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人形

作者: 遠物語

「心とつながっているもの ( テーマ お気に入り)」

というタイトルで、アプリ「書く習慣」に投稿したものと同一内容です。


 1


『あんたが昔、ずっと持っていた人形だよ。あれが掃除してたら出てきてね。』

 スマホの向こうから聞こえる母の話は、しばらく終わりそうになかった。

 家を出て東京で働き始めて5年。

 母は事あるごとに電話をかけてきては、長々と日々のことを話すのだ。


(仕事で疲れてもう寝たいんだけど・・・。)


 これも親孝行だと思いつつ、話に相槌を打つ。


(そうだ。実家から勤務することになった弟よりマシなんだ。)


 電話の向こうの実家には、3つ年下の弟がいるはずで、こちらはギリギリ通える範囲の会社から内定をもらったので、実家の両親の面倒を見ながら働きに出ている。


「それで、その人形どうするって?」

 人形についてのエピソードを思いつく限り並べ始めた母の話を遮った。

(◯INEの無料通話はこういう時は困る。)


 私の部屋と実家は、両方ともインターネットのWi-Fi環境を整備しており、つまり、昔は使えた『電話代が勿体ないから、切るね』が使えないのだ。


 『これなら、いくら話しても定額だよ。』と聞いたときの母の顔は、嬉しそうな、箍が外れたような、中々表現しがたいところがあった。

 東京に行った娘が実質帰ってきたようなものだ、とでも思ったに違いなかった。



『どうしようかって話。あんたがそっちに持っていかないなら、』

「いかないなら?」

『捨てる。……のはちょっとね。あんなにずっと持っていのに。あんた覚えてる?学校の遠足に持っていくって言ってたのよ?』

「……いかないなら?」

 話に乗ってはならない。また終わらなくなるのだ。

『人形供養とか?知らなかったんだけど、近所の〇〇さんが言うには、町内の〇〇寺で昔、人形供養やってたらしいのよ。この前自治会の会合でそういう話になって……』


(それはほとんど捨てるのと一緒だ。 )

 つまりアレだ。

 私の頭の中に情景が浮かぶ。

 「この人形の命が惜しければ、今度の休みに実家に帰ってきて顔を見せるのだ」というやつだ。


 「どうでもいい」とも思ったが、確かにあの人形は、幼い頃、私の一部であった。

 家の中はもちろん、学校にも持って行きたがった。

 というか、何度かランドセルに入れていったこともあったはずだ。

(捨てられるくらいなら、こっちに持っていくか。)


 仕事は多忙で、部屋にはインテリアなど殆どない。人形の居場所はあるように思った。


 私はとりあえず、帰省のお金を両親から搾り取るにはどうしたら良いか考え始めた。

(肝心なのは話の持って行き方だ。)


 2


 次の土曜日に、朝から新幹線に飛び乗り、昼前に実家に着いた。

 東京から相当離れているが、席に座ることさえできれば寝ているだけなので、そこまで遠いとも思わない。


 久しぶりの実家は、大規模な模様替えをしている最中のようだった。

(そりゃそうか。小学生の時の人形が出てくるくらいだもの。)


 一部屋(ほかでもない、かつての私の部屋だ)を物置にして家中の使わないものを集め、その間にリビングなどを見直しているようだった。


「はい、これ。昔のお気に入り。懐かしいでしょ?」

 母が渡してきた人形は、記憶より少し古びていたが、間違いなく、幼い頃肌身離さず持っていた、いや連れていた人形だった。


 青い目と金髪の少女を模した、小さな西洋人形だ。


 受け取り、抱きしめてみる。

 小さい。

 こんなに小さな人形だったろうか。


 夕飯とお風呂を終えると、母が言った。

「あんたの部屋、見ての通り物だらけになっちゃって寝られないから、今日はあっちの部屋で寝てね。布団は干しといたから。」


 客間へ行く。

 そこには、私のカバンとさっきの人形がお客用の布団の横においてあった。


 私はその日、仕事での気疲れが抜けなかったからか、幼児退行でもしたのか、人形を布団の中に引きずり込んで、抱いて寝てしまった。


 3


 その人形は、どうして買ってもらったのか。誕生日プレゼントだったか、クリスマスプレゼントだったか。

 きっかけは覚えていない。

 ただ、物心ついたときには、すでにその人形と手を繋いでいた。


 成長してから聞くと、小学校に上る前、5歳くらいの時に買ってもらったらしい。


 共働きだった両親は、私を保育所に預けていたが、どうも保育所ではうまく馴染めていなかったようで、あまり仲良しの子もいなかったらしい。自分としても、やはりそういう子がいたような記憶はない。

