第5話 隠者は六芒星を数える
賑わいは遠退き、伽藍堂の昇降口を抜け出した式守新。履き替えたばかりの靴の爪先を軽やかに鳴らして、正門を潜る為の足取りは気分次第で重くなる。
運動部の間延びした掛け声と吹奏楽部の音楽を背景に、放課後の時間の中に一人彷徨う新は少しだけ途方に暮れていた。
空を仰ぎ、黄昏に溢す。
「……まさかだろうな。本当に道草を食うとは」
現在帰宅部を満喫している新には、サッカー部に入部しない理由があった。
詳細を説明すれば、部活が出来る環境ではないことを。厳密に言うと自宅と高校の通勤距離が割に合わず、熟慮した結果、自由が利く帰宅部を選んだ。
同中の居ない高校生活を望み、隣町に足を運び、両親にはバス通勤があると提案をしてくれたものの、アドバイスを無下に徒歩で帰路に着いている。
正直、新品のスマホが尾を引いていた。
進学祝いとして購入してくれたのだが、新の寂しい懐にクリティカルヒットしており、御下がりの制服は全て親戚に、新調した制服を含めて所持金は枯渇。正月の貯金を擦り減らしている状態だ。
両親に迷惑を掛けたくない。
そういう一方的な遠慮主義で1日を過ごす新だが、アルバイトの許可は貰えず、手持ち無沙汰の渦中は道草を食うばかり。
買い食いは無理。電子書籍に意欲が湧かず、新鮮さを欠けていく音楽のリピート再生。放課後の楽しみは限られていると当初は思い込んでいた。
黄昏色の斜光を浴びるビルの摩天楼。
巨大液晶モニターに映るAIキャラクターによる明日の天気予報。
太陽電池モジュールの歩道橋を歩き、イヤホンを付けた新は異なる制服の学生の横顔を遡行するように擦れ違う。
市街を走る運搬型LRTの影を見送って、歩みを続ける。次第に都会の環境音は路地裏の鳥声に変わり、色彩の舞台は幕が降りて仄暗さが蔓延する。
忽ち、理解不能な芳馥と退廃した空気が漂い、本来の帰宅ルートとは逸れていた新を歓迎している。空の透明感とは正反対の鬱屈とした光景には、怪しくなる視界も相まって寝ていた警戒心を高めていく。
「B級パニック映画だと、安直な怪物が出るんだよな。こういう時って」
片手だけを身構えて。目付きを細めるが、それでも前に進む。
曖昧に点滅を繰り返す街灯と不気味に稼働するファンモーター。剥き出した配管を避けると、突如と甲高い衝撃が無防備の新を襲う。
しかし反射神経だけは自信があり、その事前には反応が出来ていた。咄嗟の判断で措置を取ろうとする新だったが、気紛れな正体を見て顔色を伺うことに。
「不吉……」
黒ネコがいた。
塀の上で物静かに佇み、三白眼の光が迸る。
アスファルトの地面に転がっていたのは空き缶だった。丸みを帯びた長い尻尾を揺らす黒ネコは微動だにせず、心証が悪い新の様子を観察している。
「お前の仕業だったのか」
自由闊達な黒ネコの戯れ。それでも新は自若として淡々としていた。靴の爪先で空き缶を起こしスピンを加えると、宙に回転した空き缶を横薙ぎに蹴り飛ばす。
弾丸のような一直線の軌道で空き缶は淋しげなゴミ箱にシューティング。けれど勢い余り、物凄い爆音が辺りに響き渡って、ゴミ箱の中身が大量に散乱。
結果的に元々薄汚れた路地裏を汚してしまった。
「……やばい。力加減を忘れた」
些細な一歩を後退り、沸いてくる実感とは対照的に、塀の上で呑気に欠伸をする黒ネコはこの後に起こる出来事を知らない。
激しい点滅を繰り返す赤の警戒色。近付いてくる独特の高音のサイレンは精神を研ぎ澄ますように響いており、善人であるほど無縁の存在。
危惧を想定して足早に路地裏の迷路を駆け巡ろうとする新だが、直前に黒ネコが新の肩に乗ることに。
「なんか慣れているんですけど……。お前、絶対に飼い猫だろ」
おやつ持ってないんだ、気楽そうに呟いた新は黒ネコの頭をそっと撫でる。
両足を前に出すように肩の上で寛ぐ黒ネコはリュックに体重を乗せており、反対側の肩には上機嫌に尻尾を揺らしていた。
しかし、成り行きが進む内に警備ロボットが駆け付けてしまう。
人工知能搭載型自律運動警備ロボット、『KERNEL』。
普段は円筒形だが、危険を察知すると半円の部分が飛び出すようになっていて、360度真横に回転する人感センサーを搭載した単眼は警戒色の赤を発する。
透明防護シェードと催涙ガスを武器に非行者を捕捉しようとするが、
「遅い。真面目に動け」
韋駄天走りの新は警備ロボットの半円を踏み台代わりにして。
人感センサーさえも置き去りにしてしまう程の速度。機械の欠点を利用した新は念入りに捕捉されないようパルクール感覚で次々と塀の上に飛び移る。
踏み台にされた警備ロボットは衝撃の負荷によってフラフラと横回転しており、不運にも複数の機体と同時にぶつかり、拍子に催涙ガスが噴射した。
沸き立つ白い煙幕と共にサイレンの喧しい主張が路地裏に影を落としていく。
「うーん。やっぱり、どう考えてもカネの無駄遣いだな……」
アスファルトの地面に着地した新は、ふわりと舞い上がる土埃が被らないよう、軽めに制服を叩いた。白い煙幕に溢れた路地裏を静かに見据えて、何事も無かった素振りをすると迷路めいた路地裏の奥を進むことにした。
「それにしても、……お前凄いな。偉いぞ」
利口な黒ネコは微動だにせず肩にしがみついていた。むしろ、ちょっとした冒険体験を気に入ったのか、食い入るように顔を前に出している。
一方で何処か浮かばない表情した新は「ウチのネコでもこんなに懐かないぞ」と不思議そうに首を傾げていると。
細い路地裏は少し開けた場所と繋がり、綺麗に咲いたネモフィラの花壇が横一列に並んでいて、穏やかな日差しと伸びた影の対比が佇んでいた新を迎える。
そして、伸びる影がもう一人居ることに気付いた。
奇抜なサングラスを掛け直し、パンクの服装をした老婆は告げる。
「……ほう。選定主義のラウールを手懐けるとは、お主は一体何者なんじゃ?」




