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私説三国志  作者: なかゆん きなこ
陸遜×孫姫編 第二話
6/14

そして、恋は走りだした。途中で加速したのは、執着の理由を知ったから。(後編)

後編は陸遜の視点です。

 


 それは月が冴え冴えと美しい晩のことだった。

 孫権が開いた宴に、陸遜は招かれていた。陸遜はこの時まだ西曹の令史(下級の文官)であったため、席は上座から大分離れていたが。

(おや…?)

 ふと、孫権の座す御簾内から一人の人影が出て行くのを見た。

 それは小柄な少女のようで、ああ孫権様の公主方も宴に来ていたのかな、と思った。

 関心はすぐに逸れ、陸遜はしばらく静かに酒と肴を楽しんだ。宴席には踊り子達も侍り、宴は一層盛り上がる。


 陸遜が席を立ったのは、人影が出て行くのを見てから数刻後のことだった。

 彼が嫌う上司が、酔っ払ってこちらに絡んでくる気配を察知し、そ知らぬ顔で早々と回廊に出たのである。今すぐ戻っても絡まれかねないし、かといって帰ってしまうには少し早すぎる。そう思って、陸遜はしばし暇を潰そうと、回廊を進んだところにある小さな庭を目指した。


 その庭は小さいながらも池があり、石造りの橋のたもとには見事な柳の木が植えられている。今宵ならちょうど池に映る月が見られるだろう。宴場から離れているので、人気も無いはずだ。

 しかしてその庭には、一人の先客がいた。

(…?)

 回廊の途中でぴたりと足を止めた陸遜の視線の先には、池にかかる橋の欄干に腰掛け、月を見上げる一人の少女が。

 月光に照らされる、花のように愛らしいかんばせ

 黒々とした髪は上品に結い上げられ、趣味のいい簪が飾られている。

 着ているものも上等で、柔らかい色合いが、その少女に良く似合っていた。

(…月を見ているのか…? 宴席に飽きたのだろうか…)

 もしやあの時孫権の御簾内から出て行った人影は彼女だろうか。

 無防備に橋の欄干に腰掛ける姫君など聞いたこともないが、彼女の纏う衣から察するに高貴な姫君であることは間違いない。

 少女は飽きることなく月を見上げている。そうして月の光に照らされていると、まるで地上に降り立った仙女が月に帰れず、遠い故郷を切なく見つめているようにも思えた。

 柄にも無いことを、と思う。

 でもそう思わせるほど、少女の姿は美しかった。

 陸遜はしばらく、少女を見つめていた。

 少女は陸遜にはまったく気付かず、月を眺めている。

 やがて、橋の欄干に腰掛ける少女の足がぷらぷらと揺れ動き始めた。その子供っぽい仕草に、自然笑みが零れる。

 しかし、その振動からかふいに少女の髪を飾る簪が一本するっと抜けて、ぽちゃんと池に落ちてしまった。

「あっ」

 と少女が声を出す。そしてぱっと欄干から下りると、簪を落とした水面を見つめた。

 波紋が、水面に映る月の影を歪める。

 水底には、その月と同じ銀の簪。

 陸遜は、一瞬傍へ寄ろうかと思った。しかしすぐに少女がきょろきょろと辺りを見渡し始めたので、反射的に身を隠してしまった。

 きっと誰か人を呼びに行くのだろう。

 辺りに人がいないことを確かめて橋を下りた少女の行動を、陸遜はそう読んだ。

 しかし、

「………」

 少女は再び辺りをきょろきょろと念入りに窺うと、おもむろに裳の裾を持ち上げた。

「!?」

 白くしなやかに伸びる足が、月光に晒される。陸遜は思わず目を逸らした。

 しかし陸遜の心中どころかその存在などまったく知らない少女は、しっかりと裾の端を掴んで靴を脱ぎ、そろーっとつま先を池につけた。

「んっ!」

 冷たかったのだろう。ぶるっと少女の体が震える。

(諦めて、誰かに拾わせれば良いのに)

 陸遜はそう思った。

 しかし少女は諦めず、ゆっくりと池の中を進んでいった。そして橋の近く、落とした簪を見つけて屈みこむ。

 片手で簪を掴もうとした少女は、その拍子に掴んでいた裾の端を離してしまった。絹の布は滑るように落ち、ばしゃんと水に浸かってしまう。

「ああっ!」

 どんくさい。陸遜は率直にそう思った。

 せっかく濡れないように持っていたのに台無しだ。少女はうー、と濡れてしまった裳裾を見、諦めてそのまま岸に歩き出した。

 しかし今度は足を水底の小石に滑らせ、

「あっ」

 ばしゃんとこれまた音を立てて転ぶ。

「………ぷっ」

 陸遜は思わず噴出してしまい、慌ててその口を塞いだ。

「うう…」

 痛くて冷たくて何よりびっくりしたのだろう。

 少女の大きな瞳に、涙が滲む。

 陸遜もさすがに哀れになって、出て行って手を差し伸べようかと思った。

 しかし少女はむくりと起き上がると、めげずにぐいっと袖で涙を拭った。

 いっそ男らしい拭い方だった。

 少女は今度は慎重に歩いていき、やがて岸に上がると裾をぎゅーっとしぼって水を切り、靴を履いた。そして結局、陸遜の存在に気付かないまま庭を出て行ってしまった。


「………」

 残された陸遜は、ずずっと壁に寄りかかって腰を下ろす。

 その胸に、あの少女の姿が強烈に焼き付いていた。

 花のように愛らしい少女。

 その意外な行動。子供のような仕草。でも、

「結局自分の手で拾ったよ。あのお姫様は…」

 自分の手で簪を掴み取った。水に濡れても、転んでも。

 あの少女の笑顔が見たいと、何故か想う。

 ああ、もしかしてこれが、公績の言っていた「動悸息切れ」なのだろうか。

(参ったな…)


 たったそれだけのことなのに。

 ほんのわずかの邂逅なのに。


 それでも、確かにこれは人生変わるかも知れない。陸遜はそう、月を見上げて思った。


 そのすぐ後に陸遜は、かの少女が先代孫策の忘れ形見であることを知る。

 彼女を手に入れるためには、今の地位では足りない。そう思った陸遜は、地方赴任を願い出、その地で数々の功績を挙げる。そうして孫権の目に留まった陸遜は、ついにかの少女を妻として迎えることが出来た。

 まさに陸遜にとって、この恋は「人生を変えた恋」となったのである。


 陸遜の性格についてですが、最初から裏表の激しい毒舌家という設定がありました。が、前作は孫姫の心情がメインでしたし、かつ陸遜も孫姫に嫌われないように怖がらせないようにと気を使っていたのですごく優しい人物のようになってしまい、これを書いたとき「やべ。別人みたいだ」と思ってしまいました。

 はい。ウチの陸遜はこうゆう性格です(汗)。奥さんには優しいですが段々と本性がバレていきます。「うう、伯言の意地悪」「おや? 姫はそんな私はお嫌いですか?」「うっ!」な会話をさせたいです。



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