その10
「そう言うことだったのね」
居間の囲炉裏に貉婆と羅刹姫が向かい合っていた。
貉婆が住むみすぼらしい小屋に、厚化粧で派手な服装の羅刹姫は場違いだったが、妙に馴染んでくつろいでいた。
「霞が目覚めたのは知ってたけど、あの娘がそうなのか」
流風の風刃で傷ついた肌は痛々しく創痕を刻んでいた。
「また、派手にやられたもんやなぁ」
全然心配していないのがわかる口調で貉婆は怪我を見た。
「お前が敵う相手違うし、せいぜい近寄らんようにするんやな」
「あっちが絡んでくるのよ、この間の猫娘といい、迷惑だわ」
「猫? 真琴も会おたんか」
「知ってるの?」
「会おたんやったらわかるやろ、真琴も半妖とはいえ血統書付きの大物や、霞様とも意気投合してるみたいやしな」
「あの霞が半妖とつるむなんて、どう言う心境の変化? まだ寝ぼけてるの?」
羅刹姫は溜息を漏らした。
「妖怪退治屋の綾小路も関係してるし、大人しぃしてた方がエエで、 いっそしばらく京都を離れたらどうや?」
「逃げ出すわけにはいかないわ」
豊満な胸の前で腕組みしながら、
「ようやく動き出してるんでしょ」
詮索するように貉婆の顔を見る。
「相変わらず鼻が利くなぁ」
「あの娘、風の能力を持つ智風の生まれ変わりでしょ、他にも転生した者がいるのね」
「さあな」
とぼける貉婆に羅刹姫は鋭い視線を放った。
「1200年経って、封印が弱まってきているのは感じていた。いよいよ、解けるのね」
「うちは知らん」
「まあいいわ、そのうちわかるだろうし」
「悪いことは言わん、長生きしたいんやったら首突っ込まへん方が利口やで」
「長生き? もう十分生きたわ、長すぎるほどね」
羅刹姫の瞳が怪しく煌めいた。
「待っているのよ、封印が解ける日を」
「なにするつもりや」
羅刹姫は貉婆の質問は無視して、宙を見つめながら言った。
「もっともっと魂が必要なのよ、醜い人間の魂を食らって力をつけなければ、もっと強くならなきゃ」
羅刹姫は立ち上がり、
「じゃあ、また」
「また? もう来んといてや、なにするつもりか知らんけど、関わりあうのはゴメンやで」
「冷たいわね、長い付き合いなのに」
* * *
「気が付いたか?」
流風が目を開けると、心配そうな霞の顔が見えた。
穏やかな優しい表情は、霞をいっそう美しく見せた。前世の記憶で見た霞のようだった。
「ここは……」
「お前の部屋だ、魂が戻ったんだ」
「魂が……」
まだ頭がすっきしりしない。
「覚えてないのか? お前は羅刹姫の糸で、絵の中に魂を囚われておったんだ」
流風は悪夢の出来事を思い出した。
「あの糸に囚われると、悲しみの記憶が甦って辛い思いを……」
「なんとまぁ、ひどいことをするもんだ、だから深い悲しみを持っている者だけが糸に囚われたんだな」
「ノッコが助けてくれなかったら、あたしは抜け出せなかった」
「あの娘がお前を助けた? 反対ではないのか?」
「いいえ、本当は強い子なのよ、あたしなんかよりずっと……」
「そうなのか?」
霞は不思議そうに小首を傾げた。
「あなたも呼んでくれたわね」
「おお、聞こえたか?」
「真琴と喧嘩してるのもね」
「そうか、聞こえていたか」
霞は嬉しそうに微笑んだ。
「思い出したのは……」
流風は言いかけてやめた。
智風だった前世の記憶も少し甦ったことを思い出した。霞の元へ帰りたいと思ったことが死を招いたと知れば霞は……。
知らない方がいいと流風は口を噤んだ。
「なんだ?」
「別にぃ、なんでもないわよ」
「なんだ、たいそう心配してやったのに、その言い草は」
「心配? 早く死んで男に転生してほしいんじゃなかった?」
霞はハッと瞳を上げた。
「そうだった、忘れておった」
つづく




