第七話:フットボールの先輩
食堂にぞろぞろと人が集まってくる。ウォーラム校は昼食開始の時間も決められているので全員が一堂に会して三食を取ることになる。学年が上がればときどき事前にハウスマスターにお願いして食堂で食事を取らないこともできるようになるが、昼休みに当たる時間は同じである。また食堂で食べないときは自分で用意しなければならない。
しかしそんな制度は一年生のヒロたちにはなんら関係のない話だ。彼らは昨日や今朝と同じく適当に下座のほうに腰掛ける。食堂の人の集まり具合は6,7割と言ったところだ。入り口は人の流れが途絶えず込み合っている。
「昼飯くらいはたらふく食べたいなあ」
リックがぼやいた。大柄な彼は見た目どおりの大食らいなのだ。ヒロはそういえば聞いていなかった質問を彼にぶつける。
「リックって、なにかスポーツとかしてたの?」
「ん、ああ。フットボールが好きだな。しょっちゅうやってた。でもクリケットもするし、アメフトも結構やるぞ」
「そうなんだ。やっぱりスポーツが好きなんだね」
何か特定の一種目ではなく、いろいろと手をつけるタイプらしい。水を向けてしまったためにリックの口が回り始め、フットボールクラブについてなにやらやたら話始めてしまった。ヒロが知っているのはロンドンのどこそこ言うクラブだけで、しかもそれはホームステイ先の少年ニックが好きなクラブだったからという非常に浅い知識しかないために、話に出てきたクラブと選手名の大半が分からなかった。ルール用語すら半分くらい理解できていない。
苦笑を浮かべて相槌を打つだけだったヒロの隣にフェナーが座った。
「あ、フェナー」
「こ、こんにちは」
振り返ったヒロに反応してフェナーはなぜか挨拶をする。笑って挨拶を返すヒロの横から身を乗り出してリックはフェナーに話を向けた。
「フェナーの好きなフットボールクラブはユナイテッドだったよな?」
「あ、うん。そうだよ」
「フェナーもフットボール好きなの?」
放っておくとまた選手やらなにやらが飛び交うわけの分からない会話になりそうだと思ったヒロは話に割り込んでみた。するとフェナーは過剰に反応して恐縮したように手を振った。
「あ、み、観るのだけ。プレイは僕なんて、ぜんぜん、ほんとに……」
「そっか。僕は観るのもやるのもあんまり」
フェナーの否定にヒロは微笑んだ。フットボール好きが多いイギリス人でも、ヒロ同様プレイがあまりうまくない人もいるのだろうと安心する。ヒロはこれまたホストファミリーのニックに付き合わされてボールと追いかけっこさせられたことがあって、辟易していたのだ。
二人の顔を交互に見てスポーツマンのリックが呆れた風に肩をすくめる。
「おいおい二人とも。そんなんじゃフットボールの真の楽しみが分からねーぞ?」
「観るだけでも楽しいし、それでいいんじゃないの?」
「それでもだなぁ……」
「おい、そろそろ静かにしろよ」
弾んでいく会話に、小さいがよく通る声が割り込んだ。一同が顔を向けるとそこにはすまし顔のジェレミーが座っていた。背筋を伸ばし、絵に描いたような綺麗な座り方をしている。静まったヒロたちの耳に、正面の壇上にあがる学長の足音が届いた。振り返って正面を見るヒロの目に、壇上で昼食の時間であることを告げ、食前の祈りを述べる学長の姿が見える。左右のリックとフェナーが祈りをあげるのを見てヒロも慌ててそれにならった。ちらりとジェレミーを見ると、彼も優雅に祈りを上げている。礼儀正しいのかやさしいのか、いずれにせよジェレミーは目上の人が壇上に上がる前にヒロたちの雑談をやめさせたのは、そういう理由なのだろう。あまり愛想はよくないが、根はいい人なんだ、とヒロは思った。
食事は、量も質も朝晩よりはよかった。
パブリックスクールの掲げる標語は文武両道の育成だ。ルールを守ること、正々堂々と競って切磋琢磨すること、チーム競技なら協力することなどを学ぶためにスポーツの時間が設けられている。
運動着に着替えて曇り空の運動場に出て並ぶヒロたち。体を動かしていないから肌寒い。運動場の広さは途方もなく、学校の校庭など比較するまでもない、比較するなら陸上競技場などになるのではないだろうか。とりあえずこの運動場はサッカーグラウンドが二つ並んでいる。ヒロは運動場の端から端を見渡してなんともいえない気分になった。広すぎる。
ちなみに、このグラウンドに集まっているのはケンプハウスの生徒だけだ。他の寮の生徒は違う競技をするために別のグラウンドに集まっているか、音楽活動やボランティア、魔術実践など、それぞれ順繰りに違う活動をすることになっている。
