは思えない口調だ。

「なんだよ? 俺をここに呼びたかったのか?」

 そう訊くナノに対して、リリスはどこかを見て、もじもじとしている。その視線の先を追うとエースがいた。

「あー、そこのちっこいの。少し席を外せ」

 カササギは言葉遣いを選ぼうとしたが放棄し、ぞんざいにエースのことをちっこいのと呼ぶ。

「僕はお邪魔ですか?」

 エースがいるため二人は話しづらいらしい。

リリスの存在を他の者達が知らないこともあり、その素性は秘匿する必要がある。そのため、リリスは戦士組の一員とはいえ、まだ心を許さないエースを前にしては話したいことも話せないようだ。

「エース、悪いけど俺とリリスの二人で話したいことがあるんだ。外で待っててくれないか?」

 ナノは屈み、エースと同じ目線にしてお願いする。見た目が幼いエースには自然と諭すような口調になるのは仕方ない。

「分かった」

 エースは素直に応え、今昇ってきた階段を下りる。エースの小さな体では軋む階段も軋まないようだ。

「俺はあの嬢ちゃんを見張ってる」

 そういってカササギは再び外に出ようとする。その嬢ちゃんとはエースのことのようだ。

「エースは男だぞ?」

 勘違いしているカササギにエースの性別を正してやる。

「……人間の性別は分かりにくいな」

 ――烏の性別の方が分かりにくいだろ。

 カササギは翼を広げて外に出る。

 そうすると、この場に残るのはナノとリリスの二人だけである。

「リリス、どうしたんだ? わざわざおびき出すように俺をここに誘導して」

 改めてリリスに尋ねる。

『実はゼプトさんに言われてきたんです』

「ゼプトに?」

 ――そういえば、ゼプトと一緒に来たんだったな。

 バスの昇降口の列に二人の姿は無かった。他の手段できっと来たのだろう。

『はい。貴方は私のために動いてくれている。なら、それを見届けるのが道理だとゼプトに諭されました』

 見届ける。それは彼女がここにいる理由。そしてその意思を伝えるためナノをここに誘い込んだ理由。

 それは義務に近い考えなのか、それとも、そうしてもいいという選択肢を提示され自ら選んだのか。

 前者か後者か、リリスの表情を見れば分かる。

「分かった。最後まで見てろ」

 ナノはリリスの頭に手を置き、笑って髪を撫でて言った。

――誰かに見られてるならかっこつけなきゃな。

ぐるるぅきゅう。

腹の虫はそれを許さない。

陽はすっかり昇っている。

昼食はまだ摂っていない。

「リリス、飯にしようか」

『はい』


 リリスの手を引いて廃墟を出て、エースとカササギと合流する。

「ナノさん。リリスさんも連れて行くんですか?」

「ああ、一緒に飯を食うことにしたんだ。テラとアテナとも合流してどっかで飯でも食うぞ」

「分かりました」

「カササギも一緒に食うか?」

 屋根の上で羽を休めているカササギの声をかける。

「お前の奢りならいいぜ」

 どこまでも現金なカササギ。

「分かった。俺が奢ってやるよ」

 カササギは屋根の上から滑空してナノの肩にポンと乗った。

「肉だ」

 どうやらカササギは肉が所望らしい。

 テラとアテナは喫茶店で紅茶を飲んでいた。

銀髪に褐色の姫、金髪に白肌の騎士の二人が並んでティーカップを傾けている。

「おーい、飯に行くぞ」

 そこに現れる肩に烏を乗せた魔女のローブを着た野生児が傍から見れば小柄な女の子を二人連れて歩いている。

「ナノ、急に走り出してどうしたのよ」

 テラは歩み寄るナノに問いただす。

「ああ、こいつを見かけて話しかけようとしたんだよ。詳しい話は後にして飯にしようぜ。飯」

 有無を言わさず腹が減ったとナノは言い、腹が満たされるまで聞く耳を持たないっといった体。

