その8
流風は警戒しながら母屋から出た。
バラ園を抜けると奥に離れと作業小屋があった。さらに進むと、昨夜、成美が言っていた、氷室の入口らしきものが見えた。
山の斜面に朽ちかけた木枠を張り付けたような、みすぼらしいモノだった。
一見、使われていない様子だったが、入口から奥へと新しい足跡があるのを、流風は見逃さなかった。
鳴き声は奥から聞こえている。
しかし奥の構造は全くわからない、入ってしまえば、逃げ道はないかも知れない。
流風の頭は、入ってはダメ! と危険信号を点滅させていた。
しかし心は、行って確かめろ! と言っていた。
鳴き声は救いを求めているようだったから……。
落としたところで惜しくない命だし……。
悲しんでくれる人もいないし……。
流風は決心して歩を進めた。
木枠の入口から一歩踏み込むと、急に空気が変わった。
奥にエアコンがあるのではないかと思うほど冷風が届く。
この季節でも奥には氷が解けずに残っているのか?
流風は奥に目を凝らした。
仄かに明かりが見えた。
人の気配がないのを確信してから、流風はさらに進んだ。
地表でパリッと小さな音がした。
流風の足が地表に張った薄い氷を踏み砕いた音、冷凍庫のように凍てついている。
いくら氷室と言っても、自然が生み出した温度とは思えなかった。
鳴き声は止んでいた。
肝心な時に! しかし、ここまで来て引き返すのも癪だ。
その時、薄暗くともるライトに人影が揺れた。
流風は動きを止めたが、身を隠す場所はないので側壁にピッタリ着いた。
息を潜め、眼球だけを移動させて周囲を窺ったが人の気配はない。
ただ、人影らしきものはそのままだった。
闇になれてきた目が、その正体を見極めた。
両手を縛られて吊るされた成美だった。
全裸の肌には白く霜が付いている。
生死はわからなかったが、まるでチルド保存されているようだった。
横に成美と同じ年頃の男が二人、同じように吊るされていた。
昨夜、成美と密会していた男達なのか?
流風は顔まで見ていなかったのでわからなかったが、鳴き声の主でないことは確かだ。
では、鳴き声の主は?
さらに奥を見た。
その時、
「やはりロクなもんじゃなかったわね」
背後からの声に流風はギョッとした。気配に気付かないなんて不覚としか言いようがない。
「冴夜様はお前を生かしたまま下山させようとお考えだったんだ、でも、見られたんじゃ、そうもいかなくなった」
それはたぶん多英だった。
たぶん……と言う訳は、彼女があまりに若々しく見えたからだ。
闇のせいだけではない、家政婦姿の時とはまるで別人、白髪一本ない艶やかな黒髪を下ろし、すべすべの白い肌、赤い唇からは二本の牙が覗いていた。
「吸血鬼か!」
多英は薄ら笑いを浮かべながら、
「やっと気付いたのか、綾小路のハンターにしては間抜けだね」
彼女の言う通り、いくら負傷していたと言っても、吸血鬼の巣に居ながらわからなかったなんて!
流風は自分の未熟さに憤り震えた。
「無理もないか、冴夜様はお前ごときに見破られるような不覚は取らないからな」
ボスはあっちか……。
あの優しそうな人が……。
妖怪ハンターだとわかった上で助けるなんて、舐められたものだ!
「旦那様は綾小路のハンターに殺されたんだ、お前は仇の末裔なんだよ、でも、綾小路の血は流れてないだろ? どんな訳あってかは知らないが、血族でないのならと、冴夜様は広いお心で、見逃してやろうとなさってたのさ」
多英はチルド状態で吊るされている成美たちにチラッと視線を流した。
「こいつらは金の為にここへ来て、我々を殺してでも手に入れようとしていたどうしょうもない奴らだ、もっとも、おびき寄せたのはわたしだがな」
昨夜の会話が理解できた。
冴夜たちは獲物を狩るのではなく、呼び込んでいたのだ。
「そうやって何百年も、お宝に釣られてやって来る悪党どもを料理してきた。こんな奴ら、生きてる価値もないだろ、この先、ロクなことしないに決まってる。世の中の害虫になるだけ、いや、もう既になってるんだ。善良な人間に害を及ぼさないうちに我らが始末してやったんだ、感謝されてもイイくらいだ」
「そうだとしても、裁くのはお前じゃない」
冷ややかな流風の言葉に、多英は怒りの目を向けた。
と同時に、長い黒髪が剣となって流風に襲いかかった。
流風は横っ飛びに転がって避けた。
しかし多英の攻撃は容赦なく続く。かわすのに精一杯で、流風は反撃に転じることが出来ない。と言っても、武器を持たない流風に対抗する手段はないのだが……。
今は逃げるしかない。
流風は素早く立ち上がると、全速力で奥に向かった。
多英をかわして入口に向かうのは無理だったから……。
地面が凍てついていて走り辛かった。
しかしそれが幸い、後ろで多英が滑って転ぶ音がした。
つづく