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金色の絨毯敷きつめられる頃  作者: 弍口 いく
第6章 蝉時雨
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その10

「あんたのせいで、あの人は死んだんや!」

 信じられない言葉だった。母がそんな風に思っていたなんて、千幸は今まで想像だにしなかった。


「あたしはずっと独りぼっちで、愛する人を死に追いやったアンタを育てなアカンかったんや!」

 

 父亡きあと、二人で力を合わせて生きてきたつもりだった。でも、そう思っていたのは自分だけだったなんて……母は独りぼっちだと思っていたなんて。


「みんな同情してくれたわ、20代で未亡人、それも6歳の子持ち、可哀そうに気の毒にって、でもそんな言葉なんの役にも立たへん、同情じゃ生活していけへん、生命保険も入ってなかったし、たちまちお金に困って……、アンタはなんも知らんかったやろ! どんだけ苦労したか!」


 部屋がクルクル回り始めた。

 千幸は自分が真っ直ぐ立っているのかわからない、感覚が遠のいて行った。


「自由もなく、やりたいことも出来ずに、ただ必死で働いて、働いて!」

 良美の声が耳の奥にボワ~ンと届いてはいたが、すでに現実味が無くなっていた。


 良美の方は、自分がなにを言っているか理解していた。言ってはいけない! 解っているのに、なぜか止められなかった。


「そんな生活が楽しいはずないやん、無邪気に笑うアンタをどんな思いで見てたか、わかる? こんな生活から早く抜け出せるよう、毎日祈ってたんや!」


 そんな時に現れたのが高梨だったのか、娘との生活より高梨といる方が母は幸せだったんだ、母は母親ではなく、一人の女に戻ったんだ。


 もう自分の母親ではなくなっていたんだと思った時、なんだかスーッと力が抜けて楽になったような気がした。

 

 ようやく良美はハッと我に返った。

 目に前には生気を失くした千幸が冷ややかな目で自分を直視している。その瞳の中にはなんの感情もなかった。

 ビー玉のような眼は魂のない人形のようだった。


「……あたしは、な、なんてことを……」

 娘の凍てついた表情に気付いた良美は冷静さを取戻し、なぜ、自分がここまで言ってしまったのか?

 なにかに取りつかれたように吐き出した自分の言葉に震えた。


 決して言ってはいけなかったこと、心の奥底に隠し続けた不満を、なぜ今、このタイミングでぶちまけてしまったのだろうかと困惑し、後悔した。


 しかし、もう遅い。


「千幸……」

 千幸はフリーズしたまま、瞬きもせずに宙を見つめていた。


「ご、ごめんな、こんなこと言うつもりやなかったんや」

 狼狽しながら必死で言い訳をしようとしたが、ありきたりの言葉しか出てこない。

 そんな良美の声が、千幸の耳には次第に遠くなっていった。


 目の前にいる良美は口をパクパクさせているだけ、声はもう届いていなかった。その代わり、耳の奥で蝉の鳴き声が響き始めた。夏はとっくに終わり、蝉などいるはずもないのに……。


 やがて鳴き声は数を増し、重なり合い、蝉時雨となった。

 

 そう、あの日、父と蝉取りに出かけた時くらい、やかましい蝉時雨、見上げると木の葉の隙間に太陽が輝いている。


 夏の風景が千幸の脳裏に甦った。と言うより、リアルに目の前に広がった。

 

 突風にさらわれた麦わら帽子が雑木林の方へフワフワと舞い上がる。千幸はそれを追おうと手を伸ばした。が、届かず宙を掴む。背伸びしてもう一度トライするが、また宙を掴む。思い通りにならず苛立ち、むきになって手を伸ばした。


