その8
「感じる、ノッコの気配」
友哉の絵の前に立った真琴が言った。
那由他はコンクール会場から絵を盗み出して、銀杏の森へと運んだ。
表面上変わりない風景画だったが、雰囲気が変わっていることに真琴と霞も気付いた。
「確かに、さっきは感じなかったのに、流風とノッコの存在を感じるな、なぜだ?」
霞は小首を傾げた。
「二人が意識を取り戻したん違うか?」
と那由他が言うなり、霞は、
「流風! いるなら返事をしろ!」
絵に向かって叫んだ。
「筆を探して! それが呪いの元凶や!」
続いて真琴も大声を張り上げた。
「筆は中にあると思うのか?」
霞の問いに、
「そんな気がする」
「獣の勘か?」
「獣言うな、自分のこと棚に上げて」
「わたしは獣ではないぞ」
「そうやな、下等な爬虫類やったな、勘も働かへんか?」
「下等とは失礼な! 守り神に向かって」
「疫病神の間違い違うか」
「お前、一呑みにされたいか?」
「その前に引き裂いたるわ」
* * *
「聞こえた?」
「うん、真琴と霞さんがいるみたい」
二人の声だけは聞こえるが、姿は見えない。華埜子と流風は周囲を見渡したが、白い靄の中、視界は数メートルしかなかった。
「なんか、喧嘩してるみたいやな」
こんな時に……、助ける気はあるのだろうかと流風は眉をしかめた。
「筆って言うてへんかった?」
二人は改めて周囲を見渡した。
糸に囚われている人らしきモノ以外見えないが、円網の中心に華埜子は友哉の姿を見つけた。
「桑島君!」
体は糸に包まれているが、顔はまだ外に出ていた。
糸の隙間から出ている友哉の右手には筆が握られていた。
「筆って、アレ違うか?」
華埜子は確認すべく、そちらに向かおうとしたが、糸のネバネバが足の裏にくっついて、うまく歩けない。
「ほら」
流風が華埜子の手を取った。
「縦糸は粘りがないのよ」
「そうなんや」
二人が進もうとした時、前方に立ちはだかる人影が出現した。
「行ってどうするの?」
派手なセクシー系の女性が、偉そうに腕組みしながら仁王立ちしていた。
美人だが意地悪そうな笑みに、流風は嫌悪感を覚えた。
「お前たち、悲しみの糸から逃れることが出来たのか?」
「悲しみの糸?」
「そう、これに触れると、一番悲しかった過去の記憶が甦るのよ、そして悲しみに囚われて魂が傷だらけになるの」
「お前は何者だ」
キッと睨みつけた流風の視線をいなしながら、
「初対面でお前呼ばわりとは、育ちの悪さがよくわかるわ」
馬鹿にしたように言った。
「確かに失礼かも、あの人かてココに囚われてる人かも知れんやん」
華埜子は流風に耳打ちした。
「あの好戦的な態度、敵に決まってるじゃない」
流風は呆れながら言った。
「そっちの子はお頭の弱さがよくわかるわ」
「強くはないけど……」
「なに納得してるのよ、コイツ、人間じゃないわよ」
「あら、わかるの?」
「邪気が全身からにじみ出てるわよ、性根の悪さがよくわかるわ」
「言ってくれるじゃない、この羅刹姫の邪気に気付いても、一歩も引かない度胸は認めてあげるわ」
「羅刹姫?」
華埜子は羅刹姫をマジマジと見直した。
「あんたが沢本家に呪いをかけた陰湿な妖怪?」
「また沢本の知り合いなの? よほど顔が広いのね沢本は」
「いやいや、あんたが登場しすぎなんや、そう言えば、真琴に左腕切り落とされたん違たん?」
「あんなもの栄養補給すればすぐに生えてくるわよ」
「栄養補給って……」
「何者?」
話が通じない流風は眉をひそめた。
「那由ちゃんに聞いてんけど、質の悪い妖怪らしい、退屈しのぎに人間の心をいたぶりながら魂を食べるんやて」
「魂を食べる妖怪?」
「よく知ってるじゃない、そう、ただ魂を食うたげじゃ面白くないでしょ、だから悲しみの記憶を甦らせて、苦痛を熟成させてからいただこうかと計画したのよ、ほら人間が食べる熟成肉と同じよ」
円網の中心にいる友哉に視線を流した。
「あの子の心は悲しみに濡れているわ、だからあの子が描いた絵は、同じように悲しみを抱えた人間を引き寄せるのよ」
羅刹姫は蜘蛛の糸の塊に目をやった。
「そしてあたしの糸の中で、悲しい記憶を何度も見ているの」
「なんて酷いことを!」
「あなたたちはなんですぐに出てこられたのかしら、さほど悲しい経験をしてなかったのに、間違って入ってきたの?」
拳を固く握りしめながら羅刹姫を睨む流風。
「いいわね、その顔、憎しみに震える汚れた魂も好きよ」
流風はいきなり風刃を繰り出した。
つづく




