第2節 聞くだけで成仏、してくれる?
薄暗い部屋の中で、俺と――彼女はただ向き合っていた。
黒髪ロングの少女。
透き通るような白い肌。
風もないのに、毛先だけが揺れている。
口を閉ざしたまま、彼女はじっとこちらを見ていた。
……いや、正確には“こちらを見ているように見えた”だけかもしれない。
感情を感じさせないその表情は、まるで蝋人形みたいだった。
どのくらい時間が経っただろうか。
俺は気まずさを誤魔化すように、喉を鳴らして声をかけた。
「えーっと……こんにちは。 オレ、祓い屋の――」
「……あなた」
その言葉は、まるで空気が震えるようにして届いた。
俺の声を遮るように、少女――夕月が初めて声を発した。
囁くような、淡い響き。
「あなた、除霊師……?」
「……う、うん。 一応、ね」
“除霊できない除霊師”という自己紹介は、この状況では余計だろう。
俺は苦笑して、そのまま口を閉じた。
彼女の目は、俺の胸元を見つめている。
たぶん、お札のせいだ。祓い屋の証し。
「あなたは、私を……消しにきたの?」
その声音に、怒りも恐れも、悲しみすらも感じなかった。
ただ“確認”するような、そんな冷静さ。
俺は、すぐに首を横に振った。
「いや、違う。 オレはただ……話を、聞きにきただけだよ」
少女の目が、ほんの少しだけ揺れた――気がした。
それでも、返事はなかった。
少女――夕月と向き合ったまま、俺は言葉を探していた。
ギャル霊のときは、もっとこう……勢いで押し切れた。
いや、違うな。……あれは、押し切られただけだったか。
でも、目の前の彼女はちがう。静かで、影のように輪郭が曖昧で。
まるで、言葉を発してはいけない存在みたいだった。
でも、何かを伝えようとしていた。
“話しかけていい”というサインだけは、かろうじて感じ取れる。
「ここ……その、気に入ってたの?」
反応はなかった。
ただ、少しだけ視線がずれた。床の方へ。
「……前に住んでた人のこと、知ってる?」
やっぱり無言。
かすかに髪が揺れて――それが返事のようにも、拒絶のようにも思えた。
俺はふうっと、小さく息を吐いた。
きっと、焦ってもしょうがないんだろうな。
「……うん。 急がなくていいよ。 オレは、ただ話を聞くだけだから」
誰かにそう言ったことがある。
それがたしか、除霊師として最初の“成功”だったんだ。
夕月の肩が、すこしだけ――ほんの、すこしだけ落ちた。
緊張が、少しゆるんだのかもしれない。
「……前の人は、もうここにはいないよ」
俺がそう言うと、夕月の肩がほんのわずかに揺れた。
「空き家ってことで、連絡きたんだ。『住民なし』『気配もなし』……って」
夕月は何も言わない。
だけど、彼女の視線はまた、床から俺の方へと戻ってきた。
その目に、さっきまでなかった“動き”が宿っているように見えた。
……少しだけ、空気が変わった気がした。
「別に、ムリに話さなくてもいいよ。ただ、こうして向き合ってるだけで――」
「……あの人は、もう……いないの?」
小さな声だった。
それでも、はっきり聞こえた。
「……あの人?」
「……ここに、住んでた……人」
夕月の目が、ほんの少し潤んで見えたのは、錯覚だったのかもしれない。
でも、たしかにそこには“感情”があった。
「……いない。 引っ越したって、管理会社の人が言ってた」
彼女はうなずきも、首を振りもせず。
ただ、目を伏せたまま立ち尽くしていた。
「……じゃあ、私は」
その言葉の続きを、彼女は飲み込んだ。
でも、わかった気がした。
“ここにいる理由”が、少しだけ見えた気がしたんだ。
沈黙が、またふたりの間に落ちた。
けれど、さっきまでのそれとは、どこかちがう。
言葉が交わされたあとの沈黙には、少しだけ“あたたかさ”がある。
「……その人、大切だったんだね」
俺がそう言うと、夕月はゆっくりと、うなずいた。
「……わからないの。 でも、なんだか……」
言葉が途切れる。けれど、その続きを俺は待った。
焦らず、ただ、黙って。
「……ここにいなきゃいけない、気がしてた」
その声には、不安も迷いも、そして少しの寂しさも滲んでいた。
“理由がわからないまま、そこにいる”
――そんな霊は、たぶん珍しくない。
でも、だからこそ俺は、ちゃんと聞きたかった。
「……大丈夫。 ゆっくりでいいよ。
オレは、ここにいるから」
俺の言葉に、夕月は顔を上げた。
目が合った。
まっすぐに、でもどこか不安げに揺れるその瞳。
たぶん、彼女は――
ずっと、誰にも“聞いて”もらえなかったのかもしれない。
俺の中で、なにかが“ひとつ”につながる音がした。