その1
真ん丸い月は明るく、星々の輝きを翳ませていた。
しかしそれに負けじと、ひときわ煌めく星もある。
「あの星はなんて名前かしら」
木々の間から夜空を仰いだ冴冬が言った。
「知らない」
数歩先を歩く未空は見上げもせず、そっけなく答えた。
夜の山道を急ぐ未空は14歳、冴冬は二つ下の12歳の従姉妹同士。
未空は年のわりには大人っぽくて妖艶さ漂う美少女、体つきも成熟したナイスバディ。冴冬はポニーテールが良く似合う、愛嬌ある可愛い少女。
二人が進んでいるのは、人が通るような道とは言えない険しい獣道。月明かりだけでは足元も見えないはずだが、迷いなくスタスタと歩いていた。
普通の人間なら、懐中電灯なしでは一歩も進めない山道を難なく進めるのは、二人が幼い時から特殊な訓練を受けているからだった。
甲賀忍者の末裔。
忍者と言っても戦国時代のような活躍の場はない。しかし現代も闇でうごめく間者を必要とする者たちはいる。忍者の末裔は表に出せない汚れ仕事を請け負っているのだ。任務遂行のためには殺しも厭わない、闇の世界では必要とされる存在だった。
そんな家に生まれた未空と冴冬は、いずれ闇の世界にその身を投じる。厳しい訓練に明け暮れているのは、任務中に命を落とさないためでもあった。
「遅くなったわ、急ぐよ」
「待ってよ」
冴冬は未空の腕を掴んだ。
「なによ」
未空は掴まれた腕を怪訝そうに見た。
「疲れちゃった」
「しょうのない子ね」
甘えるように見上げる冴冬をみて、未空は仕方なく歩を緩めた。
その時、
!!
未空の聴覚はなにかをキャッチした。
「聞こえた?」
「なに?」
緊張した未空の腕の筋肉を感じた冴冬は、全神経を耳に集中させた。
「叫び声?」
「家の方よ!」
次の瞬間、二人は揃って駆け出した。
* * *
山間の開けた場所に、立派な古民家が隣り合って建っていた。
周囲には田畑、鶏小屋、豚小屋もあり、自給自足の生活がうかがえる。
庭に、遺体が並べられていた。
みんな全身に噛み傷があり、流れた血が地面に染みていた。
犠牲者は未空の父上野空伴、まだ7歳になったばかりの妹空鐘、空伴の兄で冴冬の父上野海忠と妻秋絵、10歳の息子春瑠の5人。
「これで全員か?」
凌生が遺体を見下ろして冷ややかに言った。
生粋の狼族である凌生は、人間の姿に変化しているので、一見20歳前後の好青年に見えるが、鋭い眼光は他を寄せ付けない威厳を感じさせた。その態度から他4頭の狼族と、その僕である人狼たちを従えているボスだとわかる。
人狼は、人の形はしているが、洋服からはみ出た手足は灰色で覆われ、鋭い爪が伸びている。顔も人間の面影はあるものの、目は黄色く虚ろで、変形し突き出た口元には鋭い犬歯がのぞいていた。
「足りないぞ」
「くまなく捜したのですが、見当たりません」
「もっと捜せ! 皆殺しにするんだ!」
凌生が一喝すると、全員がそれぞれに散り、捜索を再開した。
「ギャア!!」
直後、一狼の悲鳴が響いた。
「なんだ!」
そちらを見た凌生は、血に濡れた短刀を握る未空の姿を見た。
未空は身構えながらも、視線は並べられた遺体に釘付けだった。
手遅れなのは一目で解った。
倒れている家族が絶命していることを悟った。駆け寄って抱きしめたところでもう生き返らない。
「なぜなの、集落には妖怪除けの結界が張られていたのに……」
「結界? そんなモノ、俺様クラスには効かんぞ、死にに帰って来るとは馬鹿な奴」
凌生は不敵な笑みを浮かべた。
「父さんの結界が破られるなんて……」
幼い妹の無残な骸を目に、怒りと悲しみで体が震えたが、周囲を取り囲む人狼もちゃんと目に入っていた。
多勢に無勢、今、戦っても、勝ち目はない。
逃げるか?
それも難しいだろう。人狼の身体能力は知っているつもりだ。でも、自分が盾になれば冴冬だけでも逃がせるかも知れない。
「逃げて! 冴冬!」
声も上げられずに呆然と遺体を見ていた冴冬は、未空の声に我に返った。
「みんなを置いて行けないわ!」
「もう死んでる! あなただけでも生きなきゃ」
「でも」
「行くのよ! あたしもすぐ追いつく!」
未空の叫びに、冴冬は唇を噛みしめながら背を向け、駆け出した。
「逃げられると思っているのか」
凌生の合図で、人狼たちが一斉に動いたが、未空の動きも速かった。
冴冬を追おうとした人狼に突進、二振りで二狼を倒した。
しかし、次々に襲いかかってくる。
牙を、爪を避けながら、応戦する未空の息はすぐに上がった。
「やるなぁ」
しばらく後ろに控えていた凌生が、痺れを切らして前に出た。
「無駄に手下を失いたくはないからな」
言うや否や、未空に突進した。そのスピードは人狼とは比較にならず、未空は避けたつもりが、鋭い爪が首筋を掠った。
「くっ!」
傷口から流れる血を押さえながら、未空は距離を取ろうとしたが、凌生は容赦なく接近する。
次の一撃はかわせない!
殺される!
さっき見た、父の遺体が脳裏に浮かんだ。
目前に迫る凌生の顔は、いつの間にか人の顔ではなく狼になっていた。
剥き出した牙の狙いは、未空の首。
死にたくない!!
心の中で叫んだ時、未空は全身に電流が駆け抜ける衝撃を感じた。
それは痛みではなく、不思議と力が湧き出るような感覚だった。
次の瞬間、凌生が吹っ飛んだ。
「なに!」
無様に尻餅をついた凌生の表情は、なにが起きたかわからない驚きだった。
それは未空も同じだった。
周囲を取り巻く空気が違う。
静電気がパチパチと音を立てている。
「なんなんだ!」
激昂した凌生が、再び飛び掛かろうとしたが、未空の所まで到達することはなく、感電柵に激突したサルのように弾かれた。
再び尻餅をついた凌生は、信じられないと言った目で未空を睨みつけた。
「お前はいったい……」
その時、凌生は他の気配に気付いて視線を外した。
「凌生様」
一狼の狼族が目で合図した。
「ちぇっ、もう来たのか」
未空を仕留められないのは不本意だが、彼女の術の正体もわからない今、新たな敵を迎え撃つのは分が悪い。これ以上手下の犠牲を出したくない凌生は即座に撤退を決めた。
「お前など、いつでも殺せるからな」
負け惜しみともとれる言葉を吐くと、凌生は残りの仲間を従えて消えた。
「待て!」
と強がったものの、未空は内心ホッとした。
途端、全身から力が抜け……、目の前が暗くなった。
つづく




