幸せの在り処はわかってる。あとはどうやって、そこにたどりつくか。
この人とずっと一緒にいられたら、幸せだろうなぁ。
今日も今日とて黄家の書庫を訪れた孔明は、真剣な眼差しで書簡に目を通す少女、黄月英の横顔を見、そう思う。
つい先日、月英に想いを告白した孔明。その時ついつい唇を奪ってしまったせいで、直後に強烈な平手を喰らってしまったけれど。孔明は確かに、月英に「好きだ」と伝えた。
が、月英はあれを孔明の「からかい」と思っているようだった。今までよりも態度が冷たくなり、孔明が話しかけても素っ気なく、近寄ると、逃げる。
最初は逃げられるのも面白く、追いかけ回していたけれど。
(…だって逃げる月英さん、可愛かったし…)
しかし、そうやって追いかけまわしているうちに月英が自室から出てこなくなってしまったので、やめた。素っ気ない態度をとられるのは平気だが、会えなくなるのは、困る。
月英の顔が見られなくなるのはつまらない。だから、孔明は少し距離を置いて、彼女の周りに現れるようになった。
書簡に目を通す彼女から机を三つ分あけて、自分も書簡を読むふりで、彼女を見つめる。
利発そうな瞳が、書簡の文字を追い掛けている。あの眼差しで、自分を見つめてくれたらどんなに良いだろう。
「ねえ月英さん」
孔明が、頬杖をついたまま月英に声を掛ける。
彼女は読書を中断され、不機嫌そうな眼差しでこちらを見た。
「………なんですか」
「僕と見つめあいませんか?」
「……………」
にっこり笑って自分を指差す孔明に、月英は苦虫を噛み潰したような顔をした。
そして、相手にせずにまた書簡に視線を送る。
無視だ。
「…うーん、楽しいと思うんだけどなあ」
どこがだ、と月英は思った。
「貴方の顔よりこの書物の方が面白いです」
月英さんは書物が好きだからねえ、と孔明は笑った。
(ああでも、もっとその声が聞きたいなあ)
女の子にしては、少しだけ低い声。でも、すごく落ち着いて、耳に心地良い声。
「…じゃあ、僕とおしゃべりしませんか?」
「………貴方と話すことは、特にありません」
今度は一瞥もくれず、ぴしゃりと言い放つ月英。
「ええ~、そうかなあ。僕に聞きたいこととか、ない?」
孔明が尋ねると、月英は少し考えるようなそぶりを見せ、ややあってこう言った。
「………どうして、そんなに私にかまうんです」
正直うっとうしいんですけど、と月英。
ああその、少し拗ねたような顔。
なんて可愛いんだろう! 孔明は自然、口元が綻ぶ。
「それはね、僕が月英さんを好いているからですよ」
「っ!! だから…、そんな冗談を…」
月英がばっと、視線を孔明に向ける。
怒りのせいか、はたまた照れてくれているのか。その頬は少し、赤く染まっていた。
「やだなあ、冗談なんかじゃないよ。僕は本気で…」
孔明はクスリ、と笑って、言う。
「月英さんが、好きだよ」
「!! そ…そんなの…知りません!!」
月英はばっと立ち上がって、書簡もそのままに書庫を出ていってしまった。
「ありゃりゃ…」
残された孔明は、呟いてよいしょっと重い腰を上げる。
そして彼女が置き去りにした書簡を手に取り、「うーん」と唸った。
(…難しいなあ…)
今まで付き合った女性達は、孔明が少し優しくするだけで、微笑みかけるだけで、心も体も許してくれた。策を弄するまでも無く。
でも、月英は違う。
孔明がどんなに優しくしても、微笑んでも、胡散臭い物を見るような目をする。
でも、孔明はそんな風に上っ面に騙されない月英の慧眼が好きで。
歯に衣着せぬきっぱりした物言いも。
読み込んだ知識を発明に活かす聡明さも。
孔明を嫌いながらも、猫舌の彼のために毎回ぬるいお茶を淹れてくれる気遣いも。
黄髪醜女と揶揄される原因となった、少し色素の薄い髪も。
同じく色素の薄い、緑がかった鳶色の瞳も。
年の割に発育不良な身体も。
みんなみんな、可愛らしく思えて。
愛しく、思えて。
自分の幸せは、彼女の傍らにあるのだと、思う。
あとはどうやって、彼女の心を手に入れるか、なのだが。
(…長期戦に…なりそうだなあ…)
心中で呟き、そっと書簡を元の棚に戻す。
彼女を追い掛けるべきか、今日はここで退くべきか。
どうやったら、彼女に自分の気持ちを信じてもらえるだろう。
どうやったら、彼女は自分を愛してくれるだろう。
答えは分かっているのに、そこへ辿り着くまでの道がわからない。
まったく、兵法よりも厄介なものだ。
恋と、いうものは。
後の天才軍師は、そっと、嘆息した。
幸せの在り処はわかってる。あとはどうやって、そこにたどりつくか。
孔明×月英さんの第二弾。
お題を眺めていたらふと浮かんできました。
孔明さんは今まで、別に努力しなくても女性に好かれていたので、自分からのアプローチ方法がいまいちわからない。自分の欲望のままにかまったりするけど、それじゃあ月英さんは逃げるばかり。さてさてどうしたものか…というお話です。