一瞬永劫
わたしには、ずっと憧れている人がいた。
出会いは、寒い寒い冬。学校から帰る駅でのこと。
人々の疲れた声の隙間から聞こえたその音に、わたしはすっかり魅了された。
真冬だというのに、上着も着ていない。
ギターピックを持つ手はすっかり赤くなっていた。
それなのに、あの人の周りだけは、寒さなど感じさせない何かがあったような気がした。
電車の時間もすっかり忘れて、目の前で突っ立っていたわたしに、あの人からなにか話しかけることはなかった。
母からの電話で我に帰り、慌てて帰っていったっけか。
それからは来る日も来る日も、ギリギリまでその歌を聞くようになった。
その歌を聞くためだけに、学校を早く出たりして。
それから、わたしもギターを始めた。
兄が使っていたお古。部屋の隅で埃をかぶっていたそれと、あの人の持つギターが同じギターであると最初は信じられなかった。
あの人のようになりたいと思った。
あの人のように、がどのようなことなのかはわからない。でもとにかく、そう在りたかったのだ。
あの人が歌っていた曲は、いくら探しても見つからなかった。
だから、最初は有名なJ-POP。わたしは唯一にはなれないのだと、その時悟った。
数年間、弾き続けた。
楽譜を読むくらいはできるようになった。
ギターを弾くようになってからも、あの人に話しかけることはなかった。
あの人の、ひとりの世界をわたしが踏み越えてはいけないと、そう思った。
「ギター、わかるの?」
あの人が初めて、わたしにかけてきた言葉だった。
少しだけ、と答えた。あなたのようになりたかったとは言えなかった。
「ちょっと、弾いてみてよ」
そうして渡された、あの人のギター。わたしが使っているものより重たい気がした。それくらいの想いがあるのだろうと、勝手に思った。
何を弾いたのかは覚えていない。たぶん、始めた時と変わらず有名なJ-POPだったのだろう。
弾き終えてあの人を見れば、あの人は微笑んでいた。
「上手だね、わたしよりずっと」
それがお世辞であると受け取るしかなかった。というより、褒められていると思いたくなかった。
わたしは、あの人になりたかったのだから。
でも、なれないのが当然なのだから。
あの人はギターケースにギターを仕舞い、わたしに差し出してきた。
「もしよかったら、受け取ってくれない?」
自分はもうギターをやめるのだと、あの人は言った。
「ずっと、聞きにきてくれてたでしょ?あれ、すごく嬉しかったんだよ。……でも、もう潮時みたい」
その時、ギターを受け取ったわたしがなんと返したのかは覚えていない。
ただ、今でもずっと、あのギターは使えないままだ。
あの人になりたかった。
でも、あの人はもういないのだ。
またあの人の音を聞けたとしても、もうあの人は戻ってこない。
届かないと思っていたあの人は。
あっさりわたしの前から消えた。




