第二話:はじまりの再会
ウォーラム校はベルンスという街の郊外に存在する。施設やスポーツ場などが多すぎて広大な敷地を必要とするためにロンドン郊外の街のそのまた郊外という辺境にしか創れないためだ。ウォーラム校へはこのベルンスからバスで30分ほどのところにある。
ヒロは本の形に纏められている市街地図をめくりながらベルンスの街を散策していく。ベルンスの街並みは落ち着いていて全体的に古い建物が多かった。住宅街は日本のように石垣や塀で家を囲っているようなこともなく、その穏やかなたたずまいは独特の美しさをかもし出している。と、自転車で走っているイギリス人の青年がすれ違いざまに物珍しそうにヒロを見て去っていった。ロンドン辺りでは日本人がちらほらと見えたがここまで来ると異国人は珍しいのかもしれない。
それからしばらく歩き、住宅街を抜けて商店街まで来ると途端に賑やかさが帰ってきた。都会ロンドンとはまた少し違った騒々しさが目に耳に心地よい。洒落たカフェや雑貨屋などが並び、また付近に巨大なスーパーマーケットがあることもあって、市民の生活の中心点となっているようだ。
商店街を抜けた先の大きなバスターミナルからウォーラム校行きのバスに乗って向かった。まだ時間には余裕があるためか、乗客はヒロ以外にほとんどいない。バスの車窓からの街並みも乙な物で、高い視点から見る街並みもまた楽しいものだった。ヒロは終始機嫌よさげに微笑んでウォーラム校へ着くまでの時間を過ごした。
「……さて、と」
発車していくバスを横目で見送りつつ腰をひねって軽くストレッチをする。ボストンバッグを抱えながらの散策は存外体力が要ったために少々疲れていた。深呼吸して、ボストンバッグから今度はウォーラム校のパンフレットを取り出して開く。校舎のアクセスマップと入学生の集まるロビーについての説明を、脇に貼ってある付箋のメモを参照しながら読む。入学生は15時から16時までにウォーラム校の生徒エントランスで書類の提出と説明を受けること、と書いてある。時計を取り出してまだ30分近い余裕があることを確認し、辺りを見回して、改めて歩き出した。
この辺りまで来るともう建物はウォーラム校以外に見当たらず、ゆるやかな丘陵になっている田畑や牧草地などがあるばかりで非常に長閑な雰囲気が漂っている。開け放たれている大きな門扉をくぐってウォーラム校の敷地内に踏み込むが、広大な芝生や公園と見紛うようなキャンパスが広がっている。校舎が遠い。ヒロは一息ついてボストンバッグを抱えなおすと、土を踏みしめて歩き始めた。
「やっぱり広いなあ。校舎が遠いよ」
やがて見えてきたウォーラム校は広い庭と垣根代わりの並木に抱かれるようにして巨大な建物をそびえさせる古式然とした建物だった。辺りを見物したりちょっと回り道したりしながらのんびり歩いてきたために時間はちょうど15時を回っていたが、あまり時間に厳しいとは言いがたいイギリス人の国風のためか、手続きに来ている生徒はまばらだ。ヒロは道なりに進みウォーラム校の玄関をくぐる。校舎の中は薄暗いが広い空間が広がっている。エントランスホールは古めかしい城のような風格が漂っていて、装飾の一つ一つに細やかな気品が感じられる。それにしても随分天井が高い。
「キミ、新入生だよね?」
「あっ、はい」
のんびりと建物を見回していると上級生らしい生徒から声を掛けられ、ヒロは慌てて答える。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている相手を見て日本語で応えていたことに気付き、慌てて英語で言い直した。彼は不安げに眉をひそめつつもヒロを左手の廊下に入ってすぐの部屋に案内した。普段は教室として使っている部屋のようで、大人とその手伝いらしい上級生が忙しなく書類を整理している。手続きを行う机にはまだほんの数人しか座っていない。
「ここで手続きをしてくれ。どのハウスに入るかがここで教えてもらえるから、寮に荷物を置いて、16時半にまた来てほしい。ホールで入学式を行うから」
「分かりました」
ヒロは上級生に一礼して、部屋の真ん中で受付のように座っている人の前まで行き、ボストンバッグから書類を纏めた封筒を取り出して手渡した。
「こんにちは。コレが書類です」
「はい、ちょっと待ってね」
受付はニッコリ笑ってそれを受け取り、中身を確認して不備がないか調べる。ヒロは少し緊張した面持ちでその手元を見つめ、彼女が書類を纏めて揃えるのを見て詰めていた息を吐いた。受付は後ろでウロウロしていた男子生徒に書類を渡し、傍らに平積みしてある小冊子を取って、男子生徒が持ってきた水色の冊子と一緒にヒロに手渡した。
「どうぞ。あなたはケンプハウスよ、頑張ってね」
「ありがとうございます」