 忙しい両親から放置されがちで、仲の良い子もいない私の成長に不安を覚えたのか、情操教育の一環として買ってくれたらしい。

 というか、思い返してみれば、確かにあまり両親にかまってもらった記憶がない。


 そして、弟が生まれてからは、タダでさえ忙しい両親の時間は弟中心となり、私は放置され、その代わり人形を与えられた、というわけだ。

 人形には名前はつけていない。

 そういうこともする、ということすら知らなかった。

(余談だが、私は小学校の卒業アルバムの白紙のページが何をするページか知らなかった。チクショウメ!ようは、全般的に物を知らない子だったのだ。)


 ただ、両親が弟の世話で忙しくして、私が一人でいる時、私はこの人形の手を握っていたり、人形を抱いていたり、じっと人形の目を見ていたりした。


 大人になった今では、あの頃、相手をしてくれない大人に代わり、この人形が私の孤独と不満を吸い取ってくれていたようにも思う。

 だから、小学校に上がっても、家にいる間はかなり長い時間、この人形と一緒にいた。


 あまり喋らず、あまり人と仲良くならず。

 気持ちがグシャグシャになったときには人形を抱えて部屋にいた。


 4


 小学5年生くらいだったと思うが、私は図書委員になった。図書室で貸出などをしていたが、正直あまり本を読む方ではなかった。

 見かねたのか、学校司書の先生が、本をいくつか紹介してくれた。

 絵本に毛が生えたようなものから、ほぼ、文字ばかりのものまで。

(私の本を読むレベルを測って、合ったものを紹介してくれたのかもしれない。)


 ひとりぼっちだった主人公が、友達を見つける話。家族と一緒に世界を巡る話。別の世界に行って猫を探す話。

 読む本はだんだんと文字が多くて難しい漢字も増えていたが、私は貪るように読んだ。漢字がわからなくても、一つ一つ辞書で引いたりしなかった。そんなことをしていたら読み終わることなんてできなかっただろう。構わず読んだ。ページが進むと、なんとなく分かるようになった。


 というよりも、漢字よりも大事なものを得られていたのだ。


 人とどんなふうに話をするのか。

 どんなときに人は怒ったり悲しんだりするのか。

 そして、人から愛されるとどんな気持ちになるのか。


 私は読書をすることで、心を急速に成長させた。


 中学校に入っても読書の虫は変わらなかったが、人と普通に話すようになった。

 むしろ、クラスであまり話しかけにくかった転校生などにも積極的に話をして、仲良くなった。

 転校生には申し訳ないけれど、『物語の主人公ならほっとかないハズ』と当時の私は本気で思っていた。

 物語の主人公たちが、私の兄や姉であった。


 そうしているうちに、人形のことは忘れてしまっていた。


 5


 話は現代に戻る。


 日曜日、実家の客間で目覚めた朝だ。


 布団から出した古びた人形を見て、手を握ってみる。

 かつて、私が満足に意思の疎通もできなかった幼い頃の、私の分身。


 世界が私一人で、私の中身が何もなかったときの、たった一人の『もう一人の私』。

 お気に入りといえばお気に入りだが、その表現では不足していた。


 そう。この人形は、かつて「自分」の枠に入っていたものだ。


 本を読み始めてから、真綿が水を吸い取るように『物語』を自分の経験として吸収し、急速に『中身』が入った私だが、この人形はその前の『中身がなかった頃の私』の一部なのだ。


 手を握ることで、ふと、それを思い出してしまった。


 6


 私は、その人形を東京の自分のアパートに持ち帰った。


(少し洗って、キレイにしたら、棚に飾ろう。)


 棚に飾って、たまに見るのだ。


 そうすれば、何者でもなかったときの『私』を、私は思い出すことができる。


 自分の出発点。


 様々なことを身に着けた。外見を飾ることも、言葉遣いも、礼儀も、人との交流も。


 でも、身につけすぎて『自分が何者であったか』を忘れてしまっていた。

 この人形と触れることで、私は『私』を思い出すことができる。



 だから、この人形は、今でも私の『お気に入り』だ。


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