「そう。じゃあ、ここは私が支払っておくわ。アテナ、また今度ゆっくり話しましょう」

 テラは硬貨袋を取り出して席を立つ。

「ええ、僕ももっと貴女とゆっくり話したい」

二人はなぜか少し仲良しになったようだ。

店を出て少し歩くと良い匂いを漂わせる店を一件見つけた。看板には大きく商品が打ち出されていた。


 豚角煮丼。


 箸で摘めばぷるると震える。ネギやショウガを散らし、味醂、醤油、酒、砂糖で甘く煮込まれた豚肉は雪が溶けるような触感。つゆでしっとりとしたご飯。

 偶然立ち寄った店でここまで美味しいものと出会える幸運に感謝の念が尽きない。

 一杯で約一キロ。

 この量と旨さで一杯八〇エルグ。安い。

 ナノは五杯、アテナは四杯、リリスは二杯、テラとエースは一杯。計十三杯の一○八○エルグ。全てナノの支払いである。

 カササギはちゃっかりリリスから角煮を一切れ貰っていた。

「ごちそうさまでした」

 ナノが最後の一杯を食べ終えた。食後の余韻をお茶で楽しもうとすると、

「さて、ナノ。彼女はどういった人でしょうか?」

 アテナはご飯粒が付いた口元を布巾で拭い、口元が豚肉の脂で汚れたナノに訊く。

「こいつはリリス。今、うちに住んでる」

 リリスの口が少し汚れていたのでナノは自分よりも先にリリスの口元を拭いながら答えた。

「住んでるってあの男子寮でですか!?」

 ナノが家と差す場所を知っているテラが真っ先に反応する。

「ああ、今はあの男子寮は俺とリリスとゼプトの三人で今は使ってるんだ」

「テラ。ナノが言う家とはどんな場所なのですか?」

 アテナはテラにそう聞くが、テラもその内装をよく知るわけではないため、その問いに対してはナノが答えた。

「なるほど。これから僕達が滞在する場所になると聞いた場所ですね。それならば問題ありません。僕もそこに滞在するのですから」

 ――そういえば、そういう話になってたっけ。

 男子寮とは名ばかりの共同生活寮へと実態があらわになっている。

「本当にアテナもあの寮で暮らすの?」

 テラはアテナに本当にという部分を強調して訊く。それは質問というより、確認に近いものだった。

「はい。今年から戦士は魔女学校で暮らすという話ですので試験的な部分もあり、ならば僕のような女性も暮らせるのかという所でしょう」

 アテナはそのあたりを承知しているようだ。

「ナノ、あなたはどうも思わないの?」

「母さんに米を送ってもらう必要があるな」

 アテナの食べっぷりを見れば、実家から持ってきた米だけでは足りそうにない。

 テラの胸中を他所にナノは的外れな感想を口にし、矛先をエースへと向ける。

「エース、あなたも暮らすのよね?」

 見た目こそ女の子だが、性別は男だ。アテナと同じ屋根の下で寝泊りすることを何も思わないのだろうが。

「はい。ナノさんやアテナさんと一緒に暮らせるそうなので良かったです」

 男女の前に子供のようだ。

「……まぁいいわ。それで、そのリリスさんがどうして男子寮に滞在しているのかしら?」

 話は主題へと移り変わった。

「テラはクラウンのジンとマリーダがこの街にいるってことを知ってるよな?」

「ええ、クローネ先生から聞いたわ。それで戦士組との協調を図り、二人の足取りを追う。そうでしょ?」

「そうだ。その話のジンとマリーダがこの街にいるってことを教えてくれたのがこのリリスだ」

 リリスの少し癖のある髪を撫でる。

「そのリリスさんはどういう人なのかしら?」

 テラは少しだけ目を細めてリリスへと視線を向ける。すぐに信用しろというには無理がある。クローネの口から聞けば信用できる話もリリスが情報元だとすれば、信用度は各段に下がる。言外の意を汲み取るならば、私に信用させるだけの材料があるのかと問うているのだろう。しかし、ナノは言外の意を汲み取れない。

