第三話:はじまりの出会い
めでたく同じハウスに所属することが分かって喜びを表現することに満足したヒロとアキトは並んでケンプハウスに向かい始めた。地図を片手に歩きながらヒロはアキトに尋ねる。
「そういえば、カオルはもう来てるのかな」
「どうせまた遅刻寸前に来るんじゃないのか」
「うーん……ありそう、すっごく」
失礼な言われようをしているカオル・ミヤサカとは、ヒロにエアメールを送ったもう一人であり、彼ら三人は幼馴染として昔からの付き合いだ。この留学というのも、アキトとカオルが非常に秀でているためにウォーラム校が引き抜いたというのが正しい。なぜヒロもついて来たかというとその招待がヒロのもとにも届いたからなのだが、ヒロは二人のように優秀ではないため、どうにもいまひとつ不思議である。カオルに言わせると、どうせヒロが行かないなら留学なんかしなかったしちょうどいい、とのことだったが、その考え方は果たしてどうなのかと思うばかりである。
ただ、ヒロとしては、それでも二人についていく形になってよかったと思うことが、自分が寂しいという理由以外に一つあったりする。
「それにしても広い敷地だな。80エーカーだったか、東京ドーム7個分くらいだな」
「そうなんだ! 広い広いとは思ってたけど、本当に広いんだねー。ところでさ、なんで僕たち英語で話してるの?」
「英語は使わないとすぐ鈍るぞ。『英語脳』ができているなら大丈夫だろうが、ヒロはまだだろう」
「なるほど……。気をつけないとね。カオルと一緒のときなんかは日本語になっちゃいそうだよ」
こんな調子で十分ほど談笑しながら歩いていると、ケンプハウスにたどり着いた。3階建てのレンガ造りで風雨にさらされたアンティーク具合が初めて見るものにも妙な親しみやすさを感じさせる。ハウスに入ると、玄関口の目に付くところにケンプハウスのハウスマークが飾られており、また優勝カップや盾などがガラスケースに飾られている。
すぐ右手にある談話室から男性が顔を出した。スーツを着こなした30代後半らしいその男性はスカイブルーの瞳が印象的な愛嬌のある顔をしている。大荷物を抱えたヒロとアキトの姿を認めると、破顔一笑してハハハと笑いながら玄関口へ歩いてくる。
「やあやあどうも、初めまして。私が今日からキミたちの父親代わりになるケンプハウスのハウスマスター、ジョセフ・ハーンだ。よろしく」
ハーン氏はそう言って握手を求めた。ヒロはニッコリ笑ってその手を取り、自己紹介を返す。
「初めまして。僕はヒロ・ミシマです。宜しくお願いします、ハーンさん」
「初めまして。アキト・ムロイです。宜しく」
アキトが続いて自己紹介をしたのを確認して、ヒロはハーン氏に念押しした。
「僕たちは日本からの留学生で、文化や習慣に不慣れなこともあると思います。ご迷惑をかけると思いますが、どうぞ宜しくお願いします」
「ああ、分かっているとも。さあ、おいで。まずは先輩たちに紹介しよう」
大振りな体の動きでハウスに誘うハーン氏に連れられて談話室に入ると、上級生たちがニコニコ笑って歓迎体勢に入っていた。現われた異国人に一瞬驚きの間を見せるとすぐにテンションを上げて歓待する。「ようこそ、我らがケンプハウスへ!」と声を揃えて張り上げた。面食らうヒロの前に、代表者らしき金髪を刈り上げた長身で人相の悪い青年が楽しそうな笑顔で歩み出る。彼の胸にはプリフェクトという上級学生のバッジが輝いていた。
「今からお前たちは俺らの仲間だ。何か困ったことがあったらなんでも言えよ? 俺はレナード・ボルドウィン。お前らは?」
「あ、僕はヒロ・ミシマです。宜しくお願いします」
「アキト・ムロイだ。宜しく」
「おう、宜しくな」
にいと不敵に笑ってヒロの頭をわしゃわしゃとなで、アキトの肩を叩く彼は、がらっぱちな所作の中に優しさの垣間見える兄貴分みたいな青年だった。本格的な歓迎は今夜に回すとして、と彼は前置きして振り返る。部屋割り表のようなものが机の上に広げられていて、それを見ている上級生が「ヒロ・ミシマがA棟3階2号室、アキト・ムロイがB棟3階9号室だな」と声を放る。
「聞いたな? ヒロが3階2号室、アキトが9号室だ。荷物を置いて、ルームメイトと親交を深めて来い。1年間一緒に過ごす仲間なんだからな」
「はい」
