フイウチ
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わたしはまみたんだ。わたしが愛を向ける相手はフミさんといって、わたしは結構、事あるごとにアプローチを試みている。だけど、振り向いてもらえる感はない。フミさん、案外、手強いのだ。
けれど連絡先くらいは交換しているわけで「まみたん、かんにん。風邪でメッチャキツいんやわ。代わりにバイト、お願いできへん?」などと、ある日、そんな連絡があった、電話にて。
ほぅほぅ、フミさんみたいな単細胞でも風邪に冒されることくらいはあるのか。それがなんだかおかしくって、実際におかしく思えたものだから、わたしは電話口で笑ってしまった。
「フミさん、それって嘘ではないですよね?」
『まみたんさぁ、なんでそないな冗談言わなあかんのさぁ』
『いま、友達と一緒にいます。二人ともスカートはメッチャ短いです』
「えっ、えっ? それがどないかした?」
『JKのスカートが著しく短いわけです。ドキドキを提供しました』
「わけわからんのやけど……」
「あなたは馬鹿で、ある意味不届き者です、ほんとうに」
『ほんま、ようわからへんよぉぉ』
「ええ、はい、わかっています。がんばりますよ、代替のニンゲンとして」
『だ、代替のニンゲンとか言われてまうときっついなぁ』
「お礼については『抱いて』と言っておきます」
『へっ?』
「それこそ冗談ですよ。今日もがんばります」
『とにかくかんにんなぁ』
フミさんがえらく咳込んだ。心配になって、わたしは「楽しみにしていてください」と告げた。すると当然、「へっ? 楽しみにしててって、なにを?」と返ってくるわけだ。あたしは「ふふふ」と含み笑いをしてから通話を切った。
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どうあれわたしはJKなので九時までしか勤務できない。それでも「助かったぁ」とデブの店長は言い、だからだろう、廃棄するお弁当を「いくらでも持っていっていい」と言ってくれた。賞味期限は切れているわけだけれど、賞味期限が切れていきなり腐るものでもない。わたしはありがたく「拝借します」と言い、お弁当を二つ、それにチキンナゲットも二つもらい受けた。さて、と思う。めでたくこれから突撃だ。
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フミさんのアパートの一室、インターホンを押すと、ゲフンゲフンと咳込む音が聞こえた。やっぱりやめておけばよかったかな? ――とか健気に気を遣うほど、わたしは丁寧にはできていない。近所迷惑になろうだなんてことは省みず、「フミさんフミさん、フミさーん!」と大声で呼んだ。まもなくしてフミさんが顔を出した。フミさん、イイ男なのだ、所詮はバイトのあんちゃんだけれど。
「えっ、ほんまにまみたんやん」
「そうです、わたしはまみたんです」
「どないしたん?」
「嘘をついていないか確認しにきました。店長の命令です」
「うそん! 俺、風邪やのに、それを疑われてんの?!」
「いえ、嘘です、冗談です。わたしが勝手に来ました」
「家の住所、話したっけ?」
「話してくださいましたよ。苗穂は安っぽくて情けないですね。札幌市の恥です」
「な、なんでそこまで言われなあかんのさ」
フミさんはいまにも目に涙を浮かべそうな表情。悲しい気持ちはわからなくもないけれど、とにかく苗穂はちんけなところだ――苗穂に住むみなさん、ごめんなさい。だけど本音は隠せないし隠すつもりもないのがわたしなのだ。
「十二月です。雪が積もっています。寒いです。それでも家には上げてもらえませんか?」
「いや、お茶くらいなら出すよ」
「だったらとっとと中に入れてください。あっ、下ネタじゃありませんよ?」
「そんなんわかってるってば」
フミさんは困ったように笑った。
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へぇ、きれいにしてるじゃん。慎ましやかな寝床を見て、わたしはそんなふうに感心させられた。クッションフロアのリビングにはベッドとちゃぶ台しかない。シンプル・イズ・ベスト。そう思うわけである。
わたしはちゃぶ台を前にしてぺちゃんと座った。フミさん、えらく咳込む。「お茶、待ってな」と苦しげに言う。でもにこりと笑う。こちらから動くしかないと考えた。「お茶っ葉はどこですか?」「お湯呑みは勝手に使っていいですよね?」と訊き、緑茶をちゃぶ台に置いた。私とフミさんは向かい合って座った。
「どうしてそんな古臭いはんてんを羽織っているんですか?」
「先祖代々伝わるもんなんやわ」
「それ、嘘ですよね?」
「うん、嘘。せやけど、おふくろからもらったものやから」
「フミさんは優しすぎです」
「怒るときかてあるよ」
「そうは思えません」
「あるんやよ」
フミさん、自分の笑顔にどれだけの威力があるのか、わかっているのだろうか。
「戦利品があります」
「戦利品? そのビニール袋の中身はなんやろ?」