受け取って一礼し、部屋を退室する。校舎から出て、手渡された水色の冊子を見る。表紙にはケンプハウスのハウスマークが描かれている。竜の横顔の下でX字に交わった二本の剣が風になびく逆さ五角形型のフラッグの上に描かれていて、五角形の中央には立てた剣を隠すように盾があり、盾には六芒星が刻まれている。どうにも暗示的だ。それはともかく、冊子の2ページ目に書いてあるマップを頼りに荷物を置きに行こうかとヒロは歩き始める。が、前方を歩いてくる人物に気付くと、冊子を閉じて走り出した。
「アキト! 久しぶり!」
「ああ、久しぶりだな」
日本人だ。日本人にしては高い身長が、すらりと伸びた背筋でさらに高く見える。髪は粗雑に後ろに流すだけだが、理知的な顔つきと縁無しの眼鏡を掛けていてその粗雑ささえも切れ者の風格になっている。ヒロにエアメールを送ったアキト・ムロイがこの彼だ。
ヒロは旧知の友に久々に出会った喜びで上気した顔のまま、嬉しそうに笑みをほころばせる。
「僕が春に出発したからもう半年も会ってないよね。懐かしいな。やっぱりアキトといると落ち着くよ」
「ちっとも落ち着いているようには見えないな」
「あ、ヒドイな。久しぶりに会ったのにその毒舌は相変わらずなんだね」
「俺は取り繕わないだけだ。面倒だからな。それよりヒロ、ハウスの発表は受け取ったか」
「うん、ホラ」
ヒロの示す水色の冊子を見て、アキトは「ケンプハウスか」と即答した。ヒロが目を丸くするのを見て、来るだろう質問の機先を制して説明する。
「水色はケンプハウスのハウスカラーだ。ハウスにはそれぞれカラーがあって、たとえば他のフォスターハウスなら赤紫、バーンズハウスなら浅黄色と割り当てられている」
「なるほど」
ヒロは合点がいったとばかりに手を打つ。そうしながら、変わらないアキトとの関係に微笑を浮かべる。昔から、アキトと話をするとヒロの知らないことを説明してもらい、それを聞いてそうなのかとうなずくというやりとりを幾度となく繰り返してきたのだ。アキトはそんな昔を懐かしんでいるヒロの肩を軽く叩き、さらりと告げる。
「俺は手続きを終わらせてくる。ハウスに向かうといい」
「え、あ、」
ヒロが何を答える間もなくアキトは颯爽と校舎に入っていってしまった。後を追うのも間抜けな気がしたヒロは立ち尽くしたまま少しぼうっとし、むうと腕を組む。「もう少し話したかったのにな」と日本語でつぶやいて、少しずつ生徒の姿が増えてきたウォーラム校を後にしようと振り返る。そして歩き出してしばらくして、やっぱり立ち止まった。
待つ時間が少しなら待つのもいいかもしれない、しかしハウスによっては途中までも一緒に行けないかもしれない、そうだったらアキトはきっと機嫌を悪くするだろう、でもできれば途中まででも一緒に行きたいなあ、などとぐるぐるうだうだ考えながら水色の冊子をめくる。当たり前だが、他のハウスの場所は書かれていないようだった。これじゃあどのハウスだったら方向が別なのかも分からないじゃないかと見知らぬ冊子の編集者を軽く罵る。ふともう一つの小冊子を見て、まだ目を通してないことに気付き、ヒロは道の端によって飛ばし読みすることにした。
大した内容ではなかった。学校施設――図書館や運動場などの位置や使用規則など――について書かれているだけで、そのうえページ数も12ページほとんどが写真、と非常に少なく、飛ばし読みでは1分と持たなかった。手持ち無沙汰に粘るものの、そろそろ増えてきた生徒の好奇の目線も気になってきた。諦めて行こうかとガックリと肩を落としてボストンバッグを持ち上げた時、
「バカだな、待っていたのか」
手続きを済ませたらしいアキトが声を掛けてくる。アキトは効率を重んずるタイプで、あまり人に気を払わない。そのあたりを重々承知したうえで親友になっているヒロは彼の言動にいちいち気を取られたりせず、素直に喜びを表して弾むように笑みを浮かべる。
「アキト! うん、まあね。アキトはどのハウスだったの?」
「もちろんケンプだ」
ヒロの期待がこもった質問にアキトは即答して水色の冊子を見せる。それを一目見たヒロは目を輝かせてアキトの手を取って喜んだ。
「そうなんだ! やったあ、一緒のハウスなんだね!」
「……そうだな」
ヒロがあまりに無邪気に喜ぶので、アキトはだいたい同じハウスに入れられるだろうと踏んでいたのだとはついぞ言い出せなかった。
今回もまだほんの序章。旧くからの知友に再会したものの、物語が始まるのはもっと先。
……ぜんっぜん状況が見えてこなくて駄目ですね。やっぱり字数が少なすぎる……? いえ、でも話数が増えてくると少し短めくらいのほうが読みやすくなったりしますからね。今作はこの形式で。はい。
ウォーラムの土を踏み、アキトという親友とも再会し、また日本のクラス決めと同じかそれ以上に重要なハウス(寮)の割り振りも終えました。一気に書いて分割してるので、冒頭に説明爆撃が入ってしまう形になってしまい反応が恐ろしいです。
次回、重要な生活の舞台になるハウスに赴きます。お楽しみに。