 次の瞬間、

 千幸の足許になにかが転がって来た。


 サッカーボールくらいの丸いモノは黒い毛で覆われている。

 それは……。


 良美の頭部だった。


「キャアァァァ!」

 千幸は雲に突き刺さるような悲鳴を上げた。





 ……次の瞬間、千幸は目をパッチリ開けた。


 見慣れた風景。


 千幸は中学の校門に立っていた。



   *   *   *



 本堂前の小橋から那由他が姿を現した時、ちょうど珠蓮が駆けつけた。


「大丈夫か?」

 那由他はキョトンとしながら小首を傾げた。

「怪我はなさそうだな」

「なんで?」

「アイツと一戦交えて来たのかと」

「アイツって?」

「強烈な邪気をまき散らしてる黒い塊の中身だよ、この中から感じたんだ」


「そんなんいる訳ないやん、神聖な森に、そう簡単に邪悪な物の怪なんか入り込めへんで」

「けど確かに中から」


 那由他は少し考えてから、

「そう言えば、あの子が迷い込んで来たけど、珠蓮が連れて来た女の子」

「えっ!」


「あの子、やっぱり普通の人間やなかった」

「なんだって!」

「あれは鬼の目や」

「でも、あの時は……」

「まだ人間やったんや、行ったり来たりしてるみたいやし」


「まさか……、昨日の物の怪があの少女であるはずない、鬼にあんな離れ業出来る訳ない」

 珠蓮は厳しい表情で考え込んだ。


 ようやく珠蓮に追いついて来た重賢が重々しく言った。

「もしあの子が、生まれながら特殊な能力ちからを持つ者やったら……」

「……だとしたら、……そう考えると」


 珠蓮はハッとした。


「8年前、なぜあの子だけが助かったのか変だと思ってたんだ。父親が食われてるのに、鬼が好物の子供を仕留めそこなうなんて」

 珠蓮は自分の頭に拳骨を当てた。


「だとしたら説明がつく……、俺が助けたと思ってたけど、そうじゃなかったんだ……、あの子は無意識に秘めた能力を使って自分の身を守ったんだ、そして今、鬼と化した時、特殊な能力が結合して、あの恐ろしい妖力になった」


 珠蓮は拳を強く握りしめた。

「なんで今まで気付かなかんたんだ、8年も見守ってたのに」

 爪が掌に食い込んだ。


「あの犬は気付いたのに……」

「那由他や儂でさえも見過ごしたんや、お前が分からんかっても無理ない」


「あの子は今、どこに?」

 那由他はギクッとして目を泳がせた。


「あ、あの~、帰してしもた」

「どこへ!」

「家」


 珠蓮は眼を赤く煌めかせた。

「これ以上犠牲が出る前に、なんとかしなきゃ」



   *   *   *



 休み時間で教室内はざわついていた。


 窓際にいた真琴と華埜子の間に、咲子が割り込んだ。

「聞いた? 宮田千幸の話し」


 真琴は興味なさそうにチラッと見ただけだが、華埜子は心配そうに、

「また変な噂が広まってんの?」

「今度も強烈やで、宮田のお母さんと高梨先生が不倫関係やて」

「そんな酷い話しが……災難続きやなぁ、宮田さん」

「ほんと、友達にまで裏切られて」

「えっ?」


「この間の画像の出所も、広めたんは小南やけど、その小南に流したんは、どうやら加藤久美みたいやねん」

「加藤さんって、宮田さんと仲イイんちゃうの? なんでそんなことを」


「妬んでるん違う? 友達ってうても、あのグループでは加藤だけ地味やし冴えへんし、大塚君のこともあるしな、女の妬みは怖いで、気ぃ付けななぁ」

 咲子は言うだけ言って、去って行った。


「サキも気ぃ付けた方がよさそうやな、口は災いの元やし」

「ほんま」

 真琴と華埜子は他のクラスメートにも広めているだろう咲子を見ながら苦笑いした。


「加藤さんもどこから仕入れたんか知らんけど、ほんまややろか、生徒の親と教師が不倫って」

 華埜子の問いに、真琴は冷たく言った。


「嘘でも本当でも関係ない、広まってしもたら、みんなはそれを信じるんや」

「そんなぁ……」

 華埜子は辛そうに、

「可哀そうやな」

「ほんま、宮田も友達選ばな」


「加藤さんもや、友達を陥れるような心しか持ってへんなんて、なにが彼女をそうさせたんやろな」

「サキが言った通り、妬みちゃうか?」

「妬んで、意地悪して、なにになんの?」

他人(ひと)の不幸は蜜の味って言うやん、自分より不幸な人を見るのが好きなヤツって、けっこういるしな」


「そんなん、寂しすぎる」

 華埜子は寂しそうに目を伏せた。


 その時、

「なに? この感じは」

 真琴の表情がにわかに険しくなった。


「あれは……」

 校門に黒い塊が沸き立っているのが窓から見えた。


「見えてるのはあたしらだけみたいやな」

「それって、ヤバいんやん」


「そうとうヤバい」


   つづく


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