第1話 最弱村人、捕まる
リオネルは、自分が「最弱」だという
自覚だけは、はっきりと持っていた。
剣を振れば腕が震え、
魔法を唱えれば途中で噛む。
走ればすぐに息が切れ、
力仕事をすれば腰が痛くなる。
そんな十七歳の少年が住むのは、
王国北西に位置する寒村、
《ハルティア村》。
人口は百にも満たず、
畑と家畜と、
そして静けさだけがある村だった。
「今日も平和だなぁ……」
朝霧の中で、
リオネルは畑を耕しながら、
ぽつりと呟いた。
平和。
彼はこの言葉が好きだった。
誰も怒鳴らず、
誰も殴らず、
誰も死なない日。
それだけで十分だと、
心から思っていた。
しかし――
その平和は、
音を立てて崩れる。
遠くで、
獣のような咆哮が響いた。
地面が震え、
鳥が一斉に飛び立つ。
「……え?」
村の見張り台から、
鐘が乱打される。
ゴォン、ゴォン、ゴォン――
それは、
魔族襲来の合図だった。
「う、うそだろ……」
リオネルの顔から、
血の気が引く。
魔族。
人類と敵対する、
異形の種族。
角を持ち、
赤や青の肌を持ち、
人よりはるかに強い。
子どもでも、
大人の戦士を殴り殺す。
それが、
リオネルの知る魔族だった。
「逃げろおおお!」
誰かの叫び声。
村人たちは、
鍬を捨て、
家畜を放り出し、
森へ向かって走り出す。
リオネルも、
必死に足を動かした。
(やだ……)
(死にたくない……)
胸が締めつけられる。
息が苦しい。
足がもつれる。
背後から、
重い足音が迫る。
ドン。
何かが地面に突き刺さる音。
振り返ると、
黒い斧が、
地面に深々と食い込んでいた。
「うわああああ!」
腰が抜け、
その場に尻もちをつく。
目の前に現れたのは、
身長二メートルはある、
赤黒い肌の魔族だった。
筋肉が岩のように盛り上がり、
巨大な角が二本、
頭から生えている。
黄金色の瞳が、
リオネルを射抜く。
「……人間か」
低く、
地鳴りのような声。
(終わった……)
リオネルは、
目を閉じた。
そのときだった。
「ね、ねえ……」
自分でも驚くほど、
情けない声が出た。
魔族が眉をひそめる。
「……何だ」
リオネルは、
口が勝手に動いていた。
「争うより、
みんなで畑を耕した方が、
腹が満たされると思うんだけどな……」
沈黙。
風が吹く。
土埃が舞う。
魔族の目が、
ゆっくりと見開かれる。
「……貴様」
魔族の背後から、
さらに数体の魔族が現れた。
その中でも、
ひときわ大きな男が、
一歩前に出る。
全身を黒い鎧で覆い、
背中には大剣。
「今の言葉……
もう一度言え」
リオネルは、
震えながら繰り返す。
「だから……
畑を耕した方が……」
男の目が、
異様な光を帯びた。
「戦わずして、
敵国の食糧を制圧し、
生存基盤を握る……」
周囲の魔族たちが、
ざわつく。
「兵站戦術……」
「しかも、
村人に擬態した
偽装工作……」
「人類最強クラスの
戦術理論だ……」
リオネルは、
何を言われているのか、
まったく分からなかった。
「え?
いや、
その……」
黒鎧の男が、
ゆっくりと膝をつく。
「我が名はバルザーク。
魔王軍・第一軍団長」
周囲の魔族も、
次々と跪く。
「この者を、
魔王陛下のもとへ
お連れする」
「は?」
リオネルの声は、
完全に裏返っていた。
そのまま彼は、
抵抗する間もなく、
縄で縛られた。
「ま、待って!
人違い!
絶対人違い!」
誰も聞いていない。
こうして――
最弱の村人は、
魔王城へと
連行されることになった。
リオネルは、
空を見上げながら思った。
(今日も平和だなぁ……
って言ったばかりなのに……)
人生とは、
どうしてこうも、
思い通りにならないのだろう。
彼はまだ、
知らない。
自分の何気ない言葉が、
世界を揺るがすことを。
そして――
自分が、
魔王の教育係になることを。




