その1
カエルの前足のような手が、ペタペタと土を固めていた。
朽ちかけた畳の上に盛られた土の塊は、等身大の人型のようだ。
そこは廃屋になっている古民家の一室、かつては家族が集う居間だった名残、中央には囲炉裏が残っていた。
「こんなモノが傀儡になるのか?」
せっせと土を均している偶仙道の後方から、羅刹姫は疑わしそうに覗き込んだ。
羅刹姫はこんな廃屋には場違いな派手な化粧の女、豊満なバストを強調する胸元の開いたワンピース、もちろんミニで綺麗な足も惜しみなく見せている妖艶な美女。
「じき、完成じゃ」
傀儡作りの熟練妖怪である偶仙道は、真っ白なのべ~っとした顔に、黒胡麻のような目が付いているだけで、鼻も口もない、否、言葉を発する時だけ、口は現れる。体も白い餅のようで、短い手足がくっついているユニークな風貌。
「最後にお前が生血を注ぎながら念ずると、お前が思い描く姿になる」
偶仙道は土の塊から退き、羅刹姫に座を譲った。
羅刹姫は右中指の鋭い爪を左の掌に当ててスッと引いた。
裂けた皮膚から滲んだ血が滴る。
それは土人形の上、心臓の辺りにポトリと落ちた。
「これで完成……」
羅刹姫は口元に笑みを浮かべたが、その時、強烈な殺気に射抜かれ、反射的に飛び退いた。
身構えながら戸口を見ると、赤い鬼の眼が不気味に煌めかせた珠蓮が立っていた。
「やっと見つけた」
「ちっ!」
羅刹姫は嫌悪感いっぱいに顔を歪めながら、一瞬、土人形に視線を落としてから、偶仙道の短い手を引き寄せて盾にした。そして、状況が把握できずに、小さな目をいっぱいに広げて驚いている偶仙道の後ろから目くらましの糸を噴射した。
間を入れぬ羅刹姫の攻撃に不覚を取り、顔中糸だらけになってしまった間抜けな珠蓮は、粘々した糸を取りながら、
「てめ~!!」
羅刹姫を睨もうとしたが、既に姿はなかった。
「わ、儂は頼まれただけだ」
残された偶仙道は蛙の掌を広げて向けながら、必死で敵意がないことをアピールした。
「なにも知らんぞ」
おずおずと後退りし、戸口まで下がると、一目散に逃走した。
白い餅が短い脚で走り去る滑稽な姿を見て、追う気も失せた珠蓮は小屋の中を見渡した。人が住まなくなって何年たつのだろう、埃が積もった室内、囲炉裏の傍に異様な土人形が横たわっているのを見つけた。
羅刹姫がこれでなにをしようとしていたのかはわからないが、置いて逃げたところを見ると、たいしたモノではないのかと考えながら見ていると、胸の辺りが仄かに青白く光り、それが全身に広がっていった。
そして土人形全体が光に包まれて姿が見えなくなった。
眩い光に珠蓮は一歩引きながらも、なにが起きているのか見極めようと目を細めた。
程なく光は収まり、そこに現れたのは土ではなく、人肌の人間だった。
それは珠蓮と同じ年くらいの青年。
端正な顔立ちは、男とは思えない美貌だった。
指先がピクッと動いた。
青白い腕がしなやかに上がり、なにかを求めるように宙を彷徨った。
そしてその手は自分の顔へ、確かめるように口へ鼻へと指が滑り、瞼を撫でた時、それは開いた。
傀儡の黒い瞳が最初に見たのは、自分の指、そして次は気味悪そうに見ている珠蓮の顔だった。
全裸の傀儡は上体を起こした。
サラサラの髪が肩にかかる、長い手足は長身を予想させた。
しかし感情のない瞳と視線が合った珠蓮はギクッとしたが、不思議と嫌悪感はなかった。珠蓮をまっすぐ見つめる切れ長の目に敵意はなかったし、なにより、男とは思えない美しい容姿に見とれてしまった。
傀儡は珠蓮に手を伸ばした。
なされるまま頬に触れられた珠蓮は、人肌のような温もりを感じたことに驚いた。さっきまで土の塊だったのに。
それにしても……。
「なにか着るものは」
見渡した珠蓮は枕元に畳んで置いてある衣服らしきものに気付いた。
この傀儡を作るよう依頼した羅刹姫が用意したものだったが、彼女は一番に逃げた。作った偶仙道も逃げたので珠蓮は知らなかったが、
「とにかくコレを着ろ」
言葉は通じるようで、傀儡は言われるままに洋服を着た。サイズはピッタリ、シンプルなシャツとジーンズだったが綺麗に着こなした。
「さて、お前は何者だ?」
珠蓮は傀儡を見上げた。予想通りの長身だ。
傀儡は小鳥のように首を傾げた。そのしぐさはドキッとするくらい可愛く、珠蓮は不覚にも赤面してしまった。
この美形は羅刹姫の趣味なのか? 自分の傍らにはべらせる為に作らせたのか? いいやそんな酔狂をするタイプではない。なにか目的があるはずだと珠蓮は思考を巡らせた。
「で、どうするかな、コイツ」
出来立ての土人形をこのまま放置して徘徊されては面倒なことになりそうだ。
羅刹姫がこの傀儡を必要とするなら、取りに戻る可能性もあるし、おびき寄せることが出来るかもしれない。
珠蓮は長きにわたり羅刹姫を追っていた。
理由は、家族を惨殺し、自分をこんな身体にした仇の鬼の居場所を彼女が知っているらしいからだ。
仇の鬼は生きている限り人間を殺し続けるだろう。放ってはおけない、必ず殺すと誓って捜し続けているが、奴はここ50年くらいまったく姿を現さず、消息が掴めない。死んだとは思えないし、なぜ姿を隠しているのかもわからないが、羅刹姫が情報を持っているのなら……。
珠蓮は傀儡を見た。
傀儡はおねだりする小犬のように珠蓮を見つめていた。指示がないと動けないのだろう。
珠蓮は大きな溜息をついた。
「どう扱ったらいいんだ?」
つづく