わたしはチキンナゲットとお弁当を取り出した。「レンジでチンしていいですか? あっ、下ネタじゃありませんよ?」
「えっと、そんなんも下ネタなん? って、ちゃうわ。それ、廃棄のヤツやろ?」
「だったら要らないって言うんですか?」
「いや、そうやなくて、そういうの、不平等やからって、店長、持たしてくれへんやん?」
たしかにそう。廃棄するのは夜のことであって、だったら昼間のシフトのヒトはその恩恵に与れないわけで、だからそのへん、店長はしっかりしているのだ。
「相当、機嫌が良かったんやねぇ」フミさんは笑った、だけどすぐに咳込んだ。「わこた、いただこう。チンするわ」
「そんなのわたしがします。待っててください」
わたしはお弁当もチキンナゲットもレンチンしてちゃぶ台に戻った。二人していただきますをして、お弁当にそれなりにがっつく。チキンナゲットを頬張りながらニコニコするフミさんはかなりラブリーだ。
そのうち、お弁当も食べ終わり。
「フミさん、ずっとお伺いしたかったことがあります」
「ん? なんやろ?」
「フミさんは三つのバイトを掛け持ちしてますよね? でも、そんなんじゃあ、どれだけがんばっていても、先なんて見えないと思います」
フミさんは目を見開き、目をしばたいて、「うっへ、なんちゅうド直球」と言って笑った、笑ったけれど、また咳込んだ。
「まみたんが相手やから、話してあげよっかな」
「なんでも聞きますよ。それくらい仲がいいつもりですから」
するとフミさんはまた笑って、また咳込んで。
「俺な、まみたん、来年、受験しようと思うんやわ」
「えっ、大学ですか?」
「うん、そう」
「どこが目標ですか?」
「北大」
「おぉ、だったらわたしと同じではありませんか」
フミさんは眉根を寄せて、困ったように笑った。
「まみたんみたいに現役やないけれど、一から勉強したいっておもてさ」
「謝罪します」
「なんの話?」
「だってわたし、ひどいことを言ってしまいました。フミさんはなんの努力もしていない。そんなことを言ってしまいました」
「そんなん言うたっけ?」
「言いましたよ。とぼけないでください。怒りますよ?」
「まみたんには怒られてばっかやなぁ」
「そこには愛があります」
フミさんはまたまた笑って、またまた咳込んだ。
「せやけど、女子高生に手ぇ出そうもんなら犯罪やわ」
「同意があればいいんですよ。そう聞いたことがあります」
「せやけど俺的にはNGやさかい。送るよ、家まで」
「なに言ってるんですか。ちゃんと休んでなきゃダメです」
フミさんは苦笑するようにして笑った。
「お願いやから送らせて? せやないと俺は心配ばっかしてまう」
キュンってなった。
結構、大いに。
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苗穂駅は各停しか止まらない。だから恵庭にまではずいぶんと時間がかかる。二人並んで席に座っていると、わたしは「あっ」と気づいた。
「フミさん、帰りはどうされるんですか?」
「ああ、それは考えてなかったなぁ」
「終電、もう無理ですよ?」
「せやさかい、それは考えてなかったなぁ」
フミさんの向こう見ずさは愛すべき欠点である。
「わかりました。いいですよ。わたしが話しますから、今日は泊まっていってください」
「そんなん悪いから。しっかり帰るよ」
「フミさんは貧乏だからタクシーに乗ることすらしないでしょう?」
「最悪、歩いて帰ればええから」
「それはダメです。できるはずもありません。ぜひともわたしの言うことを聞いてください」
「せやったら、俺の言うことも聞いてくれへんかな?」
フミさんは自虐的な笑みを浮かべる。
結局フミさんは、わたしのことを家の前まで送ってくれた。「ほんとうにどうするんですか?」、「駅前にビジネスホテルがあったさかい、そこにお世話になるわぁ」、「そんなことしたらお金がピンチになるじゃないですか」、「カッコつけさせてぇや」、「そこまでおっしゃるなら、まぁ……」、「おおきに」、「お礼を言うのはわたしのほうです」。
玄関の戸の前で振り返った。フミさんはしつこいくらいに咳込むのだけれど、大きく手を振ってくれた。だから好きなんだ、フミさん。涙が出るくらい優しいから、わたしはあなたのことが好きなんだ。
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誘うのは簡単だった。「晩ご飯、奢ってください」と貧乏なフミさんに声をかけた。フミさんは「まみたんはどこに行きたいん?」と乗り気な感じ。「やった!」と思うとともに、どこでなにをたべようかと考えた。「札幌の北口にイタリアンのお店があるんですよ」、「そうなん?」、「一度食べてみたかったんです」、「ほなら行ってみよかぁ」、「っていうか、風邪、だいじょうぶなんですか?」、「もうすっかり治ったよ。心配してくれておおきにね」。