「クラウンが運営している施設と呼ばれる場所にいた人だ」

 ナノはリリスが校長室で話した内容を部分的に削って話した。ナノは嘘をつくことを嫌うため、話は変えることはしなかった。

「そう……。リリスさんが話せないのはそういう理由だったのね」

 テラは沈痛な面持ちで顔をふせた。お姫様には酷な話を聞かせたようだ。

「まぁそんな諸々があって今はうちにいるんだよ。これはクローネとフランももちろん知ってるし、家に住んでもいいってフランも言ってくれた」

「フラン校長が言うなら……仕方ないわね。リリスさんがナノと一緒に暮らしていることは分かったわ。でも、そのリリスさんがなぜここにいるのかしら?」

 それはそれ、これはこれという仮面を被ったような表情を持ち上げる。

『ゼプトについてきた』

 それに答えたのはリリスだった。

「あら、あなた。魔石の指輪なんて持ってたのね。ゼプトさんについてきたということはゼプトさんもこの近くにいるのかしら?」

『ゼプトが陶器市場で食器や鍋を見繕っている間は自由にしていいと言ったから、カササギ先生とナノを探しに来た』

 ――カササギ、リリスにも先生って呼ばせてんのか。

「鍋と食器って、鱈鍋のことかしら?」

 テラはナノが言っていた鱈鍋祭りのことを思い出したのだろう。

『はい』

 テラもリリスの言い分に納得したようだ。

「リリスさんがこの場にいる理由は分かりました。ですが、私達は学外講義の一環としてこの街で調査を行っています。それにリリスさんが同行する必要性はありません」

「そのことなんだがな、嬢ちゃん」

 店先でのんびりしていたカササギが店内をよちよちと歩きながら答えた。

「リリスはゼプトに言われて来たんだよ。ナノを見届けろってな」

「……ゼプトさんが、ですか?」

 ゼプトの名前を出され言い淀む。テラはナノ、リリス、カササギを順番に見つめて大きく溜息をついた。

「分かりました」

 テラは何かを諦めたように肩を落とした。

「じゃあ、これからは五人で行動しようか」

 これで決まったとナノは笑った。

「おい、俺を勘定に入れてねぇぞ。この野郎」

 カササギは飛び上がり、ナノの頭をつつく。しかし、痛んだのはカササギの嘴の方だった。

『カササギ先生、ナノの頭は短剣でも傷つけるのは難しいですよ』

 これが冗談に聞こえないのはナノだけだった。


 昼食を挟み、二軒目の喫茶店へと向かう。三軒の喫茶店の中では一番大きく、海を眺めながら飲む紅茶は美味そうだ。店内を覗けばナノの見知った顔があった。

 ユウちゃんが、私服で、椅子に座って足を組み、本を読んでいる。

 それはとても絵になる姿だった。

 ――あ、目があった。うわ、こっちに来た。

「ナノ君じゃない! どうしたのこんなところで!」

 非常に声が高く大きい。リラックスしていた周囲の客の視線が突き刺さるように感じる。

「ちょっと人探しを」

 ナノはこの人に対し、苦手意識を持っている。

「うわ! 可愛い女の子を四人も連れてどうしたの? デート?」

 人の話を聞くつもりはないらしい。

「あの、僕は男です」

 勝手に女の子の勘定に入れられていたエースはすぐに訂正した。気分を害した様子はないので、慣れているのだろう。

「あら、男の子なの? 全然見えない。可愛いわね」

 ユウちゃんはエースのことが気に入ったのか中腰になってエースと同じ目線で話した。キスでもしそうな勢いで顔が近い。

「ユウちゃんはどうしてここに?」

「この店、マスターの腕は普通なんだけど茶葉の種類が豊富であんまり扱ってない品種も扱ってるからよく来てるの」

 店内で堂々とマスターの腕が並だと公言するユウちゃん。

 ――ユウちゃんはこの店によく来てるのか。

 それならば、聞き込みをするならユウちゃんの方が適しているのかもしれないとナノは考える。

「ユウちゃんはこの店で黒ずくめの男女の二人組を見なかった? その二人組を探してるんだけど」

 それを聞いてユウちゃんは腕を組み、うんうんと唸ってから答える。

