表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

羊の短編集。

海と毒と少女。

作者: シュレディンガーの羊
掲載日:2012/04/28





世界を滅ぼす術を持ったなら、

自分を殺める術を持ったなら、

少女は美しく生きていける。





彼女の買い物に付き合わされるのは今日で何回目だろう。

真剣に香水を選んでいる後ろ姿をぼんやりと見て、そんなことを考える。

綺麗だと無感動にしか思えない色水の群集。

その中で彼女の迷う指が不意につまみ上げたのは青い小瓶。

その鮮やかな海色に記憶の扉が開いた。

――教えてあげる。この中にはね……

少女の声で過去が甦る。

瓶の向こうから覗く瞳と鈴のような声を思い出す。


「……海の小瓶」

「え?」


ほとんど無意識に落とした言葉に彼女が振り返った。

その表情を見てはっとする。

しまったと思うがもう遅い。

彼女は敏感に何かを感じ取ったらしく、笑みを浮かべて僕に近づく。


「海の小瓶って?」

「えっと、大したことじゃないよ」

「教えてよ」

「いや、本当にどうでもいいことで」

「私は聞きたいな」


崩れない笑みに、結局観念して両手をあげる。

我ながら格好悪いが、この流れで僕が彼女に勝てたことなんて一度もない。


「話すと長くなるよ?」

「じゃあ、カフェにでもいこうか」


せめてもの抵抗も空しくかわされ、僕は自分の不甲斐なさにため息を零した。




紅茶が運ばれて来ると、すぐに彼女が手を伸ばしてカップに角砂糖を落とした。

その手際の良さに少し呆れる。

話しを聞きたかったのではなく、お茶にしたかっただけではないのかと疑いたくなる。


「そっちが聞きたいって言ったんだから、飽きずに最後まで聞けよ」

「はいはい。前置きはよいから、話す話す」


紅茶に口をつけながら、彼女が意地悪く促す。

僕の口が重いのを楽しんでいるのだと気づいて、やや膨れる。

それでも、好奇心の星いっぱいの瞳には逆らえなくて語りはじめる。

海の小瓶を持っていた少女のことを。




8歳の時、同じ教室に一人の少女がいた。

そして、その子はいつも大事そう小さな瓶を持っていた。


「それ、なあに?」

「教えてほしい?」


尋ねれば、小首を傾げ尋ね返された。

少女はその歳ですでに、整いすぎた顔と神秘的な雰囲気を備えていた。

僕はどきどきしながら、うなづく。


「うん。教えて」

「じゃあ、教えてあげる」


僕がねだると、少女は目の前に小瓶を持ち上げた。

中の青い液体が水音を立てる。

それを覗くようにして、少女が僕を見る。


「この中には海が入っているの」


少女はくすりと笑う。

楽しそうに笑う。


「これは私の海。世界を沈めることが出来るの」

「なら、どうして開けないの?」


理解できずに聞く僕に、少女は当たり前のように言葉を紡ぐ。


「だって私はまだ世界が好きだもの。使わなくても、必要なくても、持っているだけで満たされるものってあるのよ」


愛おしそうになぞられた瓶を見つめる。

この中に海が入っている。

僕は小さく口をつぐむ。

言葉が気持ちに追いつかなくて、溺れたように苦しい。

黙り込んだ僕に少女が囁く。


「蓋を開けたら、青い波がすべてを壊して世界はまっさらになる。そうノアの洪水みたいに。でも、今度はみーんな死んじゃう」


私も君も――――――少女の鳥が囀るような声音に、やっと答えを見つける。


「嘘つき」


何の躊躇いもなく放った言の葉は、見事に効果を見せた。

少女はきょをつかれたように瞳を瞬いて、壊れた機械のように動きを止める。


「嘘つき。海はそんな小さな小瓶には入らないよ。それに海は君のものじゃない」

「そんなことない。私の海よ。蓋を開けたらみんな無くなっちゃうのよっ」


何かを恐れるように少女が叫ぶ。

かぶりを振って、両手で小瓶を抱きしめる。

少女の嘘を暴きたくて僕はむきになった。


「なら、開けてみてよ」


手を伸ばし、少女から小瓶を奪う。

青い小瓶。

海の小瓶。

嘘つきの小瓶。


「止めて、開けないでっ」


短い悲鳴と、少女の手と、どちらが早かったか。

