その5
モザイク模様が地面に揺れていた。
突風に飛ばされた麦わら帽子を追って、千幸は雑木林に踏み込もうとしたが、背丈ほどもある雑草が行く手を阻んだ。
その時、太陽が雲に隠れ、地面のモザイク模様を消した。また強い風が吹き、小枝と葉を激しく揺らした。ガサガサ、ガサガサ、枝葉の擦れ合う音が不気味に響いた。
次の瞬間、千幸の足許になにかが転がって来た。サッカーボールくらいの丸いモノは黒い毛で覆われている。
それは……。
女の生首だった。
恐怖に歪んだ顔には見覚えがあった。
高梨の妻と名乗ったあの女。
「きゃあぁぁぁ!」
千幸の悲鳴が蝉時雨をかき消した。
……と、同時に、千幸は目を覚ました。
パッチリ開けた目に映った天井は、見慣れた自分の部屋のモノだった。
体は硬直して汗ビッショリ、しばらく動けなかった。
「また……」
気怠そうに体を起こしながら、生々しい夢を思い出した。
* * *
「また悪夢? 酷い顔してるで」
芽生が心配そうに千幸の顔を覗き込んだ。
目の下にはクマがクッキリ、焦点の定まらない目、全身の気怠さと戦いながらかろうじて座っている状態、今にも机におデコをぶつけそうだった。
昨日、高梨の妻が押しかけて来た件は芽生にも打ち明けられない。ので……。
「気になることがわかってな、久美のことなんやけど」
教室内を見渡し、久美がまだ登校していないことを確認してから、
「続いてる嫌がらせ、大塚君にわざわざ言うてたんやて」
「なんで?」
「でしょ~」
「言うんやったら大塚君違て先生やんな、あんたが連日悪夢にうなされるほどストレス感じてるんやったら、れっきとしたイジメやん」
「イジメやなんて」
その言葉には抵抗があった。
自分がイジメに遭ってるなんて、なんか不名誉なことに感じられたから。
「やめさせるよう、先生に相談すべきやんな、犯人は小南グループってわかってるんやし」
「芽生も小南やと思う?」
「アイツら以外考えられへんやん」
「……」
小南とは親しくないが、そんな陰湿なイジメをするタイプには思えなかった。気に入らないことがあれば直接ぶつけてくる奴に思える。
「けど、千幸がなにも言わへんし、でしゃばって告げ口するのもなんかな~と思って」
芽生は再び千幸の様子を窺った。
「でもやっぱり先生に相談する? なんかもうギリギリって感じやし……、生活指導の高梨なんかがイイんちゃう?」
その言葉に、千幸は過敏に反応した。
「高梨はアカン!」
大声を上げながら立ち上がった千幸を、芽生は驚いて見上げた。
「どしたん?」
息が荒い、千幸は動揺を隠せなかった。
その時、久美が飛び込んで来た。
「大変や!」
血相変えて二人の間に割り込んだ。
芽生はシラケた目を向けながら、
「朝から元気やな、昨日と同じデジャヴみたいやわ、まさかまた妙な画像が?」
「違う! もっと大事件! 高梨が逮捕されたんや、殺人容疑で!」
その発言にクラス全員が注目した。
「なに、なに!」
「殺人って!」
「高梨って生活指導の!?」
三人はたちまちみんなに囲まれた。
「奥さんを殺したらしいわ!」
「えーーー!!」
悲鳴と絶叫が入り交じり、教室はパニック。
「マジでー!」
「嘘やろ!」
蜂の巣を突いたような大騒ぎに、チャイムの音もかき消された。
* * *
終業のチャイムが鳴り終わり、生徒たちはそれぞれ下校準備をしていた。
華埜子が鞄を持って席を立った時、クラスメートの美沙子が前に立った。
「ノッコさぁ、今日、なんか用事ある?」
「別にないけど」
「よかった!」
両手を擦り合わせながら、
「あたし、どうしても外せない用があって、当番代って……」
と言いかけて、固まった。
華埜子の後ろに仁王立ちしている真琴の姿を見たからだ。この上なく冷ややかな目で美沙子を睨みつけている。
「やっぱ、いいや、ゴメンな」
逃げるように去る美沙子を、華埜子は小首を傾げながら見送った。
「帰ろか」
真琴の声に振り返る華埜子。
「うん」
「結局、逮捕されたん違て、事情を聴かれただけやん、誰や、デマに広めたんは」
華埜子が溜息交じりに言った。
帰宅組の真琴と華埜子はすぐ家路についていた。と言っても真っ直ぐ自宅に帰るわけではない、スイーツ寄道しようとしていた。
「みんなショッキングな話が好きやしな」
真琴はそっけなく返した。
「でも、すぐに釈放されたってことは、容疑ははれたんやろか」
「知らんけど、警察がちゃんと調べるやろ」
「それはどうかな」
いつの間にか二人の間に那由他がいた。
「那由ちゃん、こんにちは」
華埜子の無邪気な挨拶に那由他は笑みで応えた。
しかし、真琴は難しい顔をして、
「どう言う意味?」
「あれは人間の仕業違うで、警察には解決できひんわ」
真琴の片眉が吊り上った。
「アンタの予感が気になって、偵察してたんや、そしたら」
「なにを見たん?」
「例の殺人現場、犯人は逃げた後やったけど酷い有様やった、人間には無理やな」
「じゃあ、物の怪」
那由他の瞳がキラリと光った。
「あれだけ派手に首を切り落としたんやし、かなり返り血を浴びてるはずやのに、血の臭いを追えへんかった」
華埜子が両手で口を押えながら悲鳴を飲み込んだ。
「どういうこと?」
真琴は動じることなく、
「アッという間に消えたんや」
「首って、ちょっと前に、犬が首切り落とされた事件あったよな」
「あの時も見に行ったけど同じやった、血の臭いがプッツリ」
「なんか武器を使ったんじゃ?」
「返り血を浴びひん?って、どんだけ大きな刃物や」
「飛び道具かも」
「あ、そうか!」
真琴は自分たちの会話に青ざめている華埜子に気付いた。
「なんか……もどしそう、食欲なくなったわ」
つづく