「黒ずくめの男女の二人組ねぇ……私は見てないわ」

「そっか。ありがとう」

 ナノは礼を述べ立ち去ろうとすると、文字通り後ろ髪を引かれた。

「待って! ナノ君はゼプトさんと一緒に住んでるのよね?」

「ああ、そうだけど」

「なら、これを渡してくれないかな?」

 そういってユウちゃんは包み紙を手渡してくれた。仄かにバターの香りがする。

「これは?」

「クッキーよ。この前、茶葉を貰ったお礼にってゼプトさんに渡してくれないかな?」

 ――図書館でそんなこと言ってたっけ。

「それなら直接渡しなよ。なんなら今日の夜にでも寮に来ないか?」

「私が寮に?」

「うん。今晩は鱈鍋で皆集まるからさ」

「皆ってゼプトさんも?」

「もちろん」

「いく!」

 ユウちゃんは勢い良く承諾してくれた。

 ――思ったより人数が増えてきたな。

 ナノ、ゼプト、リリス、テラ、マイ、テラ、ライル、ダン、アテナ、エース、クローネ、ユウちゃん。総数十二人。

 ゼプトに十人ぐらいと言ったものの、簡単に人数が超過している。材料が足りるか心配だ。

「じゃあ、今晩に男子寮に来てくれ。今、陶器市場でゼプトが買い物をしてるらしいから、クッキーを手渡すなら行ってみるといいよ」

 ふとした思いつきでユウちゃんをゼプトの所へ誘導してみる。

「ゼプトさんが街に来てるのね。ありがとうナノ君。すぐに行くわ」

 ユウちゃんはさっさと本を鞄に仕舞うと会計を済ませ外に出て行った。

「ナノ、彼女は誰なんですか?」

 ナノとユウちゃんのやりとりをただ見ていただけだったアテナが口を開いた。

「ああ、ユウちゃんは魔女学校の図書館の司書をしている人。一応、研究員らしい」

 それが本当なのかはナノには分からないが、本人がそう言っている以上そう説明するしかない。

「なるほど」

「それと、クローネ先生と同期らしい」

 クローネの見た目も十分に若々しいがユウちゃんはそれに輪をかけている。なんというか、活力の塊のような人だ。

「ユウちゃんがここで二人を見かけてないって言ってたし、次の店に行こうか」

 散々店内の雰囲気を壊しているにもかかわらず、紅茶の一杯も飲むことなく全員が店を出る。


 三軒目の喫茶店は年季の入った店だった。いかにも老舗といった雰囲気を醸し出し、長年店を支えた柱は独特の香りを持っていた。

 店内に客の姿はなく閑古鳥が鳴く状態だ。

「おっさん。ここに黒ずくめ男女の二人組がこなかったか?」

「…………」

 店長であろう老いた男性が黙々と食器を磨いていた。ナノの声が小さいのかおっさんの耳が遠いのか判断に困る。

 ナノは

「おじさん、僕はチャイ」

 エースが地面に足が届かない程に高い椅子に上って座り注文をする。

「私はH.M.Bを」

 次はテラが腰掛け注文する。

「俺はアールグレイをもらおうか」

 今度はナノの肩に留まるカササギが注文をする。

「なら僕はレディグレイを」

『私もレディグレイでお願いします』

 それに続いてアテナとリリスが注文をする。

 ――なんだ?

 皆が口にする魔術の詠唱のような聞き慣れぬ名称に戸惑った。

「…………」

 おっさんの視線がナノに向けられる。それは『あんたは何を注文するんだい?』といった問いかけのような表情だ。

 おっさんがカップを取り出すところを見て、何を飲むのかと聞いてるのだと気付いた。

「牛乳を」

 冷たい牛乳が出てきた。

 

 ナノは烏にも劣る無作法をしたようだ。あるいは不躾か。

「ナノ、こういった店は始めてかしら?」

 そう尋ねるテラ。どこかしらナノを小馬鹿にしているのかからかっているのか、笑顔で訊いた。友達同士の気安さがあるのかもしれない。

「始めても何も一軒目の時と二軒目の時は何もなかったじゃんか」

 一軒目の時も二軒目の時も何も言われなかった。

「ここは特別なのよ。さっきまでの店は休憩や軽食をするための場所。ここはゆったりとした時間を過ごす場所」

 ――?