僕は覚えていない。

ただ、気がついた時には瓶が割れていて、床には小さな水溜まりが広がっていた。

微かな潮の香りが空気を染める。

無我夢中で伸ばされた少女の手が、小瓶を叩き落としたのだと理解する。

飛び散った透明な破片。

綺麗な深海色の水溜まり。

戻らないのはすぐわかった。

どうしようもない罪悪感に、少女の顔色を伺えば。

少女は泣くでもなく、怒るでもなく、静かにその惨状を見つめていた。

微かに唇が震え、言葉を形作ることさえ出来ずに吐息だけを零す。

ネジの回りきった人形のような少女を前に僕は何も言えず、破片を集め、白いハンカチで床を拭いた。

白いハンカチはたちまち海に染まり、それに破片を包んで縛る。

そして、少女の手に載せた。

ごめん。

そう言おうとした。

ごめん、悪気はなかったんだよ。

そう言えなかった。

言いたいことが言えないことが、もどかしかった。

伝えられないことが悔しかった。

責めてくれたら、怒ってくれたら謝れたのに、少女はそのどちらも選ばなかった。

結局、僕は逃げ出した。

そして、それから少女と言葉を交わすことはなかった。




「そっか」


話し終えての一言めは、ずいぶんと想像と違っていた。

てっきり、酷いだの、最低だのと罵られるのを覚悟していた僕は拍子抜けした。

静かに紅茶を啜る彼女は憂い気味で、逆に慌てる。


「怒らないの?」

「怒らないよー。だって、実際に嘘つきだったのはその子だし」


苦笑しつつ、彼女はたださーと頬杖をつく。

茶色の髪が瞳を隠すように流れる。


「同じ少女としてはわからなくないの」

「少女?」

「私は毒だったよ。例えば、飲めば一息で死ねる毒みたいなの。その子は海だった。世界を滅ぼす術。そういうのがあると少女はきらきら綺麗に生きていけるの」


少女は毒を持つ。

僕にはよくわからなくて戸惑う。

そして、そんな僕を彼女は笑う。


「わからない?」

「わからないよ」

「だよねー」


けらけらと今度は心底たのしそうに笑って、彼女は紅茶を飲み干す。

それから、机に手をついて身を乗り出す。


「ねぇ、さっきの香水、なんだか欲しくなっちゃった。買い行こうよ」

「え、もう行くの」


席を立った彼女に慌ててコーヒーを飲む。

話しを聞いていた彼女はともかく、話しをしていた僕はろくに休んだ気がしない。

それなのに、またあの人混み歩くのか。

考えるだけでぐったりする。


「早く早くー」


人の気持ちも知らないで、無邪気な声で僕を呼ぶ彼女。

それでも、その笑顔に負けるのをしょうがないと思う僕は馬鹿なのか。




スキップ気味の彼女を追いながら、いろんな人とすれ違う。

不意に鼻孔をくすぐったのは潮の香り。

あの日の海の香り。

思わず、振り返る。

流れていく人混みはまるで波のよう。

あの子はまだ少女のままなのだろうか。

それとも毒を捨てて大人になったのか。


「どうしたの?」


いつの間にか隣には彼女がいて、心配そうに僕を見上げていた。

何かを言おうとして、口を開き、何も言えずにまた閉じる。

沈黙する僕の手を彼女が両手で握る。


「私は毒を捨てたよ」


ひそやかな声が泡のように耳朶を叩く。

波の中、立ち止まった僕らを沢山の雑音が包んでも、その声はよく聞こえた。

まっすぐに僕を見つめる瞳は、静かな海を讃えるように揺らがない。


「一人では生きていけなくなったから。だから、私は毒を捨てたよ」

「ごめん」


ぽつりと呟く。

あの日、口に出来なかった一言が心を空にする。

僕はあの子が好きだった。

だから、あんな小瓶に縋って生きてほしくないと思ってしまった。

自分勝手にもそう願った。


「ほら、行くよ」


優しく手を引かれて、歩いていく。

波に紛れて潮の香りがする。

いつか二人で海に行こう。

そう思った。

そして、また話そう。

海を、世界を滅ぼす術を、確かに持っていた少女の話しを。

そして、次は聞こう。

毒を、一息に死ねる術を、確かに持っていた少女の話しを。










評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