その8
「えらいやられたもんやなぁ」
包帯を頭と首に巻き、頬にはベタベタと絆創膏、両手も包帯グルグル巻きの珠蓮を、細めた目でしげしげと見ながら重賢が言った口元は半笑い。
「お前がこれだけやられるとはなぁ」
昨夜、珠蓮は瀕死状態で悠輪寺の庫裡に運び込まれた。
重賢の手当てを受けたが、朝まで眠り続け、やっと意識を取り戻した。起きられるようになったものの、傷はまだ癒えていなかった。
不死身の肉体を持つ鬼の珠蓮は傷を負っても数時間で回復する。しかし、今回の傷は深い上、毒気に当てられていたので、まだ痛みが続いていた。
「儂が通りかからへんかったら、危ないとこやったな」
痛みのせいか、助けられたことが不本意だったのか、珠蓮は不機嫌そうに黙っていた。
「お前をここまで担いでくるの、大変やったんやで」
「悪かったな、……ありがとう」
「えっ? 聞こえへんで」
重賢はわざとらしく耳を傾けた。
「けど、なんでタイミングよく現れたんだ?」
「気になってな、ちょっと夜回りしてたんや、そしたらあの邪気やろ」
「真琴の予感は当たるからな」
「けど、アレはなんだったんだろ」
珠蓮は昨夜のことを思い起こした。
* * *
深夜の住宅街。
マンションの屋上に立ち、周囲を偵察していた珠蓮は、月明かりに照らし出された不審な影を発見した。
「ん?」
珠蓮の目が不気味に赤く煌めいた。正体を見極めようと神経を尖らせるが、目標物は黒い雲のような塊に包まれてハッキリしない。
近付こうとジャンプ!
次のマンションに飛び移るが、空中を浮遊している黒い塊とのスピード差は歴然で、距離は開くばかり。
しかし、黒い塊が通過した場所には、
「血の臭い」
思わず漏らした珠蓮の呟きに、黒い塊は追跡者の存在に気付いたようだ。止まってこちらを向く、と言っても本体は見えない。ただ塊の中に赤い光が二つ、ヤツの目と思われた。
対峙した時、珠蓮は赤い目を正面から見て動揺した。
次の瞬間、珠蓮の右腕に激痛が走った。
なにが起きたか解らないまま右腕を見下ろすと、皮膚がザックリ裂けて、血が流れていた。
なんで? この距離から?
困惑しているとまた激痛、今度は頬、武器は見えない、どんな攻撃を受けているのかわからない。
珠蓮は距離を取ろうと後方へジャンプ!
しかしその間も、矢継ぎ早に見えない刃が襲いかかった。肩、脇腹、太腿、足首をやられた珠蓮は民家の瓦に足を着いたが、流れ出た血で滑り、路地に落下した。
不死身の肉体を持つ鬼も、人並みに痛みは感じる。全身を切り刻まれて、珠蓮は苦悶に顔を歪めながら膝を着いた。
赤い目だけがハッキリわかる黒い塊が、珠蓮の前に降下した。距離は5メートル、ここまで近づいても本体は見えなかった。
空気を切り裂く音とともに、繰り出されるなにかが迫って来る殺気は感じた。しかし身を守る術はない。
珠蓮はさらなる激痛を覚悟して身構えた。
カキーン!
鋭い金属音が響いた。
黒い塊の攻撃は続いているようで、空気を切り裂く音は矢継ぎ早に襲って来るが、見えない結界に弾かれていた。
「重賢か……」
珠蓮を庇うように立っているのは印を結ぶ重賢の後姿。
黒い塊はさらに大きくなり二人に迫った。
重賢は胸元から護符を取り出して投げつけた。
すると黒い塊は竜巻となって昇天し、夜空に吸い込まれた。
「大事ないか?」
重賢は振り向いた。
「こりゃ酷い」
珠蓮が跪いている地面には血が滴っている。
「見えたか?」
黒い塊が消えた夜空を、見上げながら珠蓮は重賢に確認した。
「実体を見極められたか?」
「いや、そもそもあったんか?」
「えっ?」
「怨念の塊やったような……」
珠蓮は少し考えて、
「けど、血の臭いがハッキリと……」
重賢は視線を落とした。
「おやおや」
珠蓮が気を失って倒れている。
地面には血だまりが広がっていた。
* * *
「しかし……」
重賢は眉間に皺を寄せた。
「厄介なヤツが現れたもんや」
「不意を突かれたからだよ、今度会ったら!」
「正体もわからんのに、手立てはあるんか?」
「確かに、あの至近距離でもわからなかった……、それにあの攻撃、風刃を操ってるようにも思えたし」
「風を操る……流風と同じ能力か?」
「あの赤い目……、一瞬、鬼かと思ったんだけどなぁ、ま、鬼はしょせん下等な獣、あんな離れ業は出来ないか」
珠蓮は自虐しながら、なぜかホッとした表情を見せた。
その様子に不自然さを感じた重賢は、珠蓮の顔を覗き込んだ。
「なんだよ?」
珠蓮をジッと見つめる重賢の目力に負けて、
「……鬼なら、心当たりがない訳でもなかったんで」
「心当たり?」
「8年前の夏、たまたま通りかかった林道で、鬼の気配を感じて駆けつけたんだ、人間の親子が鬼に襲われて、父親の方は手遅れで絶命してたんだけど、幼い娘は寸前で助けたんだ、でも、噛まれてた」
「お前と同じ……」
「そう、鬼に噛まれてなお命が助かった者は、やがて鬼と化す運命を背負う、人の心を失って人を襲うようになる、本来なら、そうなる前に成仏させてやるのが情けなんだろうけど、幼い少女の泣き顔を見た俺には、出来なかったんだ」
「優しさはお前の長所であり、短所でもあるなぁ」
重賢の目は細いまま笑っているように見えるが、その奥で厳しい光が宿っていた。
珠蓮はバツ悪そうに続けた。
「俺みたいに、厳しい修行を積めば人の心を保ち続けることが出来る、でも、幼子には無理だ、だから一縷の望みに賭けようと思って……。鬼の毒は汚れた心に巣食って増幅する、心が汚れない清らかなままならば鬼と化すことはない」
「そんな不確かなことに?」
「確かに、甘かったかも知れない、人間はずっと子供のままじゃいられない、純粋な心のままじゃ」
「けど、ノッコちゃんみたいなんもいるしな」
重賢が言ったが、
「アイツはある意味、妖怪だよ」
すかさず珠蓮が返した。
「……そうか、あの子か、この間連れて来た」
重賢は呆れた目を珠蓮に向けた。
その時、二人の間に緊張が走った。
重賢の腕には鳥肌が立ち、悪寒がこみ上げた。
珠蓮が目を吊り上げながら立ち上った。
「この感じ……」
つづく