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フミさんは元気に食べる。食べることが好きなのだと言う。かなり細身なのに。まあ、それは関係ないか。ピザを食べ、パスタを食べ、フミさんはスパークリングワインを飲んだ。「口のはたにソースがついてます」と教えてあげると、シャツの袖で拭おうとしたのでわたしは咄嗟に止めた。紙ナプキンという便利グッズの存在を教えてあげた。「おおきにね」と言ってまた微笑む。たぶんこのヒト、根っからの女殺しだ。まあ、それくらいのヒトが相手じゃないと、このまみたん様はなびかんとも思う。
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バイト先のコンビニのバックヤードでのことである。
「フミさん、いよいよ積雪が本格的になってきました」
「そうやね。外はもう真っ白やね。札幌らしくなってきた」
「デートをしませんか?」
「へっ?」
「デートをしませんかと訊きました」
「えぇ、えっと、なんでデートなん?」
「デートをすれば、フミさん、わたしになにか買ってくださいますよね? 貧乏だとはいえ」
「貧乏のくだりが気になるけど……」
「嘘です、冗談です」わたしは笑った。「フミさんが貧乏なのは、絶対にいまだけです。立派な志をお持ちなのですから」
フミさんは「おおきに」と言って破顔した。
「デート、いかがですか?」
「どこに連れてけばええ? 俺、デートなんかしたことないからさ」
「それは嘘でしょう? 嘘に決まってます。フミさん、見た目だけはいいですから」
「見た目だけって、キツいなぁ」
「デートしましょう」
「せやさかい、どこがええ?」
「大通公園のイルミネーションを見に行きましょう」
「案外、かわいらしい意見やね」
「案外とか心外ですね」
「わこてるよ。まみたんはなにせ、美少女やさかいね」
「お世辞は結構です。ぜひ行きましょう」
「うん、わこた」
「あー、かわいいなぁ、関西弁」
「うん?」
「フミさんはかわいいって言ったんです」
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札幌駅で待ち合わせをして、大通公園までは歩くことにした。でもって、ただ並んで歩くのは間違いというか違う気がして、わたしはフミさんに「手、つないでもいいですか?」と訊ねた。フミさんは目を丸くしたけれど、いつもみたいに極端に驚いたりはしなかった。
「っていうかさ、まみたん、なんで手袋はめてこぉへんかったん?」
「忘れたんです。よくあるんです」
フミさんは黒い革手袋の左を取って、わたしに渡してくれた。
「わたしは手をつなごうと言ったんです」
「せやさかい、左手にはめぇや」
「あっ、そういうことですか」
「うん」
わたしは右手を差し出し、フミさんは左手を差し出した。
おたがいにぎゅって、手を握った。
フミさんの手はごつごつしていて、男性を感じさせてくれた。
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いろいろと見て回ったけれど、白を基調としたライトで覆われたアーチの中――空間で足を止めた。ほんとうにきれいだ。ロマンティックだ――なんてのは死語だろうか。まあいい。とにかくキラキラしている。きっと手をつないで歩くわたしたちもキラキラしているはずだ。
わたしたちはイルミネーションを見上げる。
「いまの俺は、ほんまに貧乏やさかいなぁ」
「それこそいまだけの話ではありませんか」
「たとえば、たとえばなんやけど、俺がさ、たとえば――」
「何回たとえばって言うんですか。しつこいヒトは大嫌いです」
「そこまで言わんかてええやろぉ?」
「とにかく嫌いなんです」
わたしはそっぽを向いてやった。
「ほんま、いまの俺は情けないけどさ」
「わたしはそうは思っていません。大学に入ろうとか、立派です」
「仮になんやけど、俺がうまいことまみたんと大学に入れたら」
「入れたら、なんですか?」
「えっとね」
「えっとね、なんですか?」
「俺のこと、全部あげるさかい、付き合ってくれへんかな?」
ほんとうにぶきっちょだ、このヒトは、フミさんは。
わたしが本気だって気づいていないわけがない。
だったら、もっと男らしくしてくれたって。
でも――。
「いいです、わかりました、いいですよ」
「おぉ、ほんまに?」
「条件があります」
「条件?」
「いまから付き合いましょう」
わたしはジャンプするみたいにして、フミさんの首に両腕を巻きつけ、その唇を奪った。男のヒトの唇ってカサカサしているんだなと知った。――否、フミさんの唇に乾いた感があるだけのこと――なのかもしれない。わたしは彼の唇だけ知ることができればいい。子どもっぽい発想かもしれないけれど、ほんとうに、わたしにはフミさんだけいればいい。
いやはや、人通りが多い場所にていきなりキスをしてしまった。わたしは「どうとでもなれ」と思っていたし、フミさんは戸惑ってばかりいたけれど、なぜだろう、不思議だ、でもニンゲンって優しい。「以上、初キスでしたーっ!」ってわたしが言うと、周りのヒトは拍手までしてくれた。
キラキラ光る白いイルミネーションも、わたしたちを祝福してくれているように思えた。
きっと今宵は忘れられない夜になる。