第一章 異動
本作はフィクションです。
実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。
大正時代を舞台に、「言葉」と「呪い」をめぐる不思議な噂を追う若き新聞記者の物語。
わずかな時間で読み終えられる短編ですが、読後には“言葉の重み”が静かに残るはずです。
大正十二年、春。
白井誠一は、東京本社から遠く離れた山間の町「黒羽」支局へ移動となった。
新聞記者として三年目、特段の功績も失敗もない彼にとって、それは左遷とも昇進ともつかぬ曖昧な辞令だった。
汽車を降りた瞬間、鼻腔をくすぐる湿った土の匂い。山々に囲まれた駅舎は木造で、時代の流れから取り残されたような静けさがあった。
「‥‥まるで、時間が止まっているみたいだ」
誠一は鞄を持ち直し、支局へ向かう坂道を歩き出した。
黒羽支局は町役場の隣にある二階建ての古い建物だった。支局長の田島は、無精髭を生やした中年男で、誠一に目を合わせることもなく「好きにやれ」とだけ言った。
資料室で埃をかぶった新聞の束をめくると、ある見出しが目に留まった。
「井戸に悪口を言うと祟られる」__黒羽町に伝わる奇習とは?
興味を引かれた誠一は、記事を読み進めた。
内容は曖昧で、具体的な事例も乏しい。ただ、町の外れにある古井戸に向かって悪口を言うと、数日以内に”何か”が起こるという。事故、病、失踪__いずれも因果関係は不明だが、町民の間では「言霊の井戸」と呼ばれ、忌避されているらしい。
「迷信か‥‥いや、何かあるのかもしれない」
誠一の記者魂が静かに目を覚ました。
黒羽町は、静かだ。
誠一が支局に着任して三日、町を歩いても人々は目を逸らし、挨拶すら返さない。商店の女将は「新聞なんて、読まんよ」と言い、取材を申し込んでも「忙しい」と断られるばかりだった。それでも誠一は諦めなかった。
町の古地図を手に、図書館で過去の記事を漁る。すると、十年前に起きた「連続不審死事件」の記録が見つかった。三人の町民が、原因不明の事故や病で相次いで亡くなっていた。
共通点は__いずれも「井戸の近くに住んでいた」ということ。
「‥‥偶然か?」
誠一は地図を広げ、井戸の位置を確認した。町の北端、杉林の奥。地図には「旧井戸」とだけ記されていた。
その夜、支局の隣にある居酒屋で、誠一はようやく一人の語り手に出会う。
老婆・おきよ。白髪を結い、皺だらけの顔に鋭い目を宿した女だった。
「井戸の話を聞きたいんです」
誠一がそう言うと、店内の空気が凍った。客たちは箸を止め、視線を逸らした。
おきよは酒を一口飲み、ぽつりと呟いた。
「‥‥‥あの井戸は、言葉を喰う。悪口は呪いになる。昔からそう言われとる」
「迷信ですか?」
「迷信で済むなら、死人は出んよ」
おきよの声は低く、重かった。
彼女によれば、井戸はかつて”願掛け”の場だった。人々は井戸に向かって願いを囁き、見返りを求めた。だが、いつしか願いは憎しみに変わり、井戸は「悪口を吐く場所」になったという。
「言葉には魂がある。言霊ってやつさ。呪いは、言葉から始まるんだよ」
誠一はその夜、眠れなかった。
言葉が呪いになる__記者として、言葉を扱う者として、それはあまりに重い。
翌朝、彼は決意した。
自分の目で、耳で、確かめるしかない。迷信か真実か、記者として踏み込むべきだ。
そして、彼は井戸へ向かった_。
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