ヒロは一礼してアキトとともに談話室を退去した。階段を上り三階まで行くのだが、天井がやや高いので当然のように階段も長い。2階から3階に上がるときにはアキトに荷物を持ってもらう状態になっていた。ボストンバッグ持ったまま散策なんてしてたからもうすでに足がガクガクだよ、と弱音を吐いたヒロは、自分の体力を考えろ、とアキトに一言でバッサリと切り捨てられる。三階にたどり着き、左側がA棟で右側がB棟とされているようだが、号室の番号はAとBで連続しているようでなんだか奇妙な感じだった。
「僕はA棟だからこっちだね。どうせなら同じ部屋になりたかったな」
「部屋まで同じだったら留学の意味がないだろう」
「まあねー、それはそうかもしれないけどさー」
「分かったら行け。それじゃあな」
「ん、じゃあまたね」
いつになってもアッサリしたアキトに苦笑してヒロはボストンバッグを両手に抱えてA棟2号室を探した。奥の部屋だ。扉の作りがなんだかそこはかとなく豪華な気がするところにパブリックスクールの雰囲気を感じたりしつつ、一応ノックしてから扉を開ける。部屋の中は余り広くなく、机とベッドだけで半分のスペースがふさがっていた。正面にある窓は大きく、カーテンは開け放たれているが昼下がりの日光が差す部屋は大して眩しくもない。扉から見て右手側に二つ並ぶベッドは2段で、ベッドのある場所の天井から仕切り用のカーテンが下がっている。そして左手側にある机の一つにガウンが載せられ、その奥のクローゼットから一人の少年が目を丸くして顔を出した。
「あ、えっと……、初めまして。僕はヒロ・ミシマって言うんだ。宜しく」
「あ、おう。俺はリック、いやリチャード・パートリッジ。リックって呼んでくれ」
最初こそお互いに驚いてぎこちなかったものの、なんとか自己紹介を済ませて改めて姿を見る。リックは身長が少し高く、体格ががっしりしているからスポーツタイプの人間のようだ。ヒロはニッコリと笑ってうなずいた。
「うん、よろしくね。リック」
ヒロが日本からの留学生と悟るや否やリックが始めた日本についての質問を「多分、他のルームメイトも聞きたがるでしょ?」という理由で引き伸ばし、逆にイギリスの学生生活について質問を重ね、いつしかすっかり打ち解けていたところで扉が開かれた。ヒロとリックで揃って振り返る先に、注視されて身を引く少年と彼の脇をすり抜けて平然と部屋に入ってくる少年が見える。ヒロは立ち上がって彼らのほうに歩み寄った。
「初めまして、僕はヒロ・ミシマ。ルームメイトだよね、これから1年よろしく!」
ニコッと笑って言うヒロに追随してリックも自己紹介をする。二人の自己紹介を受けてまず気弱げな、少しくすんだ金髪に眼鏡をかけた少年が口を開いた。
「ぼ、僕はフェナー・ダンバー、です。その、こちらこそよろしく」
人見知りがあるようでたどたどしくぼそぼそと自己紹介したフェナーにヒロは笑顔を向け、首をもう一方に向けた。一緒に入ってきたものの、どうもこの様子からして別にフェナーとすでに親しいというわけでもないらしい。ブラウンの髪を丁寧に纏めたちょっと美少年な感じの彼は仕方なくという風で無愛想に答える。
「ジェレミー・ルーベンス」
「うん、ジェレミーとフェナー。よろしくね」
うわあ、最初からこんな無愛想な人っているんだ、と引きつる顔を誤魔化すように笑顔を浮かべてヒロは殊更明るく言った。リックはジェレミーの態度が気に食わなかったらしく鼻にしわを寄せて、フェナーはその決して穏やかではない雰囲気に恐縮して肩を縮めている。ジェレミーのほうはといえば、言動や態度とは裏腹にヒロたちを馬鹿にしてかかっているとか、しいて無視しているというような拒絶する雰囲気は意外にも出していなかった。もともと愛想がない性格なのかもしれない。
ヒロは彼らを見回して微笑んだ。順風満帆というわけではないけれど、出会いは概ね及第点を出していいと思う。これから彼らとパブリックスクールでの生活が始まるんだ。そう期待に胸を膨らませて。
結論から言えば、この期待は必ずしも正しいものではなかったのだが、このときのヒロは知る由も無い。
人名出すぎ。
まぁその、自己紹介ってするものですから、仕方ありませんよね。名前についてのフォローは今後の展開中に細かくやっていくつもりです。
次回、ルームメイトとの交流なんかを。