「やあやあ、遅れてすまない」
ケンプハウスのハウスマスター、ハーン氏がフットボールクラブのユニフォームを着て出てきた。それを見た一年生たちは寒い顔をする。さわやかに笑ってボールを小脇に抱えているが、いろいろと空回っている感じがぬぐえない。それに対して上級生たちはあまり気にした様子を見せていない。これがハーン氏のいつもの姿なのだろう。このハウスに入寮したからには、覚悟を決めなくてはならないのだ。
悲壮な決意を固めていたヒロたちの前でさわやかに笑うハーン氏は、彼らの内心に気づいた様子もなくボールを置いて口を開いた。
「我がケンプハウスはフットボールでウォーラム最強のハウスだ。だから是非ともみんなには頑張ってもらいたい、の、だが。まあその仕事は3年生以上に任せたいと思う。1年生諸君は楽しんでもらえたらいいさ。それから、フットボールのプロのコーチは毎週月曜日に来ていただくことになっている。フットボール好きの諸君は楽しみにしているといい」
「おおっ、フットボールのプロコーチが教えに来てくれるのか。楽しみだな!」
ハーン氏の言葉にリックが目を輝かせてヒロを振り返り、興奮して小声で叫んだ。ヒロは対照的に少し困ったように肩を縮める。
「え、いや、僕はあんまり……そんな仰々しいのは勘弁だなあ。教えてもらえるような実力ないもの」
「なに言ってるんだよ、だからこそだろ。プロなんだから最初にどこのコツを押さえておけばいいのかとか知ってるはずさ。質のいい教えを受けて損することなんか何にもないぜ」
なるほど、そういう考え方もありか、とヒロは思うものの、そういう指導はやっぱり少しできるようになってからにしたいなあ、と思ってしまうのだった。ヒロは球技が苦手でリフティングが十回続けてできないのだ。
ヒロの思いはさておいて、各種ストレッチとランニングの準備運動を終えてフットボールの練習が始まる。が、最初のパス練習でヒロはペアになったリックにへろへろのパスしか送れない。リックはしっかりとヒロの足元にぴたりと届くパスを送れるが、まずうまく取れない。続けるたびにだんだん恥ずかしくなってきて、焦って蹴りだしたパスが靴の変なところに当たって明後日の方向に転がっていく。ああもう、とボールを追いかける気力もなくうんざりと行く先を見送っていると、ふいにボールが止められた。
「ずいぶんひどいな」
上級生、ケンプハウスのプリフェクトを勤めているレナードだった。彼はボールを転がしてヒロの横に来ると、リックに手を振ってしばらく待つように合図した。ヒロを見下ろす。
「お前、フットボールやったことないのか?」
「日本で少しだけ。でも、スポーツは苦手なんです」
「そうか」
彼はうなずくと、ヒロを揶揄するような態度は微塵も見せず淡々とヒロにボールの受け方、蹴り方、意識などを教え始めた。そもそもの足裁きや体の動かし方にも言及し、一つひとつ丁寧に教えていく。ヒロが言うなりに体を動かそうとすると叱咤し、意識して動くように注意する。そうしながらまた少しずつ丁寧に、根気強くかつ手早く教えていってくれた。
「……で、前を見たまま蹴る。分かるか?」
「はい」
「よし。じゃあやってみろ」
そう言った後、彼は手を振って手持ち無沙汰にしていたリックに合図し、ヒロの背を押して促した。ヒロは言われたことを反芻しながらボールを蹴る。ポーン、と飛んだボールはリックが一歩動く距離で取れた。ヒロは自分で蹴っておきながら口をぽかんと開けて、リックがボールを止めて笑っているのを見る。
「よし。じゃあ、今の感じを忘れんなよ」
「はい! ありがとうございます!」
ヒロが勢いよく言って頭を下げるのにレナードは笑い、軽く手を振って歩き去っていく。プリフェクトは下級生に指導する役割もあるのだが、ここまで懇切丁寧に教えてもらえるとは思っていなかったヒロは少し感動を覚えていた。
「へえ、いい先輩だな」
いつの間にか近づいてきていたリックがヒロの肩に腕を置いて笑った。ヒロも彼に笑顔を返し、リックを押して促す。
「ほらほら、せっかく教えてもらったのに遊んでたら失礼だよ。練習に戻ろう」
「オーケイオーケイ、まあこの調子なら今日の練習で十分動けるようになるだろ」
リックは笑いながらまた距離をとり、ヒロに手を振る。ヒロは手を上げて応え、練習に戻った。
今日だけで、なんとかボールが狙った位置付近に飛ぶようにはなった。
いい先輩ですね。
イギリスの国民的スポーツ、フットボール。出てこないわけにはいきませんが。なんかこう、このエピソードに意味はあったのかなー的な疑問があります。
次回、自習。