表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私説三国志  作者: なかゆん きなこ
曹丕×甄氏編 第一話
7/14

情熱の火花は、いつかは冷えてしまうもの。故にあたらしき恋よ、低温のゆびさきで、散った火花の痕をなぞってください。 

官渡の戦いで、曹丕が甄氏を略奪した時の話。

どちらも性格が歪んでいます。

  「お前を愛している」と言われるたびに、心がすうっと冷めていくのを、甄氏は感じていた。



 甄氏の夫、袁煕は名門袁家の次男である。兄の袁譚のように武勇に優れているわけでもなく、弟の袁尚のように見目麗しいわけでもなく、名門一族にあって目立たぬ容貌と大人しい性格の、地味な男だった。

 しかし甄氏も、最初から夫を厭っていたわけではない。

 まだ嫁いで間もない頃、袁煕は絶世の美貌を誇る甄氏に対し、戸惑いが大きかったのだろう。中々心を開かなかった。

 腫れ物に触るように自分に触れてくる、まだ初々しい夫。

 その目には戸惑いと遠慮があり、暖かな優しさがあった。

 甄氏はすぐに袁煕の心が欲しくなった。炎のような情熱で夫を愛し、その愛を恋うた。

 けれど…。

 

(退屈だわ…)


 一度全てを手に入れると、あの燃えるような衝動がさあっと冷めていった。

 今や夫は甄氏無しではいられぬほど彼女に溺れてしまっている。そう、曹操軍との戦局が危うい今この時も、閨から離れぬほどに。

 愛していると、袁煕は言う。お前を愛していると。

 けれどその言葉を囁かれるたびに、甄氏の心は冷めていくのだ。

 手に入らないからこそ欲しかった。手に入ってしまった今、あるのはただ虚しさだけだ。

(燃えるような恋がしたい。こんな、惰性で続く愛ではなく。胸が張り裂けるような想いで、この身を焦がしたい)

 平穏な幸せに、自分がこれほど魅力を感じない女だとは思わなかった。

 だから、

(わたくしには、もうこの男はいらない…)

 冷めた眼差しで、自分の上に乗る男の顔を見つめる。

 かつて本当に愛した夫。袁煕。

 だが今、自分の心に、この男はもういない…。

 



 曹操軍が袁尚の守る城を陥落させたのは、小雪の降る初冬のことだった。

 甄氏もまた、この城に夫と共に住んでいた。曹操軍によって第一の門が突破されたとき、夫の袁煕は妻とわずかな侍女数名を連れて城を脱出しようとした。

 日頃滅多に戦場に出ない夫の装束が血に汚れている。袁家の子息が直々に戦線に立たねばならぬほど、状況は切迫しているのだろう。

 甄氏はそれをどこか他人事のように思いながら、逆らうでもなく夫の手に引かれていた。

 ここで死ぬことになっても、構わないわと甄氏は思う。

 どちらにせよ、もう袁家は長くあるまい。義父である袁紹の息子達は、誰もこの乱世を勝ち抜くには凡庸すぎる。

(ここで死ぬなら、この虚しさから解放されるだろう)

 夫はここを落ち延びて、二人で生きていこうと言っている。この期に及んで、甘い恋を語る。

 でもそんな物は欲しくないの。欲しいのは、


「そこで何をしている」


 この身を焦がす愛だけ。


 甄氏達の目の前に、一人の男が立っている。

 いや、一人ではない。彼の背後には、数十の兵士達が控えている。掲げる旗印は『曹』、曹操軍だ。

「くっ」

「お前が袁煕か。妻妾を連れてこそこそ落ち延びようとは、無様だな」

 男が何の感情も籠もっていないような声で、言う。

 その、ぞっとするような眼差し。

(……………)

 深い深い闇の、そのさらに深淵を映したような瞳。

 甄氏は目の前に立つ男の眼差しから目が離せなかった。

「お前の首に大した価値は無いが、せっかく出会ったのだ。貰い受ける」

 男の手が、すっと腰に佩いた剣を抜く。

 それが振り下ろされる寸前、甄氏は夫の前に立ち塞がった。

「!?」

「甄!!」

 その刃の切っ先が甄氏の首に触れる寸前で止められる。

 男の厳しい眼差しが、甄氏を射抜いた。

 今この時、この男の闇の如き瞳には自分の姿しか映っていない。

(ああなんて冷たい眼差し。今この時、この人の目にはわたくしの美しさも存在も無意味なのだわ)

「なんのつもりだ、女」

 甄氏は答えない。熱に浮かされたように、ただ一心に目の前の男の顔を見つめた。

「面白い。夫の代わりにその身を差し出すか。甄と言ったな。では貴様が袁煕が囲っているという傾国の華か」

 確かに美しいと、何の感情も籠もっていない言葉で告げる男。

「お前を俺の後宮へ連れて行く。そのかわり、この男は見逃してやろう。俺と来るか?」

 男の手が甄氏の頬に伸びる。

 彼女はその手に、愛しげに己の手を重ねた。

「甄!?」

 後から夫の悲痛な声がする。いや、もう元夫だ。


          自分はもう、新しい恋にこの身を焦がしているのだから。




 甄氏を連れ帰った男は、名を曹丕と言った。あの曹操の嫡男だ。

 袁煕の城とは比べ物にならないほど簡素な閨で、今甄氏は曹丕に抱かれている。

 冷たい指先が一つの気遣いも無く甄氏の衣を剥ぎ取る。薄闇の中、それでも内から輝くような白い肌には、無数の赤い華が咲いていた。

「袁煕か」

 と曹丕は呟く。あの凡愚は、片時もお前を離さなかったようだな、と。

 その瞳には、嫉妬の色が微塵もない。あるのはただ、目の前の自分を物のように見つめる眼差しだけ。

「お前も愛していたのだろう? あの凡愚を。己の身を盾に守るほどに」

「いいえ、子桓さま」

 甄氏は微笑む。深紅の牡丹がほころぶように、艶絶に。

「わたくしが愛しているのは、貴方様だけですわ」

 だって貴方は私を愛していないもの。

 貴方の前では、私はただ美しいだけの女。だからこそ、

 貴方の心が欲しくなる。

「わたくしがあの時貴方様の前に立ったのは、貴方様の手に掛かって死にたかったからですわ」

 あの時、甄氏は本当に死んでもいいと思った。

 あの冷たい眼差しの元で死ねるなら。それは袁煕の妻で居た頃のあの虚しい生よりも価値のあるものだと思った。

「ほう。お前、死にたかったのか」

 曹丕の目が、興味深げに細められる。そしてその両手で、締めるように甄氏の細い首に触れた。

「いつ何時、俺はお前を殺すやもしれぬ」

 怖いか? とその眼差しが問うている。

 いいえ、と甄氏は壮絶に微笑む。

「殺してください。何度でも。貴方様の腕の中で」

「っくくっ。あはははははははははっ!!」

 曹丕が笑った。殺すものかと、手放すものかと彼が言う。

 冷たい指先が、甄氏の肌に残る赤い華に触れた。

「お前は俺の新しい玩具だ」


 

   情熱の火花は、いつかは冷えてしまうもの。

    故にあたらしき恋よ、低温のゆびさきで、散った火花の痕をなぞってください。


この二人の話は…暗いです。

ちなみに曹丕にはオリジナルで別ヒロインがいたりします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