 ナノにはその違いが分からない。

「簡単に言うとだな。ここは客同士が語らう場所なんだよ」

 そういうカササギは器用にアールグレイとやらを飲んでいる。

「ナノ、田舎暮らしとはいえ多少は作法を学ぶべきです」

 アテナは淑女といった凛々しい姿でカップを傾ける。エースもそれにならった静かにカップを傾ける。

 ナノは戦士組以上に無教養であることが発覚した。

「リリスは知ってたのか?」

『私はジンさんやマリーダさんに教えてもらいました』

 ナノの胸中は複雑である。

「そっか。悪かったなおっさん。こういう店は初めてなんだ」

 ナノは牛乳で満たされたコップを傾けて詫びた。

「…………」

 おっさんは黙ったままだ。

 ――もしかして、リリスと同じで喋れないのかな?

 ナノは首を長くしておっさんの皺が浮き出した首を覗き込むが、特に傷らしいものは見えない。

「ナノ、何をしているのですか?」

 アテナが冷めた視線を送る。

「いや、なにもない」

 ナノは大人しく牛乳を飲みながら店内をよく見てみる。

 視覚的には店の奥が見えないほど暗くもなく、目が痛い程に明るくもない。窓から射す陽光が磨かれた床を反射して明るいと感じる。全体的に茶色で落ち着いた雰囲気があり、夜はランプが点灯し温かな雰囲気になることが分かる。客が十数人もくれば満席となる程度にしか席はない。店の奥には階段がある。窓の外は水平線と漁船が見える。

 聴覚的には外の喧騒とは隔離されたように静かな店内にはおっさんが食器を磨く音と今いる客(ナノを含めた五人と一羽)の話し声と笑い声が聞こえる。

 嗅覚的には老舗独特の香りがノスタルジックな気持ちを抱かせる。その中に混じる紅茶の揺蕩う香りが全身を弛緩させ、凝り固まった心さえも解すような気がする。

 味覚的には牛乳だ。

 

「おじさん。ここに黒い服を着たお兄さんとお姉さんが来ませんでした?」

 空気が和やかになったところでエースがおっさんに訊く。この中で一番警戒心を抱かれないとすれば武器も持たず容姿も幼いエースが適任だろう。

「……知らんな」

 おっさんはただ一言そう答えた。

「分かりました。チャイ、美味しかったです」

 エースは高椅子から飛び降りる。

「ナノさん、ご馳走様です」

 どうやらエースは奢ってもらう前提で最初に頼んだらしい。

「では、私もこれで失礼させてもらうわ。おじ様、味は落ちていないようで安心しました」

 テラも席を立つ。やはりテラもナノに払ってもらうつもりらしい。それと、この店には前にも来たことがあるようだ。

「では、僕達も行きましょうか」

『私も行きます。ごちそうさまでした』

 アテナとリリスも店を出る。残されたのはカササギとナノだけだった。

「ナノ」

「なんだ?」

「小瓶一つな」

 一芝居だったはずなのに請求されてしまった。

 ――なにかがおかしい。

 ホルダーから六つある小瓶のうちの一つをカササギに渡す。カササギはそれを脇のどこかに仕舞う。

「じゃあな。ごちそうさん」

 それだけを言って飛び、リリスの頭の上に留まった。

 そしておっさんから差し出された喫茶代は二四〇ガメル。豚角煮丼換算で三杯である。

 ナノは素直にそれを支払って店を出ようとする。


「待っててば!」


 店の奥から女性の声が聞こえた。

 それはどうやら店の奥、階段があった場所。その階下から声がしたということだろう。

 二人分の足音が聞こえ、女性の呼び止める声が更に大きく聞こえてくる。

 足音は次第に大きくなり、黒い影が大きくなる。

 黒帽に黒髪、黒い服に黒い靴。全身を黒で包んだ長身の男が現れた。

「待ってってば! ジン!」

 男を呼び止める声の主は黒いローブを着た長い紫色の髪を靡かせる女性だった。

 女性は男の後を追うように階段を昇る。

 しかし、男はそんな女性のことを気にすることなく階段を昇る。

 切れ長の細い目。その黒い瞳が睨みつけるようにナノのことを見つめ、視認する。

「…………」

「…………」

 それが二人の男の邂逅の瞬間